2013年4月30日火曜日

車庫柱の下処理

 連休の始まった先週末から、4日続けての雨と低温。プロ野球の試合もなく、手持ち無沙汰なので、GW中に予定していたDIY作業のひとつである車庫柱の追加作業をやることにする。
 といっても外は雨なので、材料を玄関内に持ち込んで作業することにした。

 玄関前に作った車庫&物置は雨や積雪時に非常に重宝しているが、母屋と接する部分にかなりの雪が積もり、長さ3.9メートルの梁に大きな負担をかける。
 記録的豪雪の今年は、2度の雪下ろしを強いられたが、壁際にある大梁中間部に柱を追加してやれば、もしかすると雪下ろしなしの冬を過ごせるのでは?というのが、かねてからの発想だった。


 使う柱は一昨年、根元が腐食して交換したウッドデッキの古い柱。100×100の丈夫な角材で、腐った部分は切り落として捨てたが、まだ使える部分はとってあいた。
 その2本を継ぎ足してやれば、車庫下の柱寸法にぴったりである。今日はまず不要な部分を切り捨て、継ぎ足す箇所を相互に電動ノコで切り欠く下作業をやった。電動ノコは深さ50ミリまで切れるので、両側から切ってノミで調整してやれば、手ノコを使わずに済む。
 写真右のように、13年経っても切り口は全く傷んでいない。まだまだ普通に使える。
 およそ2時間で終了。相互を継ぎ合わせるには何らかの金物が必要で、作業も長い水平スペースのある床上でないと出来ない。この日の作業はここまでとし、近くのホームセンターに金物を買いに行った。
 あれこれ吟味し、3つの金物を合計76円で調達。意外に安く済んだ。ついでに柱の基礎に使う硬いブロック、家庭菜園用の石灰やトマト用の竹支柱、安いトイレットペーパーまで買った。

 雨は一向に止まず、明日から2日間は雪の予報も出ている。次なる作業には好天が必須条件だが、はたしていつになるのか、現時点では不明。

2013年4月29日月曜日

車庫の床を整備

 最高気温が7度までしか上がらず、3日続けての冴えないGWとなった。地元日ハムの野球もワンサイドで観る気が失せ、雨も止んだので、GW中に予定していた外仕事のひとつを、ようやくやる気になった。

 車を普通車のバンから軽自動車に換えて5年目に差し掛かったが、車庫床の仕様は普通車のまま。車輪の下にあたる部分に敷き詰めたコンクリートブロックが軽自動車では広すぎて、左側がはみ出して砂利の上に載っているのが現状だった。
 しばし放置していたが、最近になって一部のブロックが傾き始めた。問題のある箇所は、ずっと停めている場所の直下あたり。中途半端な位置に車輪が載っているのが原因だが、冬の間は修正が難しく、雪が消えた今ごろがいい時期である。


 車庫床には50センチ厚ほどの砂利が転圧してあるが、その一部にブロックやレンガを敷いてある。全面をコンクリートかアスファルト舗装するか、あるいはインターロッキングを敷き詰めるなどするのが理想的だが、費用面から却下。DIYレベルで安価に施工できたのが、いまの方式である。

 左側の車輪が常時載っている箇所にブロックを寄せるのが修正工事の概要。該当する4個のブロックをタガネとハンマーを使って掘り出し、レベルを合わせて20センチほど内側に移動。
 空いた場所には別の場所に敷いてあるレンガの一部を移動し、隙間は砂利で埋めた。


 修正後、ホウキで掃除し、全体を角材で念入りに転圧して水をまいた。さっそく車を移動させてみたら、前後輪の中央にぴったりブロックが収まった。
 車庫床全体にブロックかレンガを敷き詰めたいところだが、単に見映えだけの問題で、停車中は隠れて見えない。ひとまずこれで様子を見る。

 雨と低温にたたられている連休、やっと仕事らしい仕事ができた。

2013年4月26日金曜日

ニンニク醤油

 ずっと切らしていたニンニク醤油を作った。10年くらい前から作り続けているが、そもそもはNHKの料理番組を観たのがきっかけ。記憶が正しければ、平野レミが講師役だったはず。
 容器には佃煮の空き瓶を使っていたが、蓋が金属製なので、醤油でサビつきがち。いまの瓶は2本目だが、今回から瓶の容量を大きくし、蓋もプラスチック製のものに換えた。

 瓶は洗いやすく、匂いがつきにくいガラス製が必須。空き瓶は各種捨てずにとってあるが、ガラスの瓶にプラスチックの蓋という組合せの瓶はなかなかない。100円ショップで新しく買うほどでもなく、棚の奥からどうにか探しだした。


 ニンニクを適当にスライスし、昆布をハサミで小さく切って瓶の中に入れ、醤油を注ぐ。蓋をして3日経つと使える。だいたい3ヶ月は保存が効く。我が家では醤油200ccにニンニク2~3カケを入れる。

 用途はいろいろだが、「トン・キャベ」といって、薄い豚肉とキャベツをゆで、ワカメと一緒にタレとして食べるのが美味い。(ワサビを少し添える)
 インスタントラーメンのスープを少なめにし、小さじ1杯のニンニク醤油を加えると、かなり味が引き立つ。妻は野菜炒めなどの隠し味に常用。
 最近気づいたことだが、使い終わって底に残ったニンニクと昆布は、炒飯の味付けにも絶好である。お試しあれ。

2013年4月25日木曜日

冬タイヤを交換

 残り少なくなった冬の後始末のひとつ、冬タイヤの交換をようやく実施した。持病の腰痛のこともあって、DIY好きの私にしては苦手な作業のひとつ。しかし、仕事がヒマなので、外注などもってのほかである。
 いつもの段取りでメモを元に、タイヤローテーションに従って順に交換。氷塊にぶつけて一部がへこんだ右フロント部分をついでに修正しようと試みたが、いろいろ道具を変えても、へこみはびくともしない。どうやらプロに頼むしかないようだ。
 見栄えの問題だけなので、実際に直すかどうかは、費用次第である。


 左側の車体下に置いてあるタイヤは、万一ジャッキ作業に失敗したときに備えてのもの。ジャッキが外れても、これがあると簡単にやり直しが可能となる。
(過去に一度だけ役に立った)
 着脱時には必ず車軸とタイヤ・ホイールの接触面にミシン油をウェスで塗っておく。特に車軸側にサビが浮きがちで、外す際になかなか離れず、大変な苦労をすることがある。以上2点は素人ならではのちょっとした知恵。

 外したタイヤの溝に食い込んだ細かい砂利をドライバーで全部こそげ落とすのに思わぬ時間を食い、終わるのに2時間近くも費やしてしまった。用心して厚いジャンパーで作業して正解。
 外注すれば最安でも1本500円×4=2,000円。つまりは時給千円である。面倒で辛い作業なので、あまりお勧めはしないが、時間のある人にとっては悪くない時給単価だ。

2013年4月24日水曜日

ギターケースを改良

 ライブ用の備品は得意のDIYを活かし、日々改良を重ねているが、最近よく使っているオベーションのソフトギターケースに不都合が出てきた。
 買ったときに付属していたものだが、ソフトケースとはいえ、緩衝用パッドが前後だけでなくサイドにも入っていて、しかも厚い。最近買ったヤマハのエレアコにも同様のケースが付属してきたが、こちらはペラペラで、その差歴然。

 幸い、オベーションのケースにはヤマハのエレアコも収納可能なので、最近は重くて持ちにくいハードケースでなく、ほとんどこれを使っている。


 不満がひとつだけあって、背中のベルトが1本しかない。下端のフックは2つあるので、タスキがけで背負う仕様らしいが、試してみると肩への負担がかなりのもの。
 そこで応急的に上端部にループ状の針金を通し、これに適当なベルトを引っ掛けて使っていた。
 両肩で背負うので負荷が分散され、重宝していたが。ループ状の針金が動いてしまい、それによって既存のベルトを傷めてしまう。
 ミシン加工で新たなフックを作るか、既存のベルトに穴をあけてボルト等を固定するか、修正手段をずっと考えていたが、写真のようにループ状の金物を固定してやればズレもなく、既存ベルトへの負担も少ないことが分かった。

 修正後、すでに昨夜のライブでかなりの距離を歩いてみたが、いまのところ問題ない。今回使った金物、確か別のベルトについていた気がする。この種の小物は各種捨てずにとってあるが、思わぬときに役立つ。

2013年4月23日火曜日

奇数でまとめる

 都合3度目となる隣区の地域カフェコンサートに参加。昨秋に拡大版が実施された際、ツイッター経由でエントリーしたのがきっかけだが、毎月実施されている平日コンサートのうち、だいたい季節ごとに出演依頼が舞い込んでくる。
 出たいと思っても自由に出られる仕組みではなく、声をかけていただくことを有り難く思う。
 今回は2日間続くイベントの初日。打診はかなり前からあり、飽きられないよう過去2回とは違う切り口で臨もうと準備した。
 持ち時間は入れ換えを含めて20分なので、正味は19分以内、できれば18分くらいが望ましい。普通なら4曲歌うのが妥当だが、偶数の曲で全体を構成するのは、実は歌い手としては難しい。
 持ち時間内でひとつの世界を造ろうとした場合、中間部にヤマを持ってきたり、場面転換したりすることが難しいからで、3、5、7の奇数だとこれが無理なくやれるのだ。曲数制限ではなく、時間制限の場合なら自分で工夫し、あえて奇数にまとめるのが私流のやり方。


 開始は19時で、前回に引き続きトップを任された。私以外の出演者のジャンルがクラシックギター(2組)、ピアノ弾き語り、声楽(ソプラノ)、コントと多種多様。聴き手の好みもそれに応じて幅広いことが予想された。
 そんな場を1番手として作る必要があったが、熟慮のすえ、構成も場に応じて得意の多ジャンル方式でやろうと思った。
 少し遅れて19時2分から開始。およそ17分で以下の5曲を歌った。

「夜が明けたら」(和製ブルース)
「黒い森の青いネコ」(ロック系オリジナル)
「野ばら(メドレー)」(クラシック)
「あなたならどうする」(昭和歌謡)
「寂しくなんかない」(歌謡曲系オリジナル)


 実はこの日の朝起きると、急に鼻水が止まらなくなった。前日の夕方に外仕事の疲れで毛布もかけずにうたた寝したのが良くなかったらしく、すぐに薬を飲んで対処。衣類も暖かいものに着替えた。
 夕方までにかなり回復したが、薬のせいかまたウトウトしてしまい、声の調子はいまひとつ。それでも鼻水は止まったので、何とかステージはやれた。喉を含めた体調の維持は、本当に難しい。

 セットリストのポイントは3曲目の「野ばら」。時間の都合で2つあるメロディ(ウェルナーとシューベルト)の1番だけを続けて歌ったが、1~2曲目が暗めの強い曲調だったので、ここで一気に場面転換できるスローな明るめの曲が欲しかった。
 4~5曲目はやや似た曲調だが、4曲目の問いかけに対し、5曲目でひとつの答えを出す、という趣向。昭和から平成にかけての女性の意識変貌を歌で描いたものだが、ここはMCでうまく補った。
 聴き手はおよそ15名。決して多くはないが、集中度は非常に高く、耳は肥えている。用意された場ではあるが、ストリートライブとは違った意味で怖い場である。
 好調とは言いがたい体調としては、まずまずの出来だったと思う。2曲目ラストにいつも入れる「ニャ~ゴ」の鳴き声、なかなか好評だった。

2013年4月21日日曜日

黒のストールを調達

 100円ショップ・ダイソーをあてもなく徘徊していたら、黒のストールを発見した。この時期なので素材はウール系ではなく、サラサラした麻系。
 黒に近いストールは、余り布を利用したものを一度使ったが、色に微妙な青が入っていて、しなやかさもいまひとつ。代替品が安く手に入れば、と思っていた矢先だった。

 すぐには買わずにじっくり考えたが、赤系のセーター等を着た際、黒系のマフラーかストールがあると、メリハリが効くのは明らか。素材が麻系なので、季節を問わずに使えそうだ。1週間くらい経ってから、結局買った。
(衝動買いはめったにしない)
 長さが130センチと短めだが、短ければ短いなりの巻き方がある。


 非日常を演出するライブ用の衣装に関しては、「バンダナ」→「帽子(ハンチング)」と幅を広げてきたが、昨年あたりからマフラーやストールをうまく組み合わせることを覚えつつある。
 別のブログでもふれたが、もう若くはないので、すっぴんで勝負するのは辛い。いわゆる「取り繕う」ことは、もはや避けられないし、そのことで聴き手にいい意味での先入観を与えることも可能な気がする。

 ストールの巻き方に関しては自己流のほか、以下のサイトも日々参考にしている。60種もあるので目移りしそうだが。

ストールの巻き方・マフラーの結び方 70種一覧

2013年4月20日土曜日

ライラックの養生

 午後から明日の町内会総会のための買出し。500ml入りの飲み物40本を買う。かなりの重さなので、妻の助けを借りた。本来は街灯管理を主とする防犯関連担当だが、飲み物を調達する係の成り手がなく、やむを得ず1年間代行した。
 途中、除雪で腰を傷めてしまって非常に辛い思いをしたが、それもこれも明日で終わる。ボランティアもほどほどにしておかないと、身が持たない。


 夕方になって、先日の外回りチェックで気になっていたライラックの木の養生をやった。上の写真のように、根元のあたりがすっかりネズミにかじられている。放置しておくと腐ってしまいかねないので、ネットでいろいろ調べ、最善と思われる対策を施した。

 まず手持ちの木酢液を1/3くらいに水で薄め、樹皮のはがれた部分にハケで塗る。その後、100円ショップで買った麻ひもを丁寧に巻きつけた。
 かなりの時間を費やし、身体がすっかり冷えてしまい、腰もピリピリ痛んだ。この処置でいいのかどうか、正直自信がない。少し様子を見たいが、枯れてしまったらスッパリ諦めるとしよう。

2013年4月19日金曜日

フキノトウ味噌

 自宅周辺の空地や土手から採ってきたフキノトウで、「フキノトウ味噌」を作った。いつもなら妻が作ってくれるが、今年は忙しいのか、採って2日経っても水につかったまま。暇なので、久しぶりに自分でやることにした。
 レシピは3年前の記録がカードに残してあった。だいたい以下のような感じ。

1)フキノトウ50gを茹で、一晩水にさらしてアク抜き。
2)味噌80g、砂糖60g、酒15ccをフライパンで煮詰める。
3)フキノトウをみじん切りにし、上記のフライパンに入れてゴマ油と共に炒める。


 さっそく夕飯時に食べたが、ご飯のオカズというより、晩酌のアテとして最適だった。

 都心まで30分の場所に住んでいるが、周囲はまだまだ自然がいっぱい。山菜はもちろん、夜はキタキツネも通りを闊歩する不思議な街である。

2013年4月18日木曜日

一気に19曲

 新年度2度目のチカチカパフォーマンスを実施。ジャグラーの方と共演の予定だったが、直前にキャンセルがあり、久しぶりに単独でのパフォーマンスとなった。
 前回同様に予報では午後から雨だったが、そんな気配は全くなく、時折晴れ間もさす陽気。13時50分には会場の北4条広場に着いた。似顔絵パフォーマーの方もエントリーしていたが、会場入りが遅れているようで誰もいない。

 寒暖の差の激しい不安定な陽気が続いていて、衣装をどうするか直前まで迷ったが、薄手の萌黄系ウールセーターに、改良を加えたばかりのストールに落ち着く。ハンチングは春秋タイプのベージュにし、全体を春らしい色味でそろえた。
 14時5分から歌い始める。前回は後半から抜群の集客だったが、反動としてこの日はたぶん悪いだろうと覚悟していた。予感は当たって耳障りのよい昭和歌謡系で始めたにも関わらず、立ち止まる人はほとんどなかった。
 前回もそうだったが、そもそも人通りが極度に少ない。あるストリートミュージシャンのサイトにも記載があったが、4月は誰もが雑事に追われ、路上芸人に足を止める心境ではないようだ。


 それでも通りに向かって、ひたすら歌い続ける。聴き手がいないように見えても、通りを往く人々の耳の隅には、必ず歌が届いているはず。手を抜けばそれがすぐに伝わってしまう。
 2曲目で中年男性が近づいてきて、じっと聴いてくれた。歌い終わると500円のCDを手に取り、千円札を投げ込んで立ち去る。忙しそうな感じで、お釣りを…、と声をかけたが、取っておいて、と受け取らない。思わず最敬礼してしまう。
 人が少ない割に幸先はよかった。結果としてこの日は以下の19曲をワンステージとし、休憩なしの1時間15分で一気に歌った。(※は初披露)(◎はオリジナル)

「悲しき願い」「天使のウインク」「バス・ストップ」「ダンシング・オールナイト」「抱きしめて◎」「寂しくなんかない◎」「二人でお酒を※」「夢一夜」「風来坊」「時の過ぎゆくままに」「想い出まくら※」「男と女のお話」
「抱きしめて◎」「赤いスイートピー」「花の首飾り」「サクラ咲く◎」「雨ニモマケズ抄◎」「あなたならどうする」「そっとおやすみ※」
 予定としては9曲目の「風来坊」で第1ステージ終了とし、休憩を入れるつもりでいた。しかし、前回同様、歌っても歌っても手応えがない。「バス・ストップ」でわずかに立ち止まる人はいたが、長続きしない。
 予定を変更してストック分から数曲を歌い継いでみたが、相変わらず動きはない。開始からすでに45分が経過している。最後のつもりで12曲目に「男と女のお話」を歌い始めたとたん、小さな歓声と共に2人の中年女性が近づいてきた。
 歌い終わると盛大な拍手。

「いまの歌、このCDに入ってます?」
「日吉ミミのカバーなので入ってません。著作権の関係で、CDはオリジナル曲だけなんです」
「そう…、どうりでどこかで聴いた曲だと思ったわ」
 女性は迷っている。先ほどの男性と違って慎重だ。
「では、どちらのCDにも入っているオリジナルを歌います。気に入ったら買ってください」
 そう言って「抱きしめて」をすぐに歌い始めた。これまで同じ日に同じ曲をストリートで歌った記憶はない。介護施設系ライブではアンコールで稀にあるが、今回はこうした展開なので、初めて禁を破った。
 歌い終わるとその女性、「心に残る歌声です。買います」と、500円のCDを買ってくれた。二人のやり取りを近くで見ていた方も数人寄ってきて、パタパタとCDが売れ始める。これまた前回と似た展開だった。
 その後お礼の意味もあり、請われるままに6曲を続けて歌った。「雨ニモマケズ抄」は、「CDの中にあるこの曲をぜひ聴いいてみたい」という、その女性からのリクエストである。
 結果としてこの日も500円のCDが5枚売れた。最初の男性もそうだったが、1曲聴いただけで間髪をいれず買ってくれる人がけっこういる。長く歌えばいいというわけでもないのだ。
 重複を含めて同じ日に5曲もオリジナルを歌ったが、状況をよく見極めれば、オリジナル曲が売上げに直結することも分かった。

 そしてこの日つくづく感じたことは、弾き語りの90%くらいは歌で決まるのではないか?ということ。少なくとも私の場合はそうだ。
 苦手なギターへの依存度を減らすべく、イントロなしの入り方を数多くやり、間奏のいくつかにはスキャットでメロディを入れ、ギターをほとんど弾かない手法もやったが、聴き手にはそれが逆に効果的に働いていたようにも思えた。
 ギターはミスをしない程度の修練にとどめ、せいぜい歌の研磨に今後も励むことにする。

2013年4月17日水曜日

防寒長靴を修理

 冬の終息に合わせ、家の外回りを中心に少しずつ手入れしている。まずは記録的豪雪で折れた庭木の始末。
 低木の折れた枝は、バッサリ切り取ってしまった。基本的に冬囲いは一切しないので、多少の枝折れは仕方がない。問題はライラックの木。根本の一部がネズミにかじられ、樹皮がはがれている。どうしたものか。


 除雪用の防寒長靴を床下にしまおうと清掃していたら、足首のあたりに横長の亀裂を発見した。屈折の繰り返しで最も負荷のかかる部分であり、買って3シーズンを越した880円の安物。これまたやむなしか。
 捨てる選択もあったが、自転車パンク修理用のゴムで直せそうだったので、やってみた。

 パンク修理も長い間やってなく、ゴム糊がすっかり硬くなっていたので、まずシンナーで柔らかくするところから始めた。その後、パンク修理と同じ要領で修復したが、ゴムパッチが古くなっていたせいか、片側の修理に失敗してやり直し。
 2度目に何とか成功。前回の防寒長靴は5シーズン使っているので、今回も何とかあと2年はもたせたい。

2013年4月15日月曜日

DIYが雑誌に掲載

 自宅でのDIYに関し、地元タウン誌から取材を受けたことは以前にふれたが、その雑誌「オトン O.tone vol.54」が書店に並び、デジタル版がネットでも購入可能になったようだ。
 昨年、昭和レトロ系のエッセイを1年間掲載させていただいた雑誌だが、そのときの編集者の紹介で、今回の取材に結びついた。
(エッセイの打合せで一度自宅に来ていただき、DIY関連でも話が盛り上がったという経緯)

 出版社から掲載号が1冊送られてきたが、A4見開きで特集のトップに掲載されていた。特集の扉部背景にも私のDIYメモが使われている。


 内容が内容だけに、作っている人間の顔写真掲載は必須。弾き語りのステージ写真では何も感じないが、それ以外の取材だと、どことなく気恥ずかしいのはなぜか?

 表情にもそれが見て取れるが、じっくり考えてみたら、ステージでは必ずハンチングをかぶるかバンダナを巻くなどして、体裁を取り繕っている。つまりは「化けて」いる。この年でスッピン?はさすがに辛い。
 DIYなので帽子をかぶっていても不自然ではなく、そうすればよかったと、いまさら反省。

《オトン O.tone vol.54》特集「俺流DIY生活。」

2013年4月13日土曜日

ダブルアンコール

 ネット経由で依頼されていた隣区のデイサービスで歌ってきた。小樽にある同系列の別施設で、昨年2度歌わせてもらっている。
 電話で打診があった際にその旨を告げると、その小樽の担当者が移動で着任しているという。てっきりその方の紹介かと思いきや、全くの偶然で、別の担当者がたまたま探し当てたらしい。

「4月の誕生会」という切り口だったので、2日前に担当のNさんと打合せ、春にふさわしい曲を選んで、事前にFAXしてあった。
 聴き手は職員さんを含めて15名前後。古い民家を改築した家庭的な雰囲気の施設である。選んだ曲はNさんが立派なプログラムに直し、手回しよく全員に配られていた。


 予定より少し早く、13時58分から開始。3月からいくつかやっている介護施設系ライブのセットと大きな差はないが、以下の13曲(アンコールを含めると15曲)を順に歌った。

「お誕生日のうた」「北国の春」「バラが咲いた」「知床旅情」「真室川音頭」「荒城の月」「夜霧よ今夜も有難う」「二人は若い」「みかんの花咲く丘」「高校三年生」「月がとっても青いから」「ここに幸あり」「青い山脈」
(アンコール)「お富さん」
(ダブルアンコール)「バラが咲いた」
 初めての施設なので、定石通り手探りで歌い始めたが、最初の「お誕生日のうた」でいきなり手拍子が飛び出したので、「ニギヤカ系」を好む場であると瞬時に判断した。
 以降、時に踊りも飛び出すなど、抜群の手応えでトントンとライブは進む。しっとりした叙情的な曲を要所に挟んだ構成も、ほぼ思惑通りに働いた。
 選曲の目玉は、「バラが咲いた」「知床旅情」「夜霧よ今夜も有難う」「ここに幸あり」あたり。いずれも介護施設対象としては、やや新しめの曲なのだが、これも当たった。

 予定通り13時35分で終了し、素早く撤収しようとしたら、期せずして会場から「もっと聴きたいな…」のつぶやき。進行係のNさんは完全にまとめに入っていたが、会場から利用者の女性が私のすぐそばまで近づいてきて、「ぜひもう1曲お願い」と請う。
 予期せぬ事態に担当のNさんは慌て気味だったが、「アンコール、準備してますよ」と告げると、ようやく場が落ち着いた。

 ニギヤカ手拍子系の「お富さん」で無難にまとめ、ヤレヤレと機材を片づけにかかると、再び会場から「『バラが咲いた』をもう一回聴きたい…」とのつぶやきが。
(声の主は男性だったが、こうした施設で元気がいいのは女性と決まっていて、男性から積極的な発言があること自体が非常に珍しい)
 同じ曲をもう一度、というのは介護施設系では稀にある。全く別の曲を、と請われるよりは楽。時間的には問題ないとのことで、こちらもありがたくお受けした。
 いろいろあって、終了は予定オーバーの14時45分。しかし、「いい声だね~」「知ってる曲ばかりだったよ~」と、利用者の方々には満足していただいた。
 よく考えてみると、先月のデイサービスでもダブルアンコールを貰ったばかり。しかもどちらも職員さんの仕掛けた「お約束アンコール」ではなく、一時は職員さえ当惑させた、利用者からの要望だった。ここに大きな意味がある。
 かっては苦手としていたデイサービス・ライブ、自分なりの試行錯誤で、およそのさばき方は会得した。

2013年4月11日木曜日

バス・ストップ

 昨日のチカチカパフォーマンスでのコボレ話。
「バス・ストップ」を歌い始めたら、通りかかった中年男性がピタリと立ち止まり、熱心に聴いてくれる。
 不思議なもので、一人が立ち止まると、別の人も集まってくる傾向にある。よく言われる「サクラ」という意図的なやらせ行為は、実際にかなりの効果があると感じる。(私は意図的に使ったことはないが)

 歌い終わるとかの男性、さらに近寄ってきて「いくつ?」と尋ねてくる。この種の問いに対する最近の答えは決めてある。
「還暦シンガーです」
 相手は勝手に60歳前後と解釈したようだが、それでいいのだ。以下、相互のやり取り。


「いや、実はオレもこの歌が大好きでさ、いわゆる「十八番」なんだ。昨日もカラオケで歌ったばかりよ。まさかこんな場所で聴けるとはね」
「それは失礼しました。同年代ですよね?」
「58」

 私よりも5つ下だが、黙っていた。

「ところで、メロディを微妙に変えて歌ってない?」
「え~、カラオケでは10年以上も歌ってないんで、よく分からんのです…」

 自分では原曲通りに歌っている気でいたが、どこか変えてしまっているのかもしれない。(あとでYouTubeで確かめたら、Bメロの「どうぞ口を…」の「を」の箇所を下げずに歌っていた。完全に自己解釈で、指摘は正しかった)
 それじゃ、と男性は去ってゆく。ありがとうございます、と頭を下げて見送る私。CDは買ってくれなかったが、こうした通りすがりの方との一期一会のふれあいは、路上ライブならでは。他のライブにはない魅力である。最近はこうしたやり取りを、積極的に楽しめる心境になってきた。
 二人のやり取りを遠くで見ていた別の男性がいて、会話が終わるのを見計らったように姿を消したが、次にオリジナルの「寂しくなんかない」を歌い始めると、通りの向こうからまた戻ってきた。
 今度はその男性が熱心に目の前で聴いてくれる。歌い終わると、「いまの歌、どのCDに入ってる?」と尋ねる。出来たばかりで、どのCDにも入ってません。では、入っているのを歌いますと、「抱きしめて」を続けて歌った。

 実はその男性、市内で芸能関連プロダクションを経営しているという。その場でいろいろな話をし、身に余るような評価をいただいたが、勘違いしないよう我が身を戒めつつ、ありがたく受け止めておきたい。

2013年4月10日水曜日

風になって歌う

 新年度最初、そして第4期最初となるチカチカパフォーマンスを実施した。新ステージ名での初めての活動でもある。予報では午後から雨だったが、そんな気配はない穏やかな日和。
 早めに事務局に着くと、この日4組がエントリーしていた共演のパフォーマーは、まだ誰も来ていない。看板2枚をキャリーカートに積み込み、会場の北4条広場へと向かう。

 準備中に似顔絵系のパフォーマー2人が相次いで会場入り。もう1人のジャグリングの方の姿が見えないので、少し遅れて14時10分から歌い始めることにした。
 この日の第1ステージは、「春の香漂うシャンソン」として、久しぶりにシャンソン系の曲を歌ってみた。(※は初披露)(◎はオリジナル)

「パダン・パダン」「オー・ソレ・ミオ」「バラ色の桜と白い林檎の花※」「独り◎」「ドミノ」「野ばら」「月の沙漠」「Godfather 愛のテーマ」「ケ・セラ・セラ」


 最初に通りに立ったときから気づいていたが、この日は通りを行く人の数が随分少ない感じがした。人が少なければ、相対的に立ち止まってくれる人も少ない。(今日は苦戦する…)そんな予感が走った。
 悪い予感は的中し、歌っても歌っても聴いてくれる人は現れない。初披露の「バラ色の桜と…」で、ようやく離れた場所で立ち止まり、聴いてくれる人がいたが、拍手をくれたあとにすぐに消えてしまう。
 喉の調子は悪くなく、めげずに粛々と歌い紡ぐ。気分を変えてみようかと、予定にはなかった「月の沙漠」を歌ってみたが、変化はない。結局予備曲を含めた9曲を30分で歌いきってしまう。
 本来ならここで共演のジャグラーの方にバトンタッチするはずだった。ところが、一向に姿が見えない。少し離れた場所に似顔絵の方が2人店を広げていたが、いつものような賑わいはなく、手持ち無沙汰の様子だった。
 ちょっと考え、久しぶりに1時間通して歌ってみようと思った。練習はしてなかったが、予備として春系の昭和歌謡を1ステージ分準備している。急きょ第2ステージとして、それを歌うことにした。

「赤いスイートピー」「花の首飾り」「花(滝廉太郎)」「ハナミズキ」「サクラ咲く◎」「あなたならどうする※」「空港」

 いつもは受けの良い昭和歌謡に切り替えても、通りの動きに変化はない。唱歌の「花」を除く最初の3曲は、普段なら集客抜群の曲だが、この日に限ってはノレンに腕押しの反応である。
 それでも手を抜くことなく、淡々と歌い続けるうち、オリジナルの「サクラ咲く」で何人かの人が近寄ってきた。そのうちの1人の中年女性が、歌い終わるとただちに500円のCDを買ってくれた。「地獄で仏」とは、まさにこのことか。
 勇気を得て「あなたならどうする」を続けて歌うと、さらに人が集まってきた。この歌は初披露だったが、自分に合っているかもしれない。気分が乗ったこともあって、これまで歌った中で最高の出来。聴き手にもそれが伝わったのか、バタバタとCDが売れ始める。

「今日は1時間も歌ってダメかと思ってましたが、CDを買ってくださった皆様が、神様のように思えます」と、率直にお礼を言う。
 さすがに左手が少し固くなってきたので、「空港」を歌って終わりとさせていただいた。


 15分ほど休んだが、共演のジャグラーの方はまだ現れない。思いがけずCDが5枚も売れたので、切り上げてしまおうかと一時は考えたが、少し休んだら残り1ステージ分のセットを試してみたくなった。
 気を取り直し、15時25分から第3ステージとして以下の6曲を歌う。

「夜空の笛※」「悲しき願い※」「ダンシング・オールナイト」「バス・ストップ」「寂しくなんかない◎」「抱きしめて◎」

 初披露の2曲は場に馴染む感覚はあったが、相変わらず通りは閑散としていて、人が立ち止まる気配はない。動きがあったのは「ダンシング…」を歌い始めてから。
 何人かが立ち止まって聴いてくれる。続けて歌った「バス・ストップ」でさらに人は増えた。女性目線のバラードだが、この曲も自分に合っている気がする。そこが人の足を止める所以。結局のところ、自分に合った曲をいかに見つけ出して歌うか、である。
 ラストのオリジナル2曲で、CDがかなり売れた。あとでまとめてみたら、13枚持参したうち、10枚が売れていた。(500円×4、200円×6)終了間際に来てくれた知人のKさんも含め、2枚まとめて買ってくださった方が複数いた。
 当初は過去最低の記録更新も覚悟していたが、終わってみれば逆に記録更新である。ストリートでは何が起こるか、やってみるまで分からない。
「流れる風になった気で淡々と歌う」
 ストリートの極意ともいえるそんなことを改めて感じた。

2013年4月9日火曜日

健康診断の結果

 2年ぶりに受診した市の健康診断の結果を受け取りに、近くの指定医院まで行ってきた。今回は500円の追加料金を払い、より細かい血液検査や心電図も調べたが、各種数値に致命的な問題は見つからなかった。
 過去に高血圧症で2度、糖尿病で1度数値に異常が出て、それぞれ指導を受けている。また、30年前の開業当初には腎臓結石で治療を受けているし、40代後半には不整脈による心臓の精密検査も受けている。

 いずれも大事には至らず、心臓以外はその後の生活改善で数値は改善、あるいは完全治癒した。
 心臓の検査ではどこにも異常が見つからず、要はストレスによる心因性のものである、という結論だった。それでも関連する項目は、検査のたびに気にかけている。


 今回、やや問題があったのは、血圧の最低値。測定値は117/88で、上は問題なし。ところが下がやや高めだと医者は言う。高血圧判定に最低値が関連しているとは初耳だった。

 各種資料で調べてみると、60代男性の場合、最低値基準としては90、89、88、85などさまざま。自宅にある測定器でたったいま測ってみたら、125/80。あまり問題のない数値だった。
「塩分控え目の食生活を」と医者は言う程度で、すぐに治療をするレベルではないようだ。「休肝日を」と指導されたら困るな…、と思っていたが、いまのところ大丈夫。糖質ゼロの発泡酒350ml、日本酒0.8合が晩酌の量だが、これくらいはささやかな人生の愉しみとして残しておきたい。
 もうひとつ問題があったのが、15年ぶりに測った心電図。前回も同じ指摘を受けたが、「心肥大の疑いあり」とのこと。前回同様、心電図にそんな波形が出ているらしい。
 こちらも緊急性はないが、専門病院でエコー検査を受けるよう勧められた。そう時間はかからないらしいので、安心料を払うと思って、近隣の専門病院にいずれ行ってみよう。

 検査ついでに、保存してある過去の各種数値をチェックするうち、興味深いものを見つけた。

・28歳時測定値:身長171.7cm/体重55.0Kg
・63歳時測定値:身長171.3cm/体重54.6Kg

 つまり、35年を経ても体格にほとんど変化がないという驚くべき事実。当然ながら胴回りにも変化はナシ。
 いつまでこの数値をキープできるのか、自分でも全く予測がつかないが、今後も暴飲暴食を慎み、節制に努めたい。

2013年4月8日月曜日

冷蔵庫水漏れ修理

 2月くらいから、冷蔵庫の下端から、時折水がもれるようになった。たいした量ではなく、連続性もないので、雑巾で拭きとってそのままにしておいた。
 3月に入ると、水漏れの間隔が短くなり始めた。中旬から10日おきになり、ついには4日で再発するようになった。

 以前の冷蔵庫も同じ症状で買い換えた記憶がある。漏れるのは下段の野菜庫の下からで、引出しを抜いて調べてみると、奥の壁を伝って上から滴り落ちてくる。


 買って13年にもなる旧式なので、買い換えるいいタイミングかな、と一時は思った。容量的には不自由してないが、年間消費電力が550Kwhと大きい。これを同容量の省エネタイプに切り替えると、年間280Kwh程度。1Kwh=25円で試算すると、年間で7,000円の節約になる。

 ところが、市場にある400L前後の省エネタイプの冷蔵庫が、最安値で10万は下らない。価格だけの単純計算で、元をとるのに15年もかかる。省エネという一点では意味があるが、15年後に生きている保証もなく、すんなり買い換える決心がつかない。
 そもそも「年間消費電力550Kwh」は、標準的な使い方のはず。各種庫内温度設定は、いずれも最低にしてあり、余分なものは一切入れていない。感覚的には80%程度、年間500Kwhも使っていない気がする。
 修理を外注に頼らず、自力でやれないかと、いろいろ調べてみた。すると、同じ症状で悩んでいる人が多数いて、何とかやれそうな感じもした。蒸発器系統の配管詰まりが最も怪しいので、取説を引っ張りだし、冷蔵庫の裏に回って修理を試みた。

 まず蒸発皿を取り外す。写真右上の白い部分が霜取り用の排水管と思われ、ここに50センチくらいの散水用ビニールホースを押し当て、息で強く吹いた。最初はなかなか息が抜けなかったが、何度かやるうち、抜ける感触が。
 蒸発皿を元に戻し、その後様子を見る。対策を施してから丸11日が経ったが、いまのところ水漏れはない。もしかしてビンゴ?

 まだ楽観視はできないが、このまま水漏れがないようであれば、もうしばらく使い続けてもいいような気がだんだんしてきた。

2013年4月7日日曜日

青春レシピ復活

「冷やご飯を食べて欲し」と休暇で家にいた妻が昼食時に言うので、ふと閃いてチャーハンを作ることにした。
 一昨日の状況によく似ているが、こちらも自分で作るのは50年ぶりくらいか?中学生の頃、母が働きに出ていることが多く、冷飯を炒めてよく作った記憶がある。
 当時は「炒飯の素」という市販品を使ったが、今回は使わずにトライ。


 以下、1人前のレシピを記す。

1)ウィンナー2本とピーマン半分、玉ねぎ1/3を適当に切り、塩コショウと共にフライパンで炒める。
(今回はサラダ油でなく、マーガリンを使用)
(写真では最初から冷飯がフライパンに入ってますが、誤り)
2)適量の冷飯を投入して炒め、やや遅れて卵1個を加える。
3)ニンニクの醤油漬けをみじん切りにして入れる。
(普通はない素材なので、固形コンソメでも可)
4)醤油、コショウで味を整える。
 妻が心配気に台所にやってきたが、独力で完成。いつも妻が作る味とはちょっと違っていて、なかなか美味しく出来上がった。
 材料費は冷飯を除いて70円ほど。我が家の場合、ウィンナーやピーマンは常時在庫がない。ウィンナーは10本250円の品を使ったが、もう少し安くて保存性の高い代用品を探したい。
 ふとしたきっかけで、青春時代の懐かしきレシピ2つが復活した。

2013年4月6日土曜日

記念日散策

 昨夜のハナシ。38回目の結婚記念日だったので高齢行事、もとい恒例行事として妻と都心に食事に出かけた。
 幸いに天気もよく、温暖。目的地は大通り公園近くの居酒屋だったが、JR札幌駅で降りて、地下歩行空間をタラタラ歩く。
 チカホでは「じぶんマーケット」という、地元放送局主催の手作り限定フリーマーケットのような催しをやっていた。この日は3日間のうちのプレ開催日ということで、通りのブースのみ開店していたが、大変な賑わい。
 2日前のチカチカパフォーマーの打合せで初めて出会った似顔絵描きの方も店を出していて、びっくり。似顔絵も立派な手作り販売品として認められているようだ。

 並んでいる品の中に、私が作った木の枝を利用したカエルに酷似した作品を発見。こちらはフクロウだったが、発想としては全く同じ。ちょっとうれしくなった。


 かなり道草を食って、18時半頃に目的の居酒屋に着く。60年以上の歴史がある札幌の老舗で、30代に地元FM局でちょっとした手伝いをしていた折、連れて行ってもらったのが最初。
 以来、妻とときどき訪れる。小樽ワインのロゼで乾杯し、いつものように名物「じゅじゅ焼き」「タコ助(たこ焼き風すり身)」「みそおでん」を食べる。金曜だが、時間が早いので客は少ない。相変わらず落ち着ける店だ。
 20時くらいで切り上げ、隣にある東急ハンズに寄る。これといった用事はなかったが、ただ見て歩くだけでいい刺激になる。底がコルク製のスリッパを見つけたが、軽く千円を越す。自分で作れそうな気がしないでもない。

 やや空腹だったので、近くにある1杯500円ポッキリのラーメン屋に行く。2年前に一度行ったが、値段は変わってなかった。味もよく、いまどき信じられないデフレ価格だが、いつまで維持できるだろうか。(写真は撮り忘れた)


 仕上げに珈琲を飲みたくなったが、すでに20時半を回っているので、なかなか開いているカフェが見つからない。地下入口までの道を歩きつつ探したら、最初に入った店の1階にあるドトールがまだ開いていた。
 閉店まで20分ですが…、と確認されたが、特に問題なし。短時間で飲めるよう、カフエラテとブレンドのSサイズをそれぞれ頼む。ツマミはドライフルーツ1袋。

 こんなふうに今年の記念日も無事に過ごせた。まずはめでたし。

2013年4月5日金曜日

40年ぶりにナポリタン

 40年ぶりにスパゲティ・ナポリタンを自分で作った。学生時代にはスパゲティやウインナー、ピーマンを常備していて、インスタントラーメンに飽きた頃によく作ったもの。
 自転車でのアウトドア生活をよくしていたので、灯油で点く火力の強い携帯ストーブが手元にあり、学寮の部屋の真ん中にそれを持ち出し、茹でるところからやった。

 作り方は身体に染み付いているが、卒業してからは作る機会がなく、今日に至った。社会人になってすぐに結婚し、妻が料理好きだったので、自分でやる必要などなくなった、というのが本当のところか。


 急に作る気になったのは、BS日テレで放送している「小さな村の物語~イタリア」という探訪番組で、美味そうなパスタを作るシーンがしばしば登場するから。
 勤めで妻が昼に家にいず、昼食はたいてい自分で作るが、最近のレシピはラーメン→蕎麦→うどん→雑煮、といったワンパターン使い回し。ちょっと変化が欲しくなった。
 自分のメモ代わりに、1人前のレシピを簡単に記す。

1)スパゲティ100gを、微量の塩を加えたお湯で7分茹でる。(茹で時間は袋に記載)
2)ウィンナー2本とピーマン半分を適当に切り、塩コショウと共にフライパンで炒める。(玉ねぎは学生時代から入れていない)
3)茹で上がったスパゲティ投入。チーズのみじん切りを少量加える。
4)炒めながらケチャップで味を整える。

 休暇で家にいた妻にも試食してもらったが、「美味しいね」と合格点。ケチャップをもう少し増やしたほうがコクが出るかもしれない。仕上げに微量の醤油を加えると、香ばしさが増すかもしれない。次回への反省点である。
 材料費はスパゲティ22円、ウィンナー50円、ピーマン7円、チーズ5円、合計84円で、5個入り300円のインスタントラーメンと大差ない。だが、茹で時間と炒め時間の合計で10分強を費やし、インスタントラーメンの3倍は調理エネルギー(電気)を使う。
 とはいえ、ワンパターン化している昼食メニューの変化技としてパスタ類は悪くない。今後の構想として、味付けの変化や、パスタそのものを粉から作ることも考えている。人生の楽しみは、あちこちに転がっている。

2013年4月3日水曜日

プロの条件

 夜に都心でチカチカパフォーマンスの第4期打合せがあった。実質的な総会で、メンバー全員の参加が基本である。
 今回大きな入れ替わりはなかったが、24組いるメンバーの大半が出席していた。数人の新メンバーの紹介と、実施要領の再確認などが中心。新たな議題はなく、1時間強でお開きとなった。

 チカチカパフォーマーのジャンルはジャグリング、似顔絵、歌、ダンス、切り紙、読み聞かせ、演劇、フリースタイルバスケなど多岐に渡るが、実は大半がプロかそれに近い方々で、他の仕事と兼業で活動している方は、私を含めて数人に過ぎない。


 プロとアマの線引は非常に難しい気がするが、自分なりに考えてみた。以下の3つが全て備わっていることが、サラリーマンを含めたあらゆるジャンルでのプロの条件と私は考える。

《収入》《責任》《誇り》

 金額の多少はさておき、まず収入がないとプロとはいえない。謝礼の類いを収入と考えるかどうかは難しいが、「税務署が収入とみなすかどうか?」を基準としてはどうか。

 次なる条件はプロとしての責任。報酬をいただいても、責任を伴う仕事をしてなければ、とてもプロとはいえない。
 大雪の朝にこんなことがあった。ポストに新聞が入ってないので問い合わせたら、雪が深くて玄関まで行けなかったので、外の車の前に置いてきた、との信じられない返答。(調べたら雪の中から見つかった)
 私も10代のとき、140軒の家に1年間新聞を配達したが、こんなことは一度もしなかった。お金を貰うプロとしての自覚があれば、雪まみれになってでもポストに届けるべきだろう。
 最後の条件はちょっと意外な「誇り」である。お金を貰って無難に仕事をこなしたとしても、プロとしての誇りがなければ精神は疲弊し、いずれ破綻しそうな気がする。これは「責任」と背中合わせの条件かもしれない。
 プロとしての技(スキル)は、必須条件ではない気がする。技が多少劣っていてもプロとして立派にやっている人はたくさんいるし、その逆のアマチュアも多数いる。
 同様に専業であるか否かも必須条件とはならない。小椋佳が長きに渡って銀行員と歌手との兼業であった例を見れば分かる。

 我が身を振り返ってみた場合、デザイナーと物書きは3つの条件をまずまず満たし、過去に実績もあってプロと自己評価していい気がする。弾き語りに関しては趣味の領域にとどめておくのが、身のためだろう。

2013年4月2日火曜日

珈琲メーカー大洗浄

 数年前に買い換えた珈琲メーカーの汚れがひどい。特に目立つにはポットの内面で、大量の水垢(珈琲垢)が付着し、本来は銀色であるステンレスの色が消え、もはや真っ黒な状態。
 おそらくは途中の経路も同じ状態になっていると思われ、早急に掃除する必要があった。

 調べてみたら、買ったのは2010年12月。すでに2年半近くが経っているが、これまで一度も掃除していない。調べてみたら、「40回に1回は掃除せよ」との情報もある。
 1日3回入れる我が家の場合、累計でざっと2500回ほど使っていることになり、この基準に当てはめると、60回は掃除する必要があったことになる。いやはや。


 メーカー指定の専用クリーナーもあったが、2回分で送料込み400円ほど。ちょっと高い気がし、ネットでいろいろ調べてみた。

 すると、クエン酸や酢でも代用可能と知る。珈琲の垢はアルカリ性であり、弱酸性の液体で中和してやればよいとか。
 クエン酸は100円ショップで入手可能なことも知る。近所のダイソーに出向き、かなり探して台所用品売場で200g入の品を見つけた。
 さっそく掃除を試みる。メーカー推奨の方法は以下の通り。

1)クエン酸20gを500ccの真水で溶かし、コーヒーメーカーにセット。
2)電源を入れ、水が半分に減ったところでスイッチを切る。
3)そのまま30分放置し、再度スイッチを入れて残りの水を落とす。
4)500ccの真水を入れ、電源を入れて循環させる。これを2度実行。

 普通はこれできれいになるはずだったが、なにせ2年半の垢である。1回では落ちず、1)~3)の工程を2度実行し、ポット内部の汚れは菜箸と台所用スポンジを併用し、どうにか除去に成功。
 4)の工程は3回実行して、ようやく経路の垢が出なくなった。
 作業終了後、珈琲を入れてみたが、味が劇的に回復していて驚いた。
珈琲→酸性、水垢→アルカリ性、ということで、垢の除去がモロに味に影響するらしい。
 ダイソーのクエン酸を使えば、1回分の単価は10円ほどで済む。40回に1回は無理でも、今後せめて月に1回くらいは掃除しましようかと、珈琲好きの妻と話し合ったのだった。

2013年4月1日月曜日

赤レンガ広場着工

 北海道庁東にある道路、1ブロック100メートルほどが広場として改修される、という記事が今朝の地元紙に載っていた。昨年9月末にチカチカパフォーマンスを管理する会社から依頼され、路上ライブをしかけた、あの場所である。
 その際の実証試験などのデータが、今回の工事に結びついたようで、むこう1年をかけて道路を全面的に整備し、車は排除して人々の集う新しい屋外スポットとして活性化させよう、という狙いらしい。


 主催は札幌市で、すでに市のサイトにも概要が掲載されている。旧北海道庁の外壁に合わせ、全体に赤レンガを敷き詰める構想。
 広場の名前は仮称で「北3条広場」となっているが、すぐ下にある地下広場が「北3条交差点広場」。いかにも紛らわしいので、完成後はぜひ「赤レンガ広場」あるいは「レンガ通り広場」などの分かりやすい名前にして欲しい。
 来夏から具体的に運用開始とのことで、実証実験で催された各種イベント、たとえば青空カフェとか大道芸パフォーマンスなどは、そのまま継承される見込み、と記事にはあった。
 あくまで可能性だが、チカチカパフォーマーとしての活動を継続していれば、再び広場で歌うチャンスがありそうだ。屋外のストリートで歌うノウハウはすでに持っている。楽しみがまたひとつ広がる。