2012年4月22日日曜日

心の文鎮

 長年親の介護を続け、無事に見送ってようやく肩の荷が降りたはずの知人が、何だか元気がない。何をするにもいまひとつ気力が湧かず、体調も優れないという。
 病院に行ってはみたが、特に悪いところはなく、とりあえず対症療法として胃薬などもらってきたという。

 ずっと面倒をみてきた子供が家を離れて一本立ちしたとたん、心身に支障きたす母親がよくいると聞くが、同じ現象がときに子供のみならず、親の死によっても起きることがあるらしい。
 ある種の「空の巣症候群」とも言えるが、何も心配事がないのが最高の健康状態、ということに必ずしもならないのが人間のやっかいなところだ。ひとつふたつの気がかりが片隅にあってこそ、それが重しになって心身が安定する。どうやらそんな現象も確かにあるようだ。
 幸いなのかどうかは分からないが、3人の我が子を家から巣立たせ、その後父親も見とった私には安堵感こそあったが、この種の喪失感や空虚感とは無縁だった。妻もまた同じである。
 しかし、人間ときに心の重しは必要なのだろう。糸が切れた凧はあてもなく空を漂い、文鎮のない紙もまた風が吹けば果てなく空を舞う。少しの気がかりがある身を幸いと捉えるべきか。