電話はとうに止めてしまい、郵便物はすべて近くに住む姉が管理している。ハガキはその姉から渡された。
父の死後、母は好きだった本も読まなくなり、手紙も書かなくなった。テレビもあまり観ていない様子。そうした細々したことの一切が面倒になったようで、それが老いてゆくということなのだろう。
幸い、たまに顔を出す私や姉のことは分かる。ちゃんと名前で呼ぶ。しかし、ハガキの返事は出せないだろうし、そもそもその遠い親戚のことを覚えているかどうか。
かといって放っておくこともできず、50年以上も会ってない方だったが、私が母の代りに近況をしたため、連絡することにした。これも長男として、そして子としての務めであろう。
東日本大震災からちょうど1年が過ぎたが、被災地への追悼は3日前のストリートライブで自分なりにひっそりと済ませた。今日は特別なことはせず、ただ静かにテレビやネットの特集を観て過ごした。
日々を謙虚につましく、そして身近にある施設や地域にむけての社会活動をしつつ、粛々と過ごしていれば、特別声高に何かを仕掛けたり叫んだりする必要もない気がしている。肝心なのは被災地支援に便乗しないこと、そして惨事を忘れないことだ。
生者のあらん限り、死者は生きん。