2012年4月27日金曜日

自由に歌いたい

 GW直前の週末と月末とが重なり、気ぜわしい一日を過ごした。午後から森のコンサートの打合せに出かけるので、午前中は雑務に専念。電子譜面の入っている中華Padの充電をセットしたあと、まずはATMから郵便局へと回り、来月分の食費を下ろし、同時に簡易保険のまとめ払いを済ませる。
 夕方に母の暮らす施設にも行く予定なので、スーパーでお土産のルックチョコも買う。ガソリンを入れ、夏タイヤの空気圧調整も済ませたい。

 ふと時計を見ると、12時が迫っている。午後の打合せはちょっと遠い場所なので、あわてて家に駆け戻る。
 昼食の盛りそばを作りつつ、同時進行でギターや譜面、PAをパッキングする。本当は歌の練習もしたかったが、あまり必要ない気もしたので、結局そのまま出発。Mさん宅には5分ほど遅れて着いた。


 Mさんはプロのソプラノ歌手で、地元の交響楽団、札響ともソリストとして共演している。クラッシク歌手としては珍しく、自ら作詞作曲も手がけ、あの日本作詩大賞新人賞にも入選している。

 つまり、あらゆる面で格が違う方で、今日お会いしたのは仲介に立った発起人の顔を立てると同時に、私の実績と力を率直にお話しし、伴奏そのものを辞退することだった。
 話すうち、Mさんにも事情があったことを知る。プロであっても今回は完全ボランティアで臨むつもりでいたこと。普段はプロのピアノ伴奏を頼むが、完全ボランティアで引き受けてくれる人は皆無であること。無伴奏では歌えないこと、弾語りはできないこと、等々…。

 Mさんは私のことを村治佳織のようなクラシックギターの弾き手だと思い込んでいたようだ。やはり行き違いである。この時点で話し合いは決裂で、あとは別の伴奏者を探していただくか、それが無理なら参加そのものを辞退ですね。そこまで話が進んだ。
 しかしせっかくなので、私の予定曲を少し歌ってみましょうか、あくまでフォークがルーツの歌唱ですけども、と前置きし、ギターを取り出して「カントリーロード」と「野ばら」を続けて歌った。(PAなしの生歌)
 するとMさんの様子が少し変わり、とっても軽い「野ばら」ですね、などと言いつつ、「浜辺の歌」は歌えますか?と尋ねてきた。「浜辺の歌」は譜面なしで歌える。いつものキーで歌い始めると、途中からMさんも一緒に歌い出した。高いが、力強い歌唱である。圧倒される。
 もっとキーを高くできますか?と問うので、転調しつつ同時にカポでも調整。音を探るうち、MさんのキーがAであることを知る。私は普段Eで歌っているので、相当高い。一緒に歌えなくもないが、サビの部分がギリギリ。伴奏はシンプルな普通のアルペジオだが、力強いMさんの歌唱には不思議にマッチする。まずまずの出来と思えた。

 Mさんが別の資料を持ちだしてきて、「おおブレネリ」は弾けますか?と問う。うまい具合に私のレパートリーである。中華Padを取り出して検索。ほどなく譜面が見つかって、ここからギターにPAをつないで本格的に合わせる流れになった。
「おおブレネリ」もカポだけではとてもキー調整ができず、その場で転調しながら弾き続けるしかなかった。Mさんからはテンポや音量に関する細かい注文が次々と飛び出す。
「私の歌のペースにギターを全面的に合わせて欲しい」それがMさんの希望だった。
 その後、同じ調子で「ピクニック」「森へ行きましょう」「エーデルワイス」「故郷」と続く。(当日はこどもの日企画なので、子供を意識した選曲)「森へ行きましょう」「エーデルワイス」はレパートリーになく、勘だけで伴奏をつけたが、なかなかいい感じにおさまった。
 ふと気がつくと6曲を歌い終え、2時間近くが経過している。最後に「私の伴奏でよいのでしょうか?」と再確認すると、ぜひお願いします、とのこと。ただし、当日までにもう一度今日の6曲を一緒に練習したい、それが条件であった。

「クラシックとフォークのコラボと今回は考えます」とMさんは言ってくれた。普段はピアノやオーケストラの伴奏が多く、フォークギターで歌った経験はないという。被災地支援ということで、辞退という結果だけは避けたかったふしがある。だから、つたない私の伴奏にも譲歩してくださった。比較的平易な曲を選んでもくれたのだ。

 終了後の雑談で、「どんなふうに歌いたいと思っていらっしゃいますか?」と少し不躾な質問をしてみた。実績あるプロ歌手がノーギャラで歌うこと自体が不思議でならなかった。
 するとMさんは、「自由に歌いたいといつも思っています。既成概念にしばられることなく…」。意気に感じる場であればノーギャラでも歌いますよ、とも。この言葉にちょっとシビれた。いい出会いを感じた。