天気予報や今後のライブ予定などを考えると、この日にやるのが最適と、数日前からヒソカに思っていた。
幸いなことに、気温は予報通り28度前後。快晴ではないが、風もそう強くない。物事は時間をおくとロクなことがなく、気運の盛り上がったその時に一気にやるのが得策である。
仕事をしながら、持参するものを最終チェック。ステージとなる百合が原公園には、車で5分ほどで着く。完全なる孤独スタイルでやるつもりでいたので、妻には全く話してなかったが、友人を連れて職場から戻った妻は、計画を知ると、「一緒に行こうか?」と言う。
好意だけありがたくいただき、せっかくだから友だちとゆっくり話してなさいよ、と言い残し、一人で家を出た。
現地到着が午後4時10分。まずは三脚にデジカメを取付け、公園を歩く自分の後姿をセルフタイマーで撮影する。今回のライブは記録もすべて自分一人の手でやる気でいたので、かなりの手間暇がかかるが、それらもぜんぶひっくるめて「インスタレーション・ライブ」なのである。
2日前に目星をつけておいたステージ候補のうち、第1ステージとなる《木漏れ日の森》からスタート。ここでもまずはカメラの位置を決め、セルフで撮影しつつ、そのまま1曲目を演奏。カメラに戻って映像を確認し、スイッチを切ってから再び椅子に戻って2曲目を演奏、という形をとった。
ステージは全部で7つあり、共通するのはズバリ「椅子」である。深い森に囲まれた公園の中に点在する7つの椅子(ベンチ)をステージに見立て、その場所に相応しい歌を2曲だけ歌い、終わったら次のステージへと移動する。
青空ライブは2年ぶりだったが、座ってやるのは今回が初の試み。写真のように、公園の添景として自然にとけ込む存在としての自分を意識すると、こうならざるを得なかった。
立って歌うのが通りすがりの聴き手に対する強いアピールなら、座って歌うのは自己との対峙により近づくはずで、姿勢によって歌への無用の力みを取り去るねらいがあった。
いざやってみると、いまだかって経験したことのないイメージの高揚を感じた。妻や友人の「引率」まで封じた、完全無欠のストイックな演奏スタイルを貫いたのが良かったのだと思う。妻の付き添いは大変ありがたいものだが、時に歌い手としての「甘さ」につながりかねない。
第5ステージ、《メタルな森》(上の写真)で、驚くべきことが起きた。2曲目の途中で視界に現れた中年の男性、横の椅子に座って聞き耳を立てている様子。夕闇が迫り、空も曇ってきたので、早々に撤収して次なるステージに向かうおうとしていたら、不意にその男性が近寄ってきて、声をかけてきた。
「素晴らしい歌声です。もっと聞きたかったのですが…」
それまでも立ち止まってくれる人や、通りすがりに関心を示す人は多数いたが、声をかけてきたのはこの男性だけ。その意気にほれた。時間がないので、もう1曲だけ歌います。ご希望は?と問うと、井上陽水はできますか?と聞く。
全く奇妙なことだが、出かける直前にふと思い立って、井上陽水の「紙飛行機」を練習してきたばかり。譜面もバックに入れてある。歌うと男性はとても喜び、次はいつここで歌いますか、どこに行けば聞けますかと、重ねて尋ねてくる。
その後いろいろやりとりがあり、手持ちの弾き語り専用の名刺を渡しつつ、実は自宅を中心にいろいろなライブをやってまして、よろしければどうぞと誘うと、ぜひうかがいたいとのこと。
ほんのわずかな時間のなかでの巡り会いだったが、先日のブログに書いた「窓の外をふと通りかかるチャンス」という言葉に通ずる何かを感じた。よくぞ声をかけてくれたものと、時のもたらした偶然に感謝する。
こんな出会いを期待して仕掛けたライブではなかったが、人生、まだまだ何が起きるか分からない。