そこで妻とも相談し、摩周湖を少し遅めの時間に訪れることにした。屈斜路湖東岸経由で摩周湖第3展望台に向かい、もし見られなかった場合は、北側から裏摩周展望台を再度目指し、途中で秘境と呼ばれる神の子池を訪れることに決めた。
8時10分に宿を出発。早朝には曇っていた空も、予報通り次第に青空が見えてきた。8時50分に摩周湖に到着、祈る気持ちで展望台の階段を駆け上がると、見えました!前日の深い霧が嘘のように、鮮やかに晴れ上がった湖面が目の前に広がっている。
妻にとっては3度目の正直で、年齢的にも万一今回見ることが叶わなければ、生涯見届けることはできないのでは…?とまで思い詰めていたので、本当に喜んでいた。そんな妻の願いを知っていたから、刻々と深いマシューブルーに染まってゆく湖面を見るうち、私の胸にも熱い想いがこみ上げた。
今回初めて気づいたが、私が46年前に見た摩周湖は、大型バスが駐車可能な南側の第1展望台である。今回見た第3展望台は駐車場が狭く、普通車以外は停められず、トイレもなければ売店もない。しかし、展望は抜群にこちらがいい。
すれ違った複数の観光客が同様のことを言っていた。この事実は観光案内でもあまりふれられていないが、理由はよく考えると分かるでしょう。
その後、摩周湖の東側に位置する神秘の泉、神の子池に向かう。いったん北に抜け、Uターンして回り込むという遠回りの道。大きな時間ロスだが、実はここは学生時代の友人、S君に強く勧められた場所だった。
S君は道東地区に長く住んだことがあり、地理に明るい。事前に相談したところ、「神の子池を見るべし」という、まるでホトケのお導きのような言葉。この日の朝、帰るルートを当初の阿寒湖経由から、急きょ網走オホーツク経由に変更したので、何とか行けるメドがついたのだ。
神の子池の場所は分かりにくく、もちろん観光バスの定期ルートにも入っていない。普通車がやっとすれ違える砂利道を行くと、突然現れる。
摩周湖とは地下水脈でつながっていて、底からこんこんと大量の水が湧き出てくる。水温は5度だそうで、あまりの冷たさで、湖面からは水蒸気がドライアイスのように白く、幻想的に立ち上っている。
中心部はエメラルドブルーで、まさに奇跡の水にふさわしい。無理して来てよかった。貴重な情報を届けてくれたS君に感謝である。
神の子池から道を北へ逆戻りし、そのまま網走へと向かう。網走からオホーツク海を眺めつつ西へ走り、常呂からサロマ湖へと抜け、そこから内陸に入って丸瀬布から高速道路に乗り、旭川経由で札幌に戻るという行程である。
阿寒湖経由よりも確実に距離が長くなるが、これまであまり行ったことのない土地を通ることができるし、阿寒湖ルートで大きな難点である、占冠-夕張間の高速道路未開通部分をパスできる、という利点がある。
網走の原生花園で車を降り、園内の散策路をあちこち探訪したが、オホーツク海岸に抜ける小さな広場で妻が立ち止まり、ここには41年前の青春の思い出がある、と出し抜けに言う。
会社や学校という所属する自分の場がない一時期、旅で北海道を訪れた妻は、この場所でバスの時間を待ちながら、1時間以上も茫漠としたオホーツクの海を眺め続けていたという。まるで「岬めぐり」の歌の主人公のように、私はこれからどうして生きて行こうか…、と。
その後妻は技術専門校の試験に合格して図面トレースの技を習得し、都内の会社に入社するが、その2年後に北海道からやってきた私と出会うのだ。そして夫となった私が、その思い出の地に本人を連れてくる…。
初めて聞いた話だったが、生きていてよかった、と妻はここでもうれし涙を流していた。
その後、道に迷ったり高速道路の交通止めに遭遇したりしながら、20時半に自宅にたどり着く。見物や買物でかなり時間を食ったが、延べ12時間半、走行距離520キロの長い過酷な旅路だった。
この2日間の合計走行距離は950キロで、よくぞ走った。いろいろな意味で夫婦の在り方を見つめ直し、明日への生きる活力を得た貴重な旅であった。