2012年3月30日金曜日

まだまだ天中殺

 自宅北側隣地にかねてから建設中だった住宅が完成し、30代前半とおぼしき若い家族が昨夜、挨拶に来た。まるで息子か娘のような年代の方で、4~5歳くらいの活発な男の子二人を伴っている。
 何となく親しみを感じ、少しの間雑談を交わす。その若さで戸建住宅とは立派である。私も34歳で家を持ったが、ささやかなマンションだった。親の世話には一切ならなかったこともあるが、戸建住宅をようやく持てたのは50歳になってからのこと。

 ご丁寧なことに、若き隣人は菓子折まで持参してきた。なんとそれが妻の大好物である手焼き風煎餅。なぜか遥か福岡の品で、煎餅の苦手な私の口にも合う。いただいたから言うわけではないが、よき隣人に恵まれたようである。


 午後から遠方に住む母の遠縁の方に手紙を2通書く。施設に入ってから交流の途絶えていた方で、私は幼いころの記憶しかないが、いまだに母の身の上を案じた便りが忘れたころに届く。今回は古い不動産がらみの手続き等もあって、私から母の近況と近影を送っておいた。
 いずれも年長の方なので、文章には気を遣う。誤字などにも注意しつつ、写真を印刷したりして数時間を要した。メールはやってない方なので、打ち込んだ文章をプリンタで印刷し、名前のみを手書きとする。
 文章の控えは全文を自分宛のメールとして送信し、タイトルには相手の名前と日付を入れてメールフォルダに保存しておく。いつでもどこでも情報を引き出せる確実な仕組みだ。
_今日は中華Padネタは書かないつもりでいたが、やはり書かざるを得ない事態が起きてしまった。昨夜バッテリの残量が50%ほどであることを確認してあったが、今朝起きて起動させようとしても全く反応しない。
 ACアダプタをつなぐと起動はしたが、なぜかバッテリの残量がゼロである。理由は不明だが、一夜にして完全放電状態に陥ってしまったようだ。

 ACアダプタをつなぐと普通に使え、充電もできる。問題はバッテリの残量で、使っている最中も放電量が多い。目下オフ状態にして1時間おきに起動させ、バッテリ放電量を調査中。仮にオフ状態でも自然放電してしまうなら、もはや外に持ちだして使うことなどできない。
 やっぱり中国製はこんなものかと諦めの境地である。バッテリの異常は保証外とのことなので、今後状態が回復しない場合、何らかの手段でバッテリを交換するしかない。ようやく去ったと思っていた天中殺、まだまだしつこく我が周辺に居座っているようだ。

2012年3月29日木曜日

妻が自転車に乗って

 久しぶりにスカッと晴れた。気温もぐんぐん上がって雪解けが進む。起きると勤めが休みの妻が外で何かゴソゴソやっている。スコップを2丁とりだして車庫&物置の北側に置いてある自転車周辺を盛んに掘っている。暖かな陽射しで道路に雪はなく、すでに自転車に乗れる状態。長い冬の終わりが待ちきれず、少し遠いスーパーに自転車で行きたくなったのだという。

 しかし、記録的豪雪で降り積もった雪の量は多く、しかも屋根の雪下ろしをした直下に自転車は置いてあった。いつもの冬なら雪は自然に解け、この時期にはとっくに自転車を取り出している。
 氷塊と化した雪を妻の力で取り除くのは難しく、ほぼお手上げ状態。素早く朝食を済ませ、毎年の作業で手慣れている私が作業を代わった。


 自転車の周囲から雪を崩し、20分ほどで取り出しに成功。やっぱり男の人は違うわねと喜んだ妻は、さっそく自転車に乗ってそそくさと出かけて行った。
(写真正面の壁右側に自転車は埋もれていた)
 入れ代わるように修理の終えた車を届けに工場の担当者がやってきた。自己負担分の5万円をその場で支払い、これにてようやく一件落着。結果論だが、もう少し待っていれば車で出かけられた。しかし、久しぶりの自転車も悪くないだろう。
_月末なので溜まっていた雑事をあれこれこなす。併行して譜面の整理と中華Padの性能テスト。面白がっていじり過ぎ、充電池の調子をおかしくしてしまった。残量表示がおかしく、電池の消耗が激しい。このところの天中殺続きで、今度は中華Padかよと思った。
 しばし考えたすえ、昨夜未明に充電池を完全放電させ、今日はゼロからの充電を試みた。その後、譜面を表示させたままでどのくらい電池が持つのか祈るように見守った。
 スリープさせずに譜面を連続表示させ、2時間で電池消耗量が40%という結果。ライブ使用としては充分過ぎる数値である。電池使用の実用値を85%とすると、およそ4時間強使えることになり、力づくの強制リセットによって購入当初の数値に戻ったようだ。ヤレヤレである。

 iPadと中華Padの最も大きな違いは、この充電池の連続使用時間ではないだろうか。最新iPadの実測値が8~9時間と聞くから、およそ2倍。さすがに価格が3倍もするだけのことはある。
 他にも画面の大きさや解像度の細かさなどがあるが、実際に中華Padを使ってみた感じでは解像度の不便さはなく、サイズは小さくて軽い中華Padにむしろ利点があるように思える。
 電池の連続使用時間を伸ばすべく、外付けの予備バッテリーとしてUSB接続の乾電池充電器が使えないか調査中。

2012年3月28日水曜日

徹底的にハマる

 中華Padをいじっていると、あっという間に時間が過ぎてゆくので、今日は昼食後にフンギリをつけて買い物をかねた散歩にでかけた。積雪量はまだ1メートル近いが、春は確かに近づいている。

 郵便局からスーパーと回り、戻ったら結局中華Padがらみの作業。新しい物が手に入ると集中していじるのがいつものパターン。最初にパソコンを買ったときやインターネットを始めたときがそうだった。40年以上も前にギター弾き語りを始めたときも同じ。徹底的にハマるのが短期間でモノにする秘訣である。


 中華Padを買ったらやりたかったことはいくつかあったが、そのひとつが小説を読むこと。ネットで検索してみたら、青空文庫という以前からある小説のネット上アーカイブサイトのファイルをタブレットPCで読める無料アプリを見つけた。
 さっそくダウンロードして小説ファイルのいくつかも同時に転送。いずれも著作権消滅の作品だが、樋口一葉、菊池寛、太宰治、宮沢賢治などの代表作を無料で取得した。
 小説だけあって、画面は縦置き限定。(他のファイルは横でも縦でも自在に変化する)しかし、ルビもふってあってなかなか読みやすい。これまでよりも気軽に読める雰囲気があるので、旅行以外でも使うかもしれない。
_譜面の整理はあまり進まず、まだ100曲も残っている。途中段階でも毎日pdf化して転送しているので、あせる必要もない。のんびりやることにした。
 今日はかねてからの構想だった、乾電池式のモバイルバッテリーを自作した。ACアダプタの端子に接続し、エネループを利用して充電しつつ中華Padを使おうというもの。
 ネット接続しつつ使うとおよそ4時間で充電する必要があり、だいたい2日に1回ペースである。ACアダプタを使うと充電は減らない代り、コードにしばられて自由に持ち運べず、中華Padの最大の魅力であるフットワークが消える。
 市販品もあるが、すべてUSBにつなぐタイプで、USBにはマウスかキーボードをつないでおきたい。そこで空いているACアダプタにモバイルバッテリーをつなごうというのだ。

 エネループ4本で約5V-2Aとなり、理論的には問題ないはずだった。廃品を再利用して作ってはみたが、結論としては無理だと分かった。同じ5V-2A仕様のUSBハブではうまく動作するのに、なぜか中華Padでは反応しない。やはり市販のUSB接続バッテリーを使うしかないようである。

2012年3月27日火曜日

譜面データの全面修正

 譜面台用の中華Padホルダーに関し、一晩寝たら気持ちが変わり、A4サイズにこだわらずに単純にベース板左右の不要な部分をカットすることにした。「なるべく軽く、小さく」が移動を伴う弾き語り用機材の鉄則。
 結果として21センチの正方形となり、見映えもすっきりしている。重さも20gほど軽くなって、カバンにも入りやすくなった。今後も微修正を加えるかもしれない。現状に安住せず、常に進化し続けたい。

 天気が良いので絶好の機会とばかりに、直射日光下での電子譜面の見え具合を確認してみた。写真のように全く問題なく見られる。つまり、夜でも昼でも室内でも外でも問題なく使えるということだ。


 その後、昨日一部のデータで確認できたpdfファイルの検索機能について調べる。ある特定のテキストだけが検索で引っかかるので、そのフィールドを調べてみたら、Macのデフォルトフォントをそこだけに使っていた。
(もしや…)と閃いて、50音順と歌手名、曲名のテキストにも標準フォント(ヒラギノ角ゴProとヒラギノ明朝Pro)を使ってみた。すると、すべて検索にヒットする。これにより、曲の検索がより簡単になった。
 今回のpdfファイルは専用ソフトからではなく、Macの印刷前プレビュー画面から「pdfで保存」というオプションを選択して作っている。推測だが、標準フォントであれば画像形式でなく、検索可能なテキスト形式で保存されるのではないか。
 いずれにしても朗報である。リクエストが出るときはずばりタイトルの場合と「北島三郎の曲ならなんでも」という風に、歌手名で指定される場合の2通りある。その両方に素早く対応する体勢が今回で整った。


 昨日に引き続き、譜面の全面的修正作業に取り組む。もう7年も使い続けているデータファイルなので、度重なるOSのバージョンアップやプリンタの変更により、古いデータにはいろいろ不都合が出ている。伴奏コードの色が違っていたり、空白のサイズが合わずに歌詞とコードがずれていたりする。
 過去に印刷した譜面には歌ってみて気づいたメモが残っているが、その全てがデータにフィードバックされてはいない。ブレスの位置やキーの指定がそれで、いい機会なのでそれら全てを今回修正しようと考えた。

 実際に歌ってみないと確認できないものも多数あり、かなり煩雑な作業である。以前はネット上になかった曲のコード譜を見つけて自分のものと比較修正したりして、時間はどんどん過ぎた。
 深夜までにだいたい500曲をチェックし終えた。古いデータに思わぬ発見あったりし、なかなか楽しい作業でもある。

2012年3月26日月曜日

電子譜面に進展

 電子譜面に関し、大きな進展があった。「pdfビュアーで頁を早送りする方法が見つからない」と昨日書いたが、今日いろいろ試すうちに偶然見つけました!いわゆる「ヘルプ」というものをあまり見ずにソフトをいじるタチなもので、知らずに過ごすこともたまにある。

 さらには、あるフィールドのデータではちゃんとテキストが検索できることも判明。曲のタイトル欄ではないが、ここに曲名の一部などを入れておけば、検索も可能である。
 ただ、全640曲の検索には多少の時間がかかるので、普通に頁を送りながら探すほうが早いかもしれない。


 いよいよ電子譜面が実戦で使えそうな気配になってきたので、譜面台に載せる中華Padホルダーを作ることにした。現段階では現状のマイクスタンド一体型譜面台の便利さは捨てがたいので、ひとまず譜面台の上に中華Padを載せて使うことに決めたが、位置が下すぎてマイクに一部が隠れがち。そこでやや上の位置に保持させつつ、中華Padの保護もかねたホルダーを作ろうというのだ。
 材料は写真の通り。不要になった1.5ミリ厚のイラストボードをA4サイズに切り、床材用の松パネル端部の溝部分を加工して支持枠にする。中華Padにふれる部分には緩衝材としてフェルトを貼る。
 ボードは表面の白だとまぶしいので、あえて色つきの裏面を使った。極力軽くしたいので、木材と紙の端材のみを使用。ホワイトボンドで接着し、さらに裏から細いガラス釘で固定。枠の寸法は現物をあてながらぴったり合わせた。

 割と簡単に完成。中華Padのスィッチは上にあるので、差し込んでも支障なく操作できる。さっそく夕方の定例練習で使ってみたが、なかなか使える。重さはホルダーが100gで本体が300g。合計で400gで、楽譜100枚をクリアフォルダーに入れて運ぶと約500g。まあ、比べても許せる重さだ。


 歌の途中でスリープしてはならないので、まずその設定を解除。全曲の入ったファイルを表示させ、覚えたての頁送りを使って早速目的の曲を表示させてみた。
 頁送り機能には操作中に小さなサムネイル画像が出るので、割に見つけやすい。測ってみたら1曲30秒くらいで表示できた。この時間であれば、不意のリクエストにも充分対応可能である。
 実際のライブでは予定曲と予備曲を30曲くらいのファイルに順にまとめ、予め入れておけば探す手間はない。事前の準備としては全曲の入ったファイルとライブ用に編集したファイルの2つだけあればよいことになる。

 実際に歌ってみると、さすがに文字は印刷物よりも小さいが、パソコン用のメガネでも普通に歌える。ライブでは運転用の度が強いメガネを使うので、何ら問題ない。
 試しに部屋の電灯を消してみたが、これまた問題なく歌える。つまりは、譜面台ライトも必要ないことになる。太陽光の下ではどうなるのか、これも試す必要がある。
_ネットで調べてみたら、iPad専用の電子譜面ソフトはすでに存在して、主にクラシック系の人がぼちぼち使っている。センサーを使って弾きながら頁めくりをしたりしている。時代の流れとしては当然そうなる。
 私は単なるギター弾き語りで、譜面といっても歌詞とコード譜のみ。1曲が1頁に収まるので、体勢としてはかなりシンプルである。

 いまのところ楽譜に直接書込みができないので、細かい修正をするたびにファイルの差し替えをする必要はあるが、プリンタでいちいち印刷する手間よりもはるかに簡単で、しかも安上がり。早ければ来月にでも実戦で試す。

2012年3月25日日曜日

冬の終わりのライブ

 昨夜は明け方4時まで中華Padをいじり回していた。いろいろなアイデアが浮かんでくるが、今日はひとまず最大の懸案事項である電子譜面の構築作業を進めた。
 昨日までに既存のデータベースファイルの修正方針が決まったので、今日は残りの曲に50音順データを入力。作業のなかで不要と思われる10曲ほどを削り、結果として642曲が残った。

 全曲を50音順に並べ替え、pdfとして保存してみたら、ちょうど3M。これを4GのmicroSDカードに転送してから中華Padに装着。さっそく閲覧してみたが、ひとつ問題が起きた。
 指でタッチしつつ曲を送る作業は簡単だが、さすがに642曲もあると最後のほうにたどり着くにはかなりの時間がかかる。pdfビュアーで一気にうしろの頁に飛ぶ方法はいまのところ見つかっていない。
(テキスト検索機能はあるが、pdfファイルが画像形式なので使えず、頁指定ジャンプもアンドロイド版では使えない)

 指で送って短時間に飛べる限度は150頁くらいが限度なので、ファイルを5分割し、すべてを150頁以下にする方法がまずある。あとは強制的に「あ」~「わ」までのテキスト見出しを先頭の1曲だけに追加してしまうこと。こうすれば検索機能がざっくりとだが使える。
 どちらが今後の曲の増加にも容易に対応できて検索しやすいのか、しばらく悩んでみる。


 実はこの日は馴染みの居酒屋ライブハウスの定例ライブ「MJ」に参加することになっていた。中華Padには他にも解決すべき課題が多くあり、あれこれ作業しているうち、出かける時間がぎりぎりになってしまった。
 車が修理中で代車がないので、何年ぶりかでJRと地下鉄を乗り継いで向かうが、豪雪のせいで自転車は雪に埋もれたまま。駅までギターを背負って歩いて行かねばならない。いつもより30分以上早く出る必要がある。
 久しぶりに地下鉄で行ったので、一駅手前で降りてしまい、天中殺続きなので転ばぬように用心しつつ、凍てつく道をトボトボまた歩いた。
_最終電車の関係で23時過ぎには店を出なくてはならない。車でないときはここが最も不便で、ライブの最後を見届けられないこともしばしば。酒を犠牲にしても融通のきく車に切り換えた最大の理由がこれだった。
 事前に事情をメールしてあったので、この日の順番は12組中の2番。不動のオープニングアクトを務めるマスターの次である。曲は松山千春の「青春2」とオリジナルの「歌街だより」。
 松山千春は直近のチカチカパフォーマンスで最初に歌った「季節の中で」が好評だったのに気を良くしての選曲。メンバーには千春ファンが多いが、「いつか私も歌いますから」と、かねてから伝えてあった。
 オリジナル曲はお店の開店10周年記念にあわせて作ったアニバーサリーソングで、我が家の新築10周年記念に作った「風街だより」が原曲である。曲は同じだが、歌詞をマスターの目線で全面的に書きなおした。

 4日前の地域中高年対象のライブでの失敗と、直後の車の事故とが重なり、このところ歌のモチベーションがめっきり下がっていた。毎日の練習でも声に響きやツヤがなく、高音部もしばしばかすれる。週初めの暖房ボイラ故障による寒さもダメージになっているのかもしれない。
 出かける前に調整はしたので、キーはいつも通りで歌った。幸いにかすれや途切れはなかったが、歌詞の一部を間違えたり、アルペジオが一部怪しかったりした。しかし、全体としては無難にまとめた。今回が上昇のきっかけになればと思う。
 長い冬に終わりを告げ、新しい明日に向かってまた歩き始めるライブ、といった感じだった。

2012年3月24日土曜日

楽しき中華Pad

 中華Pad利用の電子譜面に関連し、いろいろと検討しつつ作業。まずは既存の譜面で7つあるジャンル、すなわち「オリジナル」「フォーク」「POPS」「洋楽」「演歌」「唱歌」「その他」の再検討である。
 つい最近、電子譜面移行に備えて「GS」というジャンルを消去し、すべて「POPS」に繰り入れたばかりだが、できれば中途半端な位置づけの「その他」というジャンルも消してしまいたい。
「その他」に入っているのは他のジャンルからはみ出た「アニメソング」「民謡」等々。数は20曲程度で少ない。今回思い切ってアニメソングは「唱歌」に、民謡は「演歌」に繰り入れた。アニメソングはスタジオジブリ系が多いし、民謡はソーラン節や真室川音頭、お座敷小唄などで、まず問題ないだろう。
 実はすでに分類済みの曲でもやや曖昧なものがある。たとえばユーミンはフォークに入れるべきか、はたまたPOPSに入れるべきなのか。あるいは最近覚えた「ダスティン・ホフマンになれなかったよ」はフォークなのかPOPSなのか…、といったあたり。
 判断に苦しむものはひとまず「POPS」に入れてあるが、50音順整理が基本なら、あまり気にしなくてよいのかもしれない。

 50音順整理に関しては、現状のデータベース譜面には該当するフィールド欄がないので、今回新規に作った。すべての曲の頭2文字をひらがなで入力。ローマ字でも数字でもすべてひらがなに変換した。このフィールドを第一指定にしてソート(並び替え)してやれば目的のファイルは簡単に得られる。
 数が多いので半分入力したところで今日はおしまい。今後、ライブごとに候補曲30曲前後をチョイスして電子化する場合、もうひとつフィールド欄を作る必要があるかもしれない。
_今日はそのほか、壊れたマイクスタンドの下半分をローランドCM-30専用にできないか調べた。現状のネジは5/8でCM-30の取付ネジ3/8には合わないが、変換ネジがサウンドハウスで200円で売っている。これを使えば廃物の有効利用になる。緊急性はないが、1台しかない取付ネジ3/8のマイクスタンドがこれでノーマル用として使えることになる。

 中華Padを譜面台に安定して取付ける手段についても検討した。これまた壊れたマイクスタンドのパーツの一部を健全なマイクスタンドのブーム部分に取付けてやれば、譜面台なしで中華Padが取付けられそうだ。
 しかし、そうなると最近常用している譜面隠し&案内板を吊るす場所がなくなる。マイクスタンドに中華Padだけを取付け、すっきりしたスタイルで歌うのはいかにも今風で惹かれる。譜面隠し&案内板を吊るす手段と併行して考える必要がある。
 ひとまずA4版のイラストボードの一部を切欠き、そこに中華Padをはめこんで譜面台に載せやすい工夫をしようかと思う。いろいろとアイデアは膨らみ、そして増殖してゆく。楽しき中華Padである。

2012年3月23日金曜日

電子譜面にメド

 終日タブレットPC(中華Pad)のセットアップに打ち込む。まだまだ手探り状態だが、ストレージ(HD)内やSDカード内にあるファイルの閲覧法や起動法なども分かり、少しずつこなれてきた。
 感覚的には全く新しいOSのパソコンを新規購入し、セットアップするようなもの。これまでPCではMacとWindowsをかなり操作してきて、中級者と自負してきたが、なかなか手強い。


 なかでもタップ操作による文字入力や頁送り、拡大や縮小などの操作にはまだまだ慣れない。今日は無線式の小型マウスをつないで操作してみたが、細かい文字の操作がマウスだとやりやすい。これならキーボードなしでも何とかやれそうな感じがする。
 同じく大型の無線式キーボードをつないでテストしてみたが、英文字はOKでも、かな入力がうまくいかない。アンドロイド対応の専用キーボードでないと駄目なのかもしれない。
_昼に満タンだった充電池をWi-Hiでネット接続し、午後からずっと使っていたら、17時少し前に残量が15%になり、充電をうながすメッセージが出た。ネット接続しつつ使うと最も電池消耗が激しいが、そんな条件下でも4時間もつことが分かった。
 しかし、充電は5V-1AのUSB-ACアダプタからだと満タンになるまで同じく4時間はかかる。やはり5V-2AのUSB-ACアダプタが必要なのだろうか。


 中華Padを買った最大の目的である電子譜面は予想以上にうまくいった。650曲ある譜面のうち、テスト用にJ-POPだけ121曲を抜き出してpdf化。SDカード経由で中華Padに送り、昨日インストールしたpdfビューアで表示させてみた。
 サイズはA5版弱だが、液晶で明るいので写真のように非常に見やすく、普通に歌える。頁送りも指で矢のように素早くできる。100曲前後なら検索も瞬時にできそうだ。

 実戦で使う場合、全曲をアイウエオ順に並べたファイルのほか、その他にジャンル別に分けてアイウエオ順に並べた個別ファイルをそれぞれSDカードに入れてやれば、すぐに検索は可能と思われる。
 もしかすると当日歌う予定の曲と予備曲を30曲ほど抜き出し、ファイル化しておけば紙の譜面は不要になるかもしれない。現状の譜面データにアイウエオの見出しを全てつけるなど、実施前に多少の調整は必要だが、基本的にやれることが分かった。中華Padの初期目的はどうやら達成の模様。

2012年3月22日木曜日

中華Padを本格テスト

 壊した車は午前中に修理工場がとりに来てくれた。工場は混んでいるらしく、納車の見込みは来週半ば。代車もないそうで、しばらくは耐乏生活が続く。
 事故後、2年前に切り換えたネット保険のソニー損保にすぐに連絡をとった。会社によっては極端に対応が遅いと聞いていたが、電話はすぐに通じた。窓口女性の対応も素早くて好感が持てた。「お客様にお怪我がなくて何よりでした」と言われ、気が動転していたので救われる思いがした。

 30分後に事故担当という別の女性から電話がきた。事故の状況や必要なデータなどを電話で確認しあう。
 保険金の支払い手続きは直接工場とやってくれるそうで、私のやることはこれで終わりである。手続きはあっけないほど簡単だった。ネット保険は安いが、事故時の対応に一抹の不安を正直持っていた。だが、考えを変えねばなるまい。時代は大きく動いているようだ。


 車と入れ替わるように注文してあった無線LANルータがアマゾンから届く。待ちかねていたので、さっそく接続してみた。まずは無線LANルータを付属のケーブルでUSB-ACアダプタとつなぐ。つぎにヤフーのADSLモデムからのLANケーブルを無線LANルータのWANポートにつなぐ。これだけで作業は終わりである。
 まだ一度もネットにつないでいない中華Padを起動し、Wi-Hi設定から表示されたネットワーク欄にパスワード(本体の裏に書いてある)を入れると、一発でつながった。作業は非常に簡単で、ちょっとした知識があれば誰でもできる。

 その後、リストアップしてあったさまざまなアプリを順に転送する。ウィルス対策セキュリティアプリ、pdfファイル閲覧のビュアー、PCでも使っているブラウザのOpera、麻雀ゲーム、PCリモート操作アプリ等々…。
 一部は公式マーケットから検索して直接インストールしたが、PCで取得済みのグーグルアカウントでアンドロイド(中華Pad)からログインしてやれば、PC経由でも簡単にインストールが可能で、実際にやってみた感じではこちらのほうが探しやすく、作業しやすい。
_暇にまかせて夕方まで何時間も作業していたら、購入後に満タン充電してあった電池がとうとう切れた。残量10%を切ると起動もしなくなるようだ。
 ここまで使った時間がおよそ4時間30分。そのうちネット接続なしの時間が半分ほどあるが、予想より遥かにもった。画面の輝度設定は80%程度だから、まずまず使える。

 問題は充電で、付属のACアダプタをつないでも充電ができない。購入直後にUSB-ACアダプタからのUSB接続でも充電可能なことを知っていたので、ひとまずこちらで充電した。USB-ACアダプタの規格が5V-1Aなので、本来5V-2Aが必要なタブレットPCへの充電は、電圧が同じ5Vなので可能なことは可能だが、時間がかかる。それでも2時間で約60%まで充電できた。
 附属のACアダプタはどうやら不良品らしい。購入2週間後は保証の対象だが、中国製ACアダプタの品質は悪いとの情報が多数あり、交換してもすぐまた故障という可能性が強い。手持ちの機材を調べてみたら、たまたま5V-2.5Aでジャックも同サイズのACアダプタを発見。電圧が同じなので、問題なく使える。付属品よりやや大きくて重いが、日本製なのでこちらは安心だ。

 根本的には5V-2Aで2口のUSB-ACアダプタを新規購入し、無線LANルータと中華Padの両方に同時電源供給してやるのが持ち運び時にもかさばらず、使いやすい気がしている。緊急性はないが、今後の検討事項だ。
 この日はタップ操作で初めてメールを打ってみたが、非常にやりにくい。携帯のメールも昨夏から始めたばかりなので、まだ慣れていないのだ。別売の小型キーボードを使うほうが簡単そうだ。こちらも今後の検討事項。
 ネット閲覧はPCと全く同じというわけにはいかないが、まずまず使える。画面の美しさはMac-miniと比べても遜色ない。アプリは無料のものしかいまのところインストールしていない。セキュリティが不安なので、ネット通販も当分はPCと有線LANでしかやらない。
 その他、ゲームやpdfビューアーの使い心地は明日以降に。

2012年3月21日水曜日

天中殺は続く

 平日だが、午前10時から近くの福祉会館で地域の中高年を対象としたコンサートがある。夏は草刈りや農作業のボランティア、冬は茶話会を中心とした交流を続けている地元住民の組織から出演依頼があったのは昨年末のこと。責任者のOさんとは昨夏の東日本大震災支援コンサートに出演した際、「今度はぜひ私たちの集まりで歌ってください」と声をかけられた。

 基本的に午前中のライブは声が出にくいのでお受けしない方針だが、集まりは午前中実施が原則で、お昼を全員で食べて解散、というのが恒例だという。たってのご要望なので、お受けした。
 前日は普通に2時近くまで起きていたが、当日は普段より3時間以上も早い午前7時に起床。以前にプロ歌手の高橋真樹さんが「起床後4時間は経たないとまともな声は出ない」と言っていたのを参考にしたが、結果としてもう1時間早く起きるべきだったかもしれない。
 出かける直前に簡単にリハを実施。不安のあるキーの高い曲を中心に練習したが、この時点でまずまず声は出た。眠くて頭がボーとしていたが、9時半には先方に着き、初めての場なので充分にマイクテストも実施し、万事ぬかりないはずだった。


 来賓挨拶などあって、10時15分からコンサート開始。聴き手はおよそ60名で、顔見知りも多数いる。40分で以下の12曲を歌った。

「サン・トワ・マミー」「オー・ソレ・ミオ」「宗谷岬」「浜辺の歌」「季節の中で」「時代」「聖母たちのララバイ」「瀬戸の花嫁」「野ばら」「月の沙漠」「神田川(リクエスト)」「高校三年生(リクエスト)」
 この日は現時点でチカチカパフォーマンスで使っている4種類のパターン、つまりは「シャンソン&クラシック系」「唱歌系」「フォーク系」「昭和歌謡系」のうち、まず各パターンから2曲ずつ歌い、一巡後に再度1曲ずつ順に歌うという趣向である。

 出だしはまずまず順調だった。つまずいたのは2曲目の「オー・ソレ・ミオ」だ。この日最も高いキーの曲で、開始直前に喉に少しひっかかりを感じていたが、自宅リハではいちおう歌えていた。そこでラストの聴かせどころをいつも通り最高音で歌ったが、声が途中でプツプツ途切れてしまった。
 あきらかに喉の不調からくるトラブルで、以前にも雪解けの時期に同じことが一度あり、気まずい思いをした経験がある。よりによってそれが請われて歌った場で起きてしまうとは…。


 やってしまったことは仕方がないので、歌い終えた直後に素直にわびた。「実は午前中のライブはほとんど経験ありません」と言い訳がましく添えた。
 活動開始時の7年前に午前中のライブを依頼されたことが数回あるが、あまりに声が出ないので以来ずっとお断りしてきた経緯がある。受けてしまったとはいえ、やはり無理であったかと後悔した。
 以後、その心理的ダメージを引きずったまま歌い続けたが、用心して危ない曲はキーをひとつ下げて歌った。「宗谷岬」「季節の中で」「高校三年生」がそれで、全体的に守りのライブに結果としてなってしまったのは、やむを得なかった。

 その後は大きなミスもなく、最後まで無難に歌い終える。終了後にOさんを始めとする事務局の方々から「素晴らしかったです」と労われ、場の反応も決して悪いものではなかったが、自分としての満足度は低く、悔いの残るライブとなった。
 ともかくも終わって駐車場から車をバックで出そうとしたとき、左後方からくる車に気を取られ、右側にある電柱に対する注意が一瞬遅れた。車が切れたので一気に出ようとしたとき、車体右側から異音。サイドミラーと電柱が接触し、ミラーが無残に壊れてぶらさがっている。たぶん10年ぶりくらいの事故である。
 幸いに人身事故ではなく、車も普通に運転できた。すぐに戻って保険会社や修理会社に手配。免責分5万円の出費は痛いが、大事にならずによかったじゃないのと、妻からは慰められた。

 ライブでの失敗が事故の遠因になっていた可能性は否定できない。日曜日のボイラ故障、その前日の電気カミソリの破損、そしてこの日のトラブルと災難続きである。気をつけてはいたが、ホロスコープ占いがずばり的中してしまった。
 帰宅後に機材を整理していたら、8年使ったマイクスタンドのネジ部分がボロボロに緩んでいて、もはや組立て不能。こちらも寿命のようで、トドメを刺された思いである。ライブ中に分解せずによかったと考えるべきか。

 嵐のような天中殺は続くが、こんな時期は問題を粛々と処理し、災いが過ぎ去るのを身を潜めてひたすら待つしかないことを経験的に学んでいる。嵐はいつか去る。

2012年3月20日火曜日

第2期チカチカオーディション

 午後からチカチカパフォーマンスの第2期オーディションがあり、知り合いが参加するので応援がてら出かけた。その前にまず母の暮らす施設に寄る。先日連絡のあった道外に住む遠い親戚から私宛に再度の連絡がきて、その中に母宛のメッセージも同梱されていた。それを届ける必要がある。
 母はいつものように食堂の片隅で仲の良い友人と並んで座っていたが、旧姓で書かれたハガキを見せると、すぐに親戚のことを思い出したようだった。(ちなみに、母の旧姓と同じである)施設では名前でしか呼ばないので現在の姓はときどき忘れても、不思議に旧姓(非常に珍しい姓)だけは覚えている。それを見越した親戚の細かい配慮に感謝した。

 その後、都心のオーディション会場に向かう。いつも私が歌っている場所だが、今日は案内アナウンスもマルチビジョンもすべて止められ、歌う場としての体裁が整っている。


 今回のエントリーは前回なみの18組。内訳は音楽系6組、ジャグリング系5組、ダンス系4組、その他3組といったところ。ジャグリング系は第1期で大量合格しているので少なめで、前回2組だった音楽系エントリーが大幅に増えた。東京を始め、遠方からの参加も多数あった。
 知り合いのライブハウスマスターのユニットの出番は9番目だったが、2組目からのパフォーマンスを見学した。

 第1期の7ヶ月間に及ぶパフォーマンス実績で定着したせいもあるのか、見物客は第1期よりも大幅に増え、ざっと200名ほど。かなりの盛況である。
 今回、音楽系ではプロ&セミプロも数組参加した。実績あるプロといえども、普通にオーディションを受けて合格しないと何もできないという厳しさだが、それだけの価値がこの場にはある。
 全部で8組のパフォーマンスを見届けて帰ってきたが、レベルとしてはさまざまで、全体的な雰囲気は第1期と大差ない。
 帰宅して数時間経って事務局から今日の合格者リストがメール送信されてきたが、合格率は70%程度で、第1期とほぼ同じ数値である。
 10年の歴史がある東京都のヘブンアーティストではおよそ60%程度の合格率と聞くから、初期段階としては妥当なところか。知り合いのライブハウスマスターのユニットはめでたく合格していて、さっそくお祝いの電話をした。
 結果として私以外に5組の音楽系パフォーマーが増えた。そのうち弾き語り系は3組で、プロ&セミプロも含まれている。

 第1期も含め、自分なりに合否ラインを推測してみた。

1)地下歩道を通り過ぎる市民がふと立ち寄り、ひと時を楽しめるパフォーマンスであること。これは第1期から変わらぬ不動の基準で、最も大事な部分だろう。あまりにマニアックだったり、お色気過剰だったりする芸は不可のようだ。

2)技術的にある一定のレベルに達していること。当たり前だが、芸にミスが多すぎるのは不可。多少のミスをごまかす技を会得している場合は合格する例もある模様。それも含めて「芸」ということか。たとえミスはなくとも、宴会芸の延長に近いものは不可という印象だ。

 めでたく関門をクリアした方々にはひとまずお祝いを申し上げたいが、次には「いかにして自分だけの力で場を作り、客を集めるか」というストリート特有の大きな関門が待ち構えている。実はオーディションよりもこちらのハードルのほうが遥かに高いかもしれない。
 私も含め、さらなる創意工夫と切磋琢磨が必要である。

2012年3月19日月曜日

ボイラ直って中華Pad届く

 朝9時過ぎにパナソニックのサービスセンターから電話があり、午前中ボイラの修理に来てくれるという。ついでに昨夜同時に故障した給湯ボイラとその症状のことを話すと、一緒に見てくれることになった。暖房ボイラはサンヨー製、給湯ボイラはパナソニック製だが、最近合併したので同じメーカー扱いとのこと。手間が省けた。

 10時過ぎに二人連れの修理スタッフ到着。メインは50代の熟練者だが、もう一人は見習い風の若手。どうやら技術の引継ぎもかねて訪れたらしい。
 暖房ボイラは温水循環ポンプの故障とすぐに判明。2年前に壊れたのは油ポンプで、ボイラのポンプ類は10年以内にたいていは寿命がくるらしい。
 その後、給湯ボイラを見てもらったが、こちらは原因がはっきりせず、一時は灯油の配管経路に問題があるのでは?との疑いも出て、外の灯油タンク廻りまで入念に調べる羽目に。
 しかし、種々の症状からボイラ本体が怪しいと私は睨んでいた。ふと思いつき、灯油のゴム管を手持ちの2Lポリタンク(昨夜ストーブに使用したもの)に入れてテストしてみては?と提案。これで正常運転できれば、ボイラ本体の問題ということになる。私が得意とする消去法の発想だ。
 さっそくやってみると、やはり途中で燃料切れのサインが出て運転が停止する。これで本体の油ポンプの故障と断定できた。


 油ポンプを新品に交換して再度テスト運転すると、今度は普通にお湯が出る。これにて全ての問題が解決した。
 推測だが、昨夜灯油のゴム管を外したことによって油ポンプに空気が入り、それが引き金となって決定的に壊れたのではないか。いずれにしても寿命がきていたことは確かで、修理が一度に済んでよかったと考えるべきだった。

 修理費は合計で52,000円強。予想を越える額だったが、家中のお金をかき集めて何とか足りた。理屈ではどちらもあと10年は使えることになるが、こうなれば自分の命とのガマン比べだなと、帰宅した妻と笑った。
_ボイラ修理作業中にかねてから注文してあった中華Padがようやく届く。何かと気ぜわしい日で、午後からはその中華Padの到着をブログで知ったという妻の仕事仲間が見物にやってきた。かなり若い方なので、タブレット型PCに興味があるらしい。
 私も初めてさわる立場だったが、見様見真似で起動や画面の切換え方法などをやってみせた。無線LANのルータが手元になく、ネット接続がまだできないので雰囲気をつかむだけだが、サイズや軽さ、画面の美しさに驚いていた。


 お店がサービスしてくれた透明の液晶カバー内の気泡がひどく、自分で貼り直した。なくてもいい感じがするので、いずれはがしてしまうかもしれない。
 以下、ざっとさわってみた印象を箇条書き。

1)型番は「Ainol NOVO7 Aurora」、「赤札天国」からネット通販で購入。送料代引手数料こみで、15,535円。日本語モード設定や公式マーケットの導入、ファームウェアの最新化は全て店側でやってくれた。初期不良保証もあって、誠実な店という印象である。
2)Android4.0/メモリ1G/ストレージ8G/7インチ1024x600~IPS液晶/189×123×9×310g/付属品は上の写真の通り。(マウスはついてません)
3)起動時間45秒で、最新のMac-miniとほぼ同じ。非常に早い。
4)画面は予想以上の美しさ。(写真下)IPS液晶のなせる技。これにこだわって正解だった。
5)手持ちの無線マウスとキーボードをつないでみたら、どちらも普通に認識して普通に使える。(写真上)これは「OTG」という機能が内蔵されているから。
6)電池は3700mA。満タン充電して30分使って20%程度の消費量。推定2~3時間といったところで、iPadよりはかなり落ちる。
 第一の目的だった電子譜面をテストするべく、譜面ファイルの一部をpdf変換。マイクロSDカードに転送して本体に差し込んでみたが、残念ながらpdfビュアーがアプリに存在せず、見え方は確認できなかった。早急にネット接続してアプリをダウンロードする必要がある。
 Mac本体とUSBケーブルでつなげばMac経由でネットにもつながるかも?と期待していたが、さすがにそれは無理だった。さっそくアマゾンで無線LANルータを注文。ネットやメールの操作性もこれが届いてからじっくり確かめたい。様子は逐次ブログで報告します。

2012年3月18日日曜日

ボイラ同時故障

 朝起きるとなんだか寒い。妻は勤めに出ていなかったが、室温は17.1度。さすがに寒すぎるので朝8時に自動的に切れる暖房ボイラのスイッチを再度点けた。ところが数時間たっても一向に室温が上がらない。不思議に思ってボイラを点検すると、電源は点いているが全く燃焼していない。これでは寒いはずだ。

 1ヶ月ほど前にも似たようなことがあったので、電源コードをいったん抜いて本体をリセット。再点火してみたが、前回はこれで正常に戻ったはずが、今回は何度試みても復旧しない。どうやら点火リモコンか本体のどちらかが故障したようだ。
 冬の峠は越えたが、まだまだ寒い。外気温を確かめると、マイナス1度ほど。早急に手を打たなくてはならない。


 あいにく小型のファンヒーターや灯油ストーブは持ち合わせていない。まず頭に浮かんだのは、キャンプ用の灯油ストーブ。ずっと使ってないが、1年前の東日本大震災の直後に危機を感じ、点検してあった。
 取り出して灯油を満タンにし、点けてみると普通に燃焼する。13時20分に点火してこの時の室温が17.8度。小型なので熱量は小さいが1階居間の吹抜け直下に置いたら、2時間半後に18.9度まで室温が上昇した。欲を言えばきりがないが、非常時としてはまずまずの温度である。

 その後、16時を過ぎると室温の上昇はピタリ止まった。外気温がじわじわ下がってきたので、定常状態に陥ったらしい。
 点火4時間20分後の17時40分に灯油が空になる。400mlを使い切った。取説では2時間半で使い切るとあったが、予想以上にもってくれた。20分休ませ、再度灯油を満タンにして点火。さすがに室温の上昇はもうなく、21時時点で17.6度。厚いセーターとオーバーズボンで何とか過ごせる温度だ。
 入居後13年を経たので、ボイラ関係が故障し始めてもおかしくない。2年前にも同じ暖房ボイラの油ポンプが壊れ、交換している。休みなので間が悪いが、試しにそのとき調べた連絡先窓口に電話すると、なぜか通じた。休みでもちゃんと留守番がいて対応してくれる。恐るべしパナソニック&サンヨー。
 1時間ほどして直接修理を担当するサービスセンターからも電話があった。休みなのになぜ?と問うと、非常時も当番制で対応しているという。症状を説明し、明日修理にきてくれることになった。助かる。

 実は話はこれで終わらない。夕方、用意してあった灯油が底をついたので、外のタンクから直接とり出そうとした。いつもは水抜き栓から小出しでとるが、氷点下で溜まった水が凍結しているらしく、全く流れてこない。あきらめて屋内にもうひとつある給湯用の灯油ボイラのホースを外し、そこからポリタンクに灯油を移した。
 夜になって暖かいシャワーでも浴びるかと給湯ボイラを点けたら、今度はこちらにもエラーが出て点火しない。メッセージを調べると「油が送られてこない」というもの。ホースに気泡でも入ったかと調べたが、異常はない。
 その後、何度か試みたがこちらも復旧しない。夜なので、さすがに修理の手配はしなかったが、灯油ホースを外したことがきっかけになっているのは間違いない。
 くしくも2台のボイラが同じ日に同時に壊れてしまった。灯油ボイラは10年を過ぎると毎年点検するのが望ましい。忙しさにかまけて対応をおろそかにしてきたツケだろう。
 しかし、キャンプ用の灯油ストーブが冬の災害時にそれなりに機能することが分かった。専用の五徳をセットすれば、煮炊きも普通にできる。もちろん米も炊ける。

 灯油は常時2L程度を物置にでも備蓄しておくべきだな、と今回新たに学んだ。今週は星回りに「要注意の週」とあったが、さっそく一撃見舞われたようだ。真冬の厳寒時でなくてよかったと前向きに考えるとしよう。

2012年3月17日土曜日

父の遺品が寿命

 5年間使っていた電気カミソリの外刃が割れて穴が開き、肌に当たって血が滲むようになった。外刃の交換時期は1年毎とメーカーでは推奨しているので、5年も使えばとうに寿命である。さっそくアマゾンで外刃の価格を調べてみたら、なんと2,200円近くもする。予想よりも高価で、すぐに買う気にはなれなかった。

 実はこの電気カミソリ、亡き父が病院や施設で使っていたもの。死後に備品を片づけてくれた姉から手渡された、いわば遺品。唯一の息子でもあり、たまたま当時使っていた電気カミソリが寿命だったので、以来毎日使っていた。
 しかし、最近になって充電期間も極端に短くなり、内蔵の充電池もどうやら交換時期らしい。こちらの価格は調べてないが、合わせるとかなりの額になるのは間違いなかった。


 旅行などでも使える乾電池式の電気カミソリを調べて見ると、パナソニック製の最新型がわずか1,900円。替刃よりも安い。かなり考えたが、思い出は心の中にそっとしまっておくことにし、替刃をやめて乾電池式のこちらを買うことにした。(写真左)こちらの外刃は900円ほどとリーズナブル。
 今日届いたばかりだが、さして髭の濃くない私にはこれで充分過ぎるほど。単3電池2本は使っていない充電式のエネループ電池があったのでこれを使うことにした。
 アルカリ電池でも1ヶ月は使えるとのことで、1週間毎の充電を強いられたこれまでの電気カミソリより、使い勝手は増すかもしれない。

 父の遺品、5年間も使い続ければバチも当たらないだろうと胸の内でつぶやいてみる。こうして時は少しずつ動き、ゆっくりと流れてやがては消えてゆくのだ。それがこの世の定めである。諸行無常の春、雪解けのころ。

2012年3月15日木曜日

雑誌でエッセイ連載

 ふとした縁から、北海道内で販売されている月刊誌にエッセイを連載させていただくことになった。「オトン O.tone」という誌名で、その名の通り40歳以上の中年男性、つまりは「おやぢ」をターゲットにした雑誌である。
(読者に中年女性もかなりいるらしい)
 お話しは1ヶ月ほど前にいただいたが、その第1回目のエッセイが掲載された号の発売日が今日。掲載誌はすでに前日送られてきたが、投稿以外で自分の文章が活字になるのは久しぶりのこと。損得ぬきでコツコツとやっていれば、いつかどこかで誰かの目に止まるものなのだなと、感慨深いものがある。


 連載のタイトルは「Oh!昭和レトロ」というもの。おや?どこかで聞いたような…、と思われた方は私のサイトを相当深く読んでおられる。実はホームページを立ち上げた当初のころ、読み物の目玉として掲載した「Oh! Retro」がそのルーツである。
 その記事が出版社の方の目にとまり、今回の連載につながった。電話をいただいたその日にたまたま札幌駅地下方向空間でのストリートライブがあり、わずか1時間後に担当の方とお会いして概要が決まった。音楽好きな方で、ライブにもずっと立ち会ってくださった。偶然がいくつも重なっている。縁があるのだな、と思った。
「むかし懐かしあんなものに光をあて、そこから病める現代を癒すヒントを模索してゆこう」というのがこのエッセイのねらい。当初のHP連載でも人気が高く、多方面から感想メールをいただいている。
「三丁目の夕日」のヒットに代表されるように、世はまさに昭和ブーム。歌でもそんな動きを強く感じる。混沌の世だからこそ、ちょっとだけ昔の昭和時代に生きるヒントが隠されているのかもしれない…。そんな切り口で書き綴ってみたい。

 今月号(vol.41)のタイトルは「噴水ジュース自販機」。初回はHP掲載の内容を大幅リライトして臨んだが、素晴らしいイラストと美しいレイアウトで別作品のように蘇った。次回以降は新作を続々投入の予定。機会があれば、ぜひ目を通してください。(680円)

2012年3月14日水曜日

ヌケガラの歌

 いまさらだが、「神田川」を練習している。先日のストリートライブで終了後のアンコールで突然リクエストされ、譜面なしで歌って歌詞を忘れるという醜態をさらしたばかり。
 ところが来週実施の地域中高年者むきのコンサートでも実はこの曲をリクエストされている。そこでちゃんと楽譜も準備し、事前練習もして臨もう、ということだ。

 この曲は40年近く前に新入社員として東京の会社に入った年、爆発的に売れた。フォーク全盛時代で、ギターを持って歌うだけで何かともてはやされた時代である。
 当時社内でユニットを組んでいたHIROという音楽仲間が熱烈なかぐや姫ファン。この曲をさかんにやろうと持ちかけるので練習し、社員旅行で歌ってみたらバカ受けした。
 以来、何かといえば「神田川を歌え」となり、言われるままに歌ったが、曲の内容はいまひとつ共感できず、そう好きな曲ではなかった。
 40年近くの時を経てもそのイメージは変わらない。主人公が女性のいわゆる「女歌」だが、最近はむしろ女歌を好む傾向にあり、問題はそこではない。歌のテーマが同棲そのものであること。単なる愛や恋の歌ならイメージを作りやすいが、同棲に限定されるとまるで経験がなく、想像の入る余地がない。
 確かめたことはないが、歌に魂が入っていないだろうと思う。いわばヌケガラ状態の歌唱である。当時の世相を代表する懐かしい歌なので、ていねいに旋律をなぞりさえすれば聴き手は満足する。ただそれだけのことではないのか?
 歌に魂をこめるには頭のなかに情景が必要。それが私の基本スタイルだが、そこが欠けている。聴き手に申し訳ない気もする。

 それでもリクエストがあれば歌うが、久しぶりに練習してみて思ったのは、小説を書くときのように、実際にはない絵空事(つまり、自分にとってウソの世界)を、あたかも経験したかのように成り済まして歌うしかない気がしてきた。
 もしそれが聴き手の胸に届き、涙のひとしずくも流してくれたとしたら、それはそれで新しい世界を獲得したことになる。さて、どうなるだろう。

2012年3月13日火曜日

チカチカ反省会

 夜に都心でチカチカパフォーマンスの第1期反省会があるので、ぎりぎりまで仕事を続け、クリームパンと牛乳で腹ごしらえして出かけた。
 道路の雪はほぼ消えた。車はガンガン気持ちよく走る。途中の安売りスーパーで切れかけの珈琲を買うという綱渡りスケジュールだったが、開始5分前に滑り込んだ。

 メンバーは活動中の15組前後がほぼそろった。第2期も継続してやるという意欲にあふれている。私のほかにもう1組いた弾き語り系パフォーマーの姿はなく、この7ヶ月の活動もほとんどなかったので、どうやらやめてしまうらしい。
 さすがに少し寂しい気もするが、仕事の傍ら自分で場を作りつつ定期的に活動を続けるのは、思っているより簡単なことではないということだ。第2期オーディションで新しい音楽系パフォーマーが現れることを期待しよう。


 反省会といっても、基本的に地下歩行空間の空いた時間を使わせていただいている立場なので、特に注文はない。与えられた条件下で粛々とやるのみだが、エントリーの方法やメンバー同士の交流、情報交換の方法に関し、メンバーからいくつかの提案があった。
 他に大きな変更はない。ひとまず9月まではいまのペースで活動を続けられそうだ。
 実は1週間後の第2期オーディションでゲストとして歌う予定だったが、今日が締切のオーディションに予想を越える応募があったそうで、急きょ中止となった。何でも新規の審査だけで時間がぎりぎりらしい。

 今後、希望者が増え続けた場合、2年目からは現有メンバーの入れ換えも充分にあり得るという話もでた。第2期以降の新規審査も厳しくなる。公的空間を使ってやるのだから、「誰でもOK」とはならないのは当然であろう。
 2年目以降は内容と実績が審査の対象となるのは確実。ふるい落とされぬよう現状に慢心せず、さらなる精進を重ねなくてはならない。秋にむけて新しい目標ができた。

2012年3月11日日曜日

老いること

 母が施設に入所してから2年近くが経つが、最近になって遠い親戚から実家にハガキが届いていた。手紙やハガキの返事がこず、電話もつながらない、どうしたことかと案ずる内容である。
 電話はとうに止めてしまい、郵便物はすべて近くに住む姉が管理している。ハガキはその姉から渡された。

 父の死後、母は好きだった本も読まなくなり、手紙も書かなくなった。テレビもあまり観ていない様子。そうした細々したことの一切が面倒になったようで、それが老いてゆくということなのだろう。
 幸い、たまに顔を出す私や姉のことは分かる。ちゃんと名前で呼ぶ。しかし、ハガキの返事は出せないだろうし、そもそもその遠い親戚のことを覚えているかどうか。
 かといって放っておくこともできず、50年以上も会ってない方だったが、私が母の代りに近況をしたため、連絡することにした。これも長男として、そして子としての務めであろう。
 東日本大震災からちょうど1年が過ぎたが、被災地への追悼は3日前のストリートライブで自分なりにひっそりと済ませた。今日は特別なことはせず、ただ静かにテレビやネットの特集を観て過ごした。

 日々を謙虚につましく、そして身近にある施設や地域にむけての社会活動をしつつ、粛々と過ごしていれば、特別声高に何かを仕掛けたり叫んだりする必要もない気がしている。肝心なのは被災地支援に便乗しないこと、そして惨事を忘れないことだ。
 生者のあらん限り、死者は生きん。

2012年3月8日木曜日

流れゆく場

 通算9回目のチカチカパフォーマンスが無事に終了。今回は事前にHPトップで予定を逐次告知したこともあって、「ぜひ聴きにうかがいます」という連絡が多数あった。通りすがり対象が基本とはいえ、ライブを重ねるごとに決まった方が聴きにきてくれるのは自然な流れかもしれない。
「自由なスタイルで歌う」という自分のスタンスは保ちつつ、同時にそうした貴重な聴き手の方々にも配慮して活動を続けていきたい。


 今回は他のパフォーマーの方(読み聞かせ)とエントリーが重なり、3時間枠を互いにどうやり繰りすべきなのか、初めてのことなのでよく分からない。
 普段よりも早めに事務局に行き、率直に相談すると、「いつも遅く始める方なので、開始すぐには現れないと思いますよ」とのこと。それなら早めに始めて早めに終えてしまうに限ると、手続きを済ませてただちに地下へと向かった。
 会場は過去に2度歌っている北端の北4条広場。真冬は最も寒い場だが、すでに冬の峠は越えている。到着は14時10分前で、素早く機材をセット。早めの14時5分から歌い始めた。
 この日のテーマは「フォークとJ-POP」。新しく追加した案内板にもその旨を表示してある。冬から春への移り変わりを意識した選曲で、以下の16曲をいつものように休憩なしで一気に歌った。

「季節の中で」「面影橋から」「風」「卒業写真」「僕の胸でおやすみ」「雨ニモマケズ抄(オリジナル作曲)」「不思議なピーチパイ」「サボテンの花(リクエスト)」「青葉城恋唄」「異邦人」「どうぞこのまま」「時代」「あてもないけど」「少しは私に愛を下さい(リクエスト)」「夜明けのスキャット」「さくら(直太朗)」


 1曲目を歌いだすと、いきなり人が集まってきた。見る間に数が増え、ざっと20人ほどに。35年前に友人の結婚式で歌って以来だが、さすがに千春は強いなと感心する。
 その後、曲によって人は減ったり増えたりを繰り返したが、告知を見て足を運んでくれた方がかなりいたので、常時10名を下ることはなかったように思う。

「卒業写真」は遠方から来てくださった馴染みの居酒屋ライブハウスマスター夫妻に敬意を表しての選曲。ママさんが大のユーミンファンである。
 この日は他にも2曲リクエストがあり、確実に聴いていただけるよう、後半に配置して備えた。「サボテンの花」と「少しは私に愛を下さい」がそれ。幸いにどちらもレパートリーに入っていた。
 実は終了後にも別のリクエストをいただいたが、歌えなくとも練習を重ねてなるべく応じるように最近は努めている。そうすることで、自分の歌の幅が広がる気がする。


「青葉城恋唄」は本来夏の歌で、時期的には早すぎる。しかし、この日はチカチカパフォーマンスの3月最終日。東日本大震災の3/11が間近ということもあり、被災地関連の歌をどうしても歌いたかった。
 事前のMCでもそのことに少しふれた。初披露だったが、うかつにも1フレーズ目で感極まって一瞬崩れそうになった。しかし、譜面に目を落とすことできわどく回避。ある種の「震災ソング」であることもあってか、通りを行く多くの人が足を止めてくれ、静かに集中して聴いてくださった。
 自分としては被災地に対する鎮魂歌のつもりで魂をこめて歌ったので、それがその場に居合わせた方々の心に確かに伝わったと思う。よい選曲だった。
 残り2曲になって「あと2曲で終わりです」と宣言する。急に終わると突然のアンコールが出るのを恐れてのこと。このときすでに別のパフォーマーの方が会場に入り、スタンバイ中なのが目に入っていた。長々と場を独占してはならない。
 この日は長めの曲が多く、ラストの「さくら」を歌い終えると丸1時間が経過していた。寒暖の激しい気候のせいか喉の調子は決して万全ではなく、80%ほどの出来。しかし、集まってくださった多数の方々(30名は軽く越えていたらしい)の後押しもあって、気持ちでどうにか乗り切ることができた。

 終了後、顔見知りの方々やこの日初めて出会った方々としばしの歓談。この風景も回を重ねるごとに定番スタイルになりつつある。
 30分過ぎあたりから正面の床に座って熱心に耳を傾けてくれた若い男性が近寄ってきて、「すごく良かったです。握手してください」と手を差し出され、非常にうれしかった。
 彼に限らず、この日は20~30代と思われる若い男女も数多く聴いてくださった。現状の路線を大きく変えるつもりはないが、取り巻く環境はじょじょに変わってゆく予感もする。当面はその流れに身を任せたい。