細部では異なるかもしれないが、だいたい以下のようなことを言っていた。
1)いくつになっても好奇心を失わない。
2)窓の外をふと通り過ぎるチャンスに気づくこと。
3)通りかかったら自分の手で窓を開け、逃さずつかまえる。
「チャンス」という言葉は、「青い鳥」「白い鳩」などでもたぶん置き換え可能。要は、怠惰な日常に流されがちな庶民にとっての、大いなる生き甲斐になるかもしれない、すべての対象物である。
口幅ったいが、最近作った「誰も知らない夜」というオリジナル曲は、ほぼこれに近いイメージで書いた。(ちなみに、前述の放送を見る前である)
チャンスはおそらく、誰にでも平等に訪れるはず。でも、そうひっきりなしにやってくるわけじゃない。「そんな覚えはアリマせぬ」という方がもしいたとしたら、気づかずに漠然と見過ごしていたか、目に入っても面倒なので気づかないフリをしていただけかもしれない。
窓は常に開け放っておかなくともよいが、無粋な曇りガラスにしてみたり、厚いカーテンなど垂らしていては、つい見逃してしまうだろう。
さらに興味深いのは、自分で窓やドアを開け、青い鳥を探しに出かける人も少なくないという事実。探しに出ても必ず巡り会うとは限らないが、ただ家の中に座っているよりはマシかもしれない。
せっかくフトコロに飛び込んできた青い鳥を、自分の手でみすみす手放す方もいますが。