2012年11月17日土曜日

雨の新聞配達

 明け方からシブシブと雨が降り続き、やみそうでやまない晩秋の長雨だった。妻がポストから取り出した新聞が、なぜかすっぽりと薄いビニールの袋で覆われている。ラミネート加工のように圧着され、完全密封状態。
 妻に確かめると、最近雨の日はいつもこうだという。朝刊を取り出すのはいつも彼女の役目なので、全く気づかなかった。確かにこの方法だと濡れる心配はない。
 ちょっとした器械と手間は必要だが、いかにもユーザー側に立ったきめ細かいサービスである。こんなところにも、目まぐるしく移り変わる時代の流れをつい感じてしまう。


 遠い過去のこと、大学受験に失敗して浪人生活を送った際、新聞配達を1年間やった。当時も雪より雨のほうが辛かった記憶がある。
 雨の日は新聞全体を防水テントのような生地で覆って自転車の荷台に縛りつけ、抜き取った直後に自分のジャンパーの懐に入れて、ポストに入れるまで濡れないよう気を配ったものだ。

 私の担当は140部。45年前の話だが、配達料は朝刊1部30円、夕刊10円だったように記憶している。合計で月5,600円。学食のカレーライスが55円の時代なので、いまなら3万円ほどか。浪人生にとっては結構な収入である。
 家の事情と自分自身の矜持から、予備校には行かず、自宅学習を通した。新聞配達の収入は参考書と自分の衣類等に消えたが、
(我が人生は我が力で創りあげてゆくのだ)という気概が、所属する場のない浮き草のような自分を、かろうじて支えていたように思う。

 不思議なことにその29年後、長男が全く同じ道を選んだ。長男の場合は自宅浪人ではなく、遠く自宅を離れた新聞店での住込みだったから、辛さは私の比ではない。
 どちらにしても、ストイックな新聞配達の経験が以後の人生に深く関わっているのは間違いない。雨の日の新聞カバーに、懐かしくてほろ苦い記憶が呼び覚まされた。