2010年7月31日土曜日

人生の残り時間

 いろいろ考えたすえ、ついに電動草刈機を買った。「YAMAZEN 電気草芝刈機 刈る刈るボーイ SBC-280A」という代物で、アマゾンのネット通販で、送料込み7,580円。
 近隣のホームセンターも回ってみたが、品数が少なく、しかも高い。店舗管理費の経費は、送料を見込んでもネット価格にはかなわないようで、ますますネット通販を利用する機会が増える。

 10年間鎌による手作業にこだわってきたが、最近になってついに鎌の柄が折れた。刃を固定する部分で、だましだまし使っていたが、もはや限界。持病の腰痛のせいで、草刈作業も数回に分けてやらざるを得ず、これから年を重ねるにつれ、作業はもっと大変になるだろう。
 人生の残り時間が少なくなりつつあるいま、草刈等の単純作業に消費する時間は極力省き、余暇はなるべく創造的な時間にあてたいと最近は考えるようになった。


 こうして草刈機を買う決断をしたが、ガソリン式の草刈機は買う気がしなかった。調べてみると、電気式の草刈機の性能は向上し、音も静かで、環境に及ぼす影響もガソリン式に比べてはるかに小さい。価格もガソリン式の半分以下で、軽くて小さく、収納スペースもとらない。
 充電式は充電池の寿命や重さ、作業中の電池切れがイヤで、却下。こうして写真のような電源ケーブル式の草刈機に落ち着いた。
 草刈機そのものを使うのが初めてなので、まるで要領がわからず、今日はひとまずお試し作業である。長雨のせいで雑草は延び放題だったが、なかなか気持ちよく刈れる。
 3つのプラスチック製の爪を円盤にひっかけ、遠心力で草を刈る方式なので、石等にぶつかっても、金属製回転刃方式よりも安全に思える。その分パワーは劣るが、直径1センチほどの熊笹でも、何ら問題なく切れた。庭や周辺空地の草刈程度なら、充分使える。

 定格連続作業時間は30分なので、いい加減なところでやめておいたが、ほぼ要領はつかんだ。鎌の作業に比べて腰の負担は半分以下で、作業能率と仕上がりの美しさは倍以上といった感じか。

2010年7月30日金曜日

いけ好かない

_ネットニュースにアップル社のiPadに関する興味深い記事が載っていた。「iPadを好んで使う層は自己本位なエリートで、批判する層は一匹狼の変わり者」といった主旨で、(毎日新聞ニュースより)ひょっとして、「iPadを使う奴も嫌う奴も、いけ好かない野郎」ということになりはしないか?
 マックファンを自負する私だが、世間で人気のiPhoneやらiPodはもちろん、iPadも使った事はなく、ほとんど興味がない。自分にとっていまのところ必要ないからで、携帯電話はメール機能すらないフツー以下の製品。音楽は誰かの歌を聴くより、自分で歌うほうが多いし、たまに車でCDを流す程度で充分。iPadを使ってまで読むほどの本は目下見当たらないし、外出時にネットを閲覧する必要性も感じない。
 強いて言えば、「そうまでして流行の物が欲しいの?」といった批判的立場だが、それとて最終的には個人の趣味の問題であり、「お好きにドーゾ」というのが本音。


_話はさらに飛ぶが、政治や宗教に関する考えも、このアップル問題に似ている。つまり、政治や宗教に他の誰かがのめり込むのは一向に構わないが、いまのところその両者とも自分の暮らしには深く関わってこず、縄文レベルを覚悟すれば、どうにか自力でこの世を渡って行ける。

 また、自分にはさほど関わりがないように思えるのに、ことさらに目くじらを立て、政治や宗教のナニガシをとやかく批判する流れがあるが、私にすればその両方ともいけ好かないのでアル。

2010年7月29日木曜日

夢色時刻

 今春の自宅ライブ「桜の宴」などで我が家を訪れ、いつも美しいハーモニーを披露してくれる様似町在住の夫婦ユニット、「ひで&たま」が再び我がTOMスタジオにやってきた。
 札幌やその近郊での一連のライブ活動のついでに立ち寄ったのだが、実はこの日の大きな目的が、私の作るスペシャルカレーを食べにくること。
 このブログでもしばしばふれている特製カレーライスに興味を持ち、一度は食べてみたいとのたっての願いで、さまざまなライブ活動にあわせてとった夏期休暇の合間をぬっての来訪である。
 約束は午後3時だったので、昨日から準備してあった各種材料を並べ、14時からカレー作りにとりかかった。しかし、普段の倍以上の量を作らねばならず、しかも失敗があってはならない。さらには、いつもなら気にしないコゲやら材料の不揃いも、極力避けたかった。
 いつもより手順を増やしたりし、作業に手間取っているうちに、14時半前にインタホンが鳴った。集合時刻は毎度アバウトだが、それにしても早過ぎる。二人とも楽器を持参していたので、ひとまず2階のスタジオに上がっていただき、ギターなど弾いてしばし時間をつぶしてもらった。

 15時少し前に何とかカレーは完成。味はまずまずで、米もいつもの倍とぎ、タイマーをセット。その後、珈琲を飲みながらあれこれと歓談した。


 話に花が咲くうち、時計は早くも17時。二人とも息の抜けないライブ続きで、さぞやお疲れと思い、今日は歌はナシだよネと確認したら、「やっぱりちょっと歌いましょうよ」ときた。基本的に歌が好きなのである。
 実は私も一連のライブ疲れで、今週は練習不足気味。しかし、やるとなれば、オープニングは私が恒例である。妻が素早く連絡し、自宅ライブ常連のNAOさんとSちゃんもやがてやってきた。
 機材などの準備を急きょ整え、始まったのが17時半。この日はやや控えめに、以下の6曲を歌った。

「詩人の妻」「燃えながら飛んだよ」「通りゃんせ」「地下書店」「切ない夕暮れ」「まつり」

 1、2曲と4曲目は雑談の中で飛び出した及川恒平さんの曲で、「詩人の妻」「燃えながら飛んだよ」はおよそ5年ぶりに歌ったが、何とかこなした。「切ない夕暮れ」はこの日唯一のオリジナルだが、夕暮れ時の情景にピタリはまり、聴き手にも好評だった。
「通りゃんせ」「まつり」は最近練習中の曲で、この日が初披露。難解と思っていた「まつり」(赤い鳥)は、案外いけそうな感じがする。
 私にしては珍しく、周到な準備ナシでいきあたりばったり歌ったが、出来はまずまずだったろうか。
 18時あたりから「ひで&たま」のステージ開始。最初はひでさんのソロで20分ほど。この日の目玉は、妻であるたまちゃんさえも聞いたことがないという、ひでさん初のオリジナル曲である。
 つい先日、岩見沢で実施されたフォークジャンボリーを歌ったイベントソングだが、素直なメロディにサビも効いていて、初のオリジナル曲とは思えない出来映え。
 タイトルが仮題とのことだったが、聞いているうちに素晴らしいタイトルが思い浮かんだ。「夢色の夏」というもので、曲の持つイメージにもピッタリはまる。歌の直後にその場で提案すると、大変気に入ってくれた。ほぼこのタイトルで決まりかもしれない。
(後でネットで調べたが、他曲との重複はない)

 その後たまちゃんが加わり、あまり知られていない曲を中心に、二人でさらに40分ほど歌った。たまちゃんが買いたてのアコーディオンを初披露したが、すでにかなりの腕前である。若い才気の可能性を感じる。
 春の自宅ライブで初めて聴いた「国境の風」は、このアコーディオンを使って新しくアレンジされていて、前回とはまた異なる魅力を感じた。「りんごの木の下で」の美しいハーモニー、ラストの「赤い花白い花」の胸に迫る歌唱など、心に残った。
 その後場所を1階に移し、いよいよカレーパーティー開始である。量はたっぷり作ったので、予定にはなかったNAOさんとSちゃんにも急きょ参加してもらい、総勢6名で歓談しつつ、会食。
 心配していたカレーの味は、ほぼ全員に好評。歌よりもはるかに気を配ったので、正直ホッとした。

 突発的なライブだったので、用事のある人から順に帰路につき、ラストのひで&たま夫妻が帰ったのは、23時半を回っていた。確かに長い時間だったのだが、その長さをあまり実感しない、まるで夢のようなひとときであった。つまりは夢色時刻なのである。

2010年7月28日水曜日

伝わる想い

 19歳から25歳にかけて少しずつ整え、大切に使ってきた弓道用具一式を手放した。地元紙夕刊の「差し上げます」という市民交流欄に投稿し、掲載されたのが今日。
 夕刊の配達は16時過ぎで、予め新聞社から今日掲載になる旨の連絡があったので、外出や外仕事は控え、ギター弾き語りの練習をしながら、じっと電話が鳴るのを待った。

 最初の連絡がきたのが、17時過ぎ。その後18時台に2本の電話があり、最初の電話の方が現れたのが、18時半ころ。さらにそのあと、6本の電話があった。合計で9人もの方が関心を示してくれたことになる。
 しかし、この種の連絡は「早い者勝ち」が原則。いち早く情報を見つけ、すぐに行動に移すのも、ひとつの縁である。


 差し上げたのは、弓、矢6本、矢筒、袴、弓がけ、その他細かい備品やケース類などで、唯一ないのがあまりに傷みがひどく、捨ててしまった稽古着。しかし、これ一式あればいつでも弓道を始められるというものだ。
 手作り品も少なくなく、自分で丹念に作った矢筒や弦巻、姉に作ってもらった布製弓巻、弓がけを包む袋は妻の手製で、小物類を入れる布袋は自分で作った。それぞれに強い思い入れとタマシイがこもっている。
 そんな大切なものをなぜ手放す気になったかといえば、もう使う事はないだろうという単純な理由から。学生時代は毎日のように練習に励み、社会人となったあとは結婚直後に1年間、札幌に戻ってからはさらに1年間、それぞれ弓道に打ち込んだ。
 しかし、なぜか学生時代のように熱く燃えるものがない。その後、子供の活動をきっかけにのめりこんだサッカー、そして近年になって活動を再開したギター弾き語りの陰に隠れ、弓道の用具類は出番がないまま、物入れの奥で何十年もホコリをかぶっていた。

 私の影響からか、末の息子が大学入学後に弓道を始めたが、さまざまな理由から1年で退部。二度と弓道をする気はないといい、我が子が道具類を引継ぐ可能性も消えた。
 このまま放置すれば、私の死後に道具類は宙に浮く。遺品を整理する子供たちは、その処置に窮するだろう。燃えないゴミとして出すには大きすぎ、そもそもこの種の道具は、ゴミにするような代物ではない。
 熟慮のすえに出した結論が、「弓道を愛する方に貰っていただく」というもの。買ってから40年も経つ古い道具もあるが、手入れをすれば、まだまだ使える。
 玄関に現れた方は、まるで息子のような年代の方。身長が私とほぼ同じで、弓や矢、弓がけなども、そのまま使えそうだ。
 以前に体験講座で一度だけ弓を引いたことがあり、強い興味を持ったという。しかし、用具類がどれも高価で、一社会人として所属する団体もなく、ずっと思いをくすぶらせていたらしい。

 若き日に私が弓道に対して抱いた関心と酷似していて、貰っていただくのに相応しい方だ。こうして人から人へと道具が伝わってゆけば、私の想いも同時に伝わってゆくはずで、おそらくそこにこそ、私の生きてきた意味がある。

2010年7月27日火曜日

トイレの通気穴

 今年の夏は高温と多雨が交互に続き、北海道にしては珍しく湿度が高い。低湿度が特徴の高気密高断熱の我が家でも、この夏は湿度が最大で59%まで上がった。施工時のコンクリートや木材が乾燥していない新築時1年以内は別にすると、過去の最高値ではないだろうか?
(ちなみに、冬は30%台まで下がる)

 そのせいか、6月あたりからトイレの壁下部に、うっすらと青カビが生えるようになった。換気扇による空気通路となるドア周辺には異変がないが、換気経路のデッドスペースとなる奥の部分が問題。これまでも多少その傾向はあったが、今年は拭き取ってもすぐにまた発生するという事態だ。
 マンション生活時も同じ理由で、通気の澱むトイレの奥がカビ発生に悩まされた。何か手をうたねば。


 対策をずっと考えていたが、カビ防止材を塗布するのは論外。根本的対策として、空気が澱まぬよう、何らかの新しい流れを作ってやればカビ発生は軽減されるはずだった。
 我が家は床下空間が完全に開放された「床下断熱」という工法を採用しているが、トイレ奥の壁下部を一部切り取り、この床下空間につないでやることを考えた。
 面倒な細工はやらず、単純にカビのひどい部分の壁にドリルで穴を開ける手法をとった。手持ちのドリルで最大径の12ミリを使い、写真のように30ミリの等間隔でまず9個の穴を開け、さらにその間を埋めるように4個、合計13個の通気穴を開けた。
 下端と壁際部には壁材を固定する部材があるので、穴の位置はそれぞれ120ミリ、90ミリ離した。単なる穴だが、デザイン的バランスもいちおう考慮している。
 これでカビ問題が一挙に解決するかどうかは、まだ分からない。少し様子をみたい。

2010年7月26日月曜日

株仲間

 ラベンダーが満開なので、ハーブティー用に花の一部を摘み取った。このまま窓辺のカップに差して乾燥させ、冬になってから使う。
 一連のライブ疲れで、珍しくテレビを見つつ、ぼんやり過ごしていたら、インタホンが鳴った。
「これはたぶんご町内の方でしょう」

 何の根拠もなく、妻にそう言って受話器をとったら、春の自宅ライブに来てくれた近所のS子さん。例によって強い霊感(直感)による「アタリ」である。
 S子さんの手には、自家菜園で採れたたくさんの新鮮な野菜が。
「採れすぎて食べきれないので、おすそわけです」


 先日も同様に美味しいイチゴをいただいたばかりで、恐縮しつつ、インゲンやゴーヤ、ジャガイモをまたいただく。
 実は昨日我が家で採れたラズベリーが、どんぶり1杯ほどもあった。よいところを選んでS子さんに差し上げようと迷ったが、長雨のせいで甘味がやや弱く、断念したばかり。事情を話して、S子さんをラズベリーの木まで案内し、甘い実をもいでその場で食べていただいた。
 いわば臨時の「ラズベリー刈り」といったところで、2日続きの好天で、甘味もやや復活していた。ついでに紙コップを渡し、ご主人へのお土産用に好きなだけ採ってもらう。
 あちこちにたくさん芽を出しているラズベリーの若木があり、いつもなら取り除いて捨ててしまうのを、もしかするとS子さんが欲しいかも?と思い、抜かずにとってあった。尋ねると、この木は自宅菜園にはないので、ぜひ欲しいという。
 このラズベリーは5年前に数百円で買ったものだが、非常に繁殖力が強く、いままでに数人の方に株分けし、いずれもうまく根づいている。S子さんには元気な若木を2株差し上げ、一連の頂き物のお返しにかえた。
 またまた新しい「株仲間」の誕生である。

2010年7月25日日曜日

ライブどっぷり

 午後から夜にかけ、音楽仲間二人のライブを見届けた。単独ライブには一度も立ち会ったことがない方ばかりで、普段いろいろとお世話になっていることもあり、応援やおつきあいの意味もある。

 午後1時からは、5月の自宅ライブ「桜の宴」でギターサポートしていただいたチロリンさんのライブ。町内会の世話役をやっていて、今日は町内会夏祭りの日。その余興に自ら出演するという連絡をメールでいただいた。
 当初は昨日の私のライブにチロリンさんも来てくれるはずだったが、急な仕事で断念。今日も雨だと中止のはずだったが、昨日とは打って変わって、カラリと晴れ上がった絶好の祭り日和である。
 会場となる公園は私の散歩コースなので、途中のスーパー駐車場に車を停め、そこから歩いて行った。
 最初に子供太鼓の演舞があり、1時15分からチロリンさんのライブが始まる。およそ20分で6曲を歌った。選曲に注目していたが、1曲目が昨日の私と同じ「カントリー・ロード」で、ちょっとした偶然に驚く。
 夏祭り舞台は初めてとかで、司会進行もやりつつ、合間にライブというハードな役割。神経の細い私には、とても務まらない。

 正直に書くと、「老若男女」の集う夏祭りで、大人たちは生ビールでほろ酔い気分という場に、やや馴染まない曲もあったように思う。
(ご本人もMCでそれを認めていた)
 実は私が最も苦手とする場がこの種のお祭りイベントで、アルコールなしなら何とか対処するが、アルコールOKだとかなり厳しい。場を引きつけ、おさめる術が見いだせないのだ。単なる傍観者の立場だったが、いろいろと勉強になった。


 家に戻って一服すると、すぐにまた出かけることになった。夕方から別の音楽仲間のイノさんのライブが都心である。車で行くかどうか迷ったが、たまにはビールを飲みながら歌を聴くのも悪くないぞと、JRで行くことにした。
 開演15分前に会場となるライブハウスに着き、イノさんとあれこれ話す。イノさんは馴染みのカフェ「カエルヤ珈琲店」の関係者で、春にカエルヤでやったフォークライブで知り合った。
 イノさんの出番は3組中の2番目。40分の持ち時間すべてをオリジナル曲でまとめた。歌唱としては友部正人や拓郎、三上寛の流れを継ぐシャウト系フォーク。すべての曲がフラットピックによるストローク奏法で、抜群の声量で聴き手を圧倒する。
 この日は3組とも似た感じの歌唱で、歌い手の年代は20代〜40代前半と若く、聴き手を含めても、私が突出した最高齢者であった。

 これまた正直に書くと、ただ聴いているだけで、かなり心身を消耗した。昨日の自分のライブの疲れが残っているせいもあったし、珍しく3杯も飲んだビールのせいもあろう。しかし、要はトシだ、という冷酷な事実だ。強くて激しいサウンドには、もはやついていけない部分がある。
「自分はツキイチ・シンガーです」などと周囲に宣言し、最近はほぼそれを実践している。しかし、単に聴くだけなら、日に2本のライブでも問題なかろうとタカをくくっていたが、現実はそうではなかった。
ライブは聴くだけでも時に体力を消耗する」のである。

2010年7月24日土曜日

アトリウムコンサート

 近隣の「太平百合が原地区センター」でのアトリウムコンサートが無事に終わった。
 前夜から断続的に激しい雨が降り続き、ほとんど経験のない午前中のライブ、そして地域センターという初めての場に対する緊張からか、珍しく眠りが浅く、明け方近くに何度も目覚めてしまった。
 開演3時間前の8時に起き、入念に調整。幸いに声はまずまず出ている。

 休暇で家にいた妻と共に、10時半前に出発。傘を準備していったが、5分ほどで先方に着くと、なぜか雨はピタリと止んでいた。


 この日はフリーマーケットの開催日で、駐車場は満杯。路上にまで車があふれている。やむなく機材だけをおろし、混雑時に駐車が認められている近所の土木センターに車を置く。
 事務所に挨拶をしたあと、すぐに設営にかかった。事前のリハーサルですべてチェック済みなので、5分ほどで終了。高い吹抜け窓から光が落ちてくるので、照明類は一切不要。念のため持参したLED楽譜ライトも不要だった。
 ロビー内には、すでに20名近くの方々が集まっている。この日のライブは事前にセンター内パンフレットなどで告知されてはいたが、果たして座っている方々が、フリーマーケットが主目的でいらしたのか、ライブ自体が目的なのか、あるいは単に図書室などの帰りで休んでいるだけなのか、まるで見当がつかない。
 開演までは5分以上も時間があったが、マイクテストをかね、まずは1曲歌って様子をみることにした。


 楽譜は多めに準備したが、本番用の曲は歌いたくない。パラパラめくるうち、昨夜ボツにした「浜辺の歌」が目についた。本番1曲目はストローク系の曲と決めていたので、テストには叙情系の曲がよろしい。
 1番だけのつもりで歌い始めたが、会場の反応が予想よりもいい。(聴きにきてくれている…)という気配がすぐに伝わってきた。そこで予定を変更し、フルコーラスを歌いきる。
 終わると、ごく普通のコンサートのように、拍手が自然に起こった。やはり予感は当たっていた。
 時計を見ると、開始予定の11時にはまだ数分ある。しかし、場はあきらかに開演を急かしている。そこで係の方の了解を得、早めに始めることにした。
 練りに練ったこの日の構成は、順に以下の通り。

「カントリー・ロード」「夏の思い出」「赤い花白い花」「上を向いて歩こう」「夕焼け小焼け」「北の旅人」「手のひらを太陽に」「宗谷岬」「埴生の宿」「切手のないおくりもの」「いい日旅立ち」


 時間の経過と共に聴き手はじわじわと増え、終了時にざっと目で数えてみたら、30名を越えていた。開け放たれた大ホールで開催のフリーマーケットのざわめきが時折入り込んできたが、会場は静ひつで程よい緊張感に包まれていて、非常に歌いやすかった。
 高い天井によるナチュラルリバーブのことも考慮し、この日は力まずに8分くらいの力で、ていねいに歌うことを心がけた。

 これといったミスもなく終了。場の空気次第では省く気でいた「いい日旅立ち」を最後に歌ったので、珍しく3分ほど予定をオーバーした。合計で40分、12曲も歌ったことになる。
 終了後、見知らぬ中年男性が近寄ってきて、「実は以前に菊地さんにお会いしたことがあります」という。後ろには奥様とおぼしき女性の姿。しばらく考えたが、思い出せない。
「どういった関係でしょう?」と降参して問い返すと、「設計関連です」とのヒント。それで思い出した。4年ほど前に住宅の設計相談で数回お会いしたことのある、Kさん夫妻である。
 聞けば私のブログを欠かさず読んでいるそうで、開催場所が近くであることを知り、わざわざ足を運んでくださったとか。ブログ掲載のYouTubeでは再生がうまくいかないとかで、歌を初めて生で聴けてよかった、素晴らしかったと喜んでいただいた。

 Kさんからは、ひとつだけ注文が出て、曲間のMCが早口で、高齢者には聞き取りにくい。そこをもっとゆっくりと明確に話すよう心がけては、とのありがたい忠告である。
 初めての場なので、短い時間にたくさん歌おうと欲張り、その傾向はあったかもしれない。とはいえ、職員の方々を含めた評判は上々だった。「地域センター活用の弾き語りライブ」という、まるで手探りの体当たり企画だったが、今後の活動の基礎は確実に築けたと思う。

2010年7月23日金曜日

珈琲の味

 勤務先の社内レクで小樽に遊びに行った妻が、帰りに札幌駅ビルデパート(大丸)で、珈琲カップを買ってきてくれた。
 結婚以来、ほぼ毎日欠かさず珈琲を自分で入れて飲んでいるが、私と妻それぞれに、専用のカップを持っている。結婚当初は当然のようにペアカップだったが、月日の流れと共に、いつしかそれぞれが気に入ったデザインのカップを使うようになった。
 このあたり、互いの趣味や生き方を押し付けずに尊重するという、我々夫婦のあり方そのものをズバリ反映している。

 はっきり記憶にはないが、結婚以来4〜5個のカップを駄目にした。割れ物なのでいつか壊れてしまうのは仕方がなく、その都度違ったデザインの品に買い換えることで、いい意味での気分転換を図ってきた。


 いま使っているのは、確か7〜8年前に買ったもので、縄文土器風の素朴な色合いが気に入っていた。しかし最近になって色落ちがひどく、飲み口の部分はすり切れてしまって、まだら模様になっている。いつもならとっくに割れている時期だが、今回は無傷の最長記録を更新したかもしれない。
 しかし、使っていてかなりミットモなく、見るからにみすぼらしい。「安くていいデザインのがあったら、買っておいて」と、かねてから妻には頼んであったが、たまたま390円の手頃な品が3つ並んでいたという。
 390円ならば3つあっても良かったな…、と言ったあと、まてよ、今度割れたら、またその時にじっくり別のを探せばいいか、と思い直した。
 不思議なことにカップが変わると、珈琲の味が少し変わったように感じる。酒や歌もそうだが、同じものでも周囲の状況が変わると、味も違ってくる。
 珈琲の場合なら、味に珈琲そのものが占める比率は、およそ7割くらいではないか。他の3割は飲む場所、カップなどの調度、そして飲む本人の気分などに依存する気がする。

2010年7月21日水曜日

ウッドデッキ修復佳境

 まずまずの空模様で、気温も高く、30度を越す勢い。この機を逃してはならじと、目下の懸案事項であるウッドデッキ修復作業を一気に進めた。
 材料の下準備は大半が終わっているので、あとは塗料を塗り、乾かしながら同時に加工組立てしようという作戦。ウッドデッキは洗濯物を干したり、バーベキューを楽しんだり、DIYの加工をやったりと、使用頻度が非常に高いので、「床板を外したまま」の使えない状態には極力したくない。
 まずは交換すべき床板を外し、使える部分だけ保存し、切り捨てた部分を新しい材料で採寸し、ただちに保護塗料を塗る。普通は塗ったあとに数時間乾燥させるが、今日は塗るとすぐにビスで止めてしまった。
 腐って使えない材料は邪魔になるので、その場で短く切り、ゴミ袋に収納。まだ使える材料は細かいパーツに分け、パッチワークのように部分的に補修交換した。


 ウッドデッキは一時的に修羅場となったが、およそ3時間ほどで主な床板の交換は終了。一休みしたあと、数日前に新たに見つかった腐った床梁の交換作業を続ける。
 今回の床梁は丸ごと交換ではなく、腐った部分を縦に50ミリ切り取り、梁の高さを140から90に減らして対応した。つまり、新たな材料費やゴミを出さずに済ませたわけで、作業を重ねるうちに思いついた省力的手法。この技は梁の負担の少ない箇所なら、今後も使える。

 梁の交換は思ったよりも簡単に終わり、その後一気に床板のビスを止めた。残る作業は長さ3640の床板裏返しを4枚残すのみ。現段階で新たな腐食箇所は見つかっていないので、ウッドデッキ修復作業の先はほぼ見えた。

2010年7月20日火曜日

ミシンを自力修理

 穴が空いてしまって交換した道具袋だが、20年も使うと、こんなものにも愛着がある。底の厚板部を分解し、帆布の部分を洗って再利用しようと思った。
 こちらも長く使っているドリルの刃やドライバービットを整理収納する布製ケースがある。古いエプロンのリメイクだが、当初は必要十分だった大きさも、その後のドリル刃等の買い足しにより、一部がはみ出たまま使っていた。使い古しの帆布で、これを作り直したい。
 穴の空いた部分は避け、慎重に採寸して、最大長のドリル刃でもカバーできるよう裁断。得意のミシンを駆使して、写真のような布製ケースを作った。
 このケース、大工をやっていた父が同じものをノミの整理に使っていたが、いまはまるで見かけない。ヒモをほどき、忍者の巻物のようにスパッと床に広げると、(さあ、作業にとりかかるぞ)と、ヤル気が湧いてくる。

 ほぼ同じものを自転車の工具一式収納用にも作り、こちらもずっと使い続けている。プロの職人は自分の道具を実に大切にし、きちんと整理整頓して使っている。いい仕事をするための秘訣かもしれない。


 作業が終わってミシンを片づけようとしていると、横にいた妻が「私のズボンの裾上げをしてよ」と頼んできた。このところミシンの調子が悪く、工具ケースもだましだまし何とか仕上げていた。
 しかし、ズボンとなるとゴマカシはきかない。調子が悪いのは下糸で、いくらダイヤルで調整しても緩んでしまう。いわゆる「下糸の調子が弱い」という現象だ。
(この言葉、ミシンをやらない人には、まるでチンプンカンプンでしょう)
 そこで一念発起、ミシンを分解掃除することにした。怪しいのは釜の中(下糸のボビンケースが入っている部分)で、これまで一度も外したことのないネジまで緩め、釜をカラッポ状態にした。
 すると、内部にかなりのホコリがこびりついていて、付属のブラシでも容易にとれない。デザイン用の細いピンセットを使い、長い時間をかけてようやく全て取り去った。

 元通りに組立て、さて今度は大丈夫だろうと試し縫いしたが、状態はまるで改善せず、力が抜けた。気を取り直し、付属の説明書をよく読んでみると、「下糸の調子が弱い場合、ボビンケース本体のネジで調節するべし」とある。
 イラストに従ってテストしてみると、確かにネジがかなり緩んでいた。適正値に修正し、再び試し縫い。しかし、なぜか完全には復活しない。一連の処置には確信があったので、もう一度落ち着いて考えてみたら、あれこれいじったせいで、上糸のダイヤル調節値が大きくずれている。こちらも適正値に戻して、ようやく正常な縫い目に戻った。

2010年7月19日月曜日

使われてナンボ

 長く使ってきたものが、また二つ壊れた。ひとつは16年間使い続けたフィリップスの電気カミソリ。回転数がまるで安定せず、使っているうちに本体が熱くなってくる。どこかの回路がオカシイらしいが、もはや寿命であろう。
 幸いに、2年前に亡くなった父が入院時に使っていた電気カミソリが手元ある。療養中に一度紛失し、買い換えてすぐに亡くなったので、新品同様である。葬儀後に病室の片づけをしてくれた長姉から、「男の子はあなた一人だから、使いなさい」と渡された。
 いわば貴重な形見わけのようなもので、使用期間は短くとも、どこかに父の痕跡が残っている気がする。

 今朝は初めてこのカミソリを使ってみたが、あまりの高性能で振動が強く、持つ手が震えた。これまでのカミソリがよほど傷んでいたようで、その落差が大きい。まあ、そのうち慣れる。


 もうひとつは、こちらも20年近くは使った布製の道具袋だ。長男が中学生のとき、技術家庭の授業用に買ったものを、卒業後にもらった。袋には長男の名と当時の中学校名が記されている。
 帆布製で底に補強がしてあり、丈夫なので重宝していたが、キリやノミの出し入れの繰り返しで、あちこちに穴が空いてしまった。

 代替品を探していたが、なかなか適当な品がない。いっそ古い帆布製シートを使って手作りしようかと考えていたとき、居間のベンチ下収納で、何年も使われずに眠っている帆布製バックのことを思い出した。
 引っ張りだして工具類を入れてみると、測ったようにピッタリおさまる。所有者は妻だが、使う予定がないのでどうぞ、と鷹揚である。また穴が空くといけないので、キリやノミには樹脂製のカバーを装着することにした。
 今日も終日雨模様で塗装作業はできないが、この道具袋を使い、ウッドデッキの修復作業を一部続行した。これまでより入れ口が大きく、工具の出し入れが格段にやりやすい。

 調べてみると、京都の「一澤帆布製 トートバッグ」という人気商品。「一澤帆布」ブランドの店は現在休業中で、もしかするとかなりのレア物かもしれない。
(別ブランドの「信三郎帆布」が同等品を販売、営業中)
 道具袋にするにはちょっとモッタイナイが、道具もバックも使われてナンボ。これまでの安い袋でさえ20年も使ったのだから、今度もおそらく死ぬまで使えるでしょうよ。

2010年7月18日日曜日

うっふん

 スーパーへの買物につきあう途中の車中で、妻とこんな話になった。

「女が《ねぇ~、お願い。うっふん》と色気で迫ってモノを頼んできたら、たいていの男は断れませんな」
「そうね、男ってアナタも含めて、根本的にはスケベですものね」
「まあ、だから人類は滅びずに脈々と続いているのさ」などと。

 私の場合、この種の「最終兵器」を過去に使われた記憶はほとんどなく、使っても効かない男だということが、直感で分かるのかもしれない。当然のごとく、妻はこの種の武器を使う女ではなく、人にモノを頼むときは、完全なる直球正攻勝負が常である。


 こんなヨタ話のあと、買物を済ませてスーパーの駐車場に戻ったら、見知らぬ男性が近寄ってきて、「済みませんが、あの車をバックさせて、通路まで出していただけませんか?」と頼んできた。
 何のことかといぶかったが、車の横には愛犬を抱えた上品そうな中年女性。聞けば並列駐車で頭から停めたはいいが、ハンドルを切り返してバックで出すことができないのだという。くだんの男性は、通りすがりに女性から頼まれたが、オートマ車の運転ができず、たまたま通りかかった私に「依頼の依頼」をしてきたという面倒な話。

(バックで出せない場所に停めなさんなよ)
(自分の手に負えないことを、また頼みするなよ)
(ワンコロ抱えて、でかい車に乗ってんじゃないよ)

 などと、心中でブツブツつぶやきつつも、結局は運転席に座った。
 私の車はマニュアル仕様の軽自動車で、オートマの大型車は2年前に息子の車に乗ったきりで、運転にはまるで慣れていない。ツマラナイ事情で他の車にぶつけてはこちらが困るだけなので、慎重に操作し、どうにか目的を達成した。
 私に「また頼み」をしてきた中年男性、もしかして「うっふん」攻撃にやられたのか?
 それにしても、かの中年女性、いつもこうしてどこかの誰か(たぶん男性)に車出しを依頼しているのだろうか?そして彼女の「最終兵器」は、いったいあと何年機能するのだろうか?等々、帰路の車中での話題はつきないのであった。

2010年7月16日金曜日

たかがビス

 珍しく2日続けて晴れ、取り立てて仕事もないので、引き続きウッドデッキ床板の裏返し作業に励む。
 今日は初めて長さ3640の床板に取りかかった。昨日とはうってかわって、サビたビスはほとんどなく、作業はスイスイはかどる。陽射しは暑いが、庭の木々の葉が目深く茂り、ほどよい日陰を作ってくれる。
 長短5本の部材を交換したところで、今日の予定は終了。夕方には銀行へ行く用事があるのだ。


 床板を止める木用ビスの残りが少なくなってきた。気になって残数を数えてみたら、80本余り。まだ未着手の床板を全て裏返しするには、少なくとも100本以上は必要だ。これでは足りない。
 使っているのは長さ41ミリのビスで、最も汎用性が高いので、10年前に車庫の波形屋根を固定する際、まとめて1000本買った。その後いろいろなDIYで活躍してくれたが、ついに使い切った。たかがビス、しかし、なぜか月日の重みをヒシヒシ感じてしまう。

 交換すべき床板も今日でほぼ見通しがついたが、ざっと見繕って買っておいた長さ1820のヌキ板3枚で、どうにか足りそうである。
「裏返し作業は夏が終わるまでかかる」と先日書いたが、8月上旬までには終わりそうな予感もしてきた。今後の仕事と天気次第ではあるが。

2010年7月15日木曜日

命あるうちに

 仕事が一段落したので、ウッドデッキ床板の裏返し作業をまとめて4枚やった。短めの板ばかりだが、止めた木ネジがすべて錆びていて、およそ3割はドライバーが全く効かない。ネジ頭周囲をえぐり、プライヤーで挟んで回すなど、力技で取り去るしかない。
 電動ドライバーで普通に外す作業に比べ、数倍の手間がかかる。木製のデッキ床板の寿命はおよそ10年と考えてよいと思うが、(札幌の場合)戸外で使う木ネジ、木用ビスの寿命はもっと短く、およそ7年前後ではないだろうか。


 庭のラズベリーの実が少しずつ色づき始めた。天候不順で庭の花に一部異常が出ているが、ラズベリーに限れば今年も豊作。月末あたりには、収穫に追われるほど採れそうな感じだ。
 ラズベリーと同時期に採れるカモミールも、ボチボチ花が咲き始めた。そのほか、アジサイとラベンダーも咲き始めた。我が家の庭には8月以降に咲く花が皆無なので、いまがまさに百花繚乱の時期である。
 所属するライター集団の編集会議が午後6時からあり、車で出かける。かなり前から延々やっている共著に関する打合せだが、「もうすぐ出ます」といいつつ、はや7年。この間、メンバーが2人も亡くなってしまった。

やるべきことをやれるうちにやっておく
会いたい人には会えるうちに会っておく

 60歳過ぎたら、そんな意識を常にどこかに置きつつ、日々を過ごさねば。命は待ってくれないのだ。自分一人のことだと、思いついた考えを簡単に実行に移せるのだが、共同作業の場合そうはいかない。難しいね。

2010年7月14日水曜日

継続はナントカ

 1ヶ月ぶりに入った3棟分の仕事は、無事に終了。途中、別の取引先から「超特急」の割り込み仕事(他の作業を中断して対応する仕事)も入ったが、全体の行程を早めに進めていたので、すべて期限内に終わらすことができた。やはり数日前の読みは当たっていた。


 ウッドデッキ床板の裏返しも少しずつ進めているが、このところずっと不順な天候で仕事も忙しく、遅々として進まない。写真のように、短めの板がようやく5枚終わったところ。
 梁の腐食は床板にも及んでいて、傷んでいる部分は交換せざるを得ない。丸ごと全部交換すれば簡単だが、経費節減とゴミを増やさない観点から、それは論外。使える部分をうまくヤリクリし、最小限の交換で済ませるつもり。

 だいたい一日1枚のペースで進めているが、交換も含めて全部が終わる頃には、夏はきっと終わっていることだろう。それでもコツコツ続けてさえいれば、いつかは終わる。継続はナントカ、努力は裏切らない。

2010年7月12日月曜日

アイビーハウス

 明け方までW杯サッカーを見ていたので、昼まで死んだように寝ていた。気温が低く、終日冷たい雨が降り続いた。最高温度が19度くらいで、先月末の猛暑がウソのよう。
 月末の地域センターでのライブが、苦手な午前中開始。練習は日々ちゃんとやっているが、W杯サッカーも終わったので、じょじょにペースを昼型に戻してゆこう。
 2年前に車庫&物置の正面梁に取付けた、通称「アウターリース」の中に、最近になってようやく何かの芽が出た。
 これまでは庭の花の一部をわざわざ脚立に載って植え込んでいたが、今年は多忙のせいで、完全に放りっぱなし。構想では何らかのツタ系の植物を植えるつもりでいたが、写真のように勝手に何かの種が根づいてくれた。
 花は咲きそうにないが、楚々としてそれなりに美しい。「風街の家」には似合っている。


 今年は激しい雨でも車庫と母屋の隙間からほとんど雨水の漏水がなく、不思議に思っていた。いつもなら雪解けと同時に、玄関ドアや郵便ポストの上に落ちる雨水に悩まされるので、隙間をコーキング処理するのが春先の恒例作業だった。しかし、今年は全くやっていない。

(なぜだろう?)と、ずっと理由を考えていたが、あることに思い当たった。母屋の車庫側壁を取り巻くように繁っているツタのせいだ。
 ツタは今年になって、車庫上の壁から屋根を覆うようにびっしりと繁茂している。屋根や壁からの雨水は、このツタがクッションとなって下まで落ちてこないのだ。今日は雨のなか外に出て、それを直接確かめた。
 暑さを和らげる役目はかなり期待していたが、まさかそんな効用まであるとは、思いもよらぬこと。注意深く観察しているが、いまのところツタによる建物への悪影響はない。「風街の家」は、「アイビーハウス」でもある。

2010年7月10日土曜日

世渡りの強弱

 今年2月に歌わせていただいた市内のカフェ系ライブハウスのオーナーから電話があり、秋に同じ要領で再びセッションライブを実施するので、ゲスト出演しませんか?と誘われた。
 まだ随分先の話で、参加費もそれなりにかかるが、前回歌ったときの感触がとても良かったので、参加を即答。

 調べてみたら、前回はオリジナルを含め、シャンソン系の曲ばかり5曲を歌っている。次回の構成をどうするか、楽しみながらゆっくり考えたい。


 昨日入った新規の仕事は、夕方までにまず1棟分を仕上げた。予定よりも少し早いが、仕事であれ趣味であれ、物事が動き始めるときはバタバタとまとまって動き出すのが常。早め早めに手を打っておくのが身のためなのだ。
 流れが澱んでいるときは力を抜いて波間にフワフワ漂い、流れが速くなれば素早くその流れに乗る。そんな世渡りの強弱が分かってきたのは、ごく最近のことだ。年はとってみるもの。

2010年7月8日木曜日

cats&dogs

 朝方の激しい雨の音で目がさめた。学校で習った英語の慣用句で言うなら、「cats&dogs(どしゃ降り)」という奴で、まさにバケツをひっくり返したような激しい雨。
 休暇で家にいた妻が、早朝のW杯サッカーの再放送をBSで見ていたら、途中で突然「BSアンテナに不都合があります。点検ください」というメッセージが出て、映像が途切れたらしい。
 雨が止むと放送は復旧したというので、おそらく激しい雨がBSアンテナ表面に厚い膜状になり、電波が遮断されたせいだろう。

 以前にひどい暴風雪でBSアンテナ表面に雪がこびりつき、放送が途切れたことが一度だけあった。その時は長い掃除用モップを窓から伸ばしてアンテナ表面の雪をそぎ落とし、何とか復旧したが、豪雨による放送の寸断は初めて。長く住んでいると、実にいろいろなことが起きるものだ。
 話がそれるが、「cats&dogs」という慣用句、これまでてっきり「ネコと犬が大げんかしているような激しい雨音のこと」と思っていたが、先日ラジオで生粋のアメリカ人が全く別の説をとなえていた。

 それによると、ノラネコやノラ犬が多く、河川の整備されてなかったアメリカ開拓時代は、大雨が降ると水があふれ、水がひいた後には逃げ場を失った多くのネコや犬の溺死体が道ばたに転がっていて、そのような激しい雨のことを「cats&dogs」と呼ぶようになったとか。
 英語の先生から習った内容とは異なるが、なぜかこちらの説のほうに説得力がある。


 雨が小降りになったのを機に、午後から妻と共に外出。ヤマト運輸〜ガソリンスタンド〜郵便局〜銀行〜安売りスーパー〜ホームセンターと順に回り、いろいろな用を足す。生きている限り、さまざまな雑用から逃れることはできず、だからこそ退屈せずに日々暮らしてゆけるのだろう。

 ホームセンターでは、ウッドデッキの補修に使うヌキ板(18×105の木材)3本を調達。長さは1820だが、写真のように座席や運転の邪魔にもならずに、すんなり車に積める。
 ついでにいろいろな材料の下見をしたが、居間テーブルの天板に使えるMDF合板と、洗面所壁に使える安価なパネル材を発見した。ウッドデッキの補修完了後に、順次作業にとりかかる予定。
 生きている限り、DIYの虫は治まらない。

2010年7月6日火曜日

一件落着

 明日は実家のちょっとした補修工事に行く予定があるので、材料や道具をチェックし、早めに車に積み込もうとセンサーキーを押したら、全く反応しない。不思議に思ってドアを直接キーで開け、あちこち調べるうち、ふとあることに思い当たった。
(バッテリーが上がっているのでは…?)
 すぐにエンジンをかけてみたら、案の定ウンともスンとも言わない。ラジオも点かず、思いついて天井を見上げたら、ルーム灯のスイッチがオンになったまま。またやってしまった。
 時計を見ると、17時を少し回ったところ。明日は実家近くのフォーク居酒屋に行く用事もあるので、どうしても今日中にバッテリーは復旧させなくてはならない。
 実はちょうど1年前の6月末にも、同様の理由でバッテリーを上げてしまっている。その時は助手席の半ドアによるルーム灯の点けっぱなしが原因だったが、今回は単純なルーム灯の点け忘れ。

 自分の車が盗まれ、右往左往している夢に明け方うなされ、思わず飛び起きてしまったのだが、「車に関する重大なトラブル」という面では、ピタリ正夢であった。ちょっとコワいが、最近よくある予知夢現象。


 すぐに近所に住むNAOさんに電話し、車でレスキューに来てもらった。1年前にも頼んでいるので、要領にもすっかり慣れていて、作業は一瞬で終了。写真のブースターケーブルは30年以上も前に買ったものだが、もう何度もお世話になっている。
 すでに被覆があちこちはがれ、絶縁テープで修復しつつ使っているが、今後も使わないという保証はどこにもないので、そろそろ新品に買い換える時期かもしれない。

 NAOさんへのお礼は、とりあえず先日の自宅ライブのCD。当日は旅行で参加できなかったNAOさんは、とても喜んでくれた。まずは一件落着。
_昨日の深夜、車とは別の奇怪な現象が起こった。いつものように自分のHPにアクセスすると、(ほぼ毎日自分のサイトはチェックしている)いきなり画面が真っ赤に代わり、「このサイトはフィッシングサイトである疑いがあります。それでもアクセスしますか?」との警告が出た。
 何かの間違いだろうと構わずアクセスすると、サイトは表示されるが、右上のアドレス欄に赤い警告表示が出たまま。OSはMac、ブラウザはOperaである。

 フィッシングサイトとは、普通のページを装って他人の情報を盗もうとするサイトのことだが、全く心当たりがなく、そもそも私のサイトに個人情報の入力を促す欄など存在しない。
 冷や汗を流しつつ、他のブラウザで試してみると、Mac標準のSafariやFirefoxだと何ら問題なく閲覧できる。WindowsのExplorでも試したが、こちらもOKだった。
 その後、問題のあるOperaで詳しく調べてみると、ロシアにあるナントカというサイトが、私のサイトを「怪しい」とOperaに報告し、いわゆる「ブラックリスト」に載せたらしい。

 最近はOperaをよく使うが、私のサイトを訪問する人で、Opera使用者はほとんどいないことが分かっている。放っておこうかとも考えたが、痛くもない腹を探られ、一方的に不良サイトの烙印を押されたままなのはシャクなので、自分なりに再度検証してみた。
 すると、唯一心当たりのあるのは、メール送信の頁で使っている自分のアドレスの暗号化処理である。
_数年前から迷惑メールが激増し、何かよい手段はないかと画策し、見つけたのが自分のアドレスを暗号化してサイトに掲載する手法。これによって迷惑メールは頭打ちになったが、最近は暗号に対応していないWEBメールが増え、暗号化そのものにあまり意味がなくなっていた。
 しかし、そのまま残してあった暗号化のjavaスクリプトが、何らかのフィッシングサイトと疑われる可能性は充分にあった。

 ただちにそのjavaスクリプトはサイト上から完全削除。迷惑メールがほとんどこないと分かっているgooのWEBメールアドレスだけを単純に表示する手法に変えた。
 1日経った今日、もう一度Mac+Operaで閲覧してみると、フィッシング警告は表示されず、ごく普通に閲覧できた。やはり犯人は暗号化スクリプトだった。こちらも一件落着です。

2010年7月5日月曜日

持込み企画

 16時過ぎ、昨年11月にオープンした近隣のカフェに歩いて行った。徒歩だと20分強はかかり、妻と共に行くときは車だが、今日は一人なので散歩をかねている。
 店は4人ほどの先客がいたが、4時半を過ぎると私一人になった。実は今日の目的は珈琲ばかりでなく、秋以降のライブの場所探しもかねている。


 何度か行ってオーナー夫妻とも顔なじみなので、今日は初めて名刺を出して自己紹介し、ライブ関連のさまざまな資料も持参した。
 開店して間もないので、先方はまだまだ事業そのものの維持運営に忙しく、今後の展開など、具体的には考えていない様子だった。しかし、店の経営方針としては、「時には採算度外視でも、地元のために」というコンセプトが根底にあるという。
 そういえば、店のトップメニューには、「篠路ブレンド」という地元の地名がついたスペシャル珈琲がある。「地域に根ざした音楽活動を」という最近の私の考えと、その点ではピタリ一致する。
 とはいっても、やはりお店は経営が第一で、道楽やボランティアは、まず日々の最低限の糧を得てからのこと。私もシガナイ自営業者の端くれではあるので、その点は充分に理解できる。

 心情的には私の持込み企画に多いに共感していただいたが、具体的なことは今後の検討事項ということで、今日はお開き。しかし、仮にコンサートが出来ずとも、単に珈琲を飲みに行くだけで、充分くつろげる店である。