2017年4月30日日曜日

予期せぬノーマイク

 近隣の小規模多機能ホームで初めて歌った。以前に地区センターで知り合ったM子さんが昨秋から勤めている、開設して間もない施設だ。
 ネットで私の連絡先を探し当て、ライブを依頼されたのが3月末のこと。4月上旬に会場調査をかねたプロジェクター投影のテストをやり、準備は万全のはずだった。

 イベントは「花祭り」と称して、お茶やお香に私の歌をからめるという趣向。施設として初めてのイベントにしては歌単独でないことに、やや不安があった。
 13時45分に会場入りし、機材をセット。音響のほかにプロジェクター投影の機材があるので、普段の倍近い10分を要した。
 テストのときは晴天で歌詞が見えにくかったが、今回は小雨模様で室内は暗い。背面のカーテンを閉め、スクリーン前の照明をひとつ消すと、不完全ながらも歌詞はどうにか読めた。
 14時ちょうどに歌い始めたが、複合イベントのせいか始まり方がやや曖昧。ライブの開演宣言と自己紹介は私自身の主導でやった。
 1曲目を歌い始めると、職員さんから突然待ったがかかる。音が大き過ぎるので、落として欲しいという。マスターボリュームを30%ほど絞ったが、再開すると再度のストップ。これを計3度繰り返したが、何度調整してもOKが出ない。
 やむなくPAのスイッチを切ってノーマイクで歌ったら、ようやくOKが出た。長く歌っているが、介護施設系でノーマイクで歌った例は過去に一度だけで、しかも自主的に仕掛けたものだった。

マイクはあるが、音は切れた状態

 事前のマイクテストを怠ったツケだが、会場自体は充分に広く、他の施設なら間違いなくマイクを使っている。しかし、施設側の要望なので、従わざるを得ない。
 以降、想定外のノーマイクで1時間10分、全18曲を休憩なしで一気に歌った。

《セレクトタイム》
「二輪草」「蘇州夜曲」「おかあさん(森昌子)」「みかんの花咲く丘」「恋のしずく」「恋の町札幌」

《リクエストタイム》
「酒と泪と男と女」「アカシアの雨がやむとき」「ブルーシャトー」「リンゴの唄」「川の流れのように」「青い山脈」「舟唄」「人生一路」「雪國」

《うたごえタイム&アンコール》
「上を向いて歩こう」「丘を越えて」「北酒場」
 自由参加ということもあって、開始時点で聴き手は10名ほど。マイクが使えないという予期せぬ事態で気持ちがすっかり引いてしまったが、このところの過密スケジュールへの対応でPA一式は自宅玄関ホールに置いたまま。日々の練習はずっとノーマイクでやっていたので、声はまずまず出た。

 しかし、マイクを使わない歌唱には、ある程度の準備も必要である。特に低音部の発声や強弱のつけ方が難しい。しばらくは手探りの進行が続いたが、6曲目を終えた時点で、突然M子さんからリクエストの提案がある。
 時計は20分ほど過ぎたところで、リクエストタイムには早すぎる気がしたが、場がやや沈滞気味だったので、気分を変えるには絶好と判断。即座に応じることに。


 事前にリクエスト一覧は配ってなかったが、準備だけはしておいたので、ただちにM子さんに手渡す。A4だと文字が小さいとのことで、施設のコピー機でA3に拡大して配布した。

 やがて出たリクエストが、リスト一覧にはない「奥飛騨慕情」。この曲はそもそもレパートリーにもない。「一覧表にある曲をお願いします」と、再度告げる。
 職員さんや聴き手もようやくこちらの意図を理解してくれたようで、以降次々とリクエストが出た。やはりここでも人気は昭和歌謡系である。
 歌い始めは立ち込めたお香の匂いが喉に苦しく、野点ふうの設定で抹茶とお菓子が順番に利用者に配られ、会場は落ち着かない雰囲気が続いた。
 ライブ前半はBGM的なガマンの進行だったが、30分が経過してリクエストが順調に出るようになってから、ようやく聴き手が歌に集中してくる気配を感じた。
 音を聴きつけて居室から会場に現れる利用者も増え、終わる頃には20名近くに達する。聴き手も職員さんもライブ自体に不慣れのように感じたので、リズミカルな曲には事前に手拍子を促した。

 進行はある程度任されていたため、1時間が経過した時点でリクエストを打ち切り、ラスト用に歌詞を拡大して準備した「上を向いて歩こう」を全員で歌う。
 アンコール2曲は利用者から出た自然発生的なもの。M子さんはもっと歌って欲しいような感じだったが、心身に負担のかかるノーマイク歌唱でもあり、聴き手の体力を考慮すると、時間としては妥当なところだろう。

 終了後に近寄って声をかけてくれた方が数人いたので、難しい条件がそろった割には、結果的にライブは成功だったと自己評価したい。初めて本番で使った廉価プロジェクターでの投影は外の曇天にも救われて、まずまず使えた。

2017年4月29日土曜日

久々に自分用フライヤー

 思いがけず6年ぶりにカフェライブをやることになり、久しぶりにフライヤー(ポスター)を作った。ライブハウスからの依頼ではよく作るが、自分用に作ることは最近では稀。
 先日の打合せ時に概要は決めてあり、サンプルとして過去に作った2種類のフライヤーを持参したら、店主のK子さんは、白石イベント広場用に作った私の写真入りがよいという。
 無料公開ライブで、単に知人への連絡用に作ったものなので、カフェライブ用として大幅に手直しする必要がある。2つの写真だけはそのまま転用することにし、他の体裁を整えた。
 途中で2つのライブがあり、仕上げるまでけっこうな時間がかかったが、昨日ようやく完成して、ただちに画像をFAX送信。(先方はメールに不対応)
 今日になって返事がきて、基本的にはOKだが、開始時間を早めて14時にして欲しいとのこと。
 最初の打合せでは夕方に始めて18時ころに終えたい、との意向だった。演奏時間1時間半として、16:30〜18:00である。しかしこれでは遅すぎると、ライブに関心を示した方(大半が中高年の女性)から指摘を受けたらしい。


 聴き手の中心が中高年女性の場合、多くは早めのライブを望むもの。早く始めて早く終わり、帰路に夕食の買物でもして家路に着く、というのが標準的なパターンである。歌い手はとかく暗くなる時間から始めたがる傾向にあるが、中高年のニーズは違うところにある。
 夕方開始のライブは別の層を対象にした別の機会に、ということになり、今回は介護施設系ライブにならって、早めに始めることになった。
 他の保留事項だった料金やドリンク類の内訳なども決まり、A4版1枚とA6版20枚とを一気に印刷。まだ1ヶ月先だが、明日には先方に送る。
 有料のカフェライブとはいえ、お店に足を運んでみた印象では、形態は地域のコミュニティカフェに限りなく近い。開始時間や料金などもそれに準じたものになりそうだ。

2017年4月28日金曜日

なかなか終わらない

 年に3〜4回ペースで招かれる近隣のデイサービスで歌った。数えて今回が9度目のリピート依頼で、今年に限っても2度目。私が歌うときは必ず聴きにきてくれる利用者の方もいて、長く確かな信頼関係が続いている場である。

 前回は終わり方がスッキリしないという反省点があったので、今回は施設長のKさんにラストで一緒に歌って締めましょう、と約束していた。
 そもそも職員さんと一緒に歌い収めるというアイデアは、かなり前にKさんから出たもの。なかなか評判がよいので、他の施設でも真似たりした。
 いつもは「あの素晴しい愛をもう一度」「青い山脈」などを歌っていたが、今回は趣向を変えて「また逢う日まで」を共に歌うことになっていた。音合わせが必要なので早めに施設に行くと、Kさんが肺の不調で歌えず、別の職員を代役にしたいという。

 その代役である若いAさんと急きょ打合せ。あいにく「また逢う日まで」は知らないという。希望は「糸」だったが、曲調がラストの盛り上がりには欠ける。そこでもう1曲追加しようと考えたが、AKBの「365日の紙飛行機」を挙げたら、歌えないという。では「上を向いて歩こう」は?と問うと、ようやくOK。
 時間がないので、キーと前奏や間奏からの入りだけを確認。私はあまり歌わず、伴奏に徹することにした。


 予定ぴったりの14時に開始。このところ時間には正確だ。予定を大幅に超える1時間15分で20曲をノンストップで歌う。

《セレクトタイム》
「二輪草」「蘇州夜曲」「おかあさん(森昌子)」「みかんの花咲く丘」「恋のしずく」「僕の胸でおやすみ」「みんな夢の中」「南国土佐を後にして」「港が見える丘」「ミネソタの卵売り」

《リクエストタイム》
「まつり」「愛燦燦」「夜霧よ今夜も有難う」「星影のワルツ」「古城」「くちなしの花」「白いカーネーション」

《コラボ&ゲストタイム》
「糸」「上を向いて歩こう」(「詩吟〜黒田節」)

《アンコールタイム》
「川の流れのように」
 開始前に進行の方と打合せて、30分経過したあたりでリクエスト一覧を会場に配り、後半のリクエストタイムにつなげることにした。
 曜日によって多少傾向は異なるが、場としては概ね傾聴型。従ってニギヤカ手拍子系の曲はほとんどない。場は静かだが、いつものように手応えには確かなものがあった。

 8曲目の「南国土佐を後にして」を終えた直後に、職員さんにリクエスト用紙を配っていただく。配布中は歌への集中が落ちるが、MCでつなぐことはせずに、そのまま歌を続けた。
 9曲が終わって場にリクエストを求める。しかし、声はない。続けて10曲を歌い終えたあとで、再度求めると、まず「まつり」のリクエストが出た。以降は堰を切ったようにリクエストが続き、場をつなぐ心配は消えた。だいたい他の会場と同じ傾向である。

 非常に珍しい「白いカーネーション」のリクエストは、最後の最後に施設の看護師さんから出たもの。この施設では職員さんのリクエストもよくある。多くは利用者が出尽くしたあとなので、求められれば応じている。
 14時55分から予定通り職員さんとのコラボ演奏が始まる。ごく簡単な音合わせだった割に、出来はまずまず。最後に施設側からの要望で、利用者代表の「詩吟〜黒田節」が披露された。80歳くらいの女性だが、堂々の発声は見事なものだった。
 終了予定時刻はとっくに過ぎていたので、ようやくこれでお開きと思いきや、進行の職員さんから、信じ難い言葉が。
「それではアンコールで菊地さんにソロでもう1曲、『川の流れのように』を歌っていただきましょう」
 この経緯はよく分からない。PA類の電源はすべて落とし、ギターシールドも抜いていた。電子譜面だけはスリープ状態を保持していたので、急きょ再起動。ともかくも、要望には応えることにした。

 最終的に1時間15分が経過していたが、この施設でこれほど長く演ったのは例がない。(過去の演奏時間は全て記録してある)しかし、施設側にも利用者にも喜んでいただけたことは間違いないので、よしとしたい。
 この施設では初の試みだった一覧表配布でのリクエストタイムは後半の進行がやりやすく、利用者の嗜好もよく分かって成功だったと思う。予想はしていたが、利用者の要望は全て演歌系の曲だった。
 終わり方に関しては前回よりはマシになったが、もう少しスッキリさせたい。気力体力的には厳しいが、聴き手が満足するまでリクエストタイムで延々引っ張り、時間切れを待つ、という終わり方が案外いいのかもしれない。

2017年4月27日木曜日

内と外に花咲く

 忙しさに追われているうちに、南側軒下に植えてあるムスカリが、いつの間にか満開状態になった。ほとんど構ってやらないが、毎年たくましく可憐な花を咲かせる。見習いたいね。


 歩調を合わせるように、一昨年から2階の窓辺で育てている多肉植物、「ハオルチア属、十二の巻」から突如伸びた茎にも花が咲いた。
 こちらは昨年も2度に渡って花を咲かせたが、余程条件がいいのか、2年続きの開花。多肉植物が開花することは珍しいと言われているが、吉兆と信じてみたいキモチ。

右端に一輪咲いた。他の蕾も順に咲き続ける。

2017年4月26日水曜日

リクエスト相次ぐ

 今年6度目となる市の介護予防事業関連の場で歌った。いつものように開始は10時。声の出にくい午前中ライブだが、最近は少し慣れて、どうにかミスなく乗り切る術を会得しつつある。

 雪も消えてタイヤも交換したが、車の流れは冬とあまり変わらず、50分かかって会場に着く。ただちに機材設営にかかり、開始10分前にはスタンバイした。
 会場がやや狭く、プロジェクター投影をどうするかセンター職員の方と協議。やはりあったほうがいいでしょうということで、プロジェクターを最前列の椅子に置き、白いクロス張りの壁に投影してみると、まずまず見える。扉の枠で画面が分断されたが、譜面の中央切れ目に枠を配置することで、うまく回避した。


 集まった聴き手は約20人。全員が女性だった。事前に情報を得ていたので、構成にはある程度配慮した。予定ぴったりの10時に始まり、休憩なしの1時間半で22曲を一気に歌う。

《セレクトタイム》
「釜山港へ帰れ」「みんな夢の中」「恋のしずく」「さくらさくら」「青春時代」「僕の胸でおやすみ」「箱根八里の半次郎」「南国土佐を後にして」「いい日旅立ち」

《リクエストタイム》
「青い山脈」「上を向いて歩こう」「高校三年生」「星影のワルツ」「みかんの花咲く丘」「浪花節だよ人生は」「ワインレッドの心」「山谷ブルース」「さざんかの宿」「愛の賛歌」「人生一路」「なごり雪」「ブルーシャトー」
 この日は同じ町内会のメンバーがそろっていたようで、開始前からある種の統一感が会場に漂っていた。連日のライブで喉の調子は必ずしも万全ではなかったが、1曲目から手応えは熱く、熱心に耳を傾けてくれる。
「いい声してる!」と、曲間での声援も相次いだ。

 順調に8曲目まで終わって、約30分が経過。いつものように声をかけ、リクエストを募ってみた。場の反応からして、すぐにリクエストが出るものと期待していたが、なぜか誰も声をあげない。
 最前列のリーダーと思しき女性から、「聴いてるだけで充分楽しいですから、どんどん歌ってください」と言われ、それではと準備してあるリストの続きを歌う。


 9曲目の「いい日旅立ち」を歌い終えて、再度場にリクエストを求めてみた。するとようやく「青い山脈」の声が出る。聴き手の目は一様に輝いているが、メンバー全員が女性ということもあってか、真っ先に声をあげることに遠慮があるようだった。
「青い山脈」はラストのうたごえタイムの候補曲だったが、ここは素直にリクエストに従うべきだった。「どうぞみなさん、ご一緒に」と声をかけ、少し早めのシングアウトふう展開に持ち込む。

 これがきっかけとなり、次々と似た傾向のリクエストが飛び出す。大半の曲をみなさんが一緒に歌ってくれた。いわゆる「聴いてもらう」展開ではないが、ライブの楽しさという面では、十二分に満足できる流れだった。
 場の反応から、今回は歌詞を省略せずにフルコーラスを歌う曲が多かった。時間の割に曲数が少なめなのは、そのせいである。
 11時を回って、そろそろまとめに入る時間だったが、なぜかここでフォーク系のややマニアックなリクエストが相次ぐ。それに釣られるように、定番演歌のリクエストも続き、時計はいつしか予定時刻を過ぎて、終わるきっかけを失ってしまった。
 場が乗っている証で、歌い手としてはありがたいことだったが、ちょっと困ってセンター職員のKさんに判断を委ね、残2曲のリクエストで終了と決まる。
 結果として普段は必ずやるラストのシングアウトが出来ずじまいだったが、途中でたくさん一緒に歌ってもらったので、今回に限ってはこんな終わり方でもよかった。

 進行面では運営や機材設営以外に、リクエストの受け渡しでもセンター職員さんのご協力をいただいた。普段接している方のほうが初対面の歌い手よりも話がしやすいのは、介護施設と同じである。
 ライブがうまく運ぶには、単に歌の出来不出来以外に、いろいろな要素が複雑にからんでいるもの。まさにライブは生き物である。

2017年4月25日火曜日

タイヤ交換と自作収納袋

 忙しさに追われてずっと延ばし延ばししていたが、ようやく冬タイヤを夏タイヤに交換した。春の交換はタイヤローテーションをやる時期だ。毎年4000キロくらいしか走らないが、気休め的にやっている。
 午後から買物があるので、作業は午前中に開始。このところ腰の調子がいまひとつなので、用心して事前にコルセットを巻いた。無理をせずにゆっくりやったので、いつもより長めの1時間かかった。


 昨秋の交換時にタイヤを入れるビニール袋が破けて使い物にならず、応急処置で古いテント生地を巻いておいたのを、すっかり忘れていた。他にも破れている袋があり、まとめて袋を作るつもりだったが、すでに13時過ぎ。昼食をかねて買物に出る時間である。
 袋作りは戻ってからやることにし、タイヤは4本まとめて臨時にシートをかけておいた。
 回転寿司で昼食→ガソリンスタンドでセルフ給油→その場でタイヤの空気圧調整→トライアルで食料調達、ここまで終わって15時20分。その後、昨日のカフェ打合せ帰りに寄った100均ダイソーへと回る。
 実は昨日買った40WランプがLED灯ではなく、普通の白熱灯だった。他にもいろいろ買ったので、気づいたのは家に戻ってから。買ったダイソーは少し遠いが、不要なものは持っていたくないので、返品してきた。
(欲しかったLED灯は品切れだった)


 あれこれ手間取り、家に戻って珈琲を飲んだら、16時半近くになっている。疲れていたが、気を奮い立たせてタイヤ収納袋作りにとりかかった。

 20歳のときに自転車日本一周した際に使ったツェルト(簡易テント)の生地を再利用する。昨年までは西側ウッドデッキ上の遮光シートに転用していたが、秋の強風で破れてしまい、廃棄寸前だった。
 しかし、タイヤの袋としてなら、まだ充分使える。破れた部分を避けつつ、ざっと4つに分割。不要なロープや金具を取り去り、タイヤが収まる寸法に裁断。ミシンで縫い合わせたら、同寸法の立派な袋が4つ完成した。

 元がテント生地なので、強度や防水性もそれなりにある。青春の思い出に満ちたテントの、おそらくは最後の役目となるだろう。
 買えばそれなりの値段はするが、タイヤ交換と同じで、自分でやれば費用はかからない。これぞ耐乏生活の極意。

2017年4月24日月曜日

カフェライブの長短

 知人のR子さんの紹介で、近郊都市にあるカフェに新規ライブの打合せに行ってきた。
 R子さんとは昨春にチカチカパフォーマンスの聴き手として知り合ったが、私の歌をたいそう気に入っていただき、CDを2枚買ってくれたうえに、公開ライブにはいつも来てくれている。
 歌う場もいくつか紹介してくださったが、今回のカフェもそのひとつ。オーナーがお店で歌ってくれる人を探していると知り、私を推薦してくれた。ありがたいことだ。
 自宅からカフェへの途中にあるJR駅でR子さんと待合せ。徒歩で来るものと思っていたが、サイドミラーに赤いバンダナを巻いた珍しい車が停まっていると思ったら、運転席で手を振るのがR子さんだった。
 車で先導してもらい、カフェに到着。ここからは私一人でお店に入り、初対面のママさんにご挨拶して具体的な打合せをした。


 歌そのものを聴きたい人が集まってくるので、歌い手としてカフェライブは魅力がある。騒音はあまり気にしなくてよく、聴き手は椅子に座って珈琲など飲みつつ、落ち着いて耳を傾けてくれる。オリジナルCDの販売もだいたいOKである。
 難しいのは経営的な面での折り合いで、たいていの場合は店側から歌い手自身による一定数の集客を求められる。
 いわゆる「集客ノルマ」というもので、営利追求を主目的としないコミュニティカフェの類いでは無縁な話だが、一般のカフェやライブハウスの場合、経営面を第一に考えるのはごく当然なことだろう。

 10年近く前は頻繁にやっていたカフェ系ライブをぱったりやめてしまった背景は、この集客ノルマにイヤ気がさしたからだ。
 どんなに親しい間柄でも、ライブ参加依頼が度重なると、さすがに気が引けてしまう。仮にプロの歌手でも、ほどよいライブ参加間隔は年に1〜2回ではないか。
 今回のライブ打診に関してこちらから申し出た条件は、この集客ノルマが一切ないこと、そして18時くらいまでに終了することの2つである。ガン手術後3年が経過したが、まだ寛解とは言い難い。何かと負担の多い夜のライブは当分避けたい。
 この2点はお店の常連客であるR子さんから事前に伝えていただき、内諾を得ていた。今日はその確認をまず行い、私の経歴書やレパートリー一覧、公的空間むけの案内状、オリジナルCDなどの各種資料を直接お渡ししてきた。

 2時間以上もお店にいたが、基本的には歌わせていただけることで合意。具体的な実施期日とライブ内容、入場料金、歌う位置、必要機材やフライヤーのデザインなど、かなり細部まで煮詰めることができた。
 実施は5月末の土曜で、最近各所で評価の高いランダム・リクエストスタイルでやる。お店として客の嗜好が絞りきれないそうで、初回としては無難な選択と思われる。
 およそ6年ぶりのカフェソロライブ、思いがけない経緯から実現しそうだ。

2017年4月23日日曜日

疲れを感じつつも歌う

 有料老人ホーム誕生会余興で歌った。今回が通算7度目の依頼で、足掛け10年にも及ぶ細くて長い信頼関係が続いている。

 4日間で3度目という過密スケジュールなので、さすがに疲れを感じた。自宅でのリハは軽めにし、本番に備える。
 14時25分に先方に着き、14時40分から誕生会が始まる。施設側のイベントのあと、予定通り14時45分からライブ開始。およそ35分で11曲を歌った。
「北国の春」「蘇州夜曲」「おかあさん(森昌子)」バラが咲いた」「二人は若いさくらさくら」「南国土佐を後にして(初披露)」「港が見える丘」「人生いろいろ」「月がとっても青いから」「また逢う日まで」


 入居者の入替えがあまりない施設で、歌う回数が増えるにつれ、マンネリ化が懸念された。幸いに春に呼ばれたことは一度もなく、今回は過去に歌っていない春系の曲で構成できる。

 場としては完全に傾聴型で、全体的に大人しい。いつものように手拍子系や聴き手参加型の曲は避け、叙情系の曲を中心に歌い進んだが、5曲目の「二人は若い」から、一人の男性職員の方が突然会場の中央で大きな手拍子を取り始めた。
 全く予期しないことだったが、これにつられて会場のあちこちで小さな手拍子が起きる。
 以降も手拍子が途切れることはなく、つられて他の職員さんも加わる。後半の構成がたまたまリズミカルな曲が多かったこともあって、この施設では珍しく「参加型」のライブに変貌した。

 誕生会には必ずお茶とケーキが出され、職員さんはその配膳作業に忙しく、利用者の方々は食べるのに忙しいという難しさがある。しかし、たとえ一人でも職員さんの参加があれば、ライブの有り様は大きく変わることを改めて学んだ。
 本来なら歌い手である私自身が上手に盛り上げられたらいいのだが、残念ながらそこまでの力量は持ち合わせていない。日頃から接している職員さんに、つい期待してしまうのだ。

2017年4月21日金曜日

無事に代役を務めた

「予定していたボランティア演奏の方が急病で…」と、見知らぬ電話があったのは、つい先日のこと。デイサービス開設10周年記念イベントの予定に穴が開いてしまい、先方はかなり困った様子。
 要は代役として歌っていただけないか、との急なライブ依頼である。4月は例年にない過密スケジュールに追われていたが、先方の希望する日は奇跡的に空いている。もし受けると3連続ライブとなってしまうが、困ったときはお互い様。特に縁も義理もなかったが、お受けすることにした。
(その後予定のライブが施設内インフルエンザで順延になり、2連続ライブに軽減)
 施設は市内の円山公園西側にあり、自宅からはかなり遠い。グーグルマップで事前にシミュレートしたら、渋滞なしの場合で50分かかる。用心して開始予定の1時間10分前に家を出た。
 藻岩山麓の急斜面にコンクリート造の大きな施設が何棟も立ち並び、どの施設に行けばよいのか分からず、少し迷いながらも開始15分前には無事に到着した。


 会場はフロアから一段高い位置にある広いステージ付で、立派な音響設備とスポット照明があり、ステージ前には電動式の幕までついている。音響やマイクは持参のものを使うことにし、手早く準備。
 予定ぴったりの14時10分にイベントが始まり、施設長さんの挨拶などあって、14時12分からライブは始まった。予定外のアンコールを含め、およそ45分で14曲を歌う。

「北国の春」「蘇州夜曲」「おかあさん(森昌子)」「釜山港へ帰れ」「バラが咲いた」「幸せなら手をたたこう」「高校三年生」「さくらさくら」「恋のしずく」「港が見える丘」「人生いろいろ」「月がとっても青いから」「また逢う日まで」「丘を越えて(アンコール)」
 聴き手は当初25名ほどと聞いていたが、直前にケアハウスの利用者も合流することになり、50名は超えていた。
 デイサービスは比較的新しい曲を好むが、今回の施設は年齢層が80〜90歳と高めだという。そこで新旧の曲をミックスして構成し、初めての施設ということで定番曲も要所に入れた。


 歌う曲目と順番は事前にFAXで連絡してあり、全曲の歌詞をプリントした歌詞集が利用者に配られていた。
 聴き手が常に下を見ているので、プロジェクター投影に比べると歌いながらのコミュニケーションはとりにくいが、大半の曲で共に歌う声がステージまで届き、ライブのうたごえ風展開という意味では、いい雰囲気を作れていたと思う。

 前日にトラブルのあったPAは、固定金具を再調整したこともあってか、特に問題なく機能。2日連続の割には喉の調子もよく、ライブは尻上がりに熱を帯びて、先方の希望通り40分で終えた。
 終了後、進行の方から打合せにはないアンコールの声がある。場の雰囲気からして、(もしかすると…)と思っていたので、ありがたくお応えした。
 利用者の方からも「よかったよ〜」との声が複数湧き上がり、担当のIさんを始めとする職員さんからも喜ばれた。単なるピンチヒッターだったが、充分期待にはお応えできたと思う。

2017年4月20日木曜日

音響トラブルにもめげず

 今年1月に初めて試み、思いのほか好評だった白石区役所まちづくりイベント広場での「チカっと叙情歌サロン」の2度目を実施した。初回は全くの手探りで何かと不安もあったが、2度目ともなると予約手続きや当日の進行手段など、いろいろな面で慣れた。
 この日は広場の予約が私のみ。前回同様に妻を伴って12時ちょうどに家を出る。12時半に区役所に着き、駐車場も会場に近い場所が1台分空いていて、幸先がよかった。

 まず保安センターで使用許可書を提示し、倉庫の鍵を受け取る。その後持参のオニギリを食べ、12時50分に広場に向かった。知人のTさんとその友人2人がすでに会場にいて、挨拶を交わす。ただちに会場の設営に入ったが、前回とは微妙に会場の備品配置が変わっていて、少し戸惑った。
 騒音対策なのか、会場周囲が透明なパーティションで囲まれている。どこで歌うべきか迷ったが、結局前回通りに、カフェや店舗を背負った位置にステージを設営した。


 前回、後半になって椅子が足りなくなったので、今回は6脚増やすことにした。中央の通路をはさんで4脚ずつを左右セットにし、3列並べた。つまりは24席だ。
 今回、PAは交流電源のローランドCM-30を使った。電源は充電式の100Vバッテリーを持参。機材は重くなるが、音は格段に安定する。前回、お客様から音響に関する指摘があり、替える決断をした。

 過去にも同じ組合せで何度か使ったことがあり、前日に数曲歌ってテスト済みだった。問題ないはずだったが、直前の音響テストでなぜかPAが点灯しない。
 以前に修理した電源ケーブルの接触不良再発かと、接続部を軽く揺すってみると点灯する。やはり接触不良だ。1年ほど問題なく使えていたが、こんな時に再発するとは。

 固定する道具もないので、ともかく点灯した状態で歌い始めた。ところが、歌の途中でやはり音が途切れてしまった。1曲歌い終えた時点で問題部分を再チェック。強く押し込むと、ひとまず安定する。不安な気持ちのまま、2曲目を歌う。どうにか歌が途切れずに歌い終えた。
 予備のPAは持参してなく、万一音が出なくなった場合、ノーマイクで歌う覚悟を決める。最悪のスタートだった。
 出だしでトラブった関係で、開始は3分遅れの13時18分。第1ステージでは、およそ37分で9曲を歌った。(※はリクエスト)

「SACHIKO(初披露)」「さくらんぼの実る頃」「みんな夢の中(初披露)」「ダイアナ」「赤い花白い花」「昴-すばる-(初披露)※」「傘がない※」「わかっているよ※」「ドレミの歌※」

 この日は1月に聴いてくれた方の多くが、それぞれ別の友人など伴って再び聴きにきてくれた。開始前から席は八割方埋まっている状態。進行に伴って通りすがりの方も加わり、初回を凌ぐ盛況だった。後半には椅子も追加した。
 不安だったPAはその後音が途切れる気配はなく、次第に歌に集中することができた。


 13時55分で前半ステージ終了。接触不良再発が怖いので、バッテリーやPA類は一切スイッチを切らず、ギターも含めてそのままの状態を保持した。
 14時過ぎから第2ステージ開始。およそ50分で13曲を歌う。
(◎以外は全てリクエスト)

「大空と大地の中で」「そっとおやすみ」「ミネソタの卵売り」「いっそセレナーデ(初披露)」「時代」「僕の胸でおやすみ」「学生街の喫茶店」「鱒」「サボテンの花」「冬のリヴィエラ」「アメイジング・グレイス」「恋の片道切符(初披露)」「どうぞこのまま◎」

 後半になって場もじょじょに馴染んできて、最後までリクエストが途切れることはなかった。聴き手の嗜好と思われるが、前回に比べてフォーク系のリクエストが多かったように思う。
 前回の反省をふまえ、リクエスト一覧は客席中央通路のステージ前に譜面台を置き、その上に20枚を並べた。A4の大きな看板を吊り下げたので客席からも見やすく、出し入れはスムーズだった。
 調整がうまくいって、喉の調子はよかった。これといったミスもなく、終了5分前の14時40分となり、ラストのシングアウトへと移るつもりでいたら、終了間際にリクエストが次々と出て、時間的にシングアウトが難しい状況に。
 ラストで最前列に座った女性から「一番お勧めの曲を聴きたい」という、ちょっと変わったリクエストがある。オリジナルの「サクラ咲く」を歌おうか一瞬迷ったが、迷ったすえに前半で歌い残した「どうぞこのまま」に落ち着く。
 出来は悪くなく、終了後に妻から「あの曲は泣けた」との高評価。この日は全般的に満足のゆく出来だったが、「みんな夢の中」「アメイジング・グレイス」は特に会場の反応もよかった。

 区役所への用事のついでに寄った通りすがりの方は、数曲で立ち去る方もいたが、延べ集客数は30〜35名ほど。前回よりかなり増えていて、会場ボランティアの方からも、「次回はいつですか?と尋ねる方がいましたよ。2回目で定着した感じですね」と声をかけられた。
 この種のイベントは3回目以降が難しくなる傾向にあるので、今後どうすべきか、他のライブスケジュールの動向と合わせて検討したい。

2017年4月18日火曜日

灯油消費量と日照時間

 今冬最後となる灯油をホームタンクに給油した。グーグルカレンダーでスケジュールを管理し、11月下旬、1月上旬、2月下旬、4月下旬の計4回、いつも同じ時期に給油しているので、年ごとの消費量推移がよく分かる。
 前回給油から59日が経過し、給油量は264.4Lで、日平均では4.48L/日。前回の日平均値が6.33L/日で、29.2%減っている。冬から春へと移り変わる時期なので、この減少は当然。問題は過去の同時期と比べてどうか、である。
 例によって過去3年間における同時期の数値を、3月の札幌地区月平均気温と日照時間と共に比較してみる。

・2015年:4.54L/日(3月平均気温3.8℃、日照時間144.0h)
・2016年:4.67L/日(3月平均気温2.1℃、日照時間164.1h)→添加剤投入
・2017年:4.48L/日(3月平均気温1.4℃、日照時間184.1h)→添加剤投入、ボイラ交換

 日平均灯油消費量に大きな違いはないが、3月の月平均気温が過去3年間で最低だった割に、消費量は最低だった。なかなかの健闘だったといえる。
 日照時間をみると、過去3年間で最大。これが相当効いているように思える。(日照時間との関連については後述)前回から灯油添加剤の投入量を倍に増やしたことも、多少は関わっているかもしれない。


 一冬に使った灯油量の合計を、12〜2月の札幌地区3ヶ月平均気温と日照時間と共に列記してみる。
(2014〜2015年は2014年最終給油日が5月にずれ込んだため、比較できない)
気象庁「過去の気象データ検索」による)

・2010年:1082.5L(12〜2月平均気温-2.0℃、日照時間274.6h)
・2011年:1078.9L(12〜2月平均気温-1.4℃、日照時間312.1h)
・2012年:1032.1L(12〜2月平均気温-3.6℃、日照時間356.7h)
・2013年:1111.0L(12〜2月平均気温-3.7℃、日照時間292.8h)
・2016年:1111.8L(12〜2月平均気温-1.7℃、日照時間279.1h)→添加剤投入
・2017年:1134.5L(12〜2月平均気温-2.3℃、日照時間243.0h)→添加剤投入、ボイラ交換

・30年平年値:12〜2月平均気温-2.5℃、日照時間283.2h
 真冬の月平均気温には年ごとにかなりのバラつきがあるが、不思議なことに年間灯油消費量は概ね1100L前後で安定している。添加剤投入やボイラの交換なども、あまり数値には影響していないようだ。
 灯油消費量は寒さと密接に関わっているものと思っていたが、このデータを見る限りでは寒さよりもむしろ、日照時間の影響が大きいように思える。厳寒だった2012年の灯油消費量が最も少ないのは、日照時間が突出して長かった(平年値の110%)からではないか。
 反対に、過去6年間のうちで日照時間が最低(平年値の86%)だった今冬は灯油消費量も過去最大で、辻褄が合う。

 我が家の場合、冬の日射を室内に積極的に取り込むよう、設計時から窓の位置や大きさには配慮している。よく考えると、冬の日照時間が灯油消費量に影響するのは、むしろ当然。気密断熱計画と同時に、日照計画も寒地住宅設計における重要なファクターなのだ。

2017年4月16日日曜日

スケルトン階段に縦格子

 昨秋に思い立ち、材料の加工まで済ませてあったスケルトン階段の転落防止用縦格子の取付けを、ようやく終わらせた。
 ブログに記したのが10月下旬なので、ちょうど半年を要したことになる。DIY作業でしばしば見られる長期化だが、目的意識さえしっかりしていれば、時間はかかってもいつかは実現する。


 ヌキ板を縦に3分割して作った33×195の部材30本、実は冬の間に階段踏み板に固定するためのビス穴までは加工してあった。ビス60本も準備し、あとは寸法通りに固定するだけだった。
 ようやくヤル気になったのは、対象となる孫娘が先月上旬からハイハイを始め、いまや自在に部屋中を動き回る日々。立って歩くのも時間の問題で、階段を上り始める日も間近となったからだ。

 構想通りに95の間隔をあけつつ、踏み板裏側から固定。直角を出すのに手間取り、高所での作業姿勢は腰への負担も大きい。1日に2段分、つまりは10本ずつやって、3日かかってやり終えた。
 作業してみて気づいたが、設計値195だった1段の寸法が、経年の木材変形や施工誤差などから、1〜2ミリ大きくなっていた。しかし、大きな問題ではない。
 縦格子の追加で開口面積が20%ほど少なくなったが、こちらも光や風の経路として大きな障害にはならない。特に昼間は18年経った木材との色の違いが目立つが、いずれ飴色に焼けて馴染んでくるだろう。

2017年4月15日土曜日

祖父母の慣らし保育

 午後から長男と孫娘を迎えに、マンションまで車で行った。季節や時間帯にもよるが、今日のように道が空いていると20分で着く。
 お嫁さんは7月からの本格職場復帰に備え、今日は出産後2度目の慣らし勤務。6時間以上も留守にする。休暇で家にいた息子と私たち夫婦も来るべき日に備え、母親不在時の「慣らし保育」というわけだった。

 孫娘はまだ人見知りが完全に治らず、しばらく顔を合わせていないと特にひどくなる。対策として最近は前日あたりにビデオ通話(グーグルのハングアウト)を使い、顔を充分に慣れさせてから会うようにしている。
 その効果もあってか、今日は顔を見ても泣かなかったが、息子が荷物を取りにマンションに戻り、私と孫娘二人きりになったとたん、不安になったようでグズグズと泣き出してしまった。
 ほどなくして息子が戻ると泣き止んだが、やはり父親と祖父とでは反応が全く違う。


 自宅に到着し、妻の顔を見ても泣くことはなかった。父親と母親、つまりは息子かお嫁さんのどちらかがその場にいれば問題ないらしい。

 予め準備しておいたオモチャでさっそく遊び始めたが、女の子なのでさぞや…、と思っていたぬいぐるみには関心を示さず、もっぱら遊んだのは、オモチャとはいえない大型洗濯バサミやパイプ接続金具、空容器に入れたオハジキなど。オモチャでまともに遊んだのは、キティのガラガラだけだった。
 日頃の様子からある程度予想はしていたが、かなり変わった嗜好の子である。まあ、私の娘も幼い頃は綿埃や紙クズに名前をつけて遊んでいたくらいだから、驚きはしないが。
 夕方になってお嫁さんから、18時前に最寄りの駅に着くと連絡がある。車で迎えに行くつもりでいたら、息子が自転車で迎えに行くと言う。その時孫娘は寝ていた。しかし、私と妻しかいない時間に万一目覚めたら…、と引き止めたが、大丈夫と息子は出かけてしまった。

 その直後、恐れていた通り、孫娘が目覚める。あたりを見回し、父親がいないことを悟ると、火が着いたように泣き始めた。どうなだめてもあやしても泣きやまない。思わず息子を携帯で呼び戻そうとしたが、まてまて、これも慣らし保育の試練ではないかと考え直し、じっと我慢。
 いくら泣いても親は現れないと悟ったか、やがて泣くのをやめた。泣いていた時間、およそ7〜8分。その後20分ほどして両親が戻ってくるまで、再び泣き出すことはなかった。

 1歳を過ぎると保育園に入ることが決まっているので、この種の機会は今後ますます増えることになるだろう。孫娘自身はもちろん、祖父母として私たちもいろいろな意味で自立し、成長しなければならない。そんなことを考えた。

2017年4月14日金曜日

母の骨折が完治

 3ヶ月ぶりに母の骨折診察日だった。いつものように9時少し前に施設へ母を迎えに行く。例によって母は、なぜ病院に行くのか、連れてゆく私が何者なのか、よく分かっていない様子。しかし、納得させる時間の余裕はあまりないので、適当になだめすかして車に乗せた。

 前日の寒波と雪がウソのように晴れ上がり、気温は10度を突破。用心して冬物のコートを着せ、ひざ掛けを巻いたが、それでも母は「寒い」と愚痴を並べる。相変わらず堪え性がない。
 走るうちに陽射しがどんどん強くなり、暖房も効き始めて、ようやく母は大人しくなった。
 前回と同じ9時40分くらいに病院に着いたが、この日はやや混んでいて、レントゲン撮影も10時を過ぎてから。診察室に呼ばれたのも11時を回っていた。

 左大腿骨と左肘の骨折は完全に癒着し、大腿骨に埋めた3本のボルトの剥離もないとのこと。特に変化がない限り、今回で診察は終了ということになった。
 おそらく次回もあるだろうと覚悟していたので、やや拍子抜け。しかし、重い車椅子を車に積み下ろし、母をなだめたりすかしたりする煩わしさから、ようやく解放される。病院通いはこれで終わりにして欲しいと願うが、果たしてどうか。


 会計を終わらせて施設に戻ったら、すでに昼食が始まっていた。前回より45分遅れたが、まだ食べている利用者もいたので、よしとしよう。
 今日の通院ついでに用を済ませようと、「不足している備品類はないでしょうか?」と昨日電話したら、フリカケが切れました、との返答。3週間前に2袋持っていったので、かなりのペースだ。今日はまとめて3袋を持参。10日に1袋なので、ひと月は持つはず。

 ちょうど食べ始めるところだったので、なんとなく様子を見ていたら、柔らかめのご飯にかなりの量のフリカケ(混ぜ込み式)を入れ、全体をかき回してから食べさせていた。
 他の利用者は毎食フリカケをかけているわけでなく、母だけの特別食のようなもの。従って家族が切らさず持参しなくてはならない。
 フリカケをかけないと、あまりご飯を食べないという。毎回持参していたジュースは以前の半分の量に減ったので、フリカケも一時的なものかもしれない。しばらくは施設の方針に従いたい。

2017年4月12日水曜日

新電力に切り替えた

 昨年4月からの電力小売全面自由化措置により、電気の契約者を選べるようになった。いわゆる「新電力」と呼ばれる新規業者だが、この1年でその数884社というから、ほとんど雨後のタケノコ状態である。
 北海道だけに限定しても55社。(「新電力ネット」のサイトより検索)あまりに多すぎて何をどう選ぶべきか、はたまた従来の電力会社のままでもいいのでは…?と悩んだすえ、ようやく1社に絞り込んで4/5からの切り替え契約を済ませた。

 選択の基準にしたのは、新電力比較サイトというサイト。いろいろな地域や電気料金などの条件から、「北海道」と「電気料金」の条件で比較検討した結果、16社の候補から最も電気料金が安くなると表示された「Looopでんき」に最終決定。
 いろいろな月の電気料金等のデータを入力して試算すると、年間で8,000〜9,000円安くなるらしい。昨年1年の電気料金が75,526円だったから、10%以上も安くなる結果。これは大きい。


 新電力会社には契約時に他の付加条件、たとえば灯油だとかガス代などをセットにし、ダブルで契約すればさらに料金が下がる、といった類いの「抱き合わせ的契約」が存在するケースが少なくない。
 しかし、我が家はガスを一切使わないし、灯油は格安価格の販売店から長年買い続けていて、この種のセット契約のメリットは全くない。つまりは純粋に価格と再生エネルギー使用比率の条件から選んだことになる。
 基本料金はゼロで、使用量に従量料金(2017.4時点で29円/kWh)を単純に掛けて電気料を算出するシステムが分かりやすい。再生エネルギー使用率は現時点で26%である。
 停電時のトラブルなどは、従来通りに一般送配電事業者(北海道の場合は北電)のカスタマーセンターに連絡すれば対応してくれる。いつでも契約解除が可能で、手続きも難しくない。


 実際の切り替えにあたって金銭的な負担は特になく、ネットからの契約手続きを済ませるだけ。(「Looopでんき」の場合、ネット契約以外は選択不可)

 契約後しばらくして、18年前の新築時に設置した古い積算電力計を、「スマートメーター」と呼ばれる最新式に交換してくれた。検針が遠隔地から可能で、今月から人間による検針がなくなり、検針票のスタイルも変わった。ギザギザのついた円盤が回る電力計ではなく、おそらくはデジタル式。時代はみるみる変わる。
 交換作業は北電から委託された業者がやってくれる。(原則無償)作業は15分ほどで、その間の停電もない。

 電気料に関しては、昨秋の暖房ボイラと給湯ボイラの同時交換により、20%程度安くなった。今回の新電力切替えでさらに下がって、年間電気料予想は5万円強となりそう。
 もはや限界と一時は思っていた省エネ節電作戦、まだまだやれる要素が残っていた。

2017年4月11日火曜日

たまにハズレもある

 午前中から市内遠方の区で介護予防事業関連のライブがあった。今年になってから実に5度目の依頼で、市の事業が今年度中に終わる関係で、活発な活動が続いているように思える。
 自宅から1時間足らずの同じ地区だが、場は全て異なっていて、聴き手も毎回異なる。世代や男女比には共通点が多く、過去の反応もふまえ、春をやや意識した構成で準備した。
 9時半に会場に到着すると、センターの職員さんはすでに到着していて、会場の設営をやっていた。この日は買ったばかりのプロジェクターと作ったばかりの映写スクリーンを持参したが、会場内にはいつもお借りしている高性能のプロジェクターがすでに設営済み。

 歌う位置を決め、ひとまず電子譜面をつないでみたが、特にスクリーンをセットせずとも、ステージ背面にある柄付のベージュの壁に、何ら問題なく歌詞が表示できた。
 窓のカーテンを閉め、会場内照明を点けてみたが、それでも普通に読める。(ステージ照明はさすがに消した)場内があまりに暗いのも問題なので、その状態でやることになった。


 予定ぴったりの10時から開始。1時間15分で20曲を歌った。

《セレクトタイム》
「北国の春」「ブルーライト・ヨコハマ」「さくらさくら」「珍島物語」「時代」「青春時代」「長崎は今日も雨だった」「野ばら」「恋のしずく」

《リクエストタイム》
「乾杯」「ダイアナ(初披露)」「骨まで愛して」「仰げば尊し」「みかんの花咲く丘」「故郷」「時計台の鐘」(「いい日旅立ち」「つぐない」)「ああ上野駅」

《うたごえタイム》
「バラが咲いた」
 聴き手は少なめの12人。男性は1人で、他会場に比べるとだいぶ様子が違っている。
 1曲目はリスクの少ない無難な曲だったが、場によっては間奏の時点で湧く拍手が全くない。歌い終えても拍手はまばら。この時点で悪い直感が走った。
(今日は苦戦するかも…)


 予感は当たって、2曲目を終えた時点で一人の女性から「もっとみんなで歌えるような曲はないですか」との要望が突然飛び出す。
 この日の進行は開始前に告げてあって、325曲の新しいリクエスト一覧は配布済み。およそ半分を終えた時点で、リクエストを自由に受け付ける旨も伝えてあった。さらには、最後に全員で数曲をシングアウトすることも。
 確認の意味で同じ内容をもう一度伝えたが、予期せぬ発言で場が一瞬鼻じらんだことは間違いない。

 以降のライブ進行はさらに難しくなり、1曲毎の拍手もまばら。なぜか喉の調子はよかったが、それと場の反応は必ずしも一致しなことは、過去に何度も経験している。
 見かねたセンター職員の方が聴き手に加わり、拍手で盛り上げてくれる。大変心強いことで、それを支えに淡々と歌い継いだ。
 30分が経過し、予定ではあと3曲を歌ってからリクエストタイムに入るつもりでいたが、この日の場の反応からして、早めにリクエストを受けるのが得策と判断。聴き手にその旨を告げると、思いがけずリクエストがすんなり飛び出して安堵した。

 不思議なことに過去にほとんど歌っていない曲ばかりで、「乾杯」ではリクエストした女性が感極まって涙を流す。「ダイアナ」は覚えたてのオールデイズだったが、会心の出来。終了を待たずに歓声と拍手が湧いた。
 遅まきながら場をつかんだ感じで、当初の発言をした女性からもようやく「仰げば尊し」のリクエストが出る。以降、同じ女性から日本唱歌のリクエストが次々と出て、歌詞画面を見ながら共に歌う声も数多く耳に届いた。
「みんなで歌える曲」が唱歌であったことにようやく気づいたが、ギリギリで間に合った。


 途中、リクエストが途切れた際は、歌い残した「いい日旅立ち」「つぐない」でつなぐ。その後に新たなリクエストが出るなどし、この日は事前のセットに固執せず、場の求めに応じて柔軟な曲の出し入れをするよう心がけた。

 ラストのシングアウトは時間の都合で1曲のみとなったが、いろいろな曲を候補にあげ、聴き手の声で最終決定する方向にもっていった。
 当初の予定通り1時間15分で終えたが、歌った曲数は他の会場と大差なく、リクエスト曲数が他よりもやや多かった。途中でリクエスト中心に切り替えたので、妥当なところである。
 終了後にセンター職員のKさんから聞いたが、聴き手は同一の町内会所属ではなく、バスで集まってくる方も複数いたらしい。場にややまとまり感がなく、前半部で盛り上がりに欠けた背景は、そのあたりにもあったようだ。

 同じような年齢層で同じような男女比でも、会場によって反応は微妙に異なる。極端な場合、ある人がいるかいないかだけでも反応は変わる。それがライブの怖さであり、同時に面白さでもある。
 必要なのは、場の流れに応じた柔軟な対応。一時は崩れかけたが、咄嗟の機転でどうにか面目は保った格好。いい勉強をした。