夕刊の配達は16時過ぎで、予め新聞社から今日掲載になる旨の連絡があったので、外出や外仕事は控え、ギター弾き語りの練習をしながら、じっと電話が鳴るのを待った。
最初の連絡がきたのが、17時過ぎ。その後18時台に2本の電話があり、最初の電話の方が現れたのが、18時半ころ。さらにそのあと、6本の電話があった。合計で9人もの方が関心を示してくれたことになる。
しかし、この種の連絡は「早い者勝ち」が原則。いち早く情報を見つけ、すぐに行動に移すのも、ひとつの縁である。
差し上げたのは、弓、矢6本、矢筒、袴、弓がけ、その他細かい備品やケース類などで、唯一ないのがあまりに傷みがひどく、捨ててしまった稽古着。しかし、これ一式あればいつでも弓道を始められるというものだ。
手作り品も少なくなく、自分で丹念に作った矢筒や弦巻、姉に作ってもらった布製弓巻、弓がけを包む袋は妻の手製で、小物類を入れる布袋は自分で作った。それぞれに強い思い入れとタマシイがこもっている。
そんな大切なものをなぜ手放す気になったかといえば、もう使う事はないだろうという単純な理由から。学生時代は毎日のように練習に励み、社会人となったあとは結婚直後に1年間、札幌に戻ってからはさらに1年間、それぞれ弓道に打ち込んだ。
しかし、なぜか学生時代のように熱く燃えるものがない。その後、子供の活動をきっかけにのめりこんだサッカー、そして近年になって活動を再開したギター弾き語りの陰に隠れ、弓道の用具類は出番がないまま、物入れの奥で何十年もホコリをかぶっていた。
私の影響からか、末の息子が大学入学後に弓道を始めたが、さまざまな理由から1年で退部。二度と弓道をする気はないといい、我が子が道具類を引継ぐ可能性も消えた。
このまま放置すれば、私の死後に道具類は宙に浮く。遺品を整理する子供たちは、その処置に窮するだろう。燃えないゴミとして出すには大きすぎ、そもそもこの種の道具は、ゴミにするような代物ではない。
熟慮のすえに出した結論が、「弓道を愛する方に貰っていただく」というもの。買ってから40年も経つ古い道具もあるが、手入れをすれば、まだまだ使える。
玄関に現れた方は、まるで息子のような年代の方。身長が私とほぼ同じで、弓や矢、弓がけなども、そのまま使えそうだ。
以前に体験講座で一度だけ弓を引いたことがあり、強い興味を持ったという。しかし、用具類がどれも高価で、一社会人として所属する団体もなく、ずっと思いをくすぶらせていたらしい。
若き日に私が弓道に対して抱いた関心と酷似していて、貰っていただくのに相応しい方だ。こうして人から人へと道具が伝わってゆけば、私の想いも同時に伝わってゆくはずで、おそらくそこにこそ、私の生きてきた意味がある。