2011年5月9日月曜日

浜岡原発停止はガス抜きか

 浜岡原発の停止がどうやら本決まりのようだ。当初は菅首相の大英断、よくぞ決めてくれた、やはり「コンクリートから人へ」の政党であったかと、高く評価していたが、その後の情報で浜岡原発以外は停める気がないことが分かり、拍子抜け。
 さらには、仙谷由人官房副長官の「エネルギー政策として原発を堅持」、はては「日本海側、瀬戸内にある原発はまず心配ない」との公式発言を聞くと、さらに力が抜けた。
 日本海沿岸そのものである2007新潟県中越沖地震により、柏崎刈羽原発が放射性物質漏洩を起こし、数年に渡って停止を余儀なくされた事実を、いったいどう説明する気なのだろう?
 どうも政府民主党は浜岡原発停止を政権浮揚の起爆剤に利用するだけで、今後もエネルギー政策は、相も変わらず原発にドップリ依存する気でいるらしい。この分では自然エネルギーへの転換など、夢のまた夢に終わるだろう。
 浜岡原発停止は反原発世論に対する、単なるガス抜きだったのか。呆れたことだ。

 100歩譲って原発の大事故が当面起きないとしても、原発を運転し続ける限り、使用済み核燃料はいつまでも排出され、その毒は消えることなく何万年も地球上に留まり、人類は潜在的恐怖に怯えながら暮らし続けるだろう。
(現段階で決定的な処分方法はない)
 最近の世論調査によれば、原発擁護と脱原発の世論は拮抗している。そう遠くないであろう次の衆議院選挙で、この「原発擁護か脱原発か」は、大きな争点になりそうな予感がしていたが、何も変わらない可能性が大きくなった。
 何度も書くが、何が起きても結局は何も変わらない、変わろうとしない国民性であるということなのだろう。

 原発が争点にならなければ、選挙には行く気がしない。今後もブログで政治にふれるなら、行って白票でも投ずるか。「緑の党」という、明確な反原発の選択肢があるドイツを始めとする欧米各国の成熟した民度が、とてもうらやましい。