直るのは1週間後以降なので、レコードのCD変換作業はCDを焼き、CDラベルの画像原稿を作るまででストップである。
昨日から今日にかけ、来週ライブをやる予定の「かぐや姫」の2枚のLPをCD化した。「かぐや姫さあど」と「三階建の詩」で、それぞれ3、4枚目のアルバムである。
後世に残るかもしれない名曲ぞろいで、かぐや姫の全盛時代のアルバム、と言ってよいのではないか。来週のライブでも全6曲のうち、この中から4曲歌う。編集しながらもついつい聴き入ってしまい、はなはだ非効率的だが、モチベーションを高めるには絶好だ。
作業にはかなりの待ち時間(パソコンが黙々と計算する時間)が発生するが、その間に明日と来週のライブにむけての歌の練習をする。
まずは明日の訪問ライブで、ホーム長さんからは「なるべくたくさん、出来れば1時間歌ってください」と依頼されている。
前回も確か同様の要望だったが、40分を過ぎたあたりで入居者の数名が体調を崩し、中途退席した記憶があった。そのことを告げ、高齢者の体力では40分くらいが程よい集中度なのでは?と提案したが、なかなか納得していただけない。
やむなく、まずは40分歌ってみて、聴き手の体力や元気度をみてその後どうするかを決める、という方針に落ち着いた。
これまた昨夜から今日にかけ、去年地域図書館で借りてあった川上未映子の芥川賞受賞作、「乳と卵(ちちとらん)」を読んだ。
最初は軽すぎる文体と大阪弁に面食らい、読み続ける気力が萎えたが、妻が先に読んで「すごく良かった」と言っていたので、ガマンして読み続けた。
ある瞬間から文章が頭の中に抵抗なく流れ込んでくるようになり、次第に引き込まれた。軽すぎると思った文体が、なぜか心地よさに変わってゆく。作家の仕組んだタクラミに、まんまとハマてしまったか?
ふと気づくと、物語は終わっていた。「人生の意味」「人間として生まれてきた意味」という根源的な命題に果敢に迫る秀作で、さすがは新進気鋭の芥川賞作家である。
同時に「活力のある文体」という言葉が思い浮かんだ。従来の文章のセオリーを随所で軽々と打ち壊してくれていて、「こんなのありですか?」と、思わずあとで妻にまで確かめたほど。
昔風の教科書的小説文体では全くなく、「創造性の豊かな若い女性のブログ」といった印象を強く持った。なるほどね。