2014年12月31日水曜日

セ・ラヴィ〜それが人生

 無垢材床の汚れ落しを完全に終わらせ、玄関前駐車スペースの除雪を念入りに済ませたあと、買い残しの食材を調達にスーパーに出かけた。途中、夜に合流するはずの息子夫婦からCメール。
「インフルエンザにかかってしまい、今夜は行けなくなりました」

 急いで買い物を済ませ、家に戻って再度確認の電話を入れると、2日前からお嫁さんがインフルエンザにかかって勤めを休み、静養中。看病していた息子もインフルエンザが移ってしまったらしく、昨夜未明から38度の高熱とのこと。
 お嫁さんの熱は下がったが、まだ外出は叶わず、残念ながら今夜の年越しは一緒にはできなくなったそうだ。

 何かと騒がしかった今年を象徴するような電撃フィナーレで、病気であれば仕方がない。予期せぬことが狙いすましたようにしばしば起きるもの。セ・ラヴィ、それが人生である。


 電話を終えたあと、PCを起動させてみたら、朝10時前に息子から同じ主旨のメールが入っていた。忙しさにかまけてメールチェックが遅れてしまい、気付かずにいた。反省。

 5人の予定が3人に減ってしまったが、年越しの宴は予定通りに実施。末の息子が買ってきたカニはさすがに余ってしまったが、明日はカニ鍋にしてでも食べるとしよう。
 今年は妻の定年退職を皮切りに、家族関連の大きな出来事が連続して起きた年だった。
 繰り返しになるが、いい事悪い事が波のように繰り返すのが人生である。いい時は喜びを内に秘めて次に備え、悪い時は悲しみをこらえて信じる人と分かち合い、明日をめざす。
 そうやって時は過ぎてゆく。

2014年12月30日火曜日

流れゆくカレンダー

 昨日、母の暮らす施設に今年最後の面会に行った。なぜか前回よりも母の記憶力が蘇っていて、私の仕事も覚えていたし、道北にある故郷での出来事も、普段よりも多く話せた。
 高齢者には昔話が一番のケアではないか。思い出してくれたらの話ではあるが…。

 帰り道にあるロイズに寄って年末用のお菓子などを買ったら、合計千円にも満たないのに、来年の月めくりカレンダーをくれた。しかも、100均では手に入りにくい美しい花の写真満載。
 ありがたくいただいて、洗面所横にさっそく吊るす。ここに予定していた100均のクラフト系カレンダーはトイレに回すことにした。


 その他のカレンダーもまとめて飾ることに。冷蔵庫のドアには、新聞店からもらった月めくりカレンダー。1年分をバラバラにし、月毎に貼っている。「酒の飲まない日」等の生活メモはここに記入する。

 同じ冷蔵庫ドアには札幌市のゴミ収集日カレンダーも。半年分がまとまったものを、紛らわしいので月毎に切り抜いて貼っている。


 合計7ヶ所にカレンダーを吊したが、PC前の大型カレンダーは失敗だった。文字が大きく、スケジュール欄も4行分あるA2サイズだが、大きすぎた。
 デザイン系の仕事をバリバリやっていた時期は、同時進行する複数のスケジュールを管理するのに重宝したが、開店休業状態の続くいま、最もスケジュール欄を賑わすのはデザイン系ではなく、ライブ系。複数の同時進行は原則あり得ないので、もっと小型のサイズで充分だと悟った。

 時と業務形態により、カレンダーの有り様も変化してゆく。
 継続して作業中の無垢材床や階段の汚れ落しは、トイレの床を残して全て終わった。結果として最も手ごわかったのは、階段の踏み板。今後数年おきには同じ清掃作業をやるべきである。
 15時にJRで帰省した末の息子を最寄りの駅まで迎えに行き、帰路にスーパーにも寄って、年越し用の菓子類を調達。息子は自分で飲む分の酒類や炭酸水、そして氷を買った。

 夕食はオセチ作りで疲れ気味の妻をねぎらい、息子がカレーを作ることに。息子が手作りして持参した梅酒で妻と息子は早くも盛り上がっていたが、私は明日以降の宴にそなえ、アルコールを完全遮断して肝臓を休ませる。
 また数センチ降ったが、大雪になる気配はいまのところない。

2014年12月29日月曜日

2スピーカー方式の功罪

 12月に実施した7本のライブのうち、半分以上の4本を2スピーカー方式のPAでやった。新たな投資を一切せずに手持ち機材をやり繰りし、取説と首っ引きで考えだした苦肉の策だが、予想以上に効果的だった。
 交流電源式のローランドCM-30をメインにし、ボーカルはエフェクターを通して、ギターはCM-30に直結する。CM-30のステレオリンク端子からケーブルを出し、乾電池式のローランドモバイルキューブ・ギター端子につなぐ。
 モバイルキューブのリバーブは完全オフにし、左右のバランス調整はそれぞれのPAで可能となる。

 2台のうち1台をやや内側にむけてやれば、モニターとしても使えるし、何より音の厚みが違う。増設分の出力は5Wしかないが、これがけっこう馬鹿にならない。


 以前にもふれたが、最大の問題は機材の増加である。これまではどちらか一方のPAを使えばよかったが、2スピーカー方式となると、モバイルキューブ分が2.5Kg、支持スタンドが1.8Kg、合計で4.3Kgもの増加となり、通常分の機材13Kgを加えると、17Kgを超える。(ギターを含まない)
 キャリーカートの耐荷重は25Kgなので、強度的には問題ないが、実際にゴムバンドで一括梱包した機材を車に積み下ろししてみると、腰にくる重さである。
 妻の手伝いは原則あてにせずに今後とも活動するつもりなので、キャリーカートを動かしにくい冬期の移動は、かなりの負担増になりそうな気配である。

 聴き手からの見映えを重視して左右同じ製品を使っている支持用スタンドは、片方を1Kg軽いカメラ三脚に妥協すべきかもしれない。あるいは一括梱包をやめ、全体を2つに分けて分割運搬にするか。
 2スピーカー方式を想定しているライブが、来春早々にも目白押し。実に悩ましい。

2014年12月26日金曜日

豪雪の教訓

 今年最後のチカチカパフォーマンスにエントリーしていたが、未明から次第に激しくなってきた雪が、朝起きるとさらに勢いを増していた。ネットで雪雲の動きを調べると、自宅の真上あたりに居座っていて、全く動く気配がない。

 ぎりぎりまで待って12時くらいから自宅前の除雪を始めた。前日の分は明け方に除雪車がきてどかしてくれたが、その後の激しい降りで道路は再び雪に覆われている。
 北側の隣地2区画分の道も含め、1時間半ほど作業して、ようやく車が出せる最低の幅は確保した。急いで遅い昼食をとり、機材一式を積んでただちに出発。いつもよりかなり遅れたが、幸いにこの日は他との共演がなく、時間調整の必要がない。


 出た途端に雪山にハマり、スリップで動かなくなる。スノーヘルパーを使って脱出し、その後は除雪した北側3区画まで順調に走ったが、西に曲がった途端、前方に雪にハマった2台の車。深い雪道では、スピードを落とさずに一気に突っ走るのが基本だが、停まらざるをえない。

 ほどなくして2台の車は脱出したが、今度は自分の車が前にも後ろにも動かなくなった。妻の応援を頼み、スコップやスノーヘルパーを総動員して格闘するが、進展なし。雪はますます激しくなり、衣類や靴も濡れて疲労困憊である。
 2キロほど離れたJR駅に徒歩で向かう手段も一瞬考えたが、重い機材を背負って吹雪の中を行くのは、さらなる困難が予想された。
(この日は最寄りのJR学園都市線も吹雪で終日運転休止だったと、後で知った)
 この日のパフォーマンスは難しいとこの時点で判断し、車は道端に放棄し、いったん家に戻って事務局に電話連絡。事情を話してキャンセルさせてもらった。
(当日のキャンセルは原則不可だが、事故急病等の特殊事情の場合は例外的に認められる)


 濡れた衣類をみたび着替え、車の撤収に再度向かう。道路の真ん中に放置してあるので、最低でも自宅車庫まで戻す必要がある。
 騒ぎを知って隣家のご主人が手伝いに出てくれて、敷地内で車をUターンさせてもらう。転回ができず、ずっとバックで戻ろうとしていたので、ようやく前向きで車を動かすことが可能になった。

 そのまま一気に走らせて自宅まで戻ったが、雪山が邪魔をして、普段のようにバックで車庫入れすることは不可能。やむなく頭から入れてようやく決着した。
 時計を見ると16時近く。延べ4時間近くも雪と格闘していたことになる。
 近隣のアメダスによると、積雪深は116センチに達していて、12月としては記録的。この地に住んで15年になるが、これほどひどい目にあったのは、過去に1〜2回しか記憶にない。

 これまで真冬のチカチカパフォーマンスはこうした事態を想定して、直前までエントリーを保留していた。今回はまだ12月ということで、エントリーが2日前。多少の油断があったかもしれない。
 これまでキャンセルは一度もしたことがなく、それは密かなる矜持でもあったが、予想もしない当日キャンセルをやらかしてしまい、一時はかなり落ち込んだ。

 月に2回はチカチカパフォーマンスを演りたいと常々思っていて、今月は多くの場で様々な経験をしたにも関わらず、再度のエントリーにこだわった理由はそこにある。しかし、いささか欲張りであったということか。
「何事もほどほどに」〜豪雪で得た教訓である。

2014年12月25日木曜日

バッテリ管理

 酷使による寿命で買い換えたばかりのエネループ型の単3ニッケル水素充電池を買い増しした。アマゾンで最安値のオリジナルタイプで、これまでのエネループと同性能。充電器もそのまま使える。
 4本単位でしか販売してなく、乾電池式PAでは6本あれば足りるが、当初はやむなく8本買った。


 通常は乾電池駆動のローランド・モバイルキューブで使っていて、交流電源の使える場ではローランドのCM-30を使い、エフェクターにも必要な電池は、充電池6本をその都度入替えていた。

 ところが今月上旬に地区センターでやった叙情歌サロンでは、サブスピーカーとしてローランド・モバイルキューブを同時に使った。この時の音が非常に安定していて、ライブ成功の大きな要因となった。
 そこで以降の広い会場でも同じ音響システムを使ってみると、思惑通りよい手応えがあった。機材が増えて設定が面倒になる欠点はあるが、キャリーカートでの移動を短くする工夫をすれば、広めの会場では全てこのシステムでやるべきである。
 そうなると、同時に12本の単3充電池が必要になる。(ACアダプター使用は接続が煩雑になるので避けたい)
 そこで同じ充電池をさらに4本買い足し、余っていた2本を加えてエフェクターに常備。入替えの煩わしさからも解放された。


 充電池が増えると残量の管理が重要になってくる。乾電池式PAで使った場合、延べ使用時間10時間ほどで電圧が下がり、音がボコボコした感じに歪み始める。ライブ中にそうなってはならず、本番前日は古いデジカメに充電池を入れて起動し、必ず残量の確認をする。
 3段階の目盛で、ひとつでも減っていると音に影響が出始めるので、即充電である。

 エフェクターの場合はPAよりもなぜか使用時間は短く、延べ5時間ほどで電圧が下がり始めるが、普段の練習ではACアダプター経由で使っているので、充電頻度は比較的少ない。
 このほか、電子譜面で使っているタブレットPCの充電池管理も欠かせないが、こちらは4時間強で残量が15%ほどに下がり、充電警告が発生する。特に長いライブの場合、前日の充電作業はこれまた欠かせない。

2014年12月24日水曜日

年賀状印刷

 昨日の作業で案が固まった年賀状を一気に印刷した。昨年より2日も早い。たまにはこんな年もある。
 併行してオリジナルCDの増刷をやる。2種類のCDを各5枚、あわせて10枚を常備しておきたい。売れた分をなるべく早く補充する方針である。

 年賀状の印刷が遅々として進まず、仕上がり自体はきれいだが、10枚くらいで印刷速度が極端に遅くなる。その都度プリンタを再起動させていたが、こんなはずではなかったと、設定を調べなおしてみたら、「年賀状〜インクジェット紙」という専用設定があったのを、すっかり忘れていた。


 それまでのマット紙設定から切り換えてみると、またたく間に印刷は終了。速いが、仕上がりは全く変わらない。仕組みがどうなっているのか不明だが、1年経つとコロリ忘れている。
 来年はミスなくやれるよう、画像ファイルの隅に「年賀状設定あり」とメモを置いた。来年もつつがなく年賀状を記せるとの願いをこめて…。

 その後、仕事用の年賀状も印刷する。画像に家族や弾き語りの写真は載せられないので、画像は別に作り直す必要がある。数は少ないが、いつまで仕事用の賀状を作り続けるのか、答えは時の流れが決めてくれるだろう。

2014年12月22日月曜日

ライブ用機材の整備

 3週間で7本という過密スケジュールを無事に乗り切り、ちょっと気が抜けた。今日はマイク前での練習は休み、ギターも弾かずに、単に歌のみのイメージトレーニングにとどめた。
 本番のステージを頭の中で想定し、譜面も見ずにひたすら歌うだけだが、場所を選ばずに練習できるところがミソ。チカチカパフォーマンスで共演するジャグラーの方に教わった手法で、ジャグリングのみならず、もちろん歌でもやれる。


 妻との忘年会は月初めに90円寿司ですでに済ませていたが、CD販売等による臨時収入が思いがけずあったので、再度出かけることにした。
 いつもは費用折半だが、今回は完全に私が負担。たまにはこんなこともある。めったに出ない赤貝がメニューにあり、美味しくいただいた。

 帰路、安売りスーパーに寄って年越しとオセチ用の食材を調達。昨日もライブ帰りにトライアルに寄った。年越しの準備、着々と進んでいる。
 ハードなライブスケジュールが終わるのを待っていたかのように、機材が次々と傷み始めた。

《マイクスタンドのブーム部固定ネジ破損》
 T字形のM8ネジが完全にバカになり、固定不可能。もしライブ中だったら大変なことになっていた。予備の丸型ネジに交換したが、メーカー品でも買って3年でダメになった。日々酷使しているので、やむを得ないか。

《機材専用段ボール箱破損》
 ローランドCM-30移動の際に使う段ボール箱が一部破れた。全体的に傷みが激しいので、別の箱に交換。
 いつものように布ガムテープで補強したが、今後PA2台同時使用の機会が増え、カートでの移動が多くなりそうなので、よりましな移動手段を考えるべきか。


《ライブ用看板の作り直し》
 チカチカパフォーマンスではA4版の大型看板2枚をキャリーカートに吊り下げて掲示しているが、介護施設等の訪問時には、最近は看板なしの布製譜面隠しのみでやっていた。

 ところが中旬に初めて訪れたデイサービスで、職員さんが私の名前を「木村さん」と誤って紹介するシーンに遭遇。同じく初めての訪問だった昨日のライブでは、念のため以前に使っていた小型の看板を布製譜面隠しの下に吊り下げた。
 名前がはっきり確認できることで、聴き手もより親近感を抱いてくれたように思える。小さくとも、やはり看板はあったほうがいい。

 ひと回り大きくて同一梱包が難しかった形状を改め、布製譜面隠しと同じ幅に作り直すことにした。出発時に一体化して折り畳めるので、設営時間が短縮できる。今後はこの体裁を介護施設系ライブ時の標準としたい。

2014年12月21日日曜日

締めくくりは大団円

 ネット経由で依頼のあった「介護付き高齢者住宅」という分類の介護施設クリスマス会で、初めて歌ってきた。イベントは14時開始だったが、多忙で事前の会場調査が叶わず、余裕をみて13時過ぎに家を出た。

 会場の広さが分からないので、この日もPAは2スピーカー方式。奇しくも3日連続のライブとなってしまい、機材一式はカートに載せたまま、玄関に置きっぱなしの状態である。
 バッテリの充電と水の補給以外、機材の出し入れはせず、練習はずっとノーマイクでやっていた。
 施設はやや遠い隣区にあったが、昨日の暖気で路面は乾いていて、わずか35分で到着。担当のTさんの案内ですぐに会場を調べる。
 畳2枚ほどのステージ台がすでに準備してあったが、前後の幅が狭すぎて歌うには不向き。せっかくの配慮だったが、事情を話して片づけてもらった。


 会場が予想外に広く、100を超える椅子が整然と並んでいる。部屋の形状がL字形で、その角に相当する部分にステージが設定されている。ステージから見て左右2つのグループに分かれた聴き手に、均等に音が届くようPAとマイク位置を決めた。
 すでに利用者の方々が座り始めていて、職員さんも忙しく、マイクテストは結局やれなかった。
 14時よりやや遅れてイベント開始。職員さんによる仮装でクリスマスメドレーがまずあり、同じく職員さんによるソロのサキソフォン演奏があって、私の出番となった。
 組立てを終え、隅に片づけてあった機材を移動し、進行の方による紹介のあと、14時25分くらいから歌い始める。およそ40分で12曲を歌った。

「高校三年生」「おかあさん(森昌子)」「ソーラン節」「知床旅情」「幸せなら手をたたこう」「リンゴの唄」「バラが咲いた」「丘を越えて」「酒よ」「月がとっても青いから」「ウィンター・ワンダーランド」
〜「大空と大地の中で(アンコール)」


 選曲リストは施設からの要望で、5日前に提出済み。各椅子の上には、曲順通りに印刷された歌詞カード付きプログラムが準備されている。アドリブ的な曲変更は一切できない状況だった。

 歌い進むうちに聴き手はどんどん増え、椅子が足りなくなって追加され、会場は立錐の余地もない状況に。職員さんを含めると150名はいたと思う。後で知ったが、全部で3つの棟に分かれた住居から、入居者の人たちが集まってきたらしい。
 過酷なスケジュールにもかかわらず、この日も喉は絶好調をキープ。漫然と日を過ごすより、気を張って節制に努めているほうが、むしろ好調を維持しやすい感じもする。
 初めての場なので進行は手探りだったが、反応は非常によかった。職員さんのチームワークもよく、上手に盛り上げてくれる。場は尻上がりに熱を帯び、曲に応じて手拍子や笑顔、そして涙が交錯した。

ステージ右の私の似顔絵は、施設長Tさんの労作

 過去の経験からあまり効果を期待してなかった歌詞カードだったが、予想外にみなさんが一緒に歌ってくれるので驚いた。年齢層は50〜100歳と幅広く、それに応じた新旧取り混ぜた選曲をと望まれたが、結果として大きなハズレはなかったように思える。
 歌声が最も多かったのが、意外にも「バラが咲いた」。次いで「リンゴの唄」「酒よ」といったところ。このところ感じるのは、吉幾三の強さ。介護施設系での定番ソングも、そろそろ見直すべき時期かもしれない。

 進行通り15時で歌い終えたが、担当のTさんの音頭で、いきなりのアンコール。事前に打診があったので、いわゆる「お約束アンコール」の範ちゅうだが、場の流れには沿うものだった。
 何を歌おうか聴き手に尋ねてみると、これまた意外にも「松山千春!」の声が複数。松山千春は数曲のレパートリーがあったが、代表曲の「大空と大地の中で」に落ち着く。
 予定時刻をややオーバーしたが、終わって機材を片づけていると、多くの利用者の方が近寄って声をかけてくれた。中にはプログラムを差し出して、「記念にサインをください」とか、「一緒に写真を撮りたい」などの申し出も複数。
 写真は過去にも経験があったが、サインは初めて。そんな柄ではないが、ここは素直にお受けするのが人としての道、と自分に都合よく考えた。

 担当のTさんを初め、スタッフの方にも大変喜んでいただく。施設として力を入れたイベントで他にゲスト出演者はなく、ミスは許されない状況だったが、大役は果たせた。
 珈琲とケーキを前にあれこれとお話ししたが、実は別の施設にいたときに私の歌を聴いたという職員さんが4人もいて、施設長のTさんに推挙してくれたのだとか。名前の記憶を頼りに、連絡先をネットで調べたのだとか。
 どんな小さな場でも手を抜かずに最高のライブをやろうと常日頃から心がけ、反省点の修正も怠らずにいるので、正直うれしかった。ひそかに見てくれている人はちゃんといるのだ。

 今年の依頼型のライブは、この日で最後。ちょっと追われたが、締めくくりに相応しい大団円である。

2014年12月20日土曜日

喜寿祝いで歌う

 予想外の事態で3日連続のライブとなってしまった2日目である。この日は夕方のライブの前に、年明け早々に実施される市内の寺でのコンサート(新春大般若祈祷会)の会場調査にも行く約束になっていた。
 寺は市の中心部近くにあり、このところ雪と悪路による交通渋滞で、時間ギリギリの状態が続いているので、かなりの余裕をみて家を出た。

 昨日と違う幹線道路を選んだせいか車の流れは順調で、早めに先方に到着。そのまま30分ほど会場の下見をし、当日のスケジュールを打ち合わせる。
 聴き手は檀家の方々150名ほどで、心配していたPAは、寺の本堂に立派な音響装置が備えつけてある。実際にマイクで歌ってみたが、近隣の地区センターにも負けない音。問題なく使えそうだ。


 その足で都心のホテルへと向かう。ある市民グループの定期総会があり、代表の方の喜寿をかねたお祝いが同時に実施される。その余興として歌う。

 声をかけてくれたのは、チカチカパフォーマンスの聴き手として知り合い、その後町内会女性部懇親会に呼ばれたり、今月初めの叙情歌サロンにも来てくれたSさん。ふとした縁で、人と人とのつながりは静かに広がってゆく。
 場所は時計台の真横で、札幌のど真ん中。渋滞もなく、約束より30分も早く着いてしまった。Sさんはすでに準備中で、私も早めに設営を始める。
 この日もPAはスピーカー2台方式。会場の下調査が不可能だったので安全をみたが、実際にテストしてみると、やや音が大きすぎるという結論。1台に減らす選択もあったが、両方のボリュームを絞る方向に落ち着いた。

 17時から総会が始まり、私の出番は20分後。設営が早く終わったので、開始までの30分をロビーで過ごす。こんなに余裕があるのも久しぶりだ。
 予定通りに17時20分からライブ開始。およそ40分で11曲を歌った。

「ボラーレ(オリジナル訳詞)」「バラが咲いた」「バラ色の人生」「サボテンの花」「川の流れのように」「灯台守」「雪が降る」「星影の小径」「白い想い出」「時代」「聖母たちのララバイ」


 選曲リストは10月末にSさんに送り、了解をもらっていたもの。喜寿のお祝いを意識し、人生を懐かしく振り返る曲を中心に構成した。洋楽系を4曲選び、ややバタ臭い雰囲気にしたのは、会の趣旨と代表の方の略歴に合わせたもの。

 聴き手は20名ほどで、40〜70代と年齢層は広く、男女比も半々といったところ。ライブ中は終始静ひつで、一瞬手応えがないような印象もしたが、歌い終えるごとの拍手は熱く、長かった。
 5曲目の「川の流れのように」では、リストにはない「愛燦々」との二択形式にした。主賓でもある代表のHさんにお好きな方を選んでいただくという趣向だったが、結果としてHさんはプログラム通りの曲をチョイス。
 10曲目の「時代」では、こんどは参加者全員に「地上の星」との二択形式を提案。拍手で選んでもらったが、圧倒的に「時代」が支持された。昨日の複合型障がい者施設でも同じ試みをしたが、こちらでは「地上の星」が強かった。場によって嗜好は異なる。
 この「二択形式」は、先日のチカチカパフォーマンスで初めて試みたが、聴き手をライブに引き込む有力な手段となる。今後もいろいろ試してみたい。

 MCがやや長すぎたせいか、終了は18時を1分ほど過ぎてしまい、進行の都合でアンコールなどはなし。Sさんが気を遣って終了後にオリジナルCDの告知をしてくれて、持参のCDが3枚売れた。
 途中、さすがに疲れを感じたが、大きなトラブルもなく、無難に乗り切った。推挙してくれたSさんの面目もつぶさずに済み、これまで例のない新しい場も切り拓けたと思う。

2014年12月19日金曜日

唐突なライブ依頼

 都心にある複合型障がい者施設のクリスマス会で歌ってきた。依頼は昨夕に突然あり、聞き覚えのある女性の声で、「以前にライブをお願いしたことのある施設ですが、明日のスケジュールは空いてませんか…?」と、いかにも申し訳なさそうに問う。
 すぐに施設長のNさんと分かった。聞けば、予定していたボランティア演奏者に突然のキャンセルが出てしまい、困っているという。前日のキャンセルとは余程の事情。インフルエンザか身内の不幸か…。

 この私も、喉をいためて直前にキャンセルを申し出たことが過去に一度だけある。予定は詰まっていたが、スケジュール自体は空いている。困っているときはお互い様である。障がいを持ちながらも気丈に施設を運営しているNさんを応援したい気持ちも働いた。
 事情を話して、30分程度という条件でお引き受けした。
 イベントは11時開始で、13〜14時がボランティア演奏の枠だという。夏場は30分ほどで着く場所で、雪も降ってなかったが、12時過ぎに家を出た。

 都心は渋滞激しく、到着は13時ギリギリ。ただちに設営を始める。会場が横に広いので、上旬の叙情歌サロンと同じスピーカー2台方式を選択。機材は増えるが、音に厚みが出る。叙情歌サロン成功の要因のひとつが、この新PAシステムにあった。


 13時10分過ぎから歌い始める。およそ50分で14曲を歌う。(※はリクエスト)

「赤鼻のトナカイ※」「高校三年生」「年下の男の子」「ソーラン節」「知床旅情」「幸せなら手をたたこう」「雪が降る※」「吾亦紅(初披露)※」「リンゴの唄」「雪國※」「月がとっても青いから」「圭子の夢は夜ひらく※」「地上の星※」「まつり」

 元気のいい曲を基本的に好む場なので、特に前半は手拍子系の曲を連発した。施設の特質として、年齢層が30〜90代と非常に広い。新旧のバランスも考慮する必要があり、なかなか手ごわい。
 1曲目から1弦に違和感を覚えた。手触りが頼りないのだ。しかし、音に狂いはなく、弦も切れていない。どうにも気になり、3曲目に入る前に再度確かめてみた。すると、弦が極端に緩んでいる。音が鳴ってないので、狂いようがないのだ。
 あわてて弦を巻き直す。初めての経験だったが、ペグの引っ掛かりが甘かったらしい。MCで適当につなぎつつ、無事に修復。一瞬ヒヤリとしたが、大事に至らずに幸いだった。

 7曲目の「雪が降る」から本格的なリクエストタイムに突入となる。時間に余裕があるときは、事前にリクエストを募っている場だったが、今回は全くのぶっつけ。しかし、すでにノウハウの蓄積があるので、大きな問題はない。


「吾亦紅」は以前からこの施設で要望の強かった曲。秘かに練習を重ねていた。かなり高齢の方からのリクエストで、初めて人前で披露したが、練習よりもはるかにうまく歌えた。
 場がシンと静まり返ってしまったので、続けてリクエストの出た「雪國」だと、静かさにトドメを刺す予感がし、自主的にニギヤカ系の曲を挟んだ。
 リクエストを受けつつ、全体のバランスを考慮して別の曲でつなぐ手法は、叙情歌サロンでのアドリブ的構成に通ずるものがある。

 後半は矢継ぎ早にリクエストが飛び出し、収拾がつかない状況にも一瞬なりかけた。結果として「乾杯」「旅姿三人男」「浜田省吾を何か」の3つはレパートリーになく、応えられなかった。今後の課題である。
 到着が遅れたお詫びの意味もあり、予定を大幅にオーバーして歌い続けたが、進行表通りに14時まで場をつないだので、Nさんには喜んでもらえた。
 ラストの「まつり」で場のノリは最高潮に。終わると、「よかったよ!」「最高だ!」のかけ声があちこちからかかる。ちょっと無理をしたが、急な代役の役目は十二分に果たせたと思う。歌ってよかった。

 年に1回のペースで依頼があり、今回が都合4度目。日頃からふれている「高くて険しい3度目の壁」を乗り越え、次なる世界へと進展した数少ない施設の仲間入りを果たした。

2014年12月18日木曜日

ほどほどのライブ活動

 昨日のチカホで思いがけずオリジナルCDが6枚も売れてしまったので、明後日のライブに備えて、売れた分を補充することにした。2種類のCDで8種類の印刷用ファイルと、22種類の音源ファイルがある。同時進行で間違えずに作業を進めるのは、けっこう神経を使う。
 一度もプリンタの通信エラーが発生せず、調子よく進んでいたが、表側が乾燥したあとの歌詞カード裏面になって、ついにエラー発生。途中で終わっていた画像を消去し、残りの画像だけを印刷し直す。ダメージは最小限で済んだ。

 併行して大掃除を少しずつ片づける。明るいうちにやらないと、細かいホコリや汚れを見落としてしまうことに気づく。昨日までの一部をやり直しつつ、2階はCD増刷の作業で使用中の机天板の一部を残して終了した。

Seriaで見つけたスリッパ・100均とは思えぬ洒落たデザイン
模様が左右非対称な製品をあえて選んだ

 CD増刷と大掃除の同時作業で慌ただしく動いているさなか、電話が鳴って、明日のスケジュールは空いてますか?と唐突に問う聞き覚えのある声。以前に何度か訪問して歌ったことのある、複合型障がい者施設からだった。
 クリスマス会を予定していたが、ボランティア演奏の方に突然のキャンセルが出てしまい、ピンチヒッターとして歌っていただけないか、との切実な要望。

 過密スケジュールのまっただ中だったが、障がいを持ちながらも気丈に施設を運営しているのが依頼主の女性で、心情的に非常に断りにくい。30分程度を条件に、お引き受けすることにした。
 夕食中、今度は市内遠方の精神病院からライブの依頼が飛び込む。来年の話だが、治療の一環として歌って欲しいという。ちょっと荷が重い気がして躊躇したが、叙情系の曲を普通に演ってくれればよいとのこと。こちらも結局お引き受けすることに。

 ガン発病後、「年間50本程度」を密かな目標値としてセルフ・マネジメントしてきたが、現実には厳しい数字であると悟る。もっと冷徹にならなければいけないのか。
「人前で歌うのが根本的に好き]という、ある種の虚栄心が邪魔をする。サジ加減は実に難しい。
 自らの体調やストレス度と相談しつつ進めるライブ活動、ほどよいペースをつかむには、もう少し時間がかかりそうだ。

2014年12月17日水曜日

ふれあい多きチカチカ

 12月初めてのチカチカパフォーマンスに参加。札幌国際芸術祭の余波もあってか、会場となる広場の割当て枠があまりなく、12月も中旬を過ぎてようやく空きが出てきた。
 数年に一度という暴風雪警報が発令されていて、無用な外出は控えるようにとの警告が繰り返しテレビで発信されていた。しかし、朝起きると風もなく、時折陽もさす穏やかな日和。またしても天候に恵まれた。
 今日の会場は北4条広場。ここで歌うのも実に久しぶりだ。この日の共演はサイエンスパフォーマーの神山さんだったが、まだ姿が見えない。定刻の14時から歌い始めた。
 顔見知りのライブハウスのマスター夫妻が、別の打合せをかねて聴きに来てくれて、スタート時点からすでに聴き手がいるという心強さ。第1ステージでは、およそ35分で9曲を歌った。

「学生街の喫茶店」「池上線」「ルビーの指環」「雪が降る」「灯台守」「雪國(初披露)」「地上の星」「抱きしめて(オリジナル)」「グッドナイト・ベイビー」


 この広場は地下鉄駅改札口に近く、複数ある出入り口からの寒風で、冬は非常に寒い。外気温はプラスだったが、用心して厚手のセーターとウールのストールで武装。念のためカイロも持参した。
 歌い進むにつれ、じわじわと聴き手は増えた。先月末の北3条広場でのチカチカパフォーマンスと同じ傾向で、このところ「聴き手ゼロ〜通りの風になって歌う」という厳しい状況からは、しばし遠ざかっている。

「雪が降る」あたりから聴き手はさらに増え、初披露の「雪國」を歌い始めると、一気に30人ほどに達した。
 ラストの「追いかけて雪國…」の箇所で音を外しやすく、何度も練習を重ねた難曲。歌詞の内容が北国の年末にはピッタリである。ぜひとも披露したかったが、苦労のかいがあった。

 割当ての30分を過ぎても共演の方が現れないので、予定を2曲オーバーして終える。ずっと聴いていた男性2人が、それぞれ新旧2枚のCDをセットで買ってくれた。
 15分ほど休憩したが、相変わらず共演の方は現れない。何か事情があるのだろうと判断し、第2ステージを一気に演ってしまうことにした。
 14時50分過ぎから歌い始める。およそ25分で7曲を歌った。(※はリクエスト)

「恋人よ」「終着駅」「空に星があるように※」「Happy Birthday to You※」「雪國」「地上の星」「時代※」

「終着駅」を歌っているときに通りかかった中年女性が、間近で熱心に聴いてくれる。歌い終えあとに声をかけた。
…………………………
こんな感じの曲がお好きですか?
ええ、歌は大好きです。
何かお聴きになりたい曲がありましたら、こちらのリストからお受けします。もちろん無料です。
(リストを手にとってながめる。ほどなくして)
「空に星があるように」をお願いします。昔から大好きなんです。
それはまたいい曲をどうも。私も好きで、よく歌うんですよ。
…………………………
 ショウガ湯を中心としたメンテナンスの効果もあってか、この日は声がよく出た。歌い終えたあとも、かの女性とあれこれ話していると、そのやりとり耳にした若い女性3人が近寄ってきて、「リクエスト歌ってくれるんですか?」と尋ねる。
 ええ、レパートリーにある曲なら、と応ずると、ハッピバースデートゥーユーをお願いしたいんです。実は、この子今日が誕生日なんですよ。指差された一番若い子が恥じらう。
 それはおめでとうございます。もちろんOKです。お名前は?…M子さん、ハイ分かりました。

 こんなやり取りのあと、普段よりキーを少し上げて2度歌ってさしあげた。介護施設で同様の依頼がときどきあるので、譜面の準備はなくとも問題なく演れた。思いがけない歌での誕生プレゼントに、当の本人は大喜び。

 5曲目に入る前で「共演の方がなかなか見えないので、しばらく歌い続けます」とMCでふれたら、聴き手の中から手が上がり、「私がその共演者です」という。新規パフォーマーだったので面識がなかったが、ずっと聴いていた男性が実は共演の神山さんなのだった。
(車の急なトラブルで機材の搬入ができず、パフォーマンス自体がキャンセルになったことを後で知る)
 ではあと2〜3曲で打ち切りとしますと急きょ宣言。ラストの1曲はその場に居合わせた聴き手に声をかけ、中島みゆきシリーズとして、「時代」と「麦の唄」のどちらかを選んでもらった。つまりは、二択形式のリクエストである。
 結果は「時代」が圧倒的。対して「麦の唄」を選んだ方はゼロ。朝の連続ドラマの主題歌であることは事前にふれたので、タイトルに馴染みがなかったせいではない。転調を多用したこの曲、非常に難解な印象がする。聴き手は敏感だ。

 とはいえ、この日の喉の調子からすると、高音部の聴かせどころがある「時代」のほうが自分に合っていたのも事実。終わると多くの人が集まってきて、声をかけてくれた。CDも2枚売れて、都合6枚。多めの10枚を準備して正解だった。
 悪天候の予想で場の反応は鈍いのではないかと予想していたが、思いがけないやり取りなどもあって、手応え充分の結果となった。

2014年12月16日火曜日

無垢材床の汚れ落し

 連続するライブ準備の合間に、大掃除を少しずつやっている。浴室とユーティリティは完全に終わり、今日は2階のすす払いをやった。

中央の白くなった部分が、昨日清掃した分

 1階の無垢材床の汚れや水ジミがひどく、クレンザーでこすってもあまり効果がない。入居以来15年間、まともにワックスがけなどしていないから、汚れも相当なもの。
 ふと思いついて霧吹きで水をかけ、歯ブラシでこすってみると、みるみる汚れが落ちる。先日試みてうまくいった、無垢材の窓台黒カビを落す手法と同じである。

 広い部分だと歯ブラシでは時間がかかるので、100均で買った柄付タワシでもやってみたが、こちらもうまくいく。
 コツは汚れが浮いたら、ただちに雑巾でぬぐうこと。(無垢材は汚れが吸着しやすいので)
 この手法、あくまで無垢材の床を対象とした話で、一般的な合板フロアーではどうなるのか、我が家には存在しないので不明である。
 どんな素材にせよ、目立たない狭い場所でまずやってみて、一晩おいて状態を確かめる必要がある。興味のある方、お試しを。

2014年12月15日月曜日

漬物主役交代

 秋に漬け込んだタクアンが食べ頃になり、4月くらいからずっと主役だったぬか漬けの床を、冬眠させることにした。

 隠し味として埋め込んだショウガやニンニク、南蛮を取り出し、新しいヌカを足してよく混ぜる。ホーロー容器についた汚れやサビをていねいに拭き取り、最後に表面に薄く塩をふって完了。
 ラップで二重に覆い、さらにその上にプラスチックの蓋を載せ、外物置の棚に収納した。


 主役交代で食卓に登場した今年のタクアンは、干し上がって漬け込むまでコマメに面倒をみたせいか、なかなか出来がよい。加齢に伴って歯もじょじょに弱っているが、ひとまずタクアンはまだ噛める。
 夏場のぬか漬けでメインとなるのはキュウリだが、スーパーで買うと時期によっては、1本70円近くもする。1本だと1回で食べてしまい、これが毎日続く。食費に占める漬物費はかなりのもの。
 これがタクアンとなると、大根1本が60円程度で、2回は食べられる。つまり、1回分が30円という安さ。煩わしいぬか床の管理もなく、家計にも非常にやさしい漬物である。

2014年12月14日日曜日

幸福感と政治

 厳寒のなか、妻を伴って車で投票に行ってきた。政治に期待しているわけではないが、投票せずに外に向かって、あれこれ社会批判はしたくないから。

 45年間、ほとんど棄権せずに生きてきたが、結局のところ「政治」=「市井の国民」なのである。一般社会から乖離した生き方を歩むと自他ともに認める私のような者にとって、やはり政治というものは身に馴染まない存在なのだと、つくづく思う。


 3日前のことになるが、今年もクリスマスグッズをあちこちに飾った。2階カウンターテーブルには、妻の手作り籐製ツリー。吊した飾りは廃棄品やお菓子のオマケの寄せ集めだが、ささやかに暮らしを潤してくれる。
 日々の幸福感は、こうした小さな所作の積み重ねの陰に潜んでいるのではあるまいか。そこに政治が介入する余地はあるのか。

2014年12月13日土曜日

涙と拍手のデイサービス

 車で10分ほどの距離にあるデイサービスへ歌いに行った。依頼はかなり前にあったが、実は6日前に歌ったデイサービスから系列施設へと移動した職員さんによる紹介である。
 HPやSNS等のネット経由という最新の依頼ルートも近年は多いが、「紹介」というアナログ的ルートもまだまだ健在。人と人のつながりは実にさまざまだ。

 担当のKさんとは1ヶ月ほど前に新施設で面会し、会場の下調査も済ませてあった。当日は私の伴奏で「あの素晴しい愛をもう一度」を一緒に歌うという趣向も決まっていたが、開始10分前に施設を訪れると、当のKさんがインフルエンザで欠勤しているという。
 当初30名前後と聞いていた利用者も、半分の15名ほど。しかし、ライブは予定通りやって欲しいとのことで、ステージ位置を当初の打合せから、椅子を移動せずに済む位置に変更した。


 Kさんと一緒に歌う計画はなくなったが、ラストに全員で歌う「ソーラン節」は予定通り。要はシングアウトというヤツだ。歌詞が複数あるので、どの歌詞をどの順で歌うか簡単に打合せる。
 やや遅れて14時2分くらいからライブ開始。およそ50分で15曲を歌った。(※はリクエスト)

「高校三年生」「おかあさん(森昌子)」「お富さん」「月の砂漠」「幸せなら手をたたこう」「リンゴの唄」「バラが咲いた」「さざんかの宿」「北の旅人(南こうせつ)※」「ここに幸あり」「丘を越えて」「愛燦々※」「夜霧よ今夜も有難う※」「月がとっても青いから」「ソーラン節」
 この日は最高気温がマイナス3度という、まさに氷漬けの一日。その日の体調や天候によって参加を決めるデイサービスでは、利用者が半減するのも仕方のない気象条件だった。
 初めての施設なので、進行は手探り。6日前の系列デイサービスのセットをベースにしたが、たとえ同じ系列でも、場所が変われば嗜好がガラリ変わることもよくある。決めつけは禁物だ。

 予想もしてなかったが、2曲目の「おかあさん」で、目頭を押さえる方が続出した。特に「泣かせること」を狙って歌っているわけではもちろんないし、そもそも狙えるようなものではない。しかし、それが起こった。
 しばしそうしたシーンからは遠ざかっていたので、正直戸惑った。譜面に目を落としつつも、いやでもテッシュで顔をぬぐうシーンが目に入る。努めて平静を装って進めたが、その後の「お富さん」や「月の砂漠」までそのイメージを引きずってしまい、あやうく崩れそうになった。


 その後明るめの曲が続いてようやく立て直したが、7曲目の「バラが咲いた」で再び場が静まり返り、涙をぬぐう人が続出。歌い終えるとと職員さんの一人が感極まって、「寒い冬の日に、あたり一面がバラの花に包まれるような感動的な歌唱でした」と声をかけてくれる。

 この歌は時に涙を誘うので、ある程度事前の心構えはあって、崩れることなく冷静に歌えた。
 ハードな条件のライブが続き、喉にダメージを最も受けやすい時期ともあって、この日の調子はあまりよくなかった。特に高音部の伸びが悪く、だましだまし歌っている状態だったが、最近は悪いときでも悪いなりに歌う術を心得たように思える。
「南こうせつを歌ってください」と、先の職員さんから請われ、8曲目から演歌を続ける予定を急きょ変更し、9曲目からは場の嗜好に合わせ、叙情性の強い曲中心に切り換えた。
 これまでは事前に自分の決めたセット構成にこだわってきたが、地区センターでの全曲リクエストライブをこなして以来、そんなこだわりは捨てて、臨機応変に場の流れに合わせるつもりでいる。

 リクエストの「夜霧よ今夜も有難う」でも涙を見た。これまた泣くような曲ではない。しかし先日の地区センターライブでも、見届けた友人から「あの曲はすごくよかった」とのメールが届いていた。自分ではよく分からないが、聴き手を打つ何かがあるのかもしれない。
「丘を越えて」では、席を立って踊りだす男性が現れた。職員さんびっくりのハプニングだが、こちらは過去に数回経験がある。
 ラスト2曲は全員の手拍子が飛び出し、涙を吹き飛ばす楽しい締めくくりとなった。

 終了後、全員で記念写真を撮りましょうと、誰からともなく声があがる。めったにあることではなく、過去に記憶があるのは一度だけ。この日のライブが刺激的だったという証しであろう。
 ライブはまるで川の流れのようで、何が当たって何が外れるのか、やってみるまで分からず、つかみどころがないもの。その筋書きのなさが大きな魅力。生モノとしてのライブにこだわる理由がそこにある。