2010年1月29日金曜日

母の入院

 大の病院嫌いの母が、突然入院してしまった。元来丈夫な母の、生涯初めての入院である。
 始まりは実は昨日のこと。夕方、実家近くに住む姉から電話があり、母が買物中に意識を失い、救急車でH大病院に運ばれたので、すぐに来てくれとのこと。全く状況が分からなかったが、とるものもとりあえず、車で駆けつけた。

 病院に着いてみると、母はIC治療室にいたが、特に変わった様子はない。ベットの上で差し入れの菓子などを食べている。意識ははっきりしていて、私のこともちゃんと分かる。
 聞けばスーパーのベンチで何かを食べている途中、喉に詰まるなどして意識を失い、従業員が気づいて救急車を呼んでくれたとか。

 担当の医師が詳しく説明してくれた。いろいろ検査したが、どこにも異常はない健康体である。意識も戻り、食欲もあるので、なるべく早く退院して欲しい、とのこと。何となく拍子抜けし、ともかく翌日13時に車で迎えに来ることにし、昨夜は帰ってきた。
 明けて今日、先に着いていた姉が治療費の清算をして戻ってくるなり、母は胸が痛いので、まだ病院にいたいと訴えているという。様子を見ると、着替えも難しい感じで、歩くこともままならない。医師の診断をすっかり信用していたので、単なるワガママかと思い、車椅子を借りて母を駐車場まで運び、帰路についた。
 ところが家に戻っても、母の様子がやはりおかしい。身体がだるい、痛いと椅子にも座れず、もちろん歩くこともできない。そのうち、バッタリと床に伏せてしまった。

 この時点で、まだ私は天下のH大病院を信じていた。医師が病状に太鼓判をおしてくれたのだから、別の病院にまた駆け込むなど、もってのほかだと…。
 しかし、母の様子は回復しない。困った私は母を姉にまかせ、区役所の福祉課に相談に行った。福祉課なら、何かよいアドバイスがあるのではないか、と考えた。

 担当者は親身に相談に乗ってくれたが、結論として市としては、何もできない。(そりゃそうでしょう)H大はさておき、主治医がいるなら再度診てもらってはどうか、との助言である。
 ところが、母には主治医などいない。それほど健康で病気知らずだった。しかし、いろいろ考え込むうち、ふと父がお世話になった近隣の病院のことを思い出した。母は父を見舞いに行ったことしかないが、私は先生やケアマネージャーとも懇意。相談に乗ってくれるかもしれない。その足ですぐに病院まで走った。
 以降の子細は省くが、何と再検査の結果、太鼓判を押されたはずの母の身体に、2カ所もの重大な骨折があったことが判明。特にひどいのが、胸骨の骨折で、折れた先が鋭利な刃物にようになり、内臓に刺さらんばかり。これでは動くたびに激痛が走っても仕方がない。
 当分は絶対安静で、その場で入院となってしまった。

 いったい何がどうなってこうなったのか、よく分からない。先週末まではピンピンしていて、普通に歩いて食べ、雪かきまでしていた。昨日の意識混濁の際、どこかにぶつけたのではないか?と懇意にしている病院の先生は指摘した。
 当日は痛みはなく、翌日なって痛み始めたのだろうか?それにしても意識不明で倒れた高齢者であれば、胸のレントゲン写真くらい、普通は撮るものではないだろうか?

 ともかくも、最短の時間で最善の対処をしたことだけは間違いない。今後、内部出血に伴う合併症の不安があるらしく、予断は許さない。
 昨日から今日にかけ、あちこちかけずり回って、疲労困憊。大きくても有名でも、全く安心できない油断ならぬ世の中で、身を守るのは結局個人の経験値と冷静な判断力であることを思い知らされた。