2008年10月31日金曜日

都心散策雑感

 休暇の妻と共に、朝10時過ぎに家を出た。4年前に入院治療した妻の眼の定期検診と、都心の公園にあるイサム・ノグチの彫刻の取材撮影が主な用事だが、月末の雑事とも重なって、合計10カ所近くに立ち寄る必要があった。

 まず2つの銀行で金を下ろしたあと、都心の眼科に直行。11時に着いて妻を降ろし、車は病院の駐車場に停め、そこから私だけが歩いて単独行動となった。


 眼科は北大のすぐ近くで、いまが見頃という北大構内のイチョウ並木を見に行く。噂通り、見事な紅葉(黄葉?)である。通りは観光客であふれていた。街路樹のイチョウよりも幹がはるかに太く、長い歴史の積重ねを感じる。
 北大は若き日に2度受けて2度落とされた因縁の大学で、構内に入るたび、いまでも心理的な「壁」をかすかに感じる。ある意味での「トラウマ」というヤツか。

 しかし、見事に落ちて滑り止めの地方大学に入り、すんなりと19歳で家を出ることが出来たのは、「自立」という一点で、私にとっては大きな幸いだった。
 人生で初めて「負けた」こと、そしてそれが鼻っ柱の強い青春時代だったことが、その後の私の人生の方向を、おそらく良い方に変えたのだといま振り返ってみて思う。私の場合、「負け」は大きな逆バネとなって作用した。


 北大を出て、南に向かってひたすら歩く。構内と歩道とを隔てる塀が、なかなかデザイン的に優れているので、ついしゃがんで写真を撮った。

 塀はおそらく札幌軟石で、歩道はレンガの名産地、江別あたりで作った焼き過ぎレンガか?味があるのは、その間に設けられた幅20センチほどの緩衝地帯である。レンガもアスファルトもコンクリートもなく、ただの土が無造作に均されているだけだが、この部分に様々な植物が自生している。
 写真に写っているのは、忘れな草の仲間だろうか。生命力が強い種なので、たぶんどこからか種が飛んできて、自然に増えたのだろう。
 最近、自宅の庭もたまに草刈りをする程度で、ほとんど構っていない。つまりはこの緩衝地帯同様「放ったらかしのなすがまま」なわけで、その時期によって種が飛んできて勢力を広げる植物は、たとえばクローバーだったり、カタバミだったり、タンポポだったり、はたまた忘れな草だったりする。自然が勝手に作り出すナチュラル花壇というわけだが、それなりに味があるのだ。
 何もせずとも自然はひたひたと流れ、それが究極の「美」につながる。

 予報では午後から天気が崩れるらしく、イサム・ノグチの彫刻がある札幌大通公園へと足を早めた。大通りに向かう途中、前方から歩いてきた男性の顔に見覚えがある。赤信号で立ち止まったとき、互いに眼があった。
「あら?」「おや?」
 定例居酒屋ライブで顔見知りになったOさんで、妙な場所で出会うものだ。先方は連れがいたので挨拶だけ交わして別れたが、時計を見ると11時半。しかも平日である。自由業の私は仕事さえなければ勝手気ままな身だが、さてはOさんも…。
 札幌に初めて住んだのは47年前だが、当時の人口は70万前後。都心に行くと、よく知り合いに出会ったもので、大都市とは思えないそんな街のたたずまいを、「とても好きです」というコメントを地元紙の投稿欄で見かけたことがある。
 Jターンしてまた札幌に住み始めてからは人口も190万近くまで増え、都市化も進んで、都心で知人に偶然出会うことはそうなくなった。それでも数年に一回くらいは、この日のような偶然に出くわす。

 さらに不思議なことに、偶然出会う相手は私の場合、同じ人ばかり。FMラジオ局のMさん、取引先のNさんなど、会社の前でもないのに、まるで打合せたかのように、とんでもない場所でバッタリ出会う。それも一度ではなく、2度3度というのだから恐れ入る。織姫と彦星以上の偶然で、縁のある人というものはそういうものか。


 JRのガードをくぐり、トイレを借りようと紀伊国屋書店に寄る。しかし、トイレはなく、寄ったついでに、店内でまだ自分の本が並んでいるか否か調べた。
しかし、どこにもない。店が大通にあった時期は確かに並んでいたが、移転してからは生き残り競争にどうやら敗れたらしい。入口にある検索機で調べてみたら、「在庫なし」との表示。発売されてからすでに8年にもなるから、これも仕方がないこと。そろそろ出直せよ、との啓示であろう。
 トイレは道庁で借り、ようやく大通公園にたどり着く。目的のイサム・ノグチの彫刻は、8丁目と9丁目をぶち抜いて作った広場の真ん中にある。「ブラック・スライド・マントラ」と呼ばれる黒花崗岩で出来た重厚な作品だが、写真のように彫刻そのものが滑り台となっていて、誰でも自由にさわれ、そして滑ることができる。

 公園は閑散としていたが、ブラックマントラには2組の親子連れが遊んでいて、なかなか離れようとしない。この日の撮影はノンフィクション作品の中表紙に使う予定のもので、できれば人は入ってないものが欲しかった。
 辛抱強く待ったが、ふとイサム・ノグチが生前語っていたある言葉を思い出した。
「公園は全体が彫刻のようであり、その中で子供たちが生き生きと遊び回る遊園地でもある…」
 そうだ、子供が遊ぶ写真こそ、彼の人となりを表すのに相応しいのかもしれない。そう思い直し、遠くから何枚か写した。そのうち親子連れは去り、念のため人物の入ってない写真も写す。
 この日の大きな目標を無事達成し、そこでしばらくボ~と時を過ごした。
 来た道を再び北へと戻る。途中のヨドバシカメラで知人の新築祝いの掛け時計を見繕い、手頃な品を買った直後に携帯が鳴る。病院にいる妻からで、診察が終わり、薬をもらうところだと言う。時計を見ると12時半で、そこから歩けばちょうどよい時間だった。
 駐車場で妻を拾い、札幌駅北口のソバ屋で遅めの昼食をとる。来るのは数年ぶりだったが、なぜか味が以前よりも落ちていた。客商売は難しいと思うが、たいていは初心を忘れ、技術の研磨を怠るころから崩れてゆく。私も広い意味での商売をやっているので、とても人ごとではない。

 漬け物用の大根を買う時期なので、出たついでに安売り店に寄るが、太い大根しかなく、断念。別の店に行くことにしたが、少し遠回りしてガソリンスタンドにも寄る。まだ残量はあるが、出たついでだ。価格は135円/Lで、前回より10円以上も安い。2,000円分だけ入れる。
 大根はその後2つの店をハシゴし、4店目でようやく手頃な品をゲット。たかが大根だが、夫婦とも徹底的にこだわる。安心して帰ろうとしたら、郵便局で保険の支払いをするのをすっかり忘れていて、また少し道を戻った。
 全部で13ヶ所近くも回り、家に着いたらあたりはすでに暗くなり始めていた。

2008年10月30日木曜日

おバカなケーブル

 以前から、デジカメのケーブル接続で悩んでいる。日々のブログ用として毎日のようにデジカメをパソコンにつなぐのだが、この時の付属ケーブルのつなぎ方が、いまいちしっくりこない。
 家庭用コンセントと違い、デジカメのケーブルにはなぜか裏表があり、無理に突っ込むと壊れてしまう。よく見ると小さな目印らしきものは存在するが、もともと視力が弱く、寄る年並のせいもあるのか、これがほとんど認識不可能。毎回難渋していた。

 一時期はパソコン側にケーブルを差しっぱなしにしておいたが、いかにも邪魔。この方法でも、デジカメ側の差し込み問題が解決されたわけではなく、マックとWindowsを時に応じて使い分けている現状では、結局パソコン側も日々抜いてしまうことになる。


 思い余って最終手段に出た。表にあたる側に、写真のように赤いビニルテープを目印として張りつけたのだ。「おバカなケーブル」には、原始的手段を講ずるしかないというわけで、これでひとまず問題は解決されたが、やり切れなさは残る。

 デジカメケーブルのように抜き差しが頻繁なケーブルには、なぜ最初から分かりやすく表裏が認識できる色なり、形なり、突起なりをつけておけないのか。
 これらの概念は「ユニバーサルデザイン」という言葉でかなり以前から論じられているが、そんな難しい言葉など知らずとも、デザイナーが使う側の立場でちょっと考えれば、すぐ分かるはずの問題である。

2008年10月28日火曜日

クラッシュレンガ

 休日返上の仕事を昨夜未明に終えた。今朝は電話もなく、昼近くまで獏睡。体力の回復に努める。溜まってた帳簿(現金出納簿)を記帳し、こちらも延ばし延ばしにしてあったDIY、車庫床の補修作業をやった。
 ブロックの粉砕とその隙間を詰める小砂利の充填までは終わっているので、残すは仕上げのみ。以前に花壇の枠に使ったレンガのかけらを写真のようにハンマーとタガネ(100円ショップで入手)で細かく砕く。下にはブルーシートを敷き、漬物石を台にすると簡単に割れる。

 あとで妻に確かめたら、漬物石は関東で暮していた30年近く前から使っているそうで、「どこで拾ったの?」と妻に尋ねても、「忘れた」。しかし、当時も間違いなくこの石で白菜漬を冬には漬けていた記憶がある。物持ちのよいことよ。


 砕いたレンガ、すなわちクラッシュレンガをシート毎持ち上げ、砂利の一番上にふりまく。あくまで「化粧砂利」の位置づけなので、表面に目立つようにするのだ。
 クラッシュレンガは市販もされているが、小さなバケツ一杯で600円近くもする。割れたレンガを捨てずにとっておき、自分で加工すればタダ同然。写真の分でおよそレンガ1個分ほどで、新品を買ってきて砕いたとしても、80円前後か。
 クラッシュレンガをこのように砂利と混ぜて敷いたり、時にはモルタル表面にまいて均したりするのは私の好きなデザイン手法だが、図面に記入して職人に頼むと、一様にイヤな顔をされる。面倒で手間ばかりかかり、割に合わないからだろう。
 これまで何度か設計図に折り込んだことがあるが、まともに仕上がったためしがない。こればかりは職人をあてにせず、コツコツ自分でやるのが一番きれいに仕上がる。

 車庫床の補修作業はこれにてひとまず終了。割れたあとはこのように補修をした痕跡をあえて残したほうが、住まいの歴史が感じられて好ましい気がする。車の出入りもスムーズになったので、モルタルで表面を固めるのはしばらく様子見としよう。

2008年10月26日日曜日

暖房ボイラ初点火

 日中全く陽がささず、寒いなかで仕事に励む。前夜やった1件目のデータ拾い作業の仕上げに手間取り、2件目にとりかかったのが午後3時過ぎ。夕方の定例居酒屋ライブに出発するのは午後6時の予定で、夕食の時間を考慮すると、作業は5時半までが限度だ。

 夕方5時、一向に室温が上がらず、21度を切ったのでついに暖房ボイラのスイッチを入れた。去年よりも10日遅れたが、本格的な冬到来の前に慣らすという意味で、体感よりやや早めにつけるようにいつもしている。
 4月上旬のまだ安い時期に満タンにしておいた屋外灯油タンクは、その後毎日の入浴くらいにしか使ってなく、目盛りは半分ほど。先日、近所の灯油業者が、「95円/Lにしますから、少しでも入れさせてくださいよ」と営業電話をかけてきたが、「ウチはずっと●●(相場より5円は安い店)から買ってます」と告げると、分かりました、とすぐに電話を切った。
 早めの夕食をとり、6時過ぎにいつものように車で家を出る。18時40分ころに店についたら、すでに店内は満員状態。相変わらずの盛況である。
 今回の参加者は15組だが、歌う曲数は以前のように一組3曲に戻った。ざっと計算すると、一組2曲で21組の参加だった前回より、長くかかる計算。またまた体力勝負になりそうな気配だった。


 私の歌う順番はちょうど真ん中の8番目。子細は後日メインページでレポするとして、この日のセットリストは以下の通り。(すべてオリジナル)

「街染まる」~2004年及川恒平時計台コンサート・イメージソング
「秋の日に…」~35年前に作った、曲中で初めて妻が登場する歌
「切ない夕暮れ」~現在の心境を等身大に歌った2007年秋の曲

 出来はまずまずだったか。終了後、「何がそんなに切ないの?」と、この定例ライブが始まったころから顔見知りの女性に声をかけられた。そのほか、「秋の日に…」に関し、「20代前半であんな詩が書けるとはすごい」と、別の男性からも声をかけられた。
 この日のテーマにした「深い秋」は、切り口としては外れてなかったように思う。
 途中、プロ歌手の飛び入りもあったりし、全44曲を歌い終えたのは、深夜12時15分。やっぱり前回よりも長くかかった。さすがに後半は会場の疲れが目立ったが、何とか持ちこたえたか。
 今回は第2部がなく、閉店までしばしのフリータイムがあるのみ。夜の道を飛ばして家に戻ったら、深夜1時半。部屋の中は22度まで上がっていて、ほんのり暖か。熱いシャワーを浴びたあと、そのまま明け方4時まで仕事を続ける。車ということもあり、一滴の酒も飲まない珍しい一日であった。

2008年10月25日土曜日

私ノンフィクション

「やるべき作業」として机の上に長らく積んであった(といっても、10日ほどだが)資料のうち、来年出版予定のノンフィクション作品の校正作業をようやく片づけた。

 9人の共著だが、企画会議で出すことが決まったのが、何と4年前。商業出版ではなく、限りなく自費出版に近い形なので、制約なしで自由に書ける反面、締切はあってなきがごとし。どうしても作業は遅れがちとなる。
 私は決められた通りに2005年の秋に2作、30枚を入稿済みだが、その校正が3年たってようやく上がってきた。実に気の長い話で、せっかちな私はひたすら忍従を強いられているが、会では新参者の若造なのでこれもやむを得ないこと。


 内容は「北の地に足跡を残した異国人」という切り口で、私はスイスの建築家と、アメリカの芸術家を担当した。何冊もの資料を繰り、足を使ってあちこち取材した労作だが、書いてから3年もたつと、原稿にもややタイムラグが出来てしまっている。その擦り合わせが校正の中心で、文体そのものは練りにねっているので、基本的に修正はない。
 今回、客観性の要求されるノンフィクションではあまりやらない「文中で書き手の存在を鮮明にする」という手法をあえてとった。いわば「私小説」ならぬ、「私ノンフィクション」とでもいうべきもので、上梓の折には、先輩の先生方から何か指摘されるかもしれない。
(たとえば「あれは邪道だよ」とか…)

 どんな世界でも、これまでとは違うことをやると必ず周囲の抵抗があるもので、ある程度の覚悟はしている。
 3年ぶりに作品を読んだが、正直に書くと、自分の作品で泣ける。そんなふうに書いた。冒険だが、この手法は間違っていない気がする。早く世に問うてみたい。

2008年10月24日金曜日

文明の恩恵

 終日激しい風雨が吹き荒れた。ひとまずのライン業務が終わったので、部屋の片隅に置いたままだったレーザープリンタ(ブラザー HL-5250DN)の梱包をようやくほどき、パソコンにセットした。
 最近のほとんどの周辺機器がそうであるように、このプリンタもマックとWindows兼用で、マックはOS9、WindowsはVistaにまで幅広く対応している。
 本の編集ソフトは使用フォントの関係もあり、マック限定。従ってセットアップ作業もまずはマックで行った。


 特に問題もなく、スイスイと作業完了。さっそく編集の一段落した本の一部をテストプリントしてみたら、上から2番目の印刷グレードでも文字は非常にきれい。市販の本と比べても何ら遜色ない仕上がりで、ほっと一安心した。

 問題は熱による紙のソリだったが、印刷直後は予想通り結構そっている。印字を熱処理するレーザープリンタの宿命なので、ある程度はやむを得ない。
 普通紙と本の専用紙とでそれぞれ両面印刷し、2時間ほど放っておいたら、ほぼ平坦に戻った。両面印刷すると熱が均等になるからだろう。ただ、写真を印刷したページは一部に熱が集中するせいか、ソリの戻りが遅い。
 いずれにせよ、印刷してから、ある程度の時間を置く必要がある。
_大きさは思っていたよりも小さく、既存のカラープリンタの下にある棚を外せば、机の下にそのまますっぽり入る。
 ただ、使用頻度はそう高くないと思うので、当面は別の机の下にしまっておき、使うときだけ写真のようにセットすることも検討中。

 USBケーブルは付属してなかったが、カラープリンタのケーブルを差し替えるだけでそのまま動く。写真の状態でA4の紙がプリンタ下部の用紙トレイに入っているので、全く邪魔にならない。これでわずか2万円弱。またしても文明の恩恵を受けてしまった。

2008年10月21日火曜日

暑い秋

 注文しておいたレーザープリンタが午前中届いたが、梱包をほどく暇もなく、本の編集作業に追われた。

 欠けていたエッセイ原稿のプリントアウトしたものが存在することが分かり、FAXで届いたその原稿を、再びスキャンしてソフトで変換した。ところがコピー原稿や印刷原稿なら問題なかった処理も、FAX原稿では解像度が悪すぎる。文字の認識度は、およそ70%程度か。
 愚痴をいっても仕方がなく、次なるライン業務が午後に入ってしまったので、本の編集は今日中にケリをつけたい。FAX原本を参照しつつ、不備な部分は手作業で修正した。
 整えた原稿を、空けておいたスペースに流し込み、整形して調整。原稿のない会員名簿と編集後記、奥付もダミー原稿を使ってレイアウトした。
 夕方までに大半の作業を終える。まだ転載原稿のコピーが10数枚届いてないが、スペースは確保してあるので、現時点で可能な作業はすべて終了。

 明日以降、本文と表紙のテストプリント作業に入る予定。その前にプリンタを使える状態にしなくては。


 忙しくてほとんど外には出てないが、実は最近とても暖かい。昨日は歩いて遠くのドラッグストアまで一昨日売り切れだったワインを買いに行ったが、暑くて途中でジャンパーをぬぎ、背中のザックにしまうほどだった。

 最高気温が20度前後。9月下旬の陽気で、日中は南と西のブラインドを全開し、太陽エネルギーを充分に室内に取り込む「冬モード」にすでに入っているので、室内はとても暖かい。
 これを書いている夜11時で、仕事部屋はまだ24度もあり、替えたばかりの「再生羽毛布団2枚重ね」だと暑くて眠れず、タオルケットを外して布団だけで寝ている。
 そんなわけで、暖房ボイラの不凍液もとうに補充し、備えは万全なのに、この秋に暖房はまだ一度もつけていない。
 記録を調べると、去年は10/16にすでに暖房をつけている。もしかすると、今年は10月中は暖房要らずか?こう書くと、急に寒気がやってきたりするものだから、油断はできないが。
(念のため、外の温度計を確かめてみたら3度!夜はそれなりに冷えてます)

2008年10月20日月曜日

クロスオーバー環境

 いまさらだが、ずっと使っていたブラウザ「Netscape」からの完全脱皮を試みている。Netscapeを使い始めたのは、インターネットを始めた1995年暮れから。つまり、マックに限れば、13年もの長期間使い続けていることになる。
 当時はブラウザといえば「Netscape」と「Mosaic」くらいしかなく、私はNetscapeしか使ったことがない。数年たってから現在Windowsで定番の「Explorer」がマックにも登場した。

 当時のNetscapeはバージョン1、つまり出たばかりだった。いまはMacOSX対応、バージョン7を使っているが、開発はとうの昔に終わっていて、すでに過去のブラウザ。いまはFireナントカとか、Gooナンタラなどのよく分からない最新式のブラウザが次々と開発されていて、まさに使い放題。
 それでもずっとNetscapeから離れられなかった最大の理由は、「メール機能が内蔵されているから」。この便利な機能あったから、かの有名な「Outlook」とやらのお世話にも、一度もならずに済んだ。
_ブラウザの機能としてはすでに時代遅れなので、新しい技術を使ったサイトにアクセスすると、満足に表示されないという不都合がいろいろと起きる。やむを得ず、Windowsからそれらのサイトを閲覧することもしばしば。
 それでもじっとガマンして使ってきた。13年も使っていると、たかがブラウザでも、愛着らしき感情がわいてくるから不思議。

 ところが最近になって、メインプロバイダとして利用しているYahoo!の機能が充実してきた。最低限の4メガADSL契約で、毎月支払う額はインターネット電話料も含め、わずか4,000円弱。この中に300MのHP容量、2Gのメール容量、1Gのフリースペース、その他個別のスケジュール表やアドレス帳、ノートパッド(メモ帳)、ブックマークなど一切が含まれていて、まさに至れり尽くせり。
 これらの機能がパソコンの機種やブラウザの種類を問わず、ネット環境さえあれば世界中からアクセスし、いつでも管理可能という、恵まれた状況になっている。

 この一年、パソコンはWindowsとマックを作業用途により、随時使い分けている。たとえば3D-CGとビデオ編集はWindows、音声編集とCGレタッチ、そして本の編集とメールはマックという具合だ。
 こうしたクロスオーバー環境となると、HPやブログの更新、スケジュール管理やメール送信などの汎用作業は、思いついたそのときオンになっているパソコンでただちにやりたい。それが最も作業効率がよく、優れた発想がただちに反映されるというものだ。
 この1年でスケジュール管理とHPメンテナンス、ブログの管理、そして原稿書きまでは、すべて前述のYahoo!提供のツールに移行した。最後に残った牙城がメール管理なのだった。
 メールに密接に関わるアドレス帳はすでに大部分をYahoo!に移したが、ついに今日からメール管理そのものを、順次Yahoo!メールに移行させることにした。

_メール管理をYahoo!に完全移行した場合、全く不安がないわけではない。あくまで「ネットが接続されていること」が大前提だから、何らかの理由、たとえば先日のカミナリによるADSLモデム故障のように、一時的にネット環境が損なわれた場合の対策を頭に入れておく必要がある。
 幸い、ADSLモデムがダメでも、マック内蔵モデムによるダイヤル接続の手段があることも今回知った。あらゆる部分で、作業環境を進化させる条件が整ったということだ。

2008年10月19日日曜日

来年のカレンダー

 本の編集・レイアウト作業を引き続きやる。途中、プロ野球を見たり、布製ペンケースをサイフに作り直す作業をやったりしたが、夜半までにイラストの挿入まで含め、ほとんどの作業を終えた。
 原稿の中に、「傍点つき」だとか、「ルビ」などの難しい指定があり、その都度マニュアルで調べたが、何とかまとめた。

 最後の最後になって、エッセイの原稿1編がどこにも見当たらないことに気づく。例のエラーで読み取れないフロッピーに入っているらしく、他の原稿はすべてプリントアウトした紙から読み取り、再生させたが、このエッセイだけはプリントすらも存在しない。
 夜中なので、確認・問い合わせは明日以降。「メール不可」という方なのでやむを得ないが、何かと対応に遅れがでる。


 夕方、またまた妻と駅向こうの安売り店に買物。今日は風が強く、車で行った。目当てのワインは売り切れていたが、珈琲豆とヤキソバを格安でゲット。ガソリン代は何とか浮かした。
 ついでに100円ショップをのぞいてみたら、サイズの大きい来年のカレンダーが山積み。

・サイズがB3(縦51.5センチ)
・日曜始まり
・前月と翌月のミニカレンダーつき
・日付の下に書き込み欄がある
・デザインがシンプルであること

 これらの仕事用カレンダーの諸条件に、すべて合致している。迷わず買った。家に戻って壁に吊るしてみたら、今年のTSUTAYAのカレンダーと比べても、デザイン的には遜色ない。これでたったの105円。いい買物をした。
 来年のことを考える時期がまたやってきた。あれからもう1年たちましたか。こうやって年を重ねてゆく。

2008年10月18日土曜日

夜の墓地

 本の編集作業で一日が暮れた。全体の半分ほどが完成。今日の作業は写真の入るページが多く、文章の回り込み処理(写真やイラストを避けるように文章を配置する)に、かなりの時間を費やした。
 特に求められてはいないが、どうしても出来てしまう空きスペースに、フリー素材を使って適当にイラストを配置した。

 フォントの選定や写真をどこにどう配置するかは、すべて作り手のセンスに任されている。このほか、文末や文頭の禁則にも気を配る必要がある。
 自分の本なら、文頭に不適切な記号、たとえば小さい「っ」とか、「?」がきてしまった場合、文章そのものを変えてしまうという必殺技がある。ところが他から依頼されてやる場合、その種の技は一切使えない。
 家の設計もそうだが、あくまで主役はお金を払う依頼主で、デザイナーが好き勝手に出来るわけではない。そこがお金をいただく仕事の辛いところ。
 前回の自力出版で使ったアルプスの熱転写プリンタは壊れて廃棄してしまったので、代わりとなるレーザープリンタをアマゾンで注文した。価格は2万円弱で、9年前なら軽く10万はした製品だ。
 あちこちの情報を集め、評価の高いブラザーのモノクロ専用プリンタに決定。前回のプリンタも熱処理で印字するタイプだったが、今回のレーザープリンタも基本原理は同じ。印刷精度が高い反面、印刷された紙が熱でそるという欠点がある。

 両面印刷の場合、熱による紙の収縮が相殺されてソリの程度は少ないはずだが、メーカーが変わるとどうなるかは未知数。早めに入手し、どの紙ならソリが少ないのか、実際に印刷して試してみる必要がある。
 夕方、買物があるという妻と共に、2キロ離れた週末だけ開く安売り店に歩いて行く。車で行ってもよいのだが、往復4キロ×8円=32円のガソリン代節約というわけか。価格が下がっても、一度覚えた節約のダイゴ味は簡単には忘れません。

 ソバ1キロ、タマネギ2キロなど、かなり重いものをまとめ買いしたので、それらは私が背負っていった登山用ザックにすべて入れた。
 普段は歩き慣れない妻が、「何だか疲れたわ」と帰り道で言うので、近道となる墓場の中の道を通って帰ろうかと私が提案。「怖い?」と尋ねると、「ちっとも」。
 夜の墓地はしんと静まりかえり、生きている私たちに、何かを語りかけているみたいだった。

 父の死を間近で見守って以来、死者だとか墓だとか骨だとかが、少しも怖さを感じなくなった。生きていることと死んでいることに、たいした違いはない。この世は束の間の夢のパラダイスさ。

2008年10月17日金曜日

布団の打ち直し

 本来のライン業務がないので、一昨日に編集方針の固まった自力出版の仕事に終日励んだ。
 夕方までにかなり進んだので、気分転換に車庫床補修の続きを少しだけやる。作業中に電話が鳴り、2週間前に依頼してあった布団の打ち直しが、ようやく終わったとのこと。お金はちゃんと用意してありますよと言うと、すぐに届けにきた。
 最も古いものは、およそ35年ぶりの打ち直しで、費用は3枚で22,050円。軽くて薄くて暖かい。いちおう客用のつもりだが、もしかすると1枚は普段も使うかもしれない。


 これに関連するが、先週あたりからずっと古い羽毛布団の洗濯をやっていた。ある家具店の新聞折り込みチラシで、「薄い羽毛布団を2枚重ねてカバーをかけると、そのまま冬用に使える」とある。それを読んで、子供たちが小さい頃に使っていた羽毛布団のことを思い出した。

 こちらも長い間押し入れに眠ったままで、素材が羽毛ということもあって捨てられずにいたが、さっそく試してみると非常に暖かくて軽く、具合がいい。だが、4枚ある布団はどれも汚れがひどく、そのままでは使えない。そこで得意の「自宅ドライクリーニング」で、少しずつ洗っていた。
 我が家の洗濯機には「ドライモード」があり、ドライ用洗剤(ドラッグストアで入手可能)さえあれば、自宅で簡単にドライクリーニングが出来る。ただ、洗濯機には布団が1枚しか入らず、干す場所も限られるので、1日1枚ペースでゆっくりと洗っていたわけだ。
 すっかりよみがえった4枚の薄い羽毛布団から、新たに2枚の冬用(我が家にとっての)掛け布団が再生した。今日の打ち直し布団を加えると、一気に5枚の掛け布団が復活誕生したことになる。

 学生時代から40年使っていたヨレヨレの掛け布団は、今回ついに捨てた。ひょっとすると、もう1枚捨てる。
「掛け布団がそろったら、今度は敷き布団の手入れをしたくなったりして…」と妻がつぶやく。もしかすると、そうなるだろうか。今年は何かと「新規入替」の年みたいだから。

2008年10月15日水曜日

テキストデータの復元

 午前中、自力出版に関する打合せに都心に出かけた。
 ある文芸団体の記念誌が本の内容だが、メンバーはプロの書き手なので、記念誌といえど、きちんとした本の体裁を求めている。しかし、予算は極度に少ないので、個人レベルでほどほどの仕事が可能な私に白羽の矢が立ったという次第だ。

 渡された資料は事前に打合せた内容にそったものだったが、持ち帰った原稿のデータのうち、フロッピーに入ったうちの1枚がエラーでどうしても読み込めない。「このフロッピーはひょっとすると読めないかもしれない」と言われていたが、不安は当たった。

 すでに壊れて廃棄してしまった古いワープロで打った原稿だそうで、以前にも印刷会社に納めたフロッピーで、同じことがあったとか。悲しいことに、バックアップは存在しない。唯一あるのが、そのワープロで印刷したという原稿一式だった。
「もし読めなかった場合は、この原稿を元に何とか復元させます」と請け負ったが、まさにその通りの事態になった。用紙が感熱紙で、ところどころ文字が消えかけて心もとないが、何もないよりはマシ。
_かなり前だが、スキャナーを買った際にバンドル(付録)されてきたソフトに、「原稿をスキャナーで読み取り、それをテキストデータに変換する」という便利なものがあった。いわゆる「OCRソフト」というもので、数回使ったことはあるが、私には必要ないので眠ったままだった。
 古いCDケースをひっくり返し、ようやくそのソフトを見つけた。マック版とWin版の両方があるが、マック版は古いOS9専用。本の編集はマックでやっているが、OS-X対応に換えたばかり。起動をその都度変更するのも面倒なので、今回はWin版をインストールすることにした。

 さっそく試してみたら、文字認識変換率が軽く90%を超える。非常に優秀なソフトだ。データの欠損していた原稿はすべて復元できた。あとはこのデータをマックに転送し、体裁を整えたあと、元原稿と再度の読み合わせをやればいい。
 今日打合せた相手は、お二人とも「先生」と呼ばれる立場の方だが、私より一回り近くも年上なので、パソコンやネットには疎い。私があれこれ説明すると、「そんなことも出来るの?!」と、たいそう驚かれていた。

2008年10月14日火曜日

続・車庫床の補修

 昨夜は久しぶりの紅葉狩ドライブによる非日常体験の興奮がさめやらず、朝4時近くまで何とはなしに起きていた。明けて今日、休み中に納めた仕事の修正連絡が、サミダレ式に入る。
 基本的にはOKなのだが、クローゼット内部に置いた小物や衣類に、依頼主ならではの細部にこだわった修正があった。眠い目をこすって対応し、その合間に懸案事項だった車庫床の補修作業をやった。


 当初の構想通り、割れたブロックを掘り起こし、特大のカナヅチとタガネで丹念に砕く。片側3個を処理したところで、本日の作業は終了。
 天気もよく、暖かいのでこのまま一気にやってもいいのだが、無理をすると「黄金の右腕」に支障が出るかもしれない。DIYの極意のひとつに、「力仕事は無理をせず、少しずつ」がある。
 これに限らず、目的に向かって「少しずつ、少しずつ」という対応は、結局は達成への最短距離であることが多い。
 割れたブロックをとりあえず敷き詰めてみたら、これはこれで結構サマになっている。隙間をさらに細かい砂利や砂で転圧し、要所にクラッシュレンガを混ぜれば、無理してモルタルで固める必要もない気がしてきた。
 割れたブロックはあと3個あり、最終判断には時間がある。もう少し考えてみよう。

2008年10月13日月曜日

キロロ紅葉狩

 休暇の妻と共に、3年ぶりに紅葉狩ドライブと洒落た。数日前からネットで天候や紅葉の具合を調べ、この日のために仕事も前日までに片づけた。
 毎年秋には夫婦で紅葉狩ドライブに行くのが恒例だった。二人とも10月が誕生月なので、合同の誕生イベントもかねている。しかし、2006年初頭に父が倒れてからは、どうにも気が落ち着かず、ずっと行ってなかった。

 二人して寝坊したせいで予定を少し遅れ、午前11時15分に車で家を出る。どこに行くか直前まで迷ったが、妻の友人の勧めもあり、赤井川村のキロロ温泉に行くことにした。
 ネット情報では紅葉も見頃。途中の朝里川温泉までは過去に何度か行ったことがあり、運転に迷う心配もない。
 天気もよく、燃えるような紅葉ロードを飛ばして、休憩なしで12時半に現地到着。軽自動車に代えてから初めての本格的な山道で、車の調子がやや不安だったが、アップダウンも何のその、予想をはるかに超える快調な走りであった。
 自宅からの距離はおよそ60キロ。1時間20分で着いた。


 まずは温泉に入る。HPから印刷した割引券を使い、一人940円の日帰り入浴料が620円に。借りると一人310円かかるタオルセットも、ちゃんと二人分持参。シッカリモンですな。

 連休で紅葉も見頃というのに、温泉は閑散としている。浴場もお湯も非常にきれいで、満足できるものだった。
 ただ、露天風呂の場所が分かりにくく、かなり探した。一度外に出てからさらに別のドアを開けて屋内に入り、階段をぐるっと降りるとようやく露天風呂への扉がある。広い浴場には私一人だけ。
 あとで妻に聞いたら、女風呂も露天は妻一人だったとか。紅葉に囲まれた風呂を独占できたのは、悪くない気分だったが。


 合計3度も入り、充分身体を暖めたあとは、ホテルのレストランで食事。現地の小麦を焼いたというサンドイッチ風料理を食べる。
 食べ終わると2時過ぎ。どこかにあるというゴンドラに乗り、高い位置から紅葉を見ようと場所を聞いたら、さらに奥だいう。車で行ってみると、冬はスキーゴンドラとして使っている施設を夏季も運転しているのだ。
 ここでのリフト代が往復で一人950円。あとで分かったが、片道を歩く手段もあるらしい。しかし、山歩きの準備をしていないので、今回は無理。
 4人乗りのゴンドラに妻としっぽり二人で乗り込む。片道20分くらいで、結構長い。ここからの起伏に富んだ変化のある眺めは絶景。950円の価値はある。


 頂上はかなりの高さで、非常に寒い。寒暖計は4度だった。霧も深く、湯冷めしそうなので早々に引き上げる。データによると、標高1180m、標高差610mとか。どうりで寒いはず。
 途中、ゴンドラの中で写真を撮り合ったが、外の紅葉とゴンドラ内人物の露出を両方合わせるのは、なかなか難しい。何枚も失敗し、どうにか納得できる写真を得た。


 麓に降りて、新車の前でもう1枚写す。トレードマークのハンチングに買いたての縦縞のシャツ。たかが軽自動車だが、20年ぶりの新車は、やはり素直にうれしいのだ。時計は3時半過ぎだが、陽はすでに陰ってきた。ちょっと名残惜しいが、帰路に着く。
 行きでチェックしておいたルート沿いの気になる店のうち、キロロ近くのソーセージショップにまず寄る。今夜のツマミ用に500円の荒挽ウィンナーと、リース用のドライフラワーを350円で購入。この日の現金支払いはすべて妻。私はガソリン代を持ち、運転手として労力提供となった。
 さらに途中、小樽の安売り海鮮ショップに寄り、食材を調達する。辺りはもうすっかり暗く、「非日常どっぷりから、だんだん日常に戻ってきた」なんて妻が言い始めた。
 18時に無事我が家に到着。寄り道したせいで、全走行距離は125Km。今日は燃料計と積算距離計を使い、燃費を正確に算出してみたが、全体では約18.5Km/L。下りが多い帰路では21Km/Lといういい数値が出た。

 今回のドライブは、遠距離での新車の乗り心地や性能チェックも兼ねたものだったが、市街地や山道の入り混じったルートとしては、まずまずの性能であることを実感した。
 いろいろな意味で英気を充分に養うことの出来た、得難い一日であった。

2008年10月12日日曜日

車止めの解決策

 車を軽自動車に変えてから、以前より約60センチも短くなったので、これまで停めるとフロント部分が車庫屋根から飛び出していたのが、ギリギリまでバックさせれば、完全に隠れるようになった。やっぱり小さいことはいい。
 ところが、この「ギリギリにバックさせる」という技が、結構苦手。もともと運転は下手だが、車庫入れのミスで自分の車にキズをつけたことが、過去に幾度かある。


 我が家の車庫の後ろは、鋼板波板製の外壁で、もしもぶつけてしまうと、車と壁の両方がイカれる。その事態だけは、何としても避けたい。
 最初は真横にある物置の壁を目印にバックしていたが、屋根下に完全に入れるには、外壁から10センチくらいまでバックさせる必要がある。イイカゲンな目見当では、非常に危険だ。
 あれこれ対策を考えていたが、昨夜になってようやく簡単な解決策にたどり着いた。写真のようにタイヤ後部に、長さ40センチの花壇用レンガを置くだけだ。
 レンガは建物基礎にぴったりつくよう、さらに平レンガで調整する。こうすると、タイヤがブロックに当たり、車止め代わりとなるのだ。花壇用ブロックの角は丸いので、タイヤは安全。

 花壇用ブロックは本来、穴の部分を利用した傘立てとしてポーチ横に置いてある。しかし、玄関内部にも別の手製傘立てがあるので、使うのは年に数回。万一使うときは、縦に起こしてやれば済む。
 いいアイデアが出るには、やっぱりある程度の時間が必要だ。そして、たいていの難問には、必ず最適な解決策がある。

2008年10月10日金曜日

アイデアの発酵

 午前10時に取引先から電話が入り、最寄りの地下鉄駅近隣にある喫茶店で待ち合わせ。分厚い資料を受け取り、仕事の打合せは簡単に終わった。画像は結局、ごく普通のスタイル(CG)で描くことになる。
 その後、しばしの雑談。年間を通してかなりの仕事をいただいている方だが、仕事の形態はフリーランスに近く、同年代でもあるので、何かと話が合う。

 このご時勢で、細々とでも仕事が切れないのは、お互いシアワセなことだよね、などと言いつつ、珈琲をすする。趣味のことも初めて話したが、20代のころにフォークをやっていたと聞き、驚いた。
 吉田拓郎と加川良が好きで、ソロでステージを踏んだこともあるという。最も得意な曲は、拓郎の「リンゴ」。ギターが難しい曲だが、若い頃はスラスラ弾けたという。私よりも相当上手そうだ。
「一緒にやりませんか?」と水を向けたら、あっさり「やらない」。聞けば目下の目標は、あるノンフィクション作品を本として出すことで、取材に忙しいとか。
 実は書く事も以前からやってますと私が言うと、今度は相手が驚いていた。先方は私が弾き語りをやっているのは知っているが、文章を書いていることは知らない。

 互いの隠れた趣味嗜好を25年も経ってからようやく知ったわけで、なるほどな、と思った。細くとも長く付き合いが続く人間同士というものは、どこかしら深い部分でのつながりがあるということなのだろう。


 カミナリで壊れたBSアンテナだが、保険金も降りたので、もう捨ててもよい。しかし、その丸い凹形状がなかなか美しく、捨てられずにいる。
 いまは写真のようにウッドデッキの手すりの隙間に差し込んであり、風に飛ばされる心配もなく、特に邪魔にもなってないが、これを何かに使えないかずっと考えている。案としては、

・寄せ植えの植木鉢
・脚をつけてバーベキューコンロ
・何かで優勝したときの乾杯用
・雨のときに陣笠として
・何らかのオブジェ
・事務所用表札

 等々が考えられるが、(まだあるかもしれない)これらの案を妻に話したら、「表札がいい!」。試しに車庫&物置の入口左にある柱にあててみたら、結構サマになる。
 表札にするなら普通はペンキを塗るが、いまの塗料をはがし、アートとしてわざとサビさせてみようか?とも思う。別の何かと組み合わす手もある。

 車庫&物置の梁下には製図椅子の廃品を使った「天空の植木鉢」を作って最近吊るしたばかり。廃品利用をシリーズ化するのも悪くないかもしれない。
 車庫の床同様、こちらももう少しアイデアを発酵させてみる。

2008年10月9日木曜日

切れそうで切れない

 仕事で請けているライブポスター作りに終日励む。2枚同時作成は楽そうで、結構難しい。同じ店で同時期に使われるので、パターンを少し変えなくてはならない。何度か修正し、夜半までかかってようやく終えた。

 フライヤー(ポスター)の雰囲気は、歌い手のホームページやブログを見て直感的に決める。最近はサイトに掲載の写真を、本人の許可をいただいて使うことが多い。
 自分のライブの場合、ほとんど撮りためた風景写真をアレンジして使うが、プロの場合はまだこの技を使ったことがない。ネタが切れたときのためにとってあるのだ。
 先月大騒ぎして対処したカミナリによるBSアンテナ補修の火災保険手続きがようやく終了し、保険金がおりた。
 戻ってくるのはてっきり修理費のみかと思いきや、「費用保険金」なる項目が追加されていて、修理代よりなぜか8,500円も多い。理由を聞いてみたら、あれこれ走り回った「手間賃」のようなものだとか。
 火災保険金を請求したのは今回が初めてなので、これが普通なのかどうかは分からない。しかし、なんだかモウケタ気分。

「お寿司でもごちそうしてよ」と妻がすかさずオネダリにきたが、ちょっと保留。連休に新しい車で、近隣の山々に紅葉狩ドライブってのも悪くないんじゃないか?ガソリンは下がって、燃費もかなり上がったことだし。

2008年10月8日水曜日

車庫床の補修

 タイヤ置場の整備は終わったが、車庫床に敷いてあるブロックの補修をどうすべきか迷っている。写真のように、全体に厚さ300の砂利を敷き、部分的にブロックも使っているのが現状。
 普通ならここはインターロッキングかコンクリート平板でも敷くところだが、予算がない。アスファルト舗装はありきたりで雨の浸水性も悪く、論外。鉄筋を入れたコンクリート舗装が好きだが、これまた予算がない。
 ブロックは安くて軽く、DIYでの施工も容易だが、写真のように平らに並べると、垂直加重には弱い。敷く際に内部空洞には砂利を詰めたが、それでも写真のように入り口の部分がこの8年で6枚割れた。ここを何とかしたい。
 候補としては、割れた入口部分のブロックを掘り起こして小さく砕いてしまい、クラッシュレンガを少し混ぜ、枠を組んでモルタルで固めてしまうこと。ブロックが骨材となったコンクリートに似た素材になるので、強度も増すはず。レンガを混ぜるのはデザイン面の配慮だ。
 連日の作業で腰がちょっとピリピリしているので、少し休んでゆっくり考えてみよう。冬が来るまでに、もう少し時間がある。


 進行中の「自力出版」に使う文書ソフトを、最新OS対応のものに変更できないか、検討している。
 本を作るために必要な文書ソフトの条件は、私の場合以下の通り。

・縦書き対応。
・行間隔の微調整ができること。
・フォントを文字毎に自在に変更できること。
・写真(画像)を自由に貼付け可能なこと。
・注釈文字を自由に貼付け可能なこと。
・ページ数を入れられること。
・部分的に文字間隔を変更できること。
 以前に使っていたソフトはこれらの大半ができたが、残念ながら古いマックOS9対応版である。そこで手持ちの新しいOSX専用ソフトで同じことが可能かどうか、昨日からいろいろ試しているが、何とかやれることが分かった。
 同時に文字の大きさや行間も、実際にサンプル文を作って確認中。書き手の年齢層が高いので、文字を前回よりワンランク大きくする予定だ。行間隔も10%くらい広げる。

 表紙がカラーにできないかも調べているが、レイアウトを自分でやり、完成ファイルをCDに焼いて印刷店に持ち込めば、充分可能なようだ。
 モノクロに比べてコストは1万円強上がるが、請け負って本を作るのは初めてなので、表紙は見映えのするカラーでやろうかとも考えている。

2008年10月7日火曜日

タイヤ置場完成

 私にしては早起きし、昨日のDIY作業の続きをやろうと思ったら、あいにくの雨模様。予報では午後から晴れるというので、様子を見ながら準備していたら、お昼近くに太陽が出てきた。
 材料をウッドデッキに並べ、切断加工を始めると、途中でまたポツポツときた。ほんに気まぐれな天気で、あわてて材料を室内にしまう。
 しばらく待っても雨はやみそうになく、あきらめて残っていた塗装と組み立て作業は屋根つき車庫の中にシートを敷き、そこでやることにした。

 既存の物置部分の細かい調整に手間取ったが、午後2時過ぎにはすべてが終わった。写真は完成したタイヤ置場を玄関ポーチ上から眺めたところ。
 だいたい当初の構想通りにできたが、正面のパネルの固定方法が気に入らず、直前になって変更した。おかげでパネル幅がやや小さくなってしまったが、タイヤは見えないので、よしとする。


 上の写真左は内部の様子を左から見たところ。右は通りから見た様子で、タイヤは完全に隠れて見えず、デザイン的統一感もある。材料が新しいので色が浮いているが、数年で焼けてなじむ。
 パネル類はビスで固定してあり、タイヤの出し入れは左の開口部からやる。舞うような激しい雪の日は中に雪が少し入り込むかもしれないが、雨や風、直射日光はこれでひとまず遮断される。やれやれだ。
 先日話があった「自力出版」の話が、いよいよ本決まりになった。昨日は都心に出たついでにヨドバシカメラに寄り、レーザープリンタの下見をしてきた。8年前に頼んだ製本業者に再度電話し、新しい条件で見積もりもとった。
 1冊あたりの原価をざっとはじいてみると、材料費と外注費に限れば、前回よりも少し安く出来るかもしれない。

 ただ、一部の原稿に手書きがあるらしく、状況次第ではキーボードで打ち込む必要がある。あとは各種用紙やプリンタの調達と、外注業者(紙屋さんと製本屋さん)との打合せ、依頼主との校正手配などか。出版業務に関してはあくまで素人だが、やることは普通のデザイン印刷会社と、何ら変わらない。
 データのやり取りは極力ネットを使いたいが、書き手に年配者が多く、全部というわけにはいかない。汗を流す労力が、実質的な私の取り分となるが、メイン業務と比べても遜色ない時間単価になりそう。何より、やっていて楽しいのがいい。

2008年10月6日月曜日

天からのササヤキ

 週末をつぶしてやった急ぎの仕事も無事に終わり、天気もよいので、新しい懸案事項である車庫内のタイヤ置き場作りを始めた。
 材料は手持ちのリサイクル材(解体などで出た古い材料で、まだまだ使えそうなものを保存してある)でほぼ足りる。家具ではないので、見てくれは二の次。大事なのは耐候性と強度だ。
 主な材料は解体した居間のテーブル天板。OSB合板とヌキ板があり、両方をそれぞれ使う。
 基本構造は、砂利床の上に直置きしたブロックの上にタイヤを4本並べ、周囲を木材で隠す。正面が最も面積が広いので、ここにOSB合板を使い、ヌキ板は側面に使う。
 材料の切断加工と取付け枠を一部固定したところで、今日の作業は終了。時間は充分にあるが、一部足りない材料をホームセンターで買ってこなくてはならない。


 午後、妻を助手席に乗せて最寄りの警察署に、新車の車庫証明手続きをしに行く。新車にしてから妻がよく同乗するようになった。見晴らしがよく、乗り心地がいいせいだろう。
 今日は移動中ずっとCDを聞いていた。宇多田ヒカルと、サイモン&ガーファンクル。これまではカーラジオとレトロなテープ再生機能しかなかったので、車内で音楽はあまり聞かなかったが、CDが聞けるようになってからは必ずかける。

 いちおうステレオなので、音はすごく良い。少なくともこれまでの車と比べると、雲泥の差。この程度の音は昨今ではごくフツーなのだろうけども、質素な暮らしを続けてきた我が身にとっては、まるで天からのササヤキのように聞こえる。幸福の実感って、やっぱし相対的なモノですわ。
 最寄りといっても警察署までは10キロ以上もあるので、途中ガソリンスタンドで給油。新車にサービスで入れてくれるガソリンは、ほんのスズメの涙である。
 いつものように3,000円分だけ頼んだら、ほとんど満タンになってしまった。価格を見ると148円/L。前回より、20円近くも下がっている。どうりで入るはず。
 ガソリンの量はタンクの60%くらいにしたほうが燃費が向上する。軽自動車だからタンク容量が小さいせいもある。次回からは、2,000円分だけ入れることにしよう。

 帰り道、ホームセンターに寄って足りない材料を買う。長さ1820の木材2本で、この種の長材が車内に積めることが、新車選択の条件のひとつだった。
 いざやってみると、写真のように材料を斜めにしてやれば、座席は一切畳まずに簡単に積めた。サイドブレーキ操作の邪魔にもならず、何だか拍子抜け。なかなか使い勝手のよい車です。