妻が職場から戻るなり、「NAOさんがくるよ、何だか昨日のライブのことで、話があるって」と言う。昨日はライブ終了後、午後6時まで2時間の茶話会があり、話は充分にしつくしたのでは?と思ったが、ともかく出迎えた。
話はライブ中盤で仕掛けた「歌謡劇」のことで、「伝えそびれたので、ぜひとも」ということである。
終了後の茶話会では、特に歌謡劇に関する話題はなく、手応えとしては拍子抜けだった。夕食後に妻に確かめたら、やや辛めの評価だったのは、昨日のブログにも記した通り。しかし、NAOさんの話によると、
「あまりに新し過ぎて、考えがよくまとまらなかった」
一晩寝て言いたいことがようやくまとまったので、伝えに来た。そういうことらしい。
似た反応が、37年前に初めて歌謡劇をしかけた際にもあった。当時は4曲20分の構成だったが、終わっても拍手ひとつ出ず、場は静まり返ったまま。(これは失敗だったか…)と後悔したが、実際はその反対だったことが、あとで分かった。
「構成が斬新で、語りとBGMのギターのバランスもいい。何より、シナリオの文章が研ぎすまされていて、心に深く残った。独特の世界観を感じる」というのがNAOさんの感想の要旨。作り手にとってこれ以上の評価はなく、素直に喜んだ。
全体の掲載は無理なので、シナリオの第1幕だけを掲載する。
歌謡劇《雨のち晴れ》~第1幕
その日は土曜で、学校の講議はなかった。家族は皆でかけていて、家には僕だけだ。独りで過ごすのは嫌いではない。でも、なぜだかその日は無性に誰かに話しかけたい気分だった。外は雨だった。窓から外を見ると、小さな雨つぶがガラス窓にたくさん並んでいる。その雨を見ているうちにふと思った。(公園に行ってみようか…)公園で何か面白いものが見つかるかもしれない。そう思うと、僕はドアを開けて外に出た。公園に人影はなかった。僕は公園の椅子に座って、ぼんやりと灰色の空をながめた。雨は空の彼方からつぎつぎと生まれてきて、公園のかたすみに小さな水たまりをいくつも作った。雨はまるでメダカがはねるみたいに、水たまりの上にあとからあとから降りそそいだ。僕は誰もいない公園で、飽きることなく、じっとそれを見続けた。(…「雨が空から降れば」)
NAOさんが特に印象に残った部分は、この第1幕の後半部、雨の描写である。実はこの箇所の記述には、一編の詩としても遜色ないよう、かなりの時間を費やした。
「歌はカバー曲でなく、いっそすべて書き下ろしのオリジナル曲にしてはいかがですか。全体の完成度が増すと思いますが」
とNAOさんは提案する。歌謡劇はストック分も含め、これまで4作品作ったが、曲まで含めて全てオリジナルで、という試みは一度もやっていない。しかし、昔なら無理だが、いまならやれるかもしれない。
NAOさんは自身も人形劇の活動を長年続けていて、オリジナル脚本も持っている。いわば形を変えたクリエイターで、創作に対する感覚の鋭さの背景は、そのあたりにもある。
「ノレンに腕押し」と思っていた歌謡劇が、思わぬ展開を見せるかもしれない。それにしても、貴重なヒントをいただいた。次回もまたやってみようか、という気になってくる。