雪解けが進んだので、雪のない時期と同じ時間に家を出たが、結果としてこの判断が誤り。月曜ということもあってか、都心に進むにつれ、かなりの渋滞に巻き込まれる。
運良く100円駐車場は空いていたが、雨がひどく、持参の傘をさして会場まで歩く。企画イベントやオーデションも含め、過去33回のチカチカパフォーマンス系イベントに参加しているが、傘をさして歩くのは今回が初めてだった。
事務局に着いたのが14時で、本来なら準備を終えて歌い出している時間である。台帳に記入し、大型看板2つをキャリーカートに積んで会場へと向かう。この日は3組の共演だったが、遅く着いたはずの私が一番乗りだった。
会場は前回と同じ北4条広場。誰も来ていないので、珍しく通りにまっすぐ向かってステージを設営する。
腰の調子もいまひとつなので、前回同様小型の椅子を持参した。これに傘と看板2つが加わり、過去最大の機材運搬となったが、キャリーカートの威力は絶大。地下への昇降も最寄りのエレベーターを使ったので、大きな障害とはならなかった。
かなり遅れて、14時30分ころから歌い始める。第1ステージの切り口は「せめて春模様」と称し、気分だけでも春を感じさせる8曲を歌った。
「なごり雪」「仰げば尊し」「青葉城恋唄」「亜麻色の髪の乙女」「花の首飾り」「宗谷岬」「バラが咲いた」「サクラ咲く(オリジナル)」
先週のディサービス訪問ライブで会場の涙を誘った「なごり雪」を1曲めにもってきたが、これといった反応がなく、拍子抜け。続けて歌ったいにしえの卒業ソング「仰げば尊し」で一気に人が集まり、あっという間に20人を越える。予定では2番で終えるつもりが、急きょ3番まで歌うことに。
この歌は長年作者不詳とされてきたが、2011年になってアメリカの曲であることが突き止められたとか。叙情性に富んだ歌詞と旋律には、日本人の魂をゆさぶる何かがある。私も好んで歌うが、どこで歌っても反応はよい。曲調が自分に向いているのだろう。歌い継ぎたい名曲である。
実はこのあと歌った「青葉城恋唄」までが、この日の集客のピークであった。「亜麻色の髪の乙女」でかなりの人が消え、「花の首飾り」で再び大きく戻した。聴き手はまるで寄せる波のようだ。
介護施設系の場では抜群に強い「宗谷岬」で、なぜか人が次々と消え始める。ラスト2曲は聴き手ゼロという寂しさ。歌い始めて25分が経過したが、次なるパフォーマーは誰も会場に現れない。喉の調子はよく、椅子に座っているので腰の不安もない。予定にはなかったが、このまま休憩なしで第2ステージに突入しようと腹を決めた。
第2ステージは手慣れたマニアック昭和歌謡路線である。過去3回に準じた内容で、以下の7曲を歌った。
「ダンシング・オールナイト(初披露)」「圭子の夢は夜ひらく」「人形の家」「抱きしめて(オリジナル)」「男と女のお話」「柳ヶ瀬ブルース」「寂しくなんかない(オリジナル・初披露)」
第2ステージに移行しても、相変わらず立ち止まる人はいない。途中でようやく共演のジャグラーと読み聞かせの方が現れたが、了解を得て最後まで歌ってしまうことにした。
人がようやく立ち止まり始めたのは「男と女のお話」から。この日に限っては、いつもは強い「人形の家」「抱きしめて」の2曲も、まるで手応えなしだった。「雨模様の肌寒い月曜日」という条件がそうさせたのか、本当にストリートライブは歌ってみるまで分からない混沌の世界だ。
人がある程度いたので、初披露のオリジナル「寂しくなんかない」は予定通りに歌ったが、この日のような悪条件でラストで歌うには、ちょっと厳しい感じがした。もう少し歌い込んで、別の条件下で歌ってみたい。
結果としておよそ50分で15曲を一気に歌ったが、売れたCDは前半での1枚のみ。まあ、こんな日もある。人生と同じで、浮いたり沈んだりがストリートライブの摂理であろう。