2012年1月31日火曜日

木製PAスタンドの改良

 先週末に納品した仕事の修正がもしあるとすれば、今日の午前中までがリミットだったが、電話は鳴らなかった。一発OKの可能性が高いので、心置きなく昨日作ったばかりの木製PAスタンドの改良に励む。
 目的は電池式のローランドMOBILE CUBEを同じスタンドに取付けてしまうこと。うまくいけばその都度セットしなおしているカメラ三脚は携行バックに入れたままでよくなり、スタジオ内もすっきり広々と片付くことになる。
 すでに設置済みのCM-30に比べるとかなり軽いので、取付け方にはいろいろな手段が考えられた。

・同じ手法で木製の支持台を下側に作る。
・下側でなく、同じ高さで直角に横に取付ける。
・本体に付属のベルトで金具などに吊るす。
・ベルトを通すハンドル取付穴を利用する。


 順に試したが、どれもいまひとつピンとこない。幸いだったのは、2本の支持棒とMOBILE CUBEの幅がほぼ同寸法だったこと。試行錯誤するうち、既存のハンドル取付穴を利用する手法が最もすっきり収まり、着脱も容易であることにたどり着く。

 ハンドル取付穴の裏側のビスだけを取り外し、工具箱にある手持ちのビスから長めのものをねじ込んでみるとピタリはまる。本体背面よりビスの頭を少しだけ外側に持ち出し、支持棒に何らかの金具を取付けて差し込む方法を思いついた。


 床下にしまってあるパーツ箱からあれこれ部品を見繕い、カーテンレールをつなぐ部品をハサミで2つに切り、穴を開けて止めてやればうまく機能することに思い当たった。
 取付けの心臓部は上の写真の通り。金具の穴が木製支持棒より数ミリだけ手前に浮いているところがミソで、これによって差し込みと取り外しがスムーズにできるのだ。
 完成まで相当苦心したが、ほぼイメージ通りに仕上がった。
 この種のアイデアを煮詰める過程は非常に刺激的で楽しいもので、やっている人間にしか理解できない世界だろう。優れた工業製品が完成するまでの苦労話をテレビでよく放送しているが、基本的な思考過程はそれと何ら変わらない。

 この種の「アイデアを形にする」作業を安く、しかも簡潔に進めるには、ちょっとした部品の数々が手元に数多くあることが肝心で、床下や工具箱の底にはさまざまな一見ガラクタ風の部品がひそかにしまってある。
 どうしても見つからずにやむなくホームセンターに買いに走ることもたまにはあるが、たいていの場合はここから必要な部品が見つかる。私にとってはまさに宝の箱。

2012年1月30日月曜日

自宅PAの大改変

 ふと思い立って自宅2階の一角に常設してあるPAセットの大幅改変を試みた。
 発端はこのところしばし使ってなく、埃をかぶったままだったMDコンポ利用のPAセット。最後に使ったのがおよそ1年半も前のことで、その後コンパクトな弾き語り専用PAを2つ買ったこともあり、出番はほとんどなくなった。
 かっては自宅ライブを始め、施設訪問ライブや自主企画のカフェライブ等にも大活躍した。しかし、最近は弾き語り活動自体が街角ライブや施設系ライブ中心に移行しつつあり、家族の協力が必須で集客面でも難点が多い自宅ライブや自主企画ライブを、今後積極的に仕掛ける気持ちはいまのところない。

 住まいの有り様は時に応じて変わってゆくもの。思い出は大切にしたいが、変わることを恐れて過去にしがみついていては、新しい創造など望むべくもない。使わないPAはもはや無用の長物で、現状の生活スタイルに合わせ、部屋もすみやかに模様替えすべきと考えた。


 まずは自作のスピーカースタンドを分解する。簡単な構造なので、作業は難しくない。延長したコードも元の長さに戻し、MDコンポ一式を買ったときの姿そのままにベンチ角の空きスペースにセットした。

 ひとまず置いてはみたが、たまに使うとすれば焼いたCDのチェックと古いカセットテープの試聴くらいか。MDはダビング可能なダブルヘッド式だが、音源の保存がいまやICレコーダーによるマイクロSDカードとパソコンが主体だから、今後活躍する可能性は低い。これも時代の流れである。


 分解したスピーカースタンドの部材を利用し、主に介護施設でのライブに使っているローランドCM-30のスタンドにリメイクした。活動時にはマイクスタンドの下半分を使って設置しているが、自宅ではより安定し、インテリアにもマッチする木製自作品を使いたい。
 こちらは作りながら考えがいろいろ変わり、ちょっと手間取って完成まで2時間ほどかかった。

 高さはPA下端で91センチと程よい。後ろ側を壁につけてあるので、かなりの地震にも耐えられそう。なかなかいい感じに収まった。
 現段階では電池駆動のローランドMOBILE CUBEは使用時と同じカメラ用三脚を使って並べてあるが、これを書いているうち、CM-30の下側のスペースに支持台を新たに取付け、ダブルで設置できそうなことに気づいた。
 これに関する追加情報は明日以降。

2012年1月28日土曜日

時代はクラシックか

 起きると外は吹雪いていて、陽射しも全くない。室温も上がらないので、いつもは日中は点けない暖房ボイラに点火。寒気が上空に居座っていて、各地で雪が降ったり最低気温を記録したりしている。
 午後から少し離れた地区センターでカンツォーネとクラシックのミニコンサートがあり、このご時世に無料。行くかどうか迷って、とりあえず玄関前の除雪をやったら案外簡単に終わり、急に行く気になった。

 迷った分出発が遅れ、到着は開演時間ジャストの14時。すでに館長の挨拶が始まっていたが、運良く空き席を発見する。
 会場は昨年12月にフォーク歌手の及川恒平さんがXmasコンサートをやった同じ場所である。そのときにもらったパンフレットでこの日のコンサートを知った。マニアックな内容なので客は少なめか?と想像していたが、入ってみると荒天の悪条件にも関わらず、300席がほぼ埋まっていた。


 館長の挨拶によると、6年前に地域住民を対象に実施した「地域センターでどんなイベントをやって欲しいか?」のアンケート調査で、80%という突出した数値だったのが「コンサート」。
 さらにそのうちの60%がクラシック系のコンサートを希望していたそうで、その2年後からそれまであまりやってなかったコンサートを定期開催することにし、今年はクラシック系を中心に8回のコンサートをやる予定だという。
 地域住民の声とはいえ、会場を見回すと圧倒的に多数を占めるのは50代以上の中高年。そんな人たちの実に50%近くがクラシック系の音楽を気軽に聴ける場を求めていることに驚く。

 実は数日前に実施したストリートライブの内容も、こうした嗜好に限りなく近い傾向のものだった。そして熱心に聴いてくれた人たちは同じように中高年が圧倒的多数。今日の話とピタリ一致する。
 人によって音楽の嗜好もさまざまではあるが、クラシック系の音楽が発信側にとっても大きな魅力であることは明白だ。
 コンサートは5人の若き地元音大卒の女性たちによるもので、前半がクラシック、後半がカンツォーネ中心の内容。卓越した演奏技術で聴衆を魅了した。個人的には前半の構成が特に好みで、曲目の選択など、非常に参考になった。
 聴き手がクラシック系を望んでいるとはいえ、あまりにマニアックで耳になじまない選曲であれば支持されない。歌い手としては工夫が必要である。今回は「どこかで耳にしたことがある」という明確な基準があったように思う。

 先日のチカチカパフォーマンスでは、後半にクラシック系のオリジナル、つまりはクラシックの名曲にオリジナルの歌詞をあてる、という手法の曲を何曲か歌ったが、これが予想外の支持を受けた。
 つまりは平原綾香の「ジュピター」に代表される手法である。過去に同様の手法を私も試み、そのストックを今回使ったわけだが、まだまだやる余地は残っているなと今日のコンサートを聴いて感じた。
 たまに顔を出す近所のO珈琲店や都心のカエルヤ珈琲店では、店内のBGMがクラシック曲で統一されていて、それが実に心地よくて落ち着く。時代はいまクラシックなのかもしれない。

2012年1月27日金曜日

毎回の新しい出会い

 一昨日のチカチカパフォーマンスで最後まで聴いてくれ、名刺を手渡した女性の一人から、さっそく感想のメールが届いた。過去に同じような経緯から何人もの方に名刺を渡したが、こうして具体的な反応があったのは初めて。通りすがりの一期一会がストリートライブの基本だが、素直にうれしい。
 ところがこの方に返信したメールがエラーで戻ってきてしまう。他のアカウントから試みても同じで、困り果てた。このブログをもし読んでいたら、確かに届いています、ありがとうございます、とお伝えしたい。

 今回のライブでいくつか改良した部分は、だいたいうまくいった。マイクスタンド類を収納する袋の出し入れは格段にスムーズになったし、リストバンドを利用して備品を止める方式もまずまず。
 ただ、リストバンドの力がやや弱く、肩にかけて歩いているうちに譜面台と簡易三脚が袋の下までずり落ちてしまう。最初から袋下端にくるよう、止め方には今後工夫が必要だ。


 今回が2度目の簡易三脚もおおむね使える。譜面台の下半分を利用したもので、高さが足りないのでややあおり気味の撮り方になるが、軽いのが取り柄。上半分はマイクスタンドに取付けて使っているので、万一アタッチメントが壊れた場合、組み立てて普通に譜面台として使えるところがミソ。
 今回新たに感じたのは、開始と終了時にちょっとギターを立てかけておくスタンドが欲しいな、ということ。一人で写真撮影する際や、終わるとすぐに話しかけてくる方に素早く対応するには、やはりギターをどこかに一時置きたいが、広場の壁は滑りやすくて立てかけ不能。やむなく今回は床に転がしておいた。
 以前に作った木製簡易三脚があり、ギターケースのポケットに収納可能。だが重さが250gあって軽量化の流れには反する。悩ましい。
 ライブの余談。撤収作業中に「あ、やってる!」と、高校生男子2名が近寄ってきた。「もう終わりだよ、ごめんな」と声をかけたら、「何か1曲歌って。さだまさしかエグザイル」ときた。
 ずいぶん差のあるリクエストだなと思いつつ、妙に人懐っこいので「エグザイルは無理だが、さだまさしは少し歌うよ」と応えると、「あ、さだまさし好きだ。『灯籠流し』とか…」という。そりゃ「精霊流し」でしょと笑いをこらえつつ、片づけながらアカペラで少しだけ歌ってあげるとエラく喜ばれた。

 10代にもフォークが浸透している事実にちょっと驚く。3種類の1ステージ構成で今後のチカチカパフォーマンスに臨みたい、と以前に記したが、もしかすると場や時間に関わらず、特化した歌に応じた聴き手が自然に集まってくるのかもしれない。
 当分の間手探り状態は続くが、地下歩行空間がやるたびに新しい出会いと発見がある刺激的な場であることに変わりはない。

2012年1月25日水曜日

地下歩行空間での偶然

 平日だが、仕事の電話がほとんどない水曜日。都心であれこれ用事を済ませるついでに、札幌駅地下歩行空間で6度目のチカチカパフォーマンスを実施した。

 この日の会場は先月末にもやった北4条広場。ストリートライブ過去最高の集客数を記録した場だ。その集客がたまたま近くでやっていた古本市の波及効果によるフロックだったのか、さらには場と時間の求める歌が果たしてシャンソン&クラシック系なのかどうか、もう一度同じ条件下で確かめたくなった。


 前回のライブで休憩をはさんだ後半の集客がいまひとつだった反省をふまえ、今回は歌う場所を広場の奥ではなく、通路にかなり近い側壁に設定した。音の返りを考え、側壁を背にして左手に通路を見、正面にはJR札幌駅に通ずる出入口を望む位置である。
 通行人の視線を考慮し、パフォーマンス用看板はいつもとは反対側の左手通路近くに置いた。

 会場到着はいつもよりかなり遅い15時5分。事務局には開始が遅れることを事前にツイッターで連絡してある。
 この日も妻は仕事のため同伴せず、2度目の完全ソロステージである。寒いが外は平穏で機材運搬に大きな支障はなかったが、写真撮影を持参の簡易三脚でこなすのはまだ慣れない。セルフタイマーの時間調整や連続撮影機能を駆使し、何とか終わらせる。
 15時15分よりライブ開始。この日は2週間前に北大通広場で試し、いい感じだった休憩なしの1ステージ方式を再度採用。結果として65分で以下の19曲を歌った。

「サントワマミー」「雪が降る」「雪の降る街を」「菩提樹」「オーソレミオ」「想い出のソレンツァラ」「独り(オリジナル)」「ドミノ」「メガネを買う(オリジナル)」「水の中のナイフ」「わかっているよ」「詩人の魂」「さくらんぼの実る頃」「思い出のグリーングラス」「夢路より」「鱒」「あたらしき世界(オリジナル)」「夕凪ワルツ(オリジナル)」「恋はやさし野辺の花よ」


 前回のフォーク系構成のときより5曲増やしたが、喉も指も何とか最後までもった。ただ、暖かいフリースジャケットとマフラーというスタイルにも関わらず、会場は非常に寒かった。途中で指がかじかんでしまい、コードの押えがやや甘くなったり、アルペジオにもたついたりした。寒さはこの広場が最も厳しいように感じる。
 開始早々、6~7人の男子高校生が取り囲んだ。変なオヤジがストリートをやってるぜ、という興味津々の表情。まだ歌う前だったので、「シャンソンだよ」と声をかけて歌い始めたが、ちゃんと最後まで聴いてくれて拍手ももらった。開始が遅かったので、下校時間とぶつかったらしい。
 その後、聴き手はあまり増えず、3~4曲目あたりでは遠くの柱で一人だけ、といった寂しい状況である。やはり前回は古本市の恩恵だったか…と思いつつ、通りを行く人にむかって淡々と歌い続けた。

 出かける前は3曲ほどしか歌ってなく、ほぼぶっつけ本番。しかし、声はよく出た。日々の練習に手を抜かずに励めば、喉の調子はそれなりに維持できるものらしい。
 理由は分からないが、「オーソレミオ」あたりから急に人が増え始めた。どの広場でもそうだが、人は人を呼ぶ。曲によってバラつきはあったが、一時は20人近い聴き手で広場はあふれた。

 曲間で近寄ってきた中年婦人から「あなたの歌を以前にも聴きました」と突然言われた。昨年ある介護施設で聴いたという。最初は分からなかったが、途中で気づいたという。今回のライブはネットでも一切告知しなかったので、全くの偶然である。こんな不思議なことが起こる。
 数曲後、別の婦人から「建築士さんではないですか?」とこれまた突然問われた。私はネットであなたのブログを読んだことがある。毎日10曲練習していると書いてありました、という。
 先の方と同様、歌声に引かれて聴いているうち、気づいたらしい。こんな偶然が日に2度も大都市の地下空間で起きるとは。
 予期せぬことが続けざまに起こったので、MCなしで進めていた流れが急に普通のライブのようになった。以降、歌う曲を簡単に紹介しつつ進めた。
 終了後、「オーソレミオ」あたりからずっと聴き続けてくれた2人の中年女性(先の女性とは別人)としばしの歓談。「連絡先を」と請われ、名刺を差し出す。「心が洗われる歌声でした」と喜ばれた。
 あり得ないような偶然がまるで打ち合わせたように起きる空間。実に面白く、刺激的な場である。

2012年1月24日火曜日

FAX用紙の規格

 昼過ぎに取引先から電話がある。新年早々からずっと取り組んでいた仕事にようやくOKが出たとのこと。都合4度も修正を強いられたいわくつきの物件で、このご時世に仕事を発注してくれるのはありがたいが、頼む側も以前に比べて要求がはるかにシビアになっている。これ、経済の論理か。

 とはいいつつ、全く別の依頼が2件同時に同じ取引先から同じ電話であった。想定外の仕事にありつき、今月はもはや仕事納めかと決め込んでいたが、気合いを入れて取り組んだ今回の仕事、しばしのご無沙汰だった先方には、案外新鮮に映ったのかもしれぬ。


 ともかくも新たな仕事はFAXでやってきた。今回は手慣れた分野で大きな問題はない。ふとFAX用紙を見ると、端部に赤いラインが。「用紙の残りが少ないですぜ」の警告サインである。
 何事も早めが肝心なりと、すぐに新しい用紙に交換しようとしたが、どうしてもFAX本体にセットできない。ロールが太すぎて入らないのだ。そのときになって気づいた。用紙の規格が自宅FAXとは異なる1インチ芯なのだ。

 FAX用紙には芯のサイズに2種類ある。1インチと1/2インチで、互換性はたぶんない。我が家はずっと1/2インチ規格を使っていて、買い足す用紙も当然この規格だった。
 それがどういうわけか、合わない用紙を買ってしまった。こんなことは20数年にも及ぶFAX歴のなかで初めてのこと。なんてことだ…。
 合致する用紙を買いに走ろうかと一瞬考えたが、まてよと思い直す。使い終えたFAX用紙の芯が残っているではないか。これに新しい用紙を巻き直せばいいではないか…。
 そう思うとすぐに、セッセと巻き直し作業を始めた。合計30mもの用紙をずらすことなく、ていねいに巻き直す作業は意外に疲れた。いい加減イヤになり始めたとき、双方が同じ太さになった時点でやめてもよいのでは?と思いついた。
 幸いに、我がFAX機の仕組みは単純にロールを枠にはめるだけで、芯そのものの直径には依存しない。要するに外形が規格値以下であればセット可能なのだ。

 かくして途中で巻き取り作業は中止。巻き取った分に多少のズレはあったが、テストプリントにて支障がないことを確認。疲れたが、用紙を無駄にせずに済んだ。

2012年1月23日月曜日

コードが醸し出す気分

 ギターコードGM7(ジーメジャーセブン)の新しい押さえ方を最近覚えた。これまでは人差し指で1弦2フレットを押さえるだけだったが、このほかに5弦2フレッドと6弦3フレットを押さえるのが本来のGM7。
 ストローク奏法なら5-6弦を弾かずにおけば何とかなって、実際にそうしてきた。ところが最近になってアルペジオ奏法でGM7を使う機会が頻繁にあり、ベース音となる5弦を弾く必要に迫られた。

 正統派のGM7の押さえ方は非常に難解で、曲の流れのなかでこれをスムーズにやるのは私には無理。そこで考えたのが、写真のように5弦を人差し指、1弦を薬指で押さえる変則的な手法。6弦は押えず、従って弾かない。


 あくまで自己流なのでお勧めはできないが、私の場合、オリジナル曲などでG→GM7と続けて弾くシーンが多く、その流れの中では非常にスムーズに弾ける。
(ちなみに、私のGの押え方は「6弦3フレットを中指」「5弦2フレットを人差し指」「1弦3フレットを小指」というものだが、これ自体が変則的であることを最近知った)
 コードには「メジャー」「マイナー」「セブンス」「マイナーセブン」「メジャーセブン」などの系列があり、たとえばGならG、Gm、G7、Gm7、GM7という具合。
 専門的なことはよく分からないが、メジャー系は明るく伸びやかな印象、マイナー系は暗く憂いを帯びた印象、セブンス系は明るくて渋い印象、マイナーセブン系は暗くて渋く、メジャーセブン系は明るくてオシャレ、などと言われている。

 70年代フォークは多くがメジャーとマイナー、そしてセブンスコードで作られているが、80年代にさしかかるとじょじょにマイナーセブン、メジャーセブン系コードが使われてきた。時代の求めるものがより複雑化してきた証か。
 メジャーセブン系は私も好んでオリジナル曲に用いるが、より不可解な曲調を醸し出すために、最近はシックス系やアドナイン系もしばしば用いる。反対に単純明快な70年代的気分を作りたければ、これらの変速コードは一切使わないのがよろしい。
 曲の雰囲気は、ほぼコードの選択で決まると思う。

2012年1月22日日曜日

夜むきの体質

 朝9時から町内会館の除雪奉仕作業。自由参加だが、自宅目の前に町内会館があり、町内会役員もやっているしで、ちょっとパスしにくい状況にある。

 いつものように前夜は3時近くまで起きていたので、非常に眠い。しかし、年に一度のことである。ムチ打って起き、脚立とスコップを持ちだして屋根に昇り、雪落としに勤しむ。
 雪落としは毎年決まってやる仕事。自宅の車庫屋根で慣れているので、自分には合っている。


 参加者が思いのほか多く、作業は1時間足らずで終了。その後、たたまずにおいてあった布団に再度潜り込み、昼までコンコンと眠る。若いころからこうした「刻み睡眠」が得意だったが、還暦を過ぎたいまもその体質が変わることはない。
 かなり以前に「総務」という町内会役員の要職を仰せつかったことがある。しかし、1年で辞めた。人間関係の調整などに代表される仕事がマイペースを旨とする資質に全く合わなかったこともあるが、「朝が苦手」という体質も大きな理由となった。
 町内のいろいろな声が午前中から飛び込んでくるのが総務という役職の宿命だが、電話にせよ直接訪問にせよ、それに満足に対応できない。これでは務まるはずがない。

 しばしして引き受けたのが「街灯部長」という役職。こちらは肌にあった。なにせ、街灯が点くのは私の得意とする夜の時間帯である。
 そんなわけでこの3~4年はずっと街灯部長が私の役目。電気代補助金の申請やら街灯データの更新など、ちょっと書類手続きが煩雑ではあるが、まあ適職であろう。
 これまで車庫北側の壁に設置してあった除雪スコップ置場を、アルミ製のスコップを新たに買ったのを機に、玄関を出てすぐ横のスリット壁に変えた。写真のように木片を握り手の幅に切り、ビス止めしただけの簡単な仕組みだが、うまく収まっている。
 位置が車庫側よりも近いので、思い立ったらすぐ手にとって除雪できるところがミソ。

2012年1月20日金曜日

ガリ箱展「カエルの森」

 たまに顔を出す都心のカフェ「カエルヤ珈琲店」にて「豆だらけ展」なるイベントが開催中で、私のアート作品「カエルの森」も展示されている。今日は仕事で都心に出たついでに、確認に行ってきた。


 製作の過程はこのブログでも紹介しているが、要はガリ版の箱という小宇宙の中に何らかのテーマで作品を作りましょう、という趣旨である。いろいろな経緯でその第一回の担当者となった。
 自宅庭木の剪定枝と空き瓶の蓋で使ったカエルのオブジェを、枯れ木で作った森の中に配置する、というのが作品の概要。第一回ということもあり、テーマからカエルを外すことはどうしてもできなかった。
 上の写真は店内のもの。玄関脇の目立つ位置にスポットライトを浴びて飾られている。「豆だらけ展」というイベント名に合わせたかのように、森の隙間にはいろいろな種類の豆を散りばめてある。
 店内はカエルグッズであふれているので、雰囲気にはよく馴染んでいる。遊び心のある方には、楽しんでもらっているらしい。


 ちなみに、搬出直前の自宅での写真は上のようなものだった。車での移動により、枝が多少動いたりカエルの位置がずれたりしたかもしれないが、まあそこはご愛嬌だろう。

2012年1月19日木曜日

生きてきた証

「自分の生きてきた証をこの世に残したい」とHさんは言った。開業時から30年近く、細くなったり太くなったりしながらも、途切れることなく仕事を発注してくれる方だ。
 Hさんは長く不動産関係の広告に関わっていて、取引先関連で発生する建築関連の様々な図面や資料の仕事を私に回してくれる。私と同年代で、一匹狼的な生き方に引かれ合うものを感じる。

「本を書きたい、出版したい」とHさんは言う。雑談のなかでそんな嗜好を知り、自分の本が世に出るたびにHさんにも差し上げてきた。たとえ自費出版であっても、もし本が公的図書館に収蔵されれば、自分が死しても本は確かな記録として残る。そこが消え物としての広告とは全く違うところだ、と言う。
 現実には、自費出版本の全てが公的図書館に収蔵されるわけではなく、そこには当然審査がある。しかし、まず本がなければ勝負にならない。
 菊地さんはいいよ、うらやましいな、とHさんは言う。本業の建築だって、設計した家は長く残るものね、と。


 Hさんの考えも理解できないわけではないが、正直に書くと、そんな考えから文章を書き始めたわけではない。確かに何冊かの本は図書館に収められていて、私の死後もしばらくは資料として残るであろう。ただ、あくまでそれは結果論である。
 さらに言うなら、本が形として残り続けるのも、せいぜい100年ほどか。後世に長く残る名著以外は、いずれ整理されて廃棄の運命を辿る。「生きてきた証」として長く残る本など、ごく一握りに過ぎない。そんな儚い運命は、堅牢そうに見える建築物とて同じことだ。
 文章を書く過程で私が思い描くことは、たとえ一時的でも読み手の琴線にふれること。それが読んだ人の記憶に残り、あるいは魂を救済し、その後の生き方暮し方にプラスとなって働いてくれればもっとうれしい。

 具体的に何がどうとは説明できないが、過去に読んだ膨大な文章(書き手の有名無名を問わない)のなかで、自分にそうしたプラスの影響を与えてくれたものは数多くあり、それらは目には見えないが、さまざまな形となって自分の精神に及んでいるものと確信する。
 その精神は、おそらくはまた別の形となって家族を含めた他の誰かに何らかの手段、たとえば文章や会話などで伝わり、引き継がれているものと信じる。単なるヒマ潰しとしての文章も否定しないが、文章が本来持つ力とはそのようなものだと思う。

 もし自分の生きてきた証を後世に伝えようとするなら、目に見える形としてではなく、人々の記憶の断片として脈々と受け継がれてゆく形が、最も確かで持続性が高いのではないか。
 文章も確かにその一手段となり得るが、最近考えるのは、歌でも同じことができるのではないか?ということ。後世に歌い継がれる歌を創りだしたり、他者の作った歌を媒体にし、聴き手に文章と同じような働きかけを歌い手としてすることはできそうな気がする。
 そのためには具体的にどのような活動を今後すべきか、命つきるまでの方向性がこうして書いているうちに少し見えてきた。

2012年1月18日水曜日

非日常としてのライブ

 今年届いた年賀状を整理した。1枚ずつ手持ちの住所録ソフトと突き合わせ、住所や郵便番号をチェック。変わっている部分があれば修正する。
「住所が変わりました」と添え書きがあれば楽だが、何の告知もなく、突然住所やら郵便番号が変わっていることがけっこうあるから、油断できない。

 同時に賀状が届かなかった相手もチェック。こちらから出しても返信のない場合はひとまず住所録に保留マークを記入し、次年度からは出さないで様子をみる。この状態が翌年も続いた場合、先方からの「縁切り宣言」ととらえ、住所録ソフトから削除する。
 他との交流はあくまで双方の意思確認が前提であるので、そのどちらかが何らかの理由で欠けてしまった場合、深追いしないのが礼儀というものだろう。去る者は追わないことだ。

 一連の整理が終わったところで、ようやく昨年分の賀状を破いて処分。今年届いた分は1年間そのまま保存する。


 先日のチカチカパフォーマンスでいい感じだったライブの新スタイル、つまりはハンチングとマフラー姿に関し、色違いのバンダナのようにいくつかのパターンを準備しておこうと考えた。
 ハンチングは色違いを4個持っているが、マフラーはいまのところグレーのみ。妻が以前にエンジ色のマフラーを持っていたはず…、と探してみたが、見当たらない。
 どこかに忘れてきたかも?と妻は言うが、諦めきれずにもう一度クローゼット中をひっくり返してみたら、ある上着のハンガー内に紛れていたのを発見した。
 赤系のマフラーがあれば、バリエーションが広がる。歌と衣装は無関係のように思えるが、人前で歌うこと自体が大いなる非日常である。普段とは違う精神に自分を追いやるためにも、見た目は重要である。

 同じチカチカパフォーマンスに登録している他のパフォーマーのスタイルも何度か見せてもらったが、多くがジャグリング系とあって、私なんぞよりはるかにスタイルにはこだわってお金もかけている。
 楽曲の構成と併行し、衣装の構成もまた工夫を凝らさねばなるまい。

2012年1月16日月曜日

ライブ機材の省力化

 先日の札幌駅地下歩行空間でのストリートライブを初めて妻の引率なしで乗り切ったが、安い駐車場から会場までの道を重い機材を背負って歩くのはけっこう辛いものがあった。
 今回のパフォーマンスのために軽量化に努めたとはいえ、ギターを含めた全機材の重量は合計でおよそ11Kgある。3つに分けたこれらの機材を背中と左右の肩にかけ、1Kmほどの凍結路を歩くのだ。

 機材のさらなる軽量化はすでに限界に達しているので、あとはセットと撤収を効率よく進めることだ。その一環として、マイクスタンドと譜面台を収納する手製の布袋を改造した。


 弾き語り活動を本格再開した7年前からずっと使っていて、問題点が起こるたびに改修を重ねてきたが、今回は袋の入口をヒモとじ方式からファスナーに変えた。
 マイクスタンドを譜面台と一体型に改造したので、当初よりも全体が10センチほど長くなってしまった。現状では袋がぎりぎりで、出し入れの際にヒモにたびたび引っかかる。特に設営の際に思わぬ時間を食っていた。
 ヒモを通していた折り返し部分をのばし、ファスナーをぎりぎりの位置に縫いつけた。これまでより長さが数センチ伸び、出し入れもスムーズ。


 もうひとつの問題点だった譜面台とマイクスタンドを同時梱包する方法に関し、ふと思いついて使っていない伸縮性のあるリストバンドをスタンド中心軸にはめてみたら、これがいい具合に収まる。
 これまではスタンドにしばりつけたヒモを使っていたが、この方式だとバンドの中に譜面台を通してやるだけでよい。短時間で素早く着脱ができる。写真のように、ライブ時にはマイクケーブルをまとめておく役目に早変わりする。

 機材の省力化は、まだやる余地が残っているかもしれない。要は既存の方式にしばられない独自の発想と、あくなき探究心である。

2012年1月15日日曜日

システムの復元を敢行

 ちょと遅めの鏡開きを実施。といっても、プラスチックパックに密閉された鏡餅を開封し、包丁で薄く切って雑煮にしただけだが。

 昨年末のブログで確かふれたが、この鏡餅、タイ産のもち米で作られている。国産に比べて半値以下の88円。過去には食べそびれて半年以上も放置し、賞味期限をはるかに過ぎてしまい、やむなく捨ててしまったこともあった。
 最近はもったいないので、早めに私が食べる。(妻はなぜか食べようとしない)国産もち米に比べるとやや水っぽいが、まあ普通に食べられる。決して退散するような代物ではない。


 ところで雑煮を自分で作る際は、たいていインスタント式でやる。焼いた餅を器に入れ、とろろ昆布、干しエビ、鰹節、海苔、ネギなどを投入。醤油をかけて上から熱い湯を注ぐ。これだけ。
 いまは亡き父から教わったレシピだが、簡単な割になかなか美味い。覚えていて損はない。妻は知らなかったそうで、感心していた。
 3ヶ月ぶりの仕事で久々にWindowsパソコンを起動させてみたら、調子が悪い。いつも使っている3D-CGソフトが特定の動作をすると前触れなしに落ちてしまうのだ。
 あとに残されるのは、メモリがどうのこうのという意味不明のメッセージ。こまめに保存しながら作業し、急ぎの難しい仕事はどうにか終わらせたが、今日は思い切って「システムの復元」という非常手段を実行した。

 システムを丸ごと以前の状態に戻してしまうという便利な技で、いわばタイムマシンのようなもの。過去にも似たようなトラブルの際に試み、危機を脱している。
 不調の心当たりは、最近導入したGoogle日本語入力。Macで使ってたいそう便利なので、さっそくWindowsにも取り入れたが、システムに深く関わってくるので、これが特定のソフトとコンフリクト(衝突)してしまう可能性は十分ある。
 復元させる時期を調べたら、うまい具合に3ヶ月前まで戻せる。前回の仕事を納めた時期で、この時には異常はなかった。

 かなり時間をかけ、ブラウザやウィルスチェックソフトの再インストールを余儀なくされたりしたが、何とか終了。(ちなみに、新しく保存したファイルは消えずに残されている)
恐る恐る3D-CGソフトを起動し、同じ動作をしてみたが、今度は全く異常がなかった。推測がずばり当ったようだ。残念だが、私のWindows環境下ではGoogle日本語入力は使えないようである。

2012年1月13日金曜日

ストリートが求める歌

 一昨日のチカチカパフォーマンスで感じたことだが、休憩をはさんで30~40分を2ステージやるより、1時間近くで1ステージを一気にやってしまうほうが何かといいように思えてきた。
 下手に休憩をはさむとせっかく掴んだ聴き手が逃げてしまうシーンがこれまで何度かあった。最初は立ち止まってくれずとも、長時間歌い続けることで人はじょじょに集まってくる傾向にある。一気に歌うことで全体時間も短くなり、自分の集中力も増す。


 1ステージとなると、場所や時間毎にセットを変える必要がある。現段階で使えるのは「洋楽系(シャンソン、クラシック中心)」「日本唱歌系」「フォーク系」の3つだ。まだはっきりしないが、3つある広場のうち、北端にある北4条広場では洋楽系が、南端にある北大通広場ではフォーク系が、中央の北3条広場では日本唱歌系が場に馴染むような気が何となくする。
 それぞれの場の広さ、通りや出入口からの距離、明るさ、椅子の有無、マルチビジョン音響の有無と大きさ、等々の条件が歌の傾向に微妙に関わっている気がしてならない。この場所の条件に時間帯の条件を加味して今後ライブを構成したい。
 手探り状態はまだまだ続くが、おぼろげながら札幌駅地下歩行空間でのストリートライブの傾向がつかめてきた気がする。

2012年1月12日木曜日

アルミ製スコップ購入

 このところの豪雪による酷使がたたって、愛用しているスコップが壊れた。車庫屋根に昇って凍結した雪を強引にどかしているときに、ピキッと音がして割れた感触があった。
 調べてみると、昨年同じような理由でヒビ割れし、ハンダゴテで溶かして補修した箇所だった。すっかり忘れていたが、無理してはいけない部分だった。

 まだ雪は当分続きそうなので、6年ぶりに新しい除雪用スコップを買うことにした。この12年で2個のスコップを消耗したことになるが、かなり大事にしているほうだと思う。
 ずっとプラスチック製を使ってきたが、先端部に金属がついてはいても、やはり強度的な弱さがある。そこで今回は総アルミ製のスコップを奮発した。硬く凍結した雪に突き刺しても、簡単に割れることはない。


 あれこれ見繕ったが、大型の物は高価である。迷ったすえ、1,480円の中型スコップを買った。エンボス模様が表面にあり、雪の切れがよいとのこと。使ってみたが、硬い雪には確かに強い。屋根の雪下ろしには使えそうだ。
 反面、長さや幅が写真のように従来品よりも一回り小型で、一度に雪を飛ばす量や距離が物足りない。この価格で全てOKの品は無理というもの。

 割れた従来品は捨てるつもりでいたが、修理すれば新雪や砕いた雪には充分使えそうだった。そこで得意のプラスチック溶接の技術を使い、割れた部分を再度補修した。
 慣れたせいか、補修作業は前回よりもうまくいった。硬い雪の処理にはアルミ製を、その後の排雪には補修したプラスチック製をといった感じで、当分は2種類のスコップを上手に使いわけようと思う。

ハンダゴテで補修した部分

2012年1月11日水曜日

フォークでチカチカ

 ブログやツイッターでは全く予告しなかったが、札幌駅地下歩行空間でのチカチカパフォーマンス夜の部に参加した。
 平日だが、うまい具合に仕事も一段落し、取引先の多くが休みである水曜日。正月気分も抜け、街は平穏に戻っている。週末のスケジュールは勤めの合間にパフォーマンスをやり繰りしている他のパフォーマーに譲り、時間の融通が効く自由業の私は、こんなすき間の日にこそ歌うべきではないかと考えた。


 外は今年一番の寒気が襲い、強い地吹雪が吹き荒れている。瞬間的に前の車が見えなくなるほどの激しい嵐で、慎重に車を走らせた。
 夜の苦手な妻は、今日は家でお留守番。さすがに車の流れは悪く、16時40分に家を出て、都心のいつもの駐車場に着いたのが、17時30分だった。

 機材一式を背負い、凍結した道をトボトボ歩く。あとで知ったが、都心のこの時間に今年最低の-10.8度を記録したという。まさに凍りつくような寒さで、通りには人影もまばら。とても歌いに行くような天候ではない。
 17時50分に事務局に到着。本来は17時開始だが、事務局には少し遅れて始めますと事前連絡してあった。手続きを済ませ、すぐに地下街へと潜る。
 この日の会場は3つあるうちで、一度も歌ったことがない北大通西広場だった。地下鉄大通駅出口近くで、ややざわついた雰囲気があるのは、前回歌った北4条広場に似ている。
 チカチカパフォーマンスも契約期間が残り少なくなり、今後のためにも普段とは異なる時間帯、異なる場所を知っておくべきと考えた。

 この日のもうひとつの新しい試みは、歌をすべてフォーク系の曲でそろえてみることだった。先月末の及川恒平さんのXmasフォークコンサートで、熱気あふれる会場の気分を肌身で感じ、これまで地下歩行空間では手応えが弱く、ずっと封印してたフォークをもう一度試してみる気になった。


 事務局から北大通西広場へはかなり遠く、持参の簡易三脚で写真を撮ったりして準備にも手間取り、開始は18個10分から。この日は冬の歌を中心に、以下の14曲を休憩なしで一気に歌った。

「冬のロボット」「時代」「北の旅人」「Come to my bedside」「さりげない夜」「独り(オリジナル)」「空に星があるように」「めまい」「サボテンの花」「通りゃんせ」「河のほとりに」「突然さよなら」「あてもないけど」「別れのうた」

 通行人は多かったが、外が吹雪いていてちょうど帰宅時間。歌に関心を示す人は稀で、足早に通り過ぎるばかり。開始の3曲をそばで聴いてくれた若い女性が拍手と共に去ったあとは、ほとんど立ち止まる人のいないなか、孤独なストリートライブが延々と続いた。
 フォーク系とはいえ、選曲はかなりマニアックである。やはりフォークはこの空間では無理なのかと思いつつも、喉の調子はよく、自分の歌声が通りに響き、そして風のように流れてゆく感覚は得難いものだった。
 他の広場に比べて壁から通りまでの距離が近く、音の返りが非常によい。後部奥にあるマルチビジョンの案内音声は中央の北3条広場に比べてごく小さく、歌っていると全く気にならない。ライブの場としては恵まれていた。
 このまま風になりきって最後まで歌いきろうと覚悟を決めたとき、一人の中年男性が立ち止まって柱に寄り添い、ずっと聴いてくれている。それがきっかけとなり、一人また一人と立ち止まってくれる人が増え始めた。
 ラストの曲はそんな人たちに感謝の言葉を初めてMCとして入れた。終了は19時ちょうど。聴き手は最大6人で、洋楽や唱歌に比べると少なめだったが、尻上がりに聴き手が増えてきたのが救い。自分のなかでの満足度は高かった。

 終了後、一番長く聴いてくれた男性が近寄ってきた。歩いていて「河のほとりに」の歌声がすっと心の中に入ってきた。懐かしい曲が聴けてとてもよかったとねぎらってくれ、缶ビールを差し入れしてくれた。ありがたい。
 漠然とした感触だが、18時半を過ぎた頃からようやく通りをゆく人の足がゆっくりし始めた気がする。帰宅を急ぐ人の足を止めるほどの魅力は、我が歌にはないということなのだろう。夜のストリートライブは時間帯をよく考えるべきらしい。

 とはいえ、「初めて妻の引率なし」「初めて歌う広場」「初めての夜時間」「初めてのフォーク系リスト」「初めての悪天候」という初めてづくしのなかでは、まずまずの結果だったと自己評価したい。
 これまで見えなかったものをいくつかつかむこともできた。貴重な機会だった。

2012年1月10日火曜日

仕事と雪に追われる

 昨夜はブログを記す余裕もなく、明け方5時近くまで仕事に追われていた。
「進行中のパースを途中段階で見たい」との連絡があったのが、昨日の昼前。急きょ画像をメールで送ったら、その1時間後に再度の連絡。かなり大きな修正が出てすぐに打合せに出かけた。
 街は成人式の晴れ姿で溢れていたが、仕事が入れば休日など無関係に働くのが自由業の運命である。

「2件目はできたところまででよい」とのことだったが、半ば意地になり、結局はほぼ完成品に近い形に仕上げた。これぞ事業を細く長く続けるための矜持。


 昨夜未明から細かい雪が間断なく降り続き、仕事の合間に窓から様子をうかがうと、車庫屋根の雪が危険値1メートルに迫っている気配。昼近くに起きると雪は止んでいて、晴れ間がのぞいている。
 普段は玄関クローゼットにしまってある電動除雪機を取り出し、30分ほどで玄関前を除雪。休憩なしで車庫の屋根に昇り、雪を下ろし始めたら天候が急変し、再び激しい雪になった。
 いったん降りて昼食にしようかと迷ったが、面倒なのでそのまま一気に作業。こちらはかなり手間取って、1時間半もかかってしまった。

 屋根の雪は最深部で90センチ近くもあり、設計値ギリギリ。調べてみたら、一晩で25センチほど降っていた。昨年はこの時期に2度も雪下ろしをしているので、まだまだ油断はできない。

2012年1月8日日曜日

縄文的節約対策

 進行中の仕事は2物件まとめての依頼だったが、1件目が現在微調整を重ねていて、今日中にはどうにか終わりそうだ。
 キリのよいところで今夜はこのまま寝てしまいたいところだが、そうなると明日が厳しくなるのは目に見えている。最終納期は明後日の朝一番、つまりは3連休明けである。今夜も未明まで作業継続の予定。気の抜けない状態がしばし続く。

 久しぶりに緊張した精神状態が続くのでやや寝つきが悪く、持病の不整脈も久しぶりに飛び出した。ライブ前にも緊張はするが、しょせんは趣味道楽の延長である。
「あなたも人の子ね」と、妻からもからかわれたが、確かに。


 12月分の電気料請求が昨日届いたが、前年同月比でまたまた15%強減った。(使用量277kwh)金額にして1,100円ほど。この時期が電気使用量のピークで、以降は下がるのみ。毎月の電気使用量を300kwh以下に抑えるのは長年の目標だったが、ついに達成した。
 家庭内節電対策は震災以前からずっと取り組んでいて、試みもほぼ限界かと思っていたが、まだまだやれる感じだ。
 今回の対策で有効と思われるのは、2階仕事部屋で毎日5時間ほど点灯している電球型蛍光灯2ヶ所をLED球に替えたこと。1灯13Wが6Wに減ったので、思っていた以上の効果があがった。交換した時期は12月中旬なので、これによる節電は月の2/3ほどが対象。今後さらなる効果がみこめる。

 他の対策としては、暖房ボイラの運転時間を例年よりも1時間ほど減らした。わずかだが、毎日のことなのでかなり効いてくる。厳しい寒波で灯油の節約効果には結びついていないが、トータルでの経済効果はいまのところプラスである。
 縄文的節約対策はまだまだ続く。

2012年1月6日金曜日

こんな日に限って

 昨夜から断続的な雪。近隣のアメダスで午前中に積雪量が97センチに達したのを確認していたが、未明になって再確認したら、ついに100センチを突破していた。実によく降ってくれる。

 こんな日に限って昨日久しぶりに引合いのあった仕事が本決まりとなり、近くの地下鉄駅近くまで打合せに出かけることになった。明け方に除雪車がきてくれたので、玄関前の除雪は簡単に済んだ。車を出すのに支障はない。
 だがこんな日に限って格安灯油の配達があり、誰かが家にいなくてはならぬ。こんな日に限って妻は仕事でいない。仕事の待ち合わせは13時半で、遅くとも13時15分には家を出る必要がある。しかし、灯油の配達はやってこない…。


 業を煮やして灯油会社に連絡した。場合によってはキャンセル覚悟だったが、予定では昼頃に行くはずだという。30分ほど待って欲しいという。やむなく電話を切ると、とたんにインタホンが鳴る。うまいタイミングで灯油配達がきてくれた。
 今回の給油量は日平均で昨年同時期より7%増えた。日々節約しているはずがなぜ?と不信に思って札幌地区の昨年12月平均気温を調べると、平年値よりも2度、昨年比では2.6度も低い。寒い12月の感触はあったが、なるほどと納得。これでは灯油の消費量が多少増えるのもやむを得ない。
 ともかくも給油が無事に終わり、安心して打合せに出向く。普段はメールとFAXで打合せも納品も済ませる取引先だが、今回は面倒な仕事でサンプルも多数あり、どうしても直接会う必要があった。

 建築関連では3ヶ月ぶりの仕事で、面談での打合せも2年ぶりか。他のデザインやらネット関連、音楽や物書きで細々と収入があることはある。年金も多少は貰っている。しかし、私にとって太い収入の柱は、やはり建築関連である。
 震災でしばしの凍結状態が続き、本格回復は春以降だろうと覚悟していたが、これを機に多少でも動き出してくれるのだろうか。過度の期待はせずに当分は過ごしますが。

2012年1月3日火曜日

ひっそり密やかに

 ヘッドホンのイヤーパッド(耳あての部分)が破れてしまったが、適当な交換部品がないので、数ヶ月放置してあった。買えば済むものだが、これが結構な値段。前回はお菓子の箱に載せてあった薄いスポンジを代替品として使い、立派に機能している。
 たまたま正月のオセチ料理の何かに、手頃なスポンジ板がついてきた。きれいに洗って乾燥。前回の手順どおりに交換した。


 色は黒が望ましかったが、今回は白。しかし、使ってみると性能に差はない。前回は2年前に交換しているが、代替品を使った場合は、これくらいが寿命なのかもしれない。タダなので文句は言いません。
 サミダレ的に年賀状が届くが、昨日記した以外での今年の特徴として、建築関連の自営業を営む友人知人の悲痛とも思える叫びがある。私同様に、東日本大震災によって仕事量が激減し、かなりのダメージを食らった様子が添え書きの行間に滲んでいるのだ。
「互いに助けあっていきましょう」「国はいったい何をやっているのか」「何か適当な仕事があれば、ぜひご紹介を…」等々、身軽な生き方を心がけている私をはるかに越える厳しい状況のようである。

 消費税率アップの必要性は理解できるが、こんな状況下で実施するといったいどんなことになるのか、全く想像もつかない。過去にも何度かふれているが、オカミをあてにした生き方をしていると、痛い目にあうのは確実。以前にも増してひっそり密やかな生き方を心がけ、自分の頭に振りかかるホコリは自分ではらうしか道はないようである。

2012年1月2日月曜日

人生の総まとめ

 正月2日目。妻は早くも勤めに出かけ、当然ながら私や息子も昼間の酒は慎み、ごく普通のペースの日常に戻った。

 息子のために用意した何種類かの酒のうち、最も評判がよかったのが焼酎。混ぜ物のない純粋乙種だが、CGC製なので安価。息子は職場の上司から教わったというロックのストレートでぐいぐい飲む。
 昨日までに残っていた1Lほどがカラになったので、今日は新しいパックを買いに走った。


 他に用意したのはワイン、発泡酒、ビール、日本酒などだが、いずれも在庫は充分にある。焼酎はアルコール25%で、かなり強い部類の酒。そもそもロックで飲むのは昨秋に宮崎旅行した際、地元で教わった通の飲み方である。
 私は基本的に熱燗かお湯割りを好むが、息子に言わせるとロックだといくらでも飲めそうな感じがするという。好みは人ぞれぞれ。

 酒池肉林の日々なので、試しに体重計に載ってみたら、この3日で2キロほど太っていた。美味いものを食べて酒を飲めば、私のような虚弱的体質でも一時的には太るのだ。
 今年の年賀状で目についたのが、「夫婦で北海道ドライブ旅行を計画してます」「夫婦で世界一周旅行を企画中で、目下語学を習得中」「定年退職し、生まれ育った北海道で余生を過ごすべく準備中」といった類いの内容。
「定年を機に、新しい仕事を始めます」とか、「ボランティアをやります」といった内容は見当たらなかったが、それぞれにリタイア後の新しい生き方を模索しているらしい。
 人生の総まとめの時期にさしかかっているのだろう。同世代である私の心境も同じようなものである。