それでも近所の土手にある桜が八分咲きで、なかなか美しい。今年は土手の花見で済ませようかと、勤めから戻った妻に水を向けたら、いつものモエレ沼公園に行きたいと言う。ならばと、暖かい服装で身を固め、妻の昼寝が済んだ午後4時に車を出した。
普段は閉じている最短距離の南駐車場がなぜか開いていたので、わずか10分で公園に到着。そこからサクラの森までの回遊路をテクテクと歩いた。
空は雲ひとつなく、木々が青々と芽を吹き始めたばかりで、道はどこまでも真っすぐに続く。いい気分である。帰宅直後は頭痛がするとか言っていた妻も、歩くうちに気分壮快になったとか。
15分ほど歩いてたどり着いた森は、まさに桜が満開。いつもは少し散り始めているが、今年に限ってはその直前の見頃だった。
やはり近所の土手とは少し違うわいと、二人して満足。こうして夫婦でのんびり花見が出来るのも、おそらくあと数えるほどなのだろうと、分かっちゃいるけどそんな残り時間が少しセツナクて愛おしい。
久しぶりだった昨日の路上ライブに関し、改めて感ずることがあった。それは、「歌は純粋に歌だけで展開すべき」という基本である。
他のさまざまなイベントとタイアップして実施されるライブやコンサートは少なくないが、個人的な印象として、その多くは歌そのもののピントがぼやけてしまう。安易な便乗は避け、やはり歌は歌そのもので勝負すべきものだと思う。
問題は主催する側の思惑で、歌い手の願いとは必ずしも一致しない。買物や食事が主目的でやってきた客を、たまたまそこにいた歌い手が歌で何分間でも釘付けにできればよいが、現実には非常に難しいこと。仮にそれほどの力量を持つ歌い手ならば、いずれプロとして大成するに違いない。
究極的には歌い手自身が企画主催し、自由に場を構成する形が最も望ましい気がする。歌い手に必要とされるのは単に歌唱力だけでなく、集客も含めて、魅力的な場を広く構成する力量ではないか。