西側のテラス窓は床に近いので毎年雪に埋まるが、南側の窓はそれより60センチも高い位置にある。この窓がここまで埋もれたのは、過去13年で記憶にない。
あとで知ったが、自宅東側を流れる川の対岸地区にある拓北では、24時間積雪量が53センチを記録したらしい。いわゆる「ドカ雪」というヤツで、都心まではJRで20分強で着く便利な地域だが、もはや完全なる豪雪地帯である。
「新聞が届いていない」という妻の声で目覚めてドカ雪の異常事態を知ったが、午後からチカチカパフォーマンスに行く予定になっている。玄関前は雪で完全に塞がっているので、これをどかさないと参加は不可能だ。
昨夜は3時まで起きていたので5時間しか寝てないが、雪が気になって起きてしまった。まだ雪は止まないが、腰をかばいつつ、除雪車の置いていった硬い雪をまずスコップでどかす。
いったん休憩して珈琲を飲み、次に電動除雪機を持ちだして作業した。電気代はかかるが、さすがに機械は楽で、20分ほどで車を出せる状態になる。再び家に戻って軽くリハーサルをする。
空は徐々に晴れてきたが、雪による渋滞が怖いので、いつもより30分も早く家を出た。
ほぼいつも通りの時間に都心に着く。この日は2週間ほど前に買ったキャリーカートを初めて試す日でもあった。大雪で歩道の状態が悪そうだったが、逆にこんな日にこそ、キャリーカートの真価が分かるというものだ。
機材は自宅で梱包し、キャリーカートごと車に積んだ。うまい具合にそのまま後部トランクにすっぽり収まる。心配していた雪道だったが、あまり問題なく運べた。段差部分もゆっくり進めばOKである。
何より、肩や腰への負担が格段に少ない。これは使える。
この日は昼の枠に似顔絵を含めて4組がエントリーしているはずだったが、事務局に行くと、まだ誰も来ていないという。大雪で出遅れたのかもしれない。やむなく、2種類ある看板を預かり、キャリーカートに積み込む。
ヒモや余分なゴムバンドを持参しなかったので、積み込みにはかなり苦労した。しかし、工夫すれば何とか積める。移動時には手で支えてやり、地下へは階段ではなく、エレベーターを利用した。
会場は苦手とする北3条広場だが、2月は割当て枠が少なく、他の会場の選択肢はない。トップバッターとして14時ちょうどから第1ステージ開始。およそ27分で以下の8曲を歌う。(※は初披露)
直前に連絡のあった知人のTさんが会場に来ていて、最初から聴いてくれた。
「いいじゃないの幸せならば」「石狩挽歌※」「人形の家」「抱きしめて(オリジナル)」「男と女のお話」「夜が明けたら」「圭子の夢は夜ひらく※」「伊勢佐木町ブルース※」
会場は苦手とする北3条広場だが、2月は割当て枠が少なく、他の会場の選択肢はない。トップバッターとして14時ちょうどから第1ステージ開始。およそ27分で以下の8曲を歌う。(※は初披露)
直前に連絡のあった知人のTさんが会場に来ていて、最初から聴いてくれた。
「いいじゃないの幸せならば」「石狩挽歌※」「人形の家」「抱きしめて(オリジナル)」「男と女のお話」「夜が明けたら」「圭子の夢は夜ひらく※」「伊勢佐木町ブルース※」
前回大冒険企画としてやってみた「暗くてマイナーな曲」が予想外に受けたので、勇気を得て再度似たような構成で臨んだ。人が集まりだしたのはオリジナルの「抱きしめて」あたりから。自分でも理由がよく分からないが、この曲は本当に強い。
続けて歌った「男と女のお話」で聴き手はさらに増え、一気に30人近くまで迫る。そのまま大きく減ることなく、ラストまで歌い進んだ。
いつもはマルチビジョンの音声が大きい会場だが、この日はいつもより音が小さく感じられた。この会場としては、かってないほど人が集まった理由のひとつだったかもしれない。
楽曲の強さにも助けられたのも事実だ。聴き手は必ずしも明るくて励まされる曲ばかりを望んでいるわけではない。時には暗く沈んだ曲も聴きたい。それが紛れもない事実である。その確証をこの日得た。
ここでは曲調はあまり気にせず、自分の歌いたい曲を好きに歌えばよいのだ。
ジャグラーの方のパフォーマンスをはさみ、15時10分から第2ステージ開始。およそ28分で以下の9曲を歌った。第1ステージでアルペジオの感覚が微妙にズレたので予定を少し変え、全曲ストロークで歌った。
「夢の途中」「時の過ぎゆくままに」「オリビアを聴きながら」「不思議なピーチパイ 」「白い冬」「ダスティン・ホフマンになれなかったよ」「五番街のマリーへ」「男と女のお話」「熱き心に」
後半はガラリ雰囲気を変え、実績のあるメジャーな曲を並べた。ところが、聴き手の集まりが前半に比べて極端に悪い。第2ステージにありがちな展開だったが、臆せずに淡々と歌い継ぐ。
いつもは強いはずの「白い冬」で、ついに聴き手がゼロになってしまった。過去一度もなかったことで、理由は不明。ふきのとうがいつでもどこでも受け入れられるわけではないということだ。
いつものように通りに吹く風になった気持ちで歌い続けるうち、「ダスティン・ホフマンになれなかったよ」からまた人が集まり始めた。ストリートの聴き手には、まるで波のような掴みどころのない流れがある。
以後、聴き手は減ることなく増え続け、ラストの「熱き心に」では20名近くに達した。第1ステージであまりに反応がよかったので、「男と女のお話」を再び歌った。同じ日に同じ歌を2度歌うことはまずないが、それほどこの曲が強かったということ。
この日売れたオリジナルCDは2枚。ほとんど告知せずに並べてあるだけなので、こんなものか。最後の2曲くらいで指と足の裏がつり気味になり、さらには寝不足による眠気も襲っていた。これらは大雪によるダメージであるのは間違いない。気を奮い立たせて歌いきったが、ちょっとした綱渡りだった。
すべてを終えて撤収にかかろうとしていると、遠くから中年女性が微笑みながら近づいてくる。以前に子供がサッカーでお世話になった者です、という。15年前に指導していたサッカー少年のお母さんなのだった。
普段は通らない地下通路を何気なく通りかかり、懐かしい歌だな、上手な人だなと思って聴くうち、以前のサッカーコーチであることに気づいて驚いたという。
偶然だが、住んでいたマンションも同じで、息子さんは札幌選抜チームにセレクトされた優秀な選手であった。しばし懐かしい話にふける。本当に不思議な偶然の起きる空間である。