ところが来週実施の地域中高年者むきのコンサートでも実はこの曲をリクエストされている。そこでちゃんと楽譜も準備し、事前練習もして臨もう、ということだ。
この曲は40年近く前に新入社員として東京の会社に入った年、爆発的に売れた。フォーク全盛時代で、ギターを持って歌うだけで何かともてはやされた時代である。
当時社内でユニットを組んでいたHIROという音楽仲間が熱烈なかぐや姫ファン。この曲をさかんにやろうと持ちかけるので練習し、社員旅行で歌ってみたらバカ受けした。
以来、何かといえば「神田川を歌え」となり、言われるままに歌ったが、曲の内容はいまひとつ共感できず、そう好きな曲ではなかった。
40年近くの時を経てもそのイメージは変わらない。主人公が女性のいわゆる「女歌」だが、最近はむしろ女歌を好む傾向にあり、問題はそこではない。歌のテーマが同棲そのものであること。単なる愛や恋の歌ならイメージを作りやすいが、同棲に限定されるとまるで経験がなく、想像の入る余地がない。
確かめたことはないが、歌に魂が入っていないだろうと思う。いわばヌケガラ状態の歌唱である。当時の世相を代表する懐かしい歌なので、ていねいに旋律をなぞりさえすれば聴き手は満足する。ただそれだけのことではないのか?
歌に魂をこめるには頭のなかに情景が必要。それが私の基本スタイルだが、そこが欠けている。聴き手に申し訳ない気もする。
それでもリクエストがあれば歌うが、久しぶりに練習してみて思ったのは、小説を書くときのように、実際にはない絵空事(つまり、自分にとってウソの世界)を、あたかも経験したかのように成り済まして歌うしかない気がしてきた。
もしそれが聴き手の胸に届き、涙のひとしずくも流してくれたとしたら、それはそれで新しい世界を獲得したことになる。さて、どうなるだろう。