2009年7月28日火曜日

日々身辺整理

 3人の子供が生まれた際、当時勤めていた会社の上司から、分厚いアルバムをそれぞれプレゼントされた。布製のカバー付きで、子供の名前が入っている。よくある誕生プレゼントだが、長女には別の友人からも1冊プレゼントされ、合計4冊のアルバムが30年以上もずっと手元にある。

 子供に限らず、アルバムは独身時代からずっとコクヨの紙製台紙タイプと決めていて、安くてレイアウトや書き込みが自由であることがその大きな理由。子供別のアルバムは特に必要なかったが、せっかくの好意なので一計を案じ、代表的な写真を定期的にキャビネサイズに延ばし、この豪華なアルバムに順に貼ってきた。
 アルバムの始まりは誕生直後で、最後は中学校入学である。子供の成長の歴史が詰まった洒落た記録だと思っていた。
 数年前に長女が結婚した際、ついにその時がやってきたと、このアルバムを持たせようとしたら、あっさり「邪魔になるからいらない」。

 子供の成長記録などもそうだが、この種の記録のほとんどは、親の自己満足に過ぎない。自分のエゴを無理に子供に押しつける趣味はないので、こちらもすんなり受け入れたが、画像そのものは記念に欲しいので、スキャンしてCDに焼いてくれませんか、と娘は言う。
 いかにも今風の考えだが、確かにこれなら全く邪魔にならず、画像の劣化もない。全部じゃなくてもいいとのことだったので、あれこれ見繕い、50枚ほどを処理して送った。


 それから数年、二人の息子が結婚する気配はいまのところないが、仮にその日がきたとしても、おそらく同じことを言い出すに違いない。ならば、ただの押入れのゴミ芥となりつつある巨大なアルバムの束を、この際処分してしまおう、と決意した。

 心理背景にあるのは、やがて還暦を迎えようとしている自分の年齢である。日頃から無用な物は「買わない持たない持込まない」を信条としているが、アルバムの処分も当然この生き方に沿うものだ。
 実はこのために100円ショップでA5のクリアフォルダーを購入済み。せっかくの写真を捨て去るのは忍びないので、全部はがして年月日をつけ、順にフォルダーに入れてしまうのだ。
 今日は4冊あるアルバムのうち、3冊を処理したが、相当の時間がかかるし、出るゴミの量もかなりのもの。しかし、おかげで押入れも気分もスッキリした。
 今月から札幌市はゴミが有料化されたが、フリーアルバムのカバーはプラスチックゴミ、台紙は雑紙、表紙の段ボール芯は資源ゴミとなり、有料ゴミは布カバーくらい。手間さえ厭わなければ、費用は最小限で済む。