生きていればこその平穏である。
今年は宴の開始も午前10時過ぎと早かったが、年賀状が届くのも早かった。あれこれいいつつも、友人知人の描いた賀状を眺めつつ、杯を傾けるのは楽しいものである。
「いつも菊地さんの年賀状が届くのを楽しみにしています」との添え書きが複数あり、こんなふうに持ち上げられると、やめようやめようと思いつつも、はやり生きているうちはいまのスタイルで書き続けたほうがよいのかな、とも思ってしまう。
読んでいて楽しいのは、やはり写真や文章で家族の近況が分かる賀状である。つまりは、自分が作っているようなスタイルで届けてくれる賀状ということで、結局は自分が投げたボールをストレートに投げ返してくれる形を自分も好む、ということになろうか。
今年の特徴かもしれないが、「謹賀新年」「迎春」「あけまして…」という賀状の定例句を省略したものがいくつか見られた。福島県に住む友人の賀状には「いのり」の文字が大きく描かれていた。
実は数年前から私の賀状には、この新年の定例句が一切存在しない。あるのは新しい年の西暦表示(今年なら2012)くらいで、他はその年の代表的な写真数枚をレイアウト処理した画像と、その年にできた俳句や詩篇など。賀状としてはかなり異色の部類に属するだろう。
いちおうは表現者を自負しているので、たかが賀状でもそのスタイルにはこだわる。