昭和30年代からバブル景気に至るまでの高度成長期には、単に周囲の波に乗り、馬車馬のように働いていればそこそこやっていけた時代も確かにあった。しかし、いまや資本主義経済には明らかな陰りが見られ、世の価値観も日々変貌しつつある。社会の潜在ニーズを的確に見極め、そして実行に移す力量が求められているのだ。
30年間、細々と事業を続けてきた私もその例外ではなく、臨機応変に社会の動向を見極め、素早く対応してきたつもりだ。でなければ、妻と二人の零細事業を、曲がりなりにもここまで続けてはこれなかっただろう。
企画力とは無縁と思われた第一次産業にでさえ、変貌の影は忍び寄っている。TPPに代表される社会的要因がそれで、オカミにすがってばかりいては、あっという間に足元をすくわれてしまう。難しい時代になったものだ。
多くを望まず、オカミ(政治)に頼らないコンパクトな生活を旨としてゆけば、あくせくせずとも、とりあえずは生きていけそうな気もする。
その場合、企画力に腐心するのは趣味かボランティアの世界に限られ、私の場合なら次なるライブの場を探したり、新たなステージ構成を考えたりすること。金儲けとは無縁の世界なのでやっていて楽しいし、一人であれば失敗も怖くない。新しいアイデアもそれなりに湧いてくる。
これに限らず、企画力の泉はたゆみなき好奇心と邪心なきアソビ心にあると私は思う。常に進化するキモチである。
明け方に新しいオリジナル曲が突然舞い降りてきた。あわてて起きだし、手近な紙に歌詞とコードをメモ。
最近、覚醒状態によく曲ができる。今回は明らかにシゲキ的な昨夜のライブの恩恵である。やはり新しいことはやってみるものだ。
その「抱きしめて」という新曲、歌謡曲のようなラテンのような、はたまたシャンソンのようでいてフォークのような、実に不思議な味である。すでに完成して、夕方の定例練習でも歌った。
もしテレサ・テンが生きていたら、こんな曲を歌っていたかもしれない。その意味では昭和歌謡ならぬ「平成歌謡」ということになる。
抱きしめて いまは抱きしめて
この身が砕けてしまうほど
抱きしめて 強く抱きしめて
今宵のあの月消えるまで
近々、ストリートライブで歌うかもしれない。通りすがりの反応がちょっと怖く、そして楽しみ。