2013年3月19日火曜日

思い出時計を修理

 一昨日のこと、妻が「居間の時計が止まっている」というので、電池切れかと壁から外そうとしたが、手元が狂ってそのまま床に落としてしまった。文字盤のガラスは無事だったが、駆動部の接着が外れ、針が内部で大きくズレている。

 この時計、1976年の新婚時代に高松の現場勤務だった折、完了後に工事業者から記念にいただいたもので、37年も使い続けた思い出深い品だ。長い家族の暮らしの数少ない目撃者でもある。
 過去にも一度同じような理由で床に落とし、枠の一部が割れた。ボンドで補修して使ってきたが、今回その補修部分もまた脱落。いよいよ買い換えかと覚悟したが、どうせ捨てるなら徹底的に分解してやろうと考えた。


 裏返して適当にビスを緩めたら、ガラス板はあっけなく外れた。(このビス、今では見られないマイナスネジ)軸がずれて歪んだ針を元に戻し、組み立てなおして駆動部をガムテープで仮固定。電池を入れてみると、普通に動く。

 そのまま数時間様子を見たが、短針の動きが全くデタラメで、使い物にならない。気を取り直してもう一度分解。短針をよく調べてみたら、かなりのゆるみがある。しかし、長針の動きには連動していて、駆動部はやられていないようだ。
 思いついて短針の回転部に薄いドライバーを差し込み、下に押してみたら、固く止まる感じがした。ゆるみはなくなり、長針との連動もOK。再度組み立てて丸一日様子を見たが、狂いなく正常に動いている。
 今日はガムテープで仮固定してあった裏側の駆動部周囲をボンドで固めた。まだしばらくは使えそうな感じがする。
 いまやこの種の時計は100円ショップでも簡単に手に入る。しかし、思い出は買えない。ゴミも極力増やしたくない。直せるものはトコトン直して使う、それが縄文的暮らしの基本。