午後から実家に行き、来年の家計簿を母に渡し、底をついていた灯油を手配し、いただき物の果物を仏壇に供えて暮れのお参りを済ませる。いろいろとあったが、どうにか今年も年を越せる。
母は物忘れが進んではいるが、病気知らず病院知らずの健康優良高齢者。自分の年を80代後半であることは分かっているが、正確に何歳であるかは把握していない様子。
とかいいつつ、もうすぐ還暦の我々夫婦も、時に自分がいくつであったか分からなくなるくらいだから、ある年齢を過ぎれば年なんぞいくつであっても、たいした問題ではない。
父が生きていたころ、「これまでの人生は長かったかい?」と聞いてみたことがある。確か80歳を過ぎたあたりで、父は即座に「いや、あっと言う間の80年だった気がするな。この調子だと90、100もあっという間だろう。生きていればの話だが…」と応えた。
実際に父はその後「あっという間」の13年を生き、今年の春に世を去った。
同じような話を母からも聞いた。やはり母が80歳を過ぎた頃で、「ボヤボヤしている間に、私しゃもう80だよ」と、少し不安気な表情で訴えられた。その母が60歳を過ぎた今の私くらいの頃には、「死ぬのは少しも怖くはない」と事あるごとに言っていた記憶がある。しかし、最近ではこの言葉は一切口にしなくなった。
あくまで私の両親の場合だが、80歳を過ぎたあたりから自分の命の行く末について、具体的に考えるようになったらしい。そして共通しているのが、「あっという間の人生」という実感である。
この感覚は59歳を過ぎた「人生まだまだ青二才」の私も同様であり、これまでの人生は充実してはいたが、あっという間だった気がする。独立開業した32歳から50歳までは事業の構築に忙しく、それなりの時間の積み重ねを感じたが、子育てが終わって暮しの先行きも少しは見えてきた50歳を過ぎてからが、特に早い。
父の言い分ではないが、この調子だと、70、80歳もおそらくあっという間。もちろん、「生きていれば」の前提である。
「この前生まれたと思っていたら、もう還暦だよ。人生、あっという間さ」とたまに妻に軽口をたたくと、妻は決まってムキになってこう反論する。
「私の人生、決して『あっという間』じゃなかったわ」
妻がこう言い切るには訳があるのだが、その子細はふれない。多くをオブラートにくるんで実態を分かりにくく見せているブログやサイトが巷には溢れているが、私は全くその正反対の道を歩んでいる。本名も年齢も顔も住処も、すべてがガラス張りのアケスケ。
しかし、何もかも書いているように見えて、実は決してそうではない。それが公共性の強いブログというもの。ヒンシュク承知で書くなら、これが「書き手の仕掛けたワナ」というヤツである。
で、「あっという間」の続き。実はこの問答、以前に娘にもふっかけてみたことがある。20歳過ぎたばかりの娘に、これまでの人生の長さを問うこと自体がナンセンスかもしれないが、その議論はさておこう。すると娘はこう応えた。
「あっという間だったけど、その時間はとても濃くて、充実していた気がする。だから、きっとそれはいいことだったのよ」と…。
やっぱりね。