朝起きると腰がビリビリと痛い。わずか15分だったが、昨日やった重い雪かきの後遺症であることは間違いなく、大事に至らぬよう久しぶりに腰痛コルセットを引っぱり出し、腰に締めつけた。
その後、寒中見舞いの仕上げや、依頼されている記念誌の校正と追加原稿の打ち込みに励む。
寒中見舞いのひとつは元NHK職員の若い女性で、「フォークブーム再燃!」の切り口で2年前に取材を受けた方。自宅ライブにも来ていただいたが、結婚退職したあとは遠方に引っ越してしまい、しばらく音沙汰がなかった。
しかし、忘れたころにポツリと近況をしたためた賀状が舞い込んだ。札幌に祖母がいるので、また遊びに行ってよいか?とある。いいも悪いも、来る者は拒まない主義だ。もちろん、去る者も追いはしないが。
彼女とは途切れそうで切れない不思議な縁で、この1年の近況と共に、先日の《かぐやな宵》のライブの様子を写真と共に記す。
元放送関係者なので、ついでに来週のインターネットラジオの放送予定も細かく教えた。書き終えると、A4用紙にびっしり2枚。メール環境が定かではないので手紙にしたが、寒中見舞いの領域を越えている。
このほか、2年前に住宅設計相談を受けた関東地区の方にも寒中見舞いを書いたが、疲れ果てたせいもあり、こちらはハガキで勘弁していただく。
記念誌編集は夕方までに集中して作業し、一気に終わらせた。校正は思っていたよりも少なく、先方にも大変評価していただいた。
手書き原稿は記念誌の巻頭言で800字ほどだったが、高齢なその道の先生なので誤入力などあってはならず、非常に気を使う。
なぜかその先生、小説の合評会で15年ほど前に一度お会いしたことがある。私の作品を高く評価していただき、推挙してくださった。その方の生原稿を打ち込むなど、思いもしなかったこと。
世の中、ぐるっと回って妙なところでつながっている。まるで地下水脈のようだ。
夕方、時間の合間に弾き語りの練習に励む。先日のライブで、いままでぼんやりして見えなかった何かをつかんだ気がする。その確認の意味もある。
うまく言葉には出来ないが、歌詞の裏に潜む世界をくみ取り、自分の声とギタ-に載せて聴き手にさり気なく届ける技、といったようなものだ。技術だけでもスピリッツだけでも駄目で、たぶんその両方の微妙な兼合いだろう。これまた深くて見えにくい世界である。