実は昨年末にいつも停めていた60分100円の格安パーキングが廃業した。同じ料金の別駐車場に変えたが、その駐車場も3月から50%値上げ。他に100円パーキングは4ヶ所リストアップしてあるが、いずれも平日午後の競争率は高い。
運良くそのうちのひとつに空きがあり、すんなり停められた。ガソリン高騰の折、安い駐車場の確保は活動を無理なく継続するうえで、大きなポイントである。
今日の会場は北4条広場。寒いが静かで音響がよく、好きな広場だ。3組の共演だったが、今日も私の到着が一番。書類記載中にジャグリングの弥勒さんが登場。看板を分担して会場に移動する。話し合いで私がトップを務めることになった。
この日は東日本大震災直近の枠ということで、追悼と復興支援という切り口で第1ステージを構成しようと、かなり早くから決めていた。普段のチカチカではほとんど歌わない癒し系、励まし系の歌を中心にやろうというのだ。
14時7分からおよそ25分で、以下の7曲を歌った。
「さくら(直太朗)」「ふれあい(初披露)」「カントリー・ロード」「青葉城恋唄」「雲や風と共に(オリジナル)」「時代」「レット・イット・ビー(オリジナル訳詞)」
大雪も峠を越え、天候も穏やか。人通りも多かったが、人々が足を止めてくれたのは、こうした場で実績のある「カントリー・ロード」から。最初2曲の反応は皆無で、拍子抜けした。
直後の「青葉城恋唄」で聴き手は一気に30名前後に迫る。この曲は1年前にも被災地追悼として歌ったが、非常に強い曲である。同じ東北系の「ふれあい」が無反応なのと対照的。理由はゆっくり考えてみたい。
続けて歌った唯一の被災地支援系オリジナル「雲や風と共に」で、次々と人が消え始める。最後まで残って聴いてくれたのは5人ほど。聴き手は実に残酷である。楽曲の力不足を認めなくてはならない。
「時代」で少し戻し、ラストの「レット・イット・ビー」では再び20人を超えた。この曲はいつどこで歌っても強い。訳詞がビタリはまった感じだ。
歌い終えると、数人の中年女性が近づいてきて、「いまの曲はCDに入ってますか?」と問う。著作権の関係で無理です、と応じたが、それでもCDを買ってくれた。この日初めて並べた200円の紙ジャケットCDも売れた。
近寄ってきた別の女性に見覚えがあるな…、と思ったら、何と小学校の同級生である。昨年、同窓会の幹事を違いに務めた間柄。隣市に住んでいる方だが、たまたま用事があって通りかかったとのこと。最近よく知っている方に会うが、同窓生は初めてだ。
ジャグラーの方のステージをはさみ、15時から第2ステージ開始。およそ25分で以下の8曲を歌う。ここでは持参した小型の椅子に座って歌った。
「いいじゃないの幸せならば」「石狩挽歌」「人形の家」「抱きしめて(オリジナル)」「男と女のお話」「柳ヶ瀬ブルース(初披露)」「夜が明けたら」「圭子の夢は夜ひらく」
第2ステージの切り口は、1月下旬から始めて思わぬ手応えを感じている「暗くてマニアックな昭和歌謡」である。ただ、最初の2曲は全く立ち止まる人がなく、そろそろ見切り時かもしれない。
人が集まり始めたのは、すでに実績のある「人形の家」から。そしてオリジナルの「抱きしめて」で、どんどん増え始める。前回と全く同じ動きで、本当にこの曲は強い。聴き手を惹きつける何かがあるのかもしれない。
そのまま最後まで聴き手は減らず、周囲1メートル程をぐるり取り込んで離れない。聴き手との距離が近すぎるのは歌いにくいものだが、最近はかなり慣れた。PA無用の近さだったが、遠くでじっと聴いている人もいたので、そのまま継続。
もしかすると「座って歌った」ことが関係していたかもしれない。私の歌の聴き手は女性が圧倒的に多く、立って歌うと少し見上げる感じになる。ところが座ると視線が下がる。より親しみを感じてくれるのではないか。これについても、もう少し分析してみる必要はあるが。
歌い終えると、CDの棚が空っぽ状態になっている。お金を投げ込んでCDを持ち帰る人が多数いたのは気づいていたが、持参したCD9枚のうち8枚が売れていた。5枚の紙ジャケCDは完売。「もうないんですか?」と尋ねる方もいたほど。紙ジャケCDの威力は絶大である。
200円という求めやすさと、曲のタイトルを大きく入れたジャケットデザインが分かりやすいせいではないか。予想をはるかに越える反応で、次回は数を増やさねば。