2013年2月7日木曜日

すぎる

 ネット上で「~すぎる」という言い回しがヤタラ目につく。しかもその使い方が、いまひとつスッキリしない。いくつか例を挙げる。

「楽しすぎる」「嬉しすぎる」「面白すぎる」

 これらはそれぞれ「楽しい」「嬉しい」「面白い」といった肯定的表現の強調・誇張として使われているようだが、本来「~すぎる」という言い回しは、「悲しすぎる」「苦しすぎる」「辛すぎる」といった否定的な表現を強調するために使われていたはず。
 それをあえて肯定的表現に使ったところが、いかにも今風といったところなのだろう。使っている世代はおおむね40代以下あたり。中高年には無縁の世界だ。
(これを記したのち、妻に確認したら、50代前後でも使っている人がいる気がする、とのこと。同居家族に若い人がいる場合、伝染する可能性あり)


 この種の表現はすでに企業系サイトにも見られて、昨日のYahoo!映像トピックスでは「意外すぎるヘディングでのフリーキック」「歌ウマ過ぎっ!な世界の少年少女たち」、NEWSポストセブンでは「184cmの長身を支える美しすぎる美脚」といった見出しが踊っている。
 定着するかどうかは疑わしいが、現時点ではトレンドとしての流行り言葉の類いであろう。
 ところで「~すぎる」を肯定強調として使う言い回しには、「楽しさ、嬉しさ、面白さがやがて消え去って、その先に待ちかまえている虚しさの片鱗がチラリ垣間見える」といった印象がする。シアワセの行末を見越した、醒めた心情を代弁している気がする。
 先の希望、展望があまり見えない世の中、その「祭りのあとの寂しさ」を若い世代が無意識ながらも敏感に感じ取っているせいで、こうも使われているのではないか。コトワザにもあるが、「過ぎたるは及ばざる」である。