2011年5月30日月曜日

紅の朝焼け

 昨日はOS10.6のセットアップ作業に励むうち、ふと窓の外を見ると明るくなっていた。もうすぐ夏至、さもありなん。
 いい加減に寝るかと切り上げ、東の空を見ると奇妙に紅い。見事な朝焼けである。迷ったが、デジカメを持って外に出た。
 夕焼けは朱の色が多いが、朝焼けはこんな色だったか。あまり見る機会がないので、明け方の寒さも忘れ、しばし見とれた。


 新Mac-miniは起動時間がエラく速い気がし、ストップウオッチで測ってみた。

・新Mac-mini(2G)/40秒
・iMac-G5(1.5G)/55秒
・WindowsXP(1G)/90秒

 カッコ内はマシン搭載のメモリ容量で、これが起動時間に影響する、という説があるらしいが、確かにそんな傾向はあるかも?

2011年5月29日日曜日

セットアップに埋没

 OS10.6のセットアップに終日励む。昨年3月にeMacからiMac-G5に移行した際にもOSが10.3から10.4に変わり、かなりの面倒を強いられたが、似たような作業である。昨年の記憶がまだ残っているその分、少しはやりやすいかもしれない。


 写真左が新しいMac-miniと液晶モニタで、右がこれまでのiMac-G5。明らかに左が小さいが、iMac-G5は液晶の下にマシンの心臓部が詰まっているため、その分高さが高くなる。
 Mac-miniの本体は液晶の間に隠れてしまうほど小さい。いまは移行のための仮設置なので、マウスもキーボードも手持ちの間に合わせだ。完全以降までにはもう少しかかるので、しばらくはこうして両方のマシンを同時に使える状態にしておく。

 本日のブログは新マシンで書いたが、感覚がかなり違うのは書いている側だけに違いない。

2011年5月28日土曜日

草刈り第1弾

 午後から雨だとの予報なので、かなり伸びてきた自宅車庫と周辺空地の草刈りをやった。つい最近まで雪かきだ雪下ろしだと騒いでいたはずが、全くの北国の生活は忙しい。
 昨年買った電動草刈機を玄関クローゼットの奥から取り出し、防護用メガネなどで完全武装して作業したが、1時間ほどで目立つところはだいたい終わった。


 一昨年までは鎌による手作業にこだわっていたが、雪かき同様、腰痛持ちの身にはもはや限界である。電気を使うことに多少の罪悪感はあるが、日々の節電対策の成果で毎年の電気料は下がり続け、いまや平均値の半分程度。トータル的には許されると思う。
_夕方、待っていた液晶モニタが届く。Mac-miniと共に少しだけセットしたが、現状のiMac-G5よりもはるかに小さくて驚く。画面自体は現状よりも大きいのだが、高さが10センチ以上低い。これまでより首が疲れないかもしれない。
 本格セットアップは明日以降で、解像度等の評価はこれから。あれこれ面倒だが、最新OS環境確保のためには、もはや避けて通れない道である。

2011年5月25日水曜日

新型Mac-mini登場

 先週末にネット通販で注文してあったMac-miniが昨日届いた。最低グレード品でもアップルストアで買うと64,800円だが、あちこち探しまわって新品を52,000円で入手した。アップル製品はメーカー保証が基本なので、どこで買っても大差なく、そもそもマックの新品が短期間で壊れた記憶がない。

 数えてみたら、1987年に最初のパソコンもどきを買って以来、これで累計15台目のパソコンである。マックだけに限定しても8台目。まあ、よくぞ買ってよくぞ使った。
 これまで下取りに出したり売り払ったり、はたまた廃棄処分を繰り返してきたが、それでもまだ手元に7台が残っている。使わないものは順次処分しないと、すぐにガラクタに囲まれてしまいそうだ。


 ここ数年中古品を買い続けてきたが、実に8年ぶりに最新型の新品である。「Intel Mac」そして最新の「OS10.6」となると、中古品があっても高く、中古の意味があまりない。最低グレードの新品を選んだ方がむしろ安上がりである。

 今回のMac-miniは、過去に買ったパソコンのうち、最も小さいが最も高性能である。写真のように正方形のアルミ弁当箱のような体裁で、実に軽くて小さい。それでも2.4GHz Intel Core 2 Duo、320GBのHD内蔵で、その他必要なものはそろっている。
 うれしいのは最近よく使うSDカードのスロットが標準でついているのだ。モニタ用のHDMI端子もある。とにかく新しい。
_キーボードやマウスは手持ちのものがそのまま使えるが、液晶モニタは昨年末に買った液晶テレビが使えそうだったが、やはり解像度で相当劣ることが判明。こちらも21.5インチの最新型を13,800円で昨夜ネット注文した。
 到着は数日後。手持ちのモニタに仮接続しようにも、HDMIやDVI-Dケーブルを持っていないので、それができない。じっと待つしかない。

 モニタの到着を待つ間、最新のOS10.6に対応するソフトや機器に関して調べている。日常のパソコン作業には2D3Dの画像処理を始め、動画や音声、テキストから圧縮、CD焼き、そして印刷などいろいろあるが、全く使えなくなるソフトや機器もけっこうある。
 いずれも発売後10年を過ぎた古過ぎるソフトや機器で、この際すっぱりと買い換えるか、使用頻度の少ないものはひとまず手持ちのiMac-G5で動かそうか、サイフとも相談しつつ、順次決めてゆきたい。

2011年5月24日火曜日

歌の貯金

 一昨日のライブでは、最初の自宅ライブ以来、実に6年ぶりにプログラムを作った。歌う予定曲のタイトルを列記し、作詞作曲者、ジャンルなどを簡単に記したもので、ハガキ大に印刷して入場受付時にお客様に配った。

 聴き手には親切な手法だが、フォーク系のライブの場合、場の流れや歌い手の気分で直感的に曲の出し入れをすることが多々あるため、この技は使いにくい。叙情系のライブで聴き手の顔が見えている場合、事前に構成を固めてしまうケースが大半なので、やる気になればやれる。

 準備期間は長かったので曲構成には充分な余裕があったが、途中で東日本大震災が起き、その時点でほぼ決まっていたラストの曲を直前になって差し替えた。
 当初はスコットランド民謡の「アニー・ローリー」を予定していたが、熟慮のすえ、アンドレ・ギャニオン作曲で平原綾香が歌う「明日」に変えた。個人ライブなので震災のチャリティなどは一切しなかったが、ラストのMCで震災にも少しだけふれた。
「もう泣かない もう負けない 明日があるから…」という歌詞は間違いなく時代を切っていて、聴き手の心にも届いていたと思う。

 およそ1年半ぶりの本格ソロライブということで、この間にストックしたさまざまなレパートリーを多く披露し、いわば「歌の貯金」をかなり引き出した。
 だが、お金は本来使うためにあり、歌も同じである。次なるステップにむけ、また新しく貯金、つまりレパートリーを増やせばよいのだ。それすなわち、日々の生きる喜びにつながっている。

2011年5月23日月曜日

人生の同窓会

 昨日のライブでは、聴き手の大半は私の友人知人だった。この種の本格的な自主企画ライブは、多くても年に1回程度しか開催できないので、集まってくださる方は、同窓会に近い気分も多少はあると思う。
 しかし、我が年齢もやがて62歳。親しい方々、懐かしい方々とは「ライブ」という口実を作り、こうしてときどき顔を合わせておきたいと思う。その意味で、私の歌は添え物でも一向に構わない。

 とはいえ、いざ実施となると、聴き手に飽きられないよう、あれこれと工夫をこらす。「これって以前にもやったよね?」そう思われそうな構成は、自主企画ライブに限ってはたぶんないはず。
 たかがアマチュアといえ、そこには執着するし、新しいものが創造できなくなったら、自主企画ライブはおそらくやらない。


 特に仕事もなく、DIYや家庭菜園も一段落。今日は昨日のライブで記録したさまざまな媒体のチェックを入念にやった。

 映像に関しては、初めて撮った動画の構図がやや甘く、前後半とも歌い手が画面中心を外していた。前半に至っては、水平も傾いている。聴き手の邪魔にならぬよう、設置場所を天井に近い位置にしたので、設定が難しかった。
 スチール写真は新しいデジカメを動画でフルに使った関係で、古いデジカメを中心にしたが、陰影が深く出るノーフラッシュ撮影ではやはり非力。途中で強制フラッシュに切り換え、ようやく見られるものが数枚撮れた。

 録音に関しては、当然ながらPA直録りが最高の音質だった。高性能なその分、アラもしっかり再現されている。対して、ICレコーダーで録った方は音質が甘いその分、アラはかなり隠されている。
 もしかすると客席に届いている音は、マイクスタンドに挟んで録ったこのICレコーダーの音が近いのかも知れない。どちらの音源をCD化すべきか、悩ましい選択だ。
 悩んだすえ、動画はいったん保留し、前半5曲目に歌ったシューベルト作曲の「鱒」をひとまずYouTubeにアップした。音源はPA直録りの分で、これに適当な写真を張りつけて処理。ライブ写真も少し使った。
 昨日のライブで、ただ一人お店のお客様がいらして下さった。お店に貼ってあったフライヤーを見て興味を持ったとか。初対面だったが、帰り際に「素敵な歌声でした」と、声をかけていただいたが、その女性から今日メールがあり、ライブに関するていねいな感想が記してあった。
(お店のHPからのリンクでアドレスを知ったらしい)

「花々の上にそよぐ風のような優しい歌声とすばらしいギターに、時間はあっという間に流れてしまいました」と、身に余る言葉をいただく。感性豊かな美しい表現である。ありがとうございます。

 妻にも一部指摘されたが、昨日はあまり出来がよくなかったと勝手に落ち込んでいただけに、パッと気持ちが明るくなった。この言葉を励みに、また新しい一歩が踏み出せそうな予感がする。

2011年5月22日日曜日

「叙情歌暦」...春の陽微笑む

「叙情歌暦」がメインタイトルのソロライブを、ご近所のライブ酒場「Life」にて実施。同じ切り口では過去に2度ほど試みているが、今回はサブタイトルを「春の陽微笑む」とし、春にふさわしい内外の叙情歌を集めてライブの中心軸とした。
 今回の企画、今年1月に実施した有料老人ホームでの訪問ライブが発想のヒントである。「演歌はやらない」「クラシック等の洋楽を中心に」という、これまで例のない難しい先方の要望で、構成には頭を悩ませたが、結果としてこれが非常に評判がよかった。

 その後、(似たような構成で本格的なソロライブも可能なのでは…?)と、大胆にも思ってしまったのだ。
 さまざまな事情から、今回は会場を自宅でも公的施設でもなく、最近ご近所に開店し、たまに歌いに行くライブ酒場ということに落ち着いた。歌はクラシックやシャンソンなどの洋楽が中心。つまりは、曲と場の二つを普段とはガラリ変えた構成としたわけである。


 集客はこの種のマニアックな内容に興味を示してくれそうな方を中心にリストアップ。会場の定員がおよそ20名なので、少しだけ多めに案内状を送ったが、初めての有料ライブにも関わらず、およそ8割の方々にご賛同をいただいた。
 ネット関連での集客は全くしなかったが、有料入場19名、お店のマスター、ママさんを加えて21名の参加数。ほぼ満席での開催にこぎつけた。


 開場が16:30なので、40分前に会場入り。マイクスタンドと譜面台は普段から使い慣れている一体型を持参し、マイクやPAはお店のものをお借りした。

 今回は記録にもこだわり、初めて全ライブの動画を手持ちのデジカメで撮影した。そのほかにスチール写真とPAでの直録音(これが便利な最新SDカード方式)、さらにはICレコーダーをマイクスタンドに取付け、万全の体勢を整えた。
 軽く1曲だけ歌ってリハ終了。録音と照明のチェックも済ませ、きっちり定刻の17:00から始める予定が、5名の方が開始ぎりぎりに到着。さらには2名の方が時間になっても現れない。お店が飲物を出す時間も必要で、やむなく5分だけ開演を遅らせた。

 17:05から開始。1曲目のオリジナル「野の花や」を終えたところで、最後のお二人が到着し、全員がそろった。
 この日は前後半のスタートをMCからではなく、いきなり曲から入る、という趣向を初めて試みた。いつもライブに来てくれるNAOさんの発案だったが、なかなかいい感じに収まった。場によっては使える技だ。


 構成は60%がシャンソン、クラシック系の洋楽で、残りがJ-POPや日本唱歌。初披露の曲も5-6曲あり、かなりリスクの高いライブとなった。
 前半9曲はMCを極力省き、トントン進めた関係で、35分で終了。予定通り、5:40から休憩となる。
 入場料は1,000円だったが、この中でワンドリンクと軽食を出していただき、聴き手にも好評だった。飲食の時間を配慮し、休憩は長めの15分。5:55から後半9曲の開始となった。

 1週間前の過酷な路上ライブのダメージが残っていたのか、出だしは喉の調子がいまひとつだったが、前半5曲目あたりからじょじょに回復。大きなミスもなく進んだが、後半7曲目の「夕凪ワルツ」で、コードを押さえる左手がつってしまい、指が動かなくなった。
 だましだまし慎重に進め、どうにか歌い終える。MCを長めにとり、指をタオルでぬぐいながらさり気なくマッサージ。残る2曲を必死で歌いきった。


 終了は18:35で、ほぼ予定通りだったが、その後アンコールで2曲を歌う。短めの曲を用意しておいて正解だった。
 出だしの喉の不調、後半の指の硬直など、課題は残ったが、大冒険の企画だった割に、まずまずの出来だったと自己評価している。
 終了後、いつも歌わせていただく近所のグループホームから団体で聴きにきてくださった方々から、「素敵な歌でした」と、お祝いの花束をいただく。
 花を囲んで、お世話になったマスター、ママさんと記念撮影。不安だった集客面でお店に迷惑をかけることもなく、まずは安堵の顔である。

2011年5月21日土曜日

Mac-miniかiMacか

 ジャンク状態の予備iMac買い換えに関し、終日悩んだ。過去に一度だけHDの故障を自分で交換して修理したことがあるが、「壊れて修理不可能なパソコンは買い換える」が基本。他にメモリ増設や光学ドライブ交換もやったが、故障ではなく、単なるグレードアップだった。
 今回、液晶パネルを丸ごと交換する手段もあるにはあるが、そうまでしてこだわるほどの機種ではなく、やはり買い換えるべき時期到来と判断する。

_問題は次なる機種の選択で、最新のIntel-Macは決定として、単純に同型のiMac中古品にすべきか、はたまたすっぱりと新品のMac-miniすべきか、まだ結論を出しかねている。
(予算的に他の選択はない)
 一体型iMacは使い慣れていて、接続の面倒もないが、またしても中古品となると、当たり外れが気になる。現にいま使っているiMac中古品は、わずか1年足らずで成仏なさった。
 中古のIntel-iMacは5万円程度。新品のMac-miniが最安値で52,000円だが、液晶モニタを別に買わねばならない。20インチ程度の最新型が14,000円弱。合計では16,000円オーバーするが、何せ新品である。ていねいに使えば、5年は持つのではないか?

_本体とモニタが別々であれば、今回のようにモニタだけの故障にも対応しやすい。決定的なのは消費電力。一体型iMacが180Wで、Mac-mini+液晶モニタが合計で88W。新しい商品は、消費電力がかなり抑えられているのだ。
 メインパソコンとしての使用時間を日平均5時間として、(もっと多いかも?)1年間の電気代の差額は、およそ3,100円。16,000円はちょうど5年で元が取れる計算になる。
「反原発」を声高に叫ぶなら、やはり電気を使わない選択がまっとうだろうなと、このブログを記すうちに悟った。

2011年5月20日金曜日

苗の植込み終了

 毎月初日と20日は、いつも利用するドラッグストアの特売日。この日をねらって酒類や衛生用品、薬類をまとめ買いする。普段でも安いが、この日はさらに5%引き。そのほかにポイントもつく。このマメさが、安上がりに暮らす大きなポイントで、仕事が相当忙しくとも忘れずに買う。
 今日は発泡酒1箱と日本酒1800ml、そしてトイレットペーパー16ロールを買った。こうして買うと、1箱で150円も安くなる。キリンの淡麗グリーラベル350mlが1缶117円。たぶん底値に近いと思う。

 淡麗グリーラベルは糖分が非常に少ない割には、なかなか美味い。数年前に健康診断で血糖値が危険ラインに迫り、散歩と併行して取り入れた食事改善策のひとつ。その後、血糖値は安全ラインまで下がった。かなり効果はある。


 買物のついでに、妻から頼まれた食材を隣のスーパーであれこれ買う。店頭で野菜の苗が売っていたので、車で出たついでと、こちらもいつもの苗を一通り買った。トマト3、ミニトマト1、大葉(青シソ)1である。
 薄暗くなってきたので、苗の植込みは明日にしようと思ったが、天気予報によると明日は雨。ならば苗は前日に植えるべきかと、結局急いで植えた。
_昨日問題を発見した予備パソコンiMac-G5の液晶画面は、今日になって赤線がもう1本増え、合計2本になってしまった。ネット情報でも同様のことが書いてあり、いったん出ると、どんどん増え続けるらしい。
 こうなれば、いずれ使えなくなるのは目に見えている。いよいよ本気で買い換えの検討をしなくてはならぬ。いわゆるジャンク品なので、下取りはまず無理。無料で何とか引き取ってもらうとし、一方で新型のIntel-Macの最低グレード品を見繕い始めた。

 昨年、都合3台のパソコンを買い換え、今年は古いパソコンを処分するだけだろうと思っていたら、とんだ見込み違いである。しかし、現状のOSは最新版より2つも前のもの。特にネット関係で、いろいろ不都合が出始めているのも事実なのだ。
 Intel-Macならば、最新のOS10.6が使える。OS10.4に変更してまだ1年余だが、いまが換え時なのかもしれない…、とも思う。しばし悩む。

2011年5月18日水曜日

新たな価値観の分岐点

 アメダス数値には反映されていないが、最高気温がようやく20度を突破したらしい。空もすっきりと晴れ上がった。昨年秋に植え込んだ庭の水仙も満開。しかし、実はこれがほぼ平年値なのである。これまでの天気が不順過ぎた。
 これくらい暖かくなると、さすがにセーターはいらない。久しぶりに長袖シャツとベストだけで終日を過ごした。


 天候はすっきり回復したが、原発問題は、ほぼドロ沼状態。2ヶ月過ぎてもあまり進展が見られず、回復したのは周辺の観測計器類だけで、原子炉そのものの状態は冷却汚染水のタレ流しにより、むしろ悪化してるという評価が正しいのではないか。
 こんな時期に政府要人が、堂々と工事中の大間原発を推進する公式発言をするのだから呆れる。首相の発言にも一貫性がなく、微妙にブレているし、やっぱり信用できない連中なのだな…、とつくづく思う。

 いろいろ調べて見ると、民主党内部にも原発推進派と反原発派が同居しているようで、反対に自民党内にも河野太郎議員のように、一貫して反原発を叫んでいる人もいる。それでもそれぞれ同じ政党に所属している。実に不思議だ。
 2011.3.11以降、世界の価値観は、「原発推進か?反原発か?」でぱっくりと割れてしまっているように感じる。この2つのグループは本来相容れないものであり、たとえば政治の世界なら、同じ党にいて同じ方向に進むことなど、もはや不可能。この際すっきりと党派を分つべきだろう。
 市井の市民レベルにおいても、この2つの価値観の相違で互いの歩く方向が変わるはず。いまや原発はある種の踏み絵のようなものだ。

 第二次大戦後の世界のように、東日本大震災が新たな価値観の分岐点になる気がしてならない。

2011年5月17日火曜日

ハツキタSONG

 先日の発寒北商店街春祭りイベントで歌った際の動画が、管轄する商店街組合からYouTubeにアップされた。その後半3/4が私の路上ライブになっていて、曲が商店街をイメージして直前に作ったオリジナルソングである。
 この日は大半の曲を叙情歌でまとめたが、数少ない例外がこの曲。商店街の会長さんが直々に激励に訪れてくれたので、感謝の意味で急きょ歌った。
 タイトルは「ハツキタSONG」。発寒北→ハツキタという略称だが、当初のタイトルは「ハツキタ小唄」というものだった。ところが撮影した広報担当のOさん、休憩時にラーメンをすすりながら、何やらiPoneをいじっている。
「菊地さん、さっきの『ハツキタSONG』、YouTubeにアップしていいですか?」と、確認してきた。タイトルが違うんですが…、と言いかけたが、『ハツキタSONG』のほうが耳障りがいいかも?と思い、そのタイトルをありがたく採用。
 Oさんはその場でアップロードを済ませた。iPoneなるものを目の前で初めて見たが、確かに機動性の面では優れている。

 その動画は以下の通り。イベント全体を撮影している関係で、私の歌はおよそ1分後から始まる。


 開始6〜7曲目くらいの第1ステージなので、聴き手はけっこういた。まだ充分に元気もあり、拍手もいただいている。ラスト近くに鳴り響いた花火の音も、うまくアドリブでさばいた。
 音声に入っているノイズは強い風の音。通りを行き交う車もガラスに写っていて、過酷さの片鱗がうかがえる。視線が時折宙に泳ぐのは、建物上部に広がる空を見ているからで、路上ライブ(青空ライブ)時の私の癖だ。
 この曲はかなり前に、某グループホームのイメージソングとして作った。当初はバラードだったが、あまり評判がよくなく、思い切ってお座敷小唄のリズムパターンに変更して作り直したら、おおいに受けた。

 以降、そのグループホームに呼ばれた際は必ず歌っているが、今回はメロディはそのままに、歌詞を商店街向けに大幅に作り直して臨んだ。商店街の略称はもちろん、「イチョウ並木」「手稲」など、ご当地ソングを充分に意識した構成になっている。

2011年5月16日月曜日

ロビーコンサート決定

 昨年末からずっと「営業」していた近隣の地域センターでのロビーコンサートが、ようやく本決まりになった。企画自体は昨年春に案を練り、難産のすえに実現した別の地域センター(百合が原地区センター)でのロビーコンサートに準じたもの。
 同じような場での同じような企画だが、運営母体が全く異なり、いずれも過去に前例のない企画なので、ハードルは高かった。
 今回も3度にわたる直接交渉のすえ、ようやく実現となった次第。先日、責任者の館長さんから直接連絡があったときは、正直うれしかった。何事も実績に裏打ちされた誠意と粘り強さが肝心である。


 今回は徒歩10分ほどの距離にある「篠路コミュニティセンター」という場で、百合が原地区センターと同様に、いかにも音響効果が良さそうな吹抜けがロビー中央を貫いている。
 私の構想では、ステージは写真正面にある油絵の前あたりがロビー内のどこからも見通せ、体育室の出入り動線の障害にもならず、しかも音の抜けが最もよいと見た。

 実施日は6月末とのことで、まだ余裕がある。演奏時間は20-30分と、やや流動的。細かい詰めはこれからだが、初夏に相応しい叙情歌で今回もまとめようと、早くも準備にとりかかった。
 地域センターは市内に40カ所近くもあり、コンサートが可能な広いロビーを持つ場も数多い。利用費は無料か、かかってもごくわずか。
 こうした場でフォークや演歌は無理でも、クラシックやシャンソン、叙情歌を聴きたい地域の人々の潜在需要は数多いと見る。広報さえうまくやれば、集客には事欠かない。

 じょじょに実績を重ね、新規開拓に励み、当面はこうした公的空間を自身の音楽活動の拠点としたいと考えている。

2011年5月15日日曜日

セツナク愛しき花見

 気持ちよくスカッと晴れた。しかし、相変わらず肌寒く、最高気温はわずか7.9度。平年値より10度も低く、4月上旬の数値である。
 それでも近所の土手にある桜が八分咲きで、なかなか美しい。今年は土手の花見で済ませようかと、勤めから戻った妻に水を向けたら、いつものモエレ沼公園に行きたいと言う。ならばと、暖かい服装で身を固め、妻の昼寝が済んだ午後4時に車を出した。

 普段は閉じている最短距離の南駐車場がなぜか開いていたので、わずか10分で公園に到着。そこからサクラの森までの回遊路をテクテクと歩いた。
 空は雲ひとつなく、木々が青々と芽を吹き始めたばかりで、道はどこまでも真っすぐに続く。いい気分である。帰宅直後は頭痛がするとか言っていた妻も、歩くうちに気分壮快になったとか。


 15分ほど歩いてたどり着いた森は、まさに桜が満開。いつもは少し散り始めているが、今年に限ってはその直前の見頃だった。
 やはり近所の土手とは少し違うわいと、二人して満足。こうして夫婦でのんびり花見が出来るのも、おそらくあと数えるほどなのだろうと、分かっちゃいるけどそんな残り時間が少しセツナクて愛おしい。
 久しぶりだった昨日の路上ライブに関し、改めて感ずることがあった。それは、「歌は純粋に歌だけで展開すべき」という基本である。
 他のさまざまなイベントとタイアップして実施されるライブやコンサートは少なくないが、個人的な印象として、その多くは歌そのもののピントがぼやけてしまう。安易な便乗は避け、やはり歌は歌そのもので勝負すべきものだと思う。

 問題は主催する側の思惑で、歌い手の願いとは必ずしも一致しない。買物や食事が主目的でやってきた客を、たまたまそこにいた歌い手が歌で何分間でも釘付けにできればよいが、現実には非常に難しいこと。仮にそれほどの力量を持つ歌い手ならば、いずれプロとして大成するに違いない。
 究極的には歌い手自身が企画主催し、自由に場を構成する形が最も望ましい気がする。歌い手に必要とされるのは単に歌唱力だけでなく、集客も含めて、魅力的な場を広く構成する力量ではないか。

2011年5月14日土曜日

ハツキタ春祭り路上ライブ

 市内西区にある発寒北商店街、略称「ハツキタ」の春祭りイベントに参加。近くの発寒神社例大祭に合わせた企画で、ホームページ経由で依頼された。
 イベント系のステージは苦手だったが、これも何かの縁とあれこれと頭を巡らせて準備。ここ数日、愚図ついた空模様が続いていたが、当日になってどうにか晴れた。しかし、気温は10度前後で、非常に寒い。真冬なみの暖かい服装で臨んだ。


 場所は広い歩道に面したラーメン屋の店先。傍らではさまざまな食材の即売会も同時開催していて、いわば「鳴りもの」としての盛り上げ役だった。
 開始は午後4時と聞いていたが、到着した15時半には気温がさらに下がってきたため、予定を変えてすぐに始めることになった。
 第1ステージは15時40分からおよそ30分間。6-7曲歌い終えたところで、店内に入って特別メニューのラーメンをいただく。第1ステージの反応はまずまずだったが、休憩後の第2ステージになると気温はさらに下がり、通りを行く人の数はめっきり減った。
 しかし、それでも歌い続けるのが路上ライブの宿命。第2ステージは16時半から連続1時間余。全く誰もいない状態の時間帯もかなりあったが、いつものように青空に向かって朗々と歌い続けるのだった。


 この日はサッカーを指導していた時代に買った特別なトレーナーを着た。写真のように袖口が一段長くなり、その一部に親指を通す穴が空いている。手首がすっぽり隠れるので、まるで手袋をはめているように暖かく、しかも指先は自由なのでギターは普通に弾ける。

 これでしばらくは凌いだあと、再び店に入って暖をとる。自分でしかけた路上ライブなら、自己判断でいつでも打ち切ることは可能だが、他から依頼された場合、そうはいかない。担当のOさんに判断をあおぐと、最後にもう1ステージやって欲しいという。こうなれば意地と、再び外に出た。
 18時過ぎから第3ステージ開始。あたりは次第に薄暗くなり始め、気温はさらに下がる。(後で調べたら、7度だった。路上ライブをやる気温ではない)途中でジャンパーを着込んだが、それでも寒い。喉は抜群の調子だったので、気力で18時半まで歌い続け、ようやくお役御免となった。
 あとで数えてみたら、全部で25曲ほど歌っていた。最初と最後に「花」という同じタイトルで別の曲を歌ったが、そんなこだわりに誰も気づくはずもなく、自分ただ一人の矜持なのである。

 こんな過酷なライブは初めて体験したが、収穫は自らの持続力の再確認。最悪とも思える状況でもこれだけ歌えたのは、たゆみない日々の練習の成果に違いなく、大きな自信になった。
 さらには、外での叙情歌が意外に収まる、という発見である。車がかなり激しく行き交う喧噪の場でもそれなりだったから、たとえば静かな公園などでは、もっと馴染む可能性が高い。
 久しぶりに通りすがりの人々を相手にしたが、ライブハウスを始め、いつも「聴いてくれる」という暗黙の条件下で歌うことに慣れた甘い身にとって、身の程を知るという一点では、苦い良薬であった。

2011年5月13日金曜日

ノートパソコンの使い道

 パソコンに関し、以前からずっと気になってはいたが、実際には試してなかったことがある。それは、「ノートパソコンに汎用のモニタやキーボードが使えるか?」というシロモノ。
「そりゃ、使えるさ」と笑われるかもしれない。しかし、最新鋭機器ならともかく、手持ちの古いパソコンでの話。実際に試してみないと、安心できない。

 古いeMacを2台処分し、一時は家中に7台もあったパソコンが、ようやく5台に減った。仕事で常用するマックとWindowsがそれぞれ予備を含めて2台ずつ。これは原発の非常用電源と同じで、同能力のものを2セット常備しておかねばならぬ。
 しかし、かなり前にWindowsの予備として買った1台は、いまや予備ベットの下で使われずに眠ったまま。消費電力が大きく、ファンの音もうるさいので、今後使う予定はゼロに近いのだ。


 無用な物を家に蓄えておくのは極力避けたいので、こちらも近々処分したい。問題はメインのディクトップ型Windowsが万一の場合に、使い勝手がよいディクトップ用の液晶モニタとキーボードが、Windowsノートパソコンで使えるか否か?である。
 操作性や発色、モニタの大きさの点では、やはりディクトップ用に勝るものはない。非常時に使う場合でも、可能であればつなぎ変えたい。
_いまは1階居間に置いてあるノートパソコンを2階に運んでケーブル類をつないでみたら、アッサリ起動する。(ノートパソコンの背面には、外部モニタ用の端子がついている)解像度も設定変更し、発色もバッチリ。キーボード操作も普通にできる。

 唯一困ったのは、起動時にノートパソコンが開きっぱなしになることだったが、こちらは省電力設定で、「蓋を閉じてもスリープしない」を選択することで解決。写真のように蓋は閉じているが、パソコンそのものはちゃんと動いている。
 結論として、「ノートパソコンはディスクトップ型の代りとしても普通に使える」だった。めでたし。

2011年5月12日木曜日

車庫屋根補修完了

 珍しく気温が20度を越えたので、車庫屋根補修工事の残りを一気にやる。夕方までにようやく全てを終えた。延べ3日で終わらせるつもりが、調べてみたら何と7日もかかっていた。
 写真は東側(通路側)の様子。壁から通路側にむかって緩い水勾配があり、さらに写真奥の南側に向かって緩い水勾配をとっている。この2つの水勾配により、写真奥の南東側にまとめて水を落とす作戦だった。

 通路側はタル木を使って端部を3センチほど上げ、雨が通路に落ちないようにした。反対側の壁際の処理と全く同じ考えで、これは非常にうまくいった。しかし、これでも中央の一部に水たまりができてしまう。
 手製水盛り管で各部のレベルを測ってみたところ、大梁の上に載せてある小梁の高さが微妙に低くなっている。数年前に腐食によって大梁を交換した際の施工誤差と、経年によるタワミのせいらしい。


 この誤差を修正するのは非常に難しい作業だった。小梁は完全に組み上がっていて、しかも非常に重い。だが昨夜になって(クサビを使えばよいのでは…?)と閃いた。
 レベル測定により、通路部分の2本の梁に、それぞれ10ミリと8ミリのクサビを作ってハンマーで打ち込めば、割と簡単にレベル誤差は解消される。
 手頃な木材をノコで切ってクサビを作成。一度もやったことのない作業だったが、予想外にうまくいった。昨夜の雨で一部にまだ水が残っていたが、クサビを打ったとたん、それがちゃんと南側に落ちてくれた。明日からまた雨の予報だが、今度こそ問題ないはず。

 夕方から強い風に変わったが、昨日終わらせた壁際の波板は、ビクともしない。長く困難な道のりだったが、恐れていた腰痛も再発せず、ほぼ予定通りの仕上がりになった感。終わった。

2011年5月11日水曜日

車庫屋根補修を継続

 連休が終わってからパタリと仕事の依頼がなく、いまのうちにと、継続中の車庫屋根補修作業に励む。屋根波板の施工はひとまず終わっているので、今日は波板屋根と波板壁との取り合い部を完全に仕上げた。
 写真のように屋根波板を壁と並行にし、接合部をハサミで壁波板に合わせて、ていねいに切り欠いたが、この作業は連休中に終わっていて、雨仕舞に関しては、これでほとんど問題ないことが分かっている。
 屋根波板を実寸法より1センチほど大きくし、壁に向かって緩くカーブさせたのが正解だったらしい。(屋根波板を壁に直角にすると、この手法がとれない)


 風でポリカ波板の切り口部分が壁にこすれ、音が出たり塗料がはがれたりしているのが問題なので、切り口に透明のビニルテープを全面に貼り、交差部分に近い場所にビスを一列追加した。
 写真ではまだ壁の塗装がはがれたままだが、(壁波板の突起部分)このあと、手持ちの塗料でおよその色を作って補修した。
 今日はそのほか、雨水勾配をさらにとるべく、南東角の車庫柱を現状より25ミリ短くした。こう書くと簡単そうだが、数百キロの重さがかかっているので、作業はかなり難しい。ノコやハンマーを使った慎重な手作業で、これだけで軽く1時間をつぶした。
 雨水はかなり南側に流れるようになったが、まだ一部に溜まりがある。明日以降、この溜まりを軽減する別の作業と、残された通路側屋根端部の処理を併行してやる予定。

2011年5月10日火曜日

堂々と語るべし

 菅首相が一転して「エネルギー政策は白紙」を宣言した。数日前には「原発堅持」と言っておきながら、である。こうも言うことが日々コロコロ変わると、だんだん存在そのものを信用しずらくなる
 こういうのをナントカと四文字熟語で確か言ってたな…、と調べたらありました。「朝令暮改」である。世論の風向き次第では、まだまだ言葉が変わるのだろう。いずれにしても、決めるのは政府ではなく、国民である。それを忘れてはならない。
 たとえささやかなブログであっても、堂々と自らの意見を語るべし。小さな泉が、やがて大河に変わることもある。
 いつ買ったのか忘れたほど長く使っているヘアドライヤーが、突然動かなくなった。ヒューズ回りがアヤシイ感じだったが、分解してみても手に負えない。あきらめて近くのヤマダ電機で新しいのを買うことにした。

 毎日使うものなので、今回は到着に時間のかかるネット通販はパス。事前にネットで調べてみたら、希望の品がヤマダ電機で最安値だったこともある。


 これまでの品は保証書の日付から、丸14年も使ったことが分かった。あまりに酷使したせいで、途中で付属のブラシが壊れてしまい、やむなくロールブラシで使い続けた。
 写真上のパナソニックの「くるくる700」というカールドライヤーがそれ。1200W程度の一般ドライヤーより消費電力が少なく、わずか700W。夫婦とも髪がそう多くないので、これで充分だ。

 今回もまたパナソニック製をと思い、調べたら、ほぼ同じ製品が1,980円で売っている。10%のポイント還元で、実質1,800円弱。(写真下)ドライヤーに限っては、3流メーカーは不可で、ほぼ数年で壊れる。ネット情報によると、半年で火を吹いた例もあるとか。
 今回はロールブラシは付属してなかったが、合わせてみたら古いのがちゃんと使えた。14年経っても規格が同じとは驚く。これでまた当分は使える。


 先日ネットオークションに出品してあったメモリは、首尾よく希望価格(即決価格)にて落札され、すでにお金も入った。今日はさっそくクロネコメール便で発送。ネットオークションのもうひとつの極意が、この「スピード」である。
 その後、先にふれたヤマダ電機から郵便局、ホームセンター、銀行と回り、あれこれと雑用をこなす。ひょっとすると世の中、この「雑用」をいかにうまくサバくかで、快適度が決まってくるのではないか?
 天気もまずまずなので、家庭菜園の掘り起しをしつつ雑草をとり、同時に石灰と鶏フンをまいた。昨年と全く同じ日程である。
 11年も使い続けた剣先スコップの先端がサビで割れて使用不能になり、最近新しいものに買い換えた。前回も1,000円前後の安物だったが、今回はさらに安い900円。長持ちさせるため、使用後は洗って泥を落とした。

2011年5月9日月曜日

浜岡原発停止はガス抜きか

 浜岡原発の停止がどうやら本決まりのようだ。当初は菅首相の大英断、よくぞ決めてくれた、やはり「コンクリートから人へ」の政党であったかと、高く評価していたが、その後の情報で浜岡原発以外は停める気がないことが分かり、拍子抜け。
 さらには、仙谷由人官房副長官の「エネルギー政策として原発を堅持」、はては「日本海側、瀬戸内にある原発はまず心配ない」との公式発言を聞くと、さらに力が抜けた。
 日本海沿岸そのものである2007新潟県中越沖地震により、柏崎刈羽原発が放射性物質漏洩を起こし、数年に渡って停止を余儀なくされた事実を、いったいどう説明する気なのだろう?
 どうも政府民主党は浜岡原発停止を政権浮揚の起爆剤に利用するだけで、今後もエネルギー政策は、相も変わらず原発にドップリ依存する気でいるらしい。この分では自然エネルギーへの転換など、夢のまた夢に終わるだろう。
 浜岡原発停止は反原発世論に対する、単なるガス抜きだったのか。呆れたことだ。

 100歩譲って原発の大事故が当面起きないとしても、原発を運転し続ける限り、使用済み核燃料はいつまでも排出され、その毒は消えることなく何万年も地球上に留まり、人類は潜在的恐怖に怯えながら暮らし続けるだろう。
(現段階で決定的な処分方法はない)
 最近の世論調査によれば、原発擁護と脱原発の世論は拮抗している。そう遠くないであろう次の衆議院選挙で、この「原発擁護か脱原発か」は、大きな争点になりそうな予感がしていたが、何も変わらない可能性が大きくなった。
 何度も書くが、何が起きても結局は何も変わらない、変わろうとしない国民性であるということなのだろう。

 原発が争点にならなければ、選挙には行く気がしない。今後もブログで政治にふれるなら、行って白票でも投ずるか。「緑の党」という、明確な反原発の選択肢があるドイツを始めとする欧米各国の成熟した民度が、とてもうらやましい。

2011年5月8日日曜日

オークションの極意

 相変わらず愚図ついた空模様で、雨がシブシブと降り続き、肌寒い。昨日も今日も夕方から暖房ボイラを点けた。春の足取りはまだまだ遅い。
 都心では桜が開花したらしいが、我が家周辺ではまだ固い蕾のまま。庭のレンギョウがようやく満開。昨年よりかなり遅いと感じていたが、ブログを調べたら全く同じ日だった。


 息子のおかげで無料でeMacが処分できたので、あらかじめ抜いておいたメモリ2枚とインストールCDを、ネットオークションに出品することにした。
 我流だが、良質の落札者を得るネットオークション出品の極意は、以下の通り。

・欲をかかない。(相場の80%くらいで価格設定)
・即決価格を設定し、価格の上限をおさえる。(買手の安心感)
・開始価格は1円といった非現実的価格ではなく、即決価格の半分程度に設定。
・小型の商品は送料無料で出品し、買手にお買い得感を持たせる。

 この手法で、今回もメモリ2枚は開始1時間後で入札が入った。インストールCDはOSが古く、ニーズがあるかどうか微妙。eMacは2台あったので、インストールCDも2セットある。辛抱強く入札を待つか、駄目ならバッサリ捨ててしまうか…。

2011年5月7日土曜日

息子にネギ土産

 5日間の休暇を過ごし、息子が会社のある道南の都市に戻った。やってきた最初の夜に、家庭菜園から採ったばかりの細ネギを刻んでカツオ節を載せ、醤油をかけてツマミに出したら、「うまい、ネギのこんな食べ方があるとは」と、エラくお気に入りの様子。
 実はこの食べ方、亡くなった父がときどきやっていたのを見て覚えた。シンプルだが、ネギ本来の旨味が出る。酒の肴、ご飯のオカズ、両方いける。
 たくさんあるので、苗ごと持って帰るかと問うと、ほぼその気。独身寮のバルコニーに置けるそうで、陽当たりがよく、雨が適当にあたるとか。
 今回のように単純に刻んで食べたり、即席ラーメンの薬味に使ったり、みそ汁の具にしたりと、用途はいろいろ。寮に食事はなく、自炊が基本なので、生きたネギが手元にあれば、重宝するのは確実だ。

 そこで手頃なプランターを見繕い、ひとかたまりのネギを適当に株分けし、車に積んでもたせた。手入れの要領も同時に伝授。ちょっと珍しいネギ土産である。


 ほぼ完成したはずの車庫屋根補修だったが、雨水の流れで重大な問題が見つかった。南側に流れ落ちるはずの雨水が、なぜか相変わらず東側の通路に落ちてしまう。
 どうやら経年による梁のたわみにより、通路前が最も低いポイントになってしまっているらしい。張り方をどう変えようが、高きより低きに水は流れるもの。

 屋根と壁との接合部はほとんど雨漏りせず、予想以上の出来なので、ここだけはそのまま残し、他は再度張り方を調整せざるを得ないかもしれない。構想通りにはなかなか収まらないのがDIYの宿命。どうやら長丁場の作業になりそうだ。

2011年5月6日金曜日

ついにeMac処分

 昨日に続いて晴れたので、午前中から車庫に昇って屋根補修作業を続ける。1列が660×4400の波板で残りは2列と、すでに先が見えている。連休突入と同時に始め、延べ3日で終わらせるつもりが、雨や風、仕事やデモ参加などの事情で仕上がりがズルズルと遅れている。

 今日中に終わらせようと思っていたが、一列を終えたところで風が非常に強くなり、体温も下がってきて鼻水が垂れ始める。午後からは息子と中古パソコンショップに行く予定もあり、結局1列を張り終えたところで作業中止とした。


 昼食に熱いウドンをすすり、ようやく身体が暖まったところでパソコンと液晶モニタを車に積み込み、出発。
 eMacは重さが23Kgもあり、しかも本体に丸みがあるので、非常に持ちにくい。昨年処分した分は必死の思いで自分で運んだが、今回は連日のDIYで腰の状態が危ない。2階からの搬出は息子に頼んだ。

 ついでに使っていない15インチの旧式液晶モニタも、この際処分することにした。eMacと違い、液晶モニタはいまのところ無条件で無料で引き取ってくれる。
_ネットでおよその目星をつけてあったので、息子が使う中古液晶モニタはすぐに見つかった。DELLの20インチ、1600×1200のまだ新しい品が9,980円。この商品を買うことにより、eMacは無料で引き取ってくれるという条件だ。
 厄介者と化していた古いパソコンだったが、最低費用ですっきり処分できた。いろいろ調べてみるものだ。

 帰路、久しぶりにロイヤルホストに寄ってパフェを食べる。3人とも酒と甘い物の両方がOKの、いわゆる「両刀使い」である。その分、人生を楽しめているのではナカローカ。

2011年5月5日木曜日

脱原発デモに参加

 市民団体が主催する「5.5札幌ウォーク」という、脱原発デモに参加した。子供の日に合わせ、「子供たちに原発不安のない安全社会を残そう」という主旨に賛同しての行動だ。
 被災地に直接出向いてボランティアに励むという考え方もあるが、現段階ではまだ無理。ボランティアはひとまず被災地に近い娘にまかせ、私は「後方支援」ともいえる選択である。

 午後1時に都心の大通公園集合だが、妻は勤めがあり、息子は友人との約束がありで、私一人での参加となった。知人友人の類いに声をかける気は最初からなく、ブログ等での事前告知も一切しなかった。
 そもそもこうした行動は、個々人の信念に基づいた孤独でストイックなものであり、誰かとツルんでやるようなものではないだろう。


 デモがあることは新聞で知ったが、そもそもデモに参加するのが学生時代以来、実に42年ぶり。幸いにカラリと晴れ上がったが、風は冷たい。帽子と厚めのジャンパーで身を固め、前日に閃いたカエルのオブジェを使った手製のプラカードを準備し、車ではなく電車で行った。

「目標動員千人」と主催者側は予告していたが、到着した10分前には、まだ100人にも満たない。やっぱり道民の意識はこんなものかと思っていたら、時の経過と共にジワジワと増え始め、デモ開始の1時半には、およそ500名もの人で通りは溢れた。


 参加者には若い女性と子供、そして年配者の姿が多かったが、働き盛りの男性の姿は皆無に近い。反原発デモに参加し、新聞やテレビに映ったりすると、社会的に何かとまずい立場の人も大勢いるのだろう。
 事実、夕方のテレビニュースで私の姿がかなり大きく映ったが、文字通り自由な身である自由業の私には、法律を遵守する限り、これといって行動に制約がない。しかし、世の中、男性はおしなべて保守的である。今回のデモも数名いたリーダーはすべて女性だった。
 ちょっと驚いたのが、外人の姿が目立ったこと。周囲を数えただけで10名はいた。私の真横にも台湾人らし若き女性二人が、元気にシュプレヒコールを上げていた。外人はこの種のことには敏感で行動的のようだ。

 都心を2キロほどぐるっと回って、およそ45分でデモ終了。持参したカエルのオブジェは周囲に大人気で、「どうやって作ったのか?」と、いろいろな人から聞かれた。
 廃品利用のオブジェなので、エネルギーの無駄をなくすという意味で、デモの主旨にも合っていたかもしれない。テレビに映ったのも、たぶん目立っていたからか。
 その後、大通公園を西にまた15分ほど歩いて、カエルヤ珈琲店に行く。雪が解けてからは初めてだったが、いつもと変わらぬ佇まいである。歩きづめで空腹だったので、オススメ品のひとつであるチリドックと珈琲のセットを注文する。空きっ腹に染みる味だ。

 店は珍しく閑散としていて、店主のU子さんとあれこれカエル談義。帰り際、レジ横にあった大震災募金箱に、釣り銭を全部投入。こちらもささやかな後方支援である。
 この募金箱も、もちろんカエルなのだった。当分の間募金は続けます、とU子さんは言っていた。さすがである。応援します。


 カエルヤから20分ほど歩いて電車に乗り、最寄りの駅で降りて再び20分歩き、夕方5時にようやく自宅にたどり着いた。
 天気が良く、その気になれば屋根補修の続きもやれそうだったが、この日はさすがにやめておいた。あとで調べてみたら、合計で10キロ以上も歩きに歩いていた。よくぞ歩いたもの。気怠い快感である。