結婚以来、ほぼ毎日欠かさず珈琲を自分で入れて飲んでいるが、私と妻それぞれに、専用のカップを持っている。結婚当初は当然のようにペアカップだったが、月日の流れと共に、いつしかそれぞれが気に入ったデザインのカップを使うようになった。
このあたり、互いの趣味や生き方を押し付けずに尊重するという、我々夫婦のあり方そのものをズバリ反映している。
はっきり記憶にはないが、結婚以来4〜5個のカップを駄目にした。割れ物なのでいつか壊れてしまうのは仕方がなく、その都度違ったデザインの品に買い換えることで、いい意味での気分転換を図ってきた。
いま使っているのは、確か7〜8年前に買ったもので、縄文土器風の素朴な色合いが気に入っていた。しかし最近になって色落ちがひどく、飲み口の部分はすり切れてしまって、まだら模様になっている。いつもならとっくに割れている時期だが、今回は無傷の最長記録を更新したかもしれない。
しかし、使っていてかなりミットモなく、見るからにみすぼらしい。「安くていいデザインのがあったら、買っておいて」と、かねてから妻には頼んであったが、たまたま390円の手頃な品が3つ並んでいたという。
390円ならば3つあっても良かったな…、と言ったあと、まてよ、今度割れたら、またその時にじっくり別のを探せばいいか、と思い直した。
不思議なことにカップが変わると、珈琲の味が少し変わったように感じる。酒や歌もそうだが、同じものでも周囲の状況が変わると、味も違ってくる。
珈琲の場合なら、味に珈琲そのものが占める比率は、およそ7割くらいではないか。他の3割は飲む場所、カップなどの調度、そして飲む本人の気分などに依存する気がする。