数年前に獣医師だったご主人を亡くされてから、かなり落ち込んでいる様子で、気になっていた。子供がなく、ずっとご主人が心の支えだったのだろう。
必ず届いていた全道展の招待状が、昨年に限ってこなかった。同じ年の年賀状も届かず、(もしかして…)という悪い想像が駆け巡った。
2年ぶりに招待状が届き、筆跡は紛れもなく先生ご自身のもの。まだ元気でおられたことに安堵し、妻を伴って今日、会場の札幌市民ギャラリーに行ってきた。
作品数は例年と変わらない規模だったが、今年は全体的に沈んだ色調が目立つように感じた。社会に漂う出口の見えない閉塞感がそうさせるのか。表現者が書くべきものを見いだせていないように思えてならなかった。
(もしや先生は出展されていないのでは…)とも思ったが、受付けでもらった出展者一覧には、ちゃんと名前があった。
これまではずっと2階に展示されていたが、今年は1階に変わっていた。資格が会友から会員に変わったことが関係しているのかもしれない。
絵の大きさは例年より一回り小さく、題材もずっとモチーフにしていた漁婦ではなく、室内風景に変わっていた。
そのテーブル上には、牛の頭蓋骨とワインの瓶、そしていくつかの茄子という不思議な組合せ。それを見てピンときた。牛の頭蓋骨はご主人そのもので、ワインと茄子は供え物。つまりこの絵は、ある種の墓標のようなものではないか…。
実は先生のご主人も絵画が趣味で、いつも一緒に全道展に出展されていた。題材は牛の骨が多かった。獣医師という仕事がそうさせたのかもしれない。
歌と同じで、絵もそのときそのときの描き手の心情を余すことなく表すものだと思う。亡くなった年に私のライブに一人でやってきた先生が、「どうして死んじゃったのかな…」と、寂しそうにつぶやいていたことを思い出す。
死者を死せりと思うなかれ
生者のあらん限り死者は生きん 死者は生きん (ゴッホ)