2009年2月19日木曜日

邪心

 昭和30年代、つまり50年近くも前の硬貨を、ずっと大切に持っている。当時流通していた100円硬貨と50円硬貨で、高校時代の友人が、「昭和30年代の硬貨はこれから価値が何倍にも上がる。だから俺は100枚以上も溜めてあるんだ」と、自慢げに話しているのに感化され、真似をした。
 100枚は無理だったが、発行当初の年から順に1枚ずつ探し当て、合計20枚ほどを大切にとっておいた。(当時は昭和40年代で、古い硬貨がまだ流通していた)

 同じ時期、趣味で集めていた記念切手の価値が毎年上がると聞き、なけなしの金で何シートか買って、こちらも大切に保管した。何年か経てば骨董品のように価値が上がると信じていた。
 そして数十年の時が流れた。硬貨も切手も一時的に価値の上がった時期はあったように思う。しかし、(まだまだ…)という邪心が邪魔をし、手放すことはなかった。
 最近になってそれぞれの相場を調べてみて驚いた。どちらも価値はどんどん下がっていて、硬貨は時価そのまま。記念切手に至っては、どれも価格の70%前後の引取り価格である。
 つまり、100円硬貨は100円のままで、20円切手は14円の価値しかないということ。交通費や送料などの交換手数料を考慮すると、切手は売らずにそのまま使い、硬貨もごく普通に銀行で交換するのが最も得策ということらしい。


 価値が上がるのを信じて、じっと待っていた自分のマヌケさが腹立たしく、意を決してまずは100円硬貨を13枚、郵便局に貯金してきた。普通に使ってもよかったが、あまりに古いので一般の店ではレジでもめる可能性が高く、事情を話して貯金してしまうのが無難と踏んだ。
 まだ10枚ほどの大型の50円硬貨(写真の右奥)が残っているが、こちらはデザイン的に優れており、さほどの額ではないので、もうしばらく置いておく。

 切手も硬貨もすべて自分の乏しい小遣いの中から費用を捻出したはずで、当時は学食のカレーが50円の時代。貨幣価値はいまの4~5倍はあり、もしかするともっと有効な金の使い道があったかもしれない。
 株よりは少額だが、ある種の投資であることは間違いなく、投機的なことにはつくづく向いてない気質なのだなと、改めて我が身を振り返った。
 2年程前、ずっと大切にとってあった古いゲームソフトをネットオークションに出してみたことがある。こちらは投機的な意図は全くなく、単に捨てるに忍びない「愛着心」からとってあっただけだが、予想外の値段で飛ぶように売れた。
 最も高く売れたのはコナミの名作、「メタルギアシリーズ」の記念すべき初回作品で、箱も説明書もついている完動品。いまでは入手困難なレア物で、確か中古で1,000円ほどで入手したソフトが、なんと10倍近い値段で売れた。

「いっちょう、儲けてやろう」と目論んだ品は全滅で、スケベ心のない単純な動機で大切にしまってあった品が、思いがけぬ利益を生む。本当に皮肉な話だ。邪心はほとんどの場合、目標達成の邪魔になるものらしい。