2009年1月28日水曜日

動き出し

 ぎりぎりになって応募する気になった「札幌スタイル・デザインコンペ2008」のプレゼンは、今朝6時まで6時間近くぶっ通しで作業し、何とか仕上げた。
 以前に閃いた構想メモを横に、昨夜11時頃からパソコンの前でじっと腕組み。イメージを形にする具体的な手段が、いまいち浮かんでこない。やむなく、過去の自分の投稿作を順に広げるうち、背景に2色の色をグラデーションで交叉させる方法を思いつく。

 さっそく試してみると、どうにかいけそう。全体をグラデーションで覆うとしつこいので、周辺の枠部分だけをトリミングすることにした。そのあと、中央に配置する各種データの落し込みとコンセプトを説明する文章の推敲、そしてタイトルのデザイン構成をほぼ同時進行でやった。


 たまたま昨日買って50曲ほどを転送し終えたばかりのMP3ウォークマンをずっと聞きながら作業を続けたが、効率を高めるのにこれがかなり効いた。
 順に全部を聞き終えても、まだ作業は終わらない。2巡目の半分ほどを聞いたころにようやくメドがつき、ふと外をみると完全なる朝。そのまま倒れるように床についた。徹夜仕事はもともと平気なほうだが、よくぞ身体が持った。
 明けて今日、まだ細かい詰めの作業が残っているので、そう寝てもいられず、5時間ほどで起きた。
 疲れていても頭だけはキンキンに冴え渡っており、「身体は眠っていても、頭はまだ起きている」という、一種の幽体離脱のような不思議な感覚が続いていた。

 プレゼンの微調整を時間ギリギリまで繰り返し、別添付の応募用紙に必要事項とデザイン・コンセプトをまとめ、梱包を完全に終えたのが夕方5時半。試し刷りの作品を妻に見せたら、「すごくいい、素晴らしい」とのお褒めの言葉。すっかり気を良くし、そのまま近隣の集配局まで車を飛ばす。
 5時50分に滑り込み、到着日時を確認したら、「明日中には間違いなくお届けします」。よかった、間に合った。

 久しぶりにタマシイをこめた作業をやった。ところで、いったい何を作ったのか?に関しては、一切ここには書けない。書くと規約違反になり、審査の対象外になる恐れが強いからで、仮に発表できるとすれば、それは何らかの形で入選したときのみ。(落選の場合、その具体的内容は公表しない)
 発表は2月末とか。そのころはきっと別の作業に追われていて、すっかり忘れているだろうが、結果は神のみぞ知るところ。今回はわずか1日で仕上げた作品なので、応募出来たということだけで、まずはよしとしたい。
 忘れていたが、《かぐやな宵》のFM放送も今日あった。私の歌は3曲流していただいたが、1時間の放送枠の中であのライブがうまく味つけされ、別の料理に仕上がっていた。ほんの思いつきで始めた今回の企画だったが、思いもかけぬ反響が多方面からあり、発案者本人が驚いている。

行動しなければ、何も始まらない」という単純な事実を、改めて実感した。交友関係を含めた自分を取り巻く世界が、大きく広がった気がする。自分の気持ちの持ち方次第で、世界は如何様にも変わり得る。
 いろいろな意味で、静かな「動き出し」を感じた一日。

2009年1月27日火曜日

MP3ウォークマン

 妻が以前から欲しがっていたMP3プレーヤーをついに買った。先週末の折込みチラシに格安のMP3プレーヤーがあり、2Gの容量で9,000円弱。ステレオで500曲入れられ、イヤホン付のソニー製ウォークマン。(SONY NW-E025F)FM放送も聴けて、USBメモリとしても使える。
 パソコンのUSB端子にケーブルなしで直結し、充電したりデータ転送したりが可能で、1時間の充電で連続30時間も聴ける。

 念のためネットでも調べてみたら、こちらでは送料無料で8,400円で売っている。ユーザーの評価も高く、あのApple社のMP3プレーヤー、iPodよりもはるかに音質がいいんだとか。
 まずは現物を確かめようと近所のヤマダ電機に出向いてみたら、確かに小さい。ほとんどチューインガム感覚で、なかなか案配がよろしい。
 買わずにそのまま帰ってきて、家でネット通販で注文した。こんなヤツはあまりいないかもしれないが、その差600円は大きい。


 今朝届いてから妻が勤めから戻るまでの間、充電したり使用法を確認したりし、妻が戻ってからは希望のCDを転送する作業にまい進した。
「冬のソナタ~サントラ盤」「期別」などの韓ドラ系アルバムのほか、及川恒平さん関係で一番のお気に入りの「みどりの蝉」、車でよく聴く「オールディズ」の4枚を転送した。
 アルバム毎にカラー写真を入れられるので、わざわざCDジャケットをスキャンし、貼付けるという懲りよう。今日の合計で50曲弱で、使用率はまだ1%に過ぎない。500曲も入れる人って、果たしているのだろうか?
 一部の情報で、「Appleに比べると、SONYは曲の転送が非常に面倒」とあったが、一般CDの取り込みはダイレクトで可能。Macとは共有LANでつないでやれば、iTuneのフォルダから直接ファイルを取り込める。試してみたが、レコード、MD、カセットテープなど、あらゆる音源がこの方法で取り込めた。
 ただ、妻にはこの種のマニアックな作業は無理で、当面は希望する音源を、その都度私が転送してあげることになる。この種のことは、出来る人、得意な人がやればいいのだ。

 Apple製iPodの音を聴いたことがないので比較は出来ないが、音質が相当にいいことは確か。妻は勤めの行き帰りと、休みの日に寝ている私に気兼ねなく階下で音楽やFM放送を聴きたいらしい。年に数回でかける旅行の待ち時間にも、退屈しないだろう。
 支払いは私名義のカード決済だが、お金はすでに妻からもらった。つまりは、「妻の財布」で買ったということ。このところあまり生産的な仕事のない私は、ちょっとした買物もよくよく考えに考え、結局は買わなかったりもするが、日々コツコツと働いている人にはかないません。

2009年1月25日日曜日

かぐやな来客

 午後より、《かぐやな宵》がらみの来客数名。最初は2曲をギターサポートしていただいたNさんご夫妻。Nさんは2度目の来訪だが、奥様は初めて。しかし、ライブでお会いし、言葉を交わしているので、初対面ではない。
 あいにく妻は友人と出かけていて留守だったが、昨夜未明までかかって仕上げたライブCDを前に、あれこれ話がつきない。妙な造りの我が家を、「何となく気が落ち着く家です」と、たいそう気にいっていただく。

 Nさんはギター持参で、「もしかしてセッション?」の雰囲気もあったが、結局話だけで終わってしまった。
 Nさんご夫妻が帰ったあと、30分ほどで妻が友人のYさんを連れて戻ってきた。ほとんどすれ違いである。
 実はそのYさん、《かぐやな宵》のライブにご夫婦で参加の予定だったが、前日に身内に不幸があり、泣く泣く断念した経緯がある。出来たばかりのCDを見せたら、「聴かせて、聴かせて!」

 1階には音質のやや落ちるDVDプレーヤーしかないが、それでもいいというので、お茶を飲みなおしつつ、妻と3人で聴き始めたが、予想通り止まらない。やむなく、解説つきで最後まで聴いていただく。
 再度じっくり聴いてみると、昨日欠点だと思っていた箇所が、「別に気にならないわ」とYさんは言う。ラスト近くの「北の旅人」の部分では、涙を流しながら聴いていた。
 この曲は完全なソロだが、アルペジオでしっとりと落ち着いて歌っている。あちこちで歌っているが、ひょっとすると今回が最高の出来かもしれない。
 ご主人にも聴かせたいというので、急きょ1枚焼き増し、予備のラベルを貼って差し上げた。


 メンバーに配布するCDの数が合計で10セット(20枚)を軽く超えたので、夕方から少しずつ焼き増し作業を始めた。
 しかし、なぜか10枚のうち、2枚も書き込みエラーが発生する。これまで書き込みエラーなど皆無だったが、もしかすると1枚18円の安売りCDのせいなのか?

 書き込み速度を等倍速に落とすとエラーは発生しないが、今度は極端に時間がかかる。深夜までに10枚を焼き終えたが、残りは中間値をとって、4倍速くらいで焼くことにしようか。
 併行して進めていたDVDラベルのデザインも終えた。こちらは当日の演奏中の写真を3枚使い、メンバーがバランスよく入るように配置した。イラスト色の強いCDラベルのデザインとは、また違った味である。

2009年1月24日土曜日

力まかせ

 先週終わったライブ《かぐやな宵》の音源がCD2枚組でお店から届いた。ミキサーから直接とった音なので、音質は抜群。改めて聴いてみたが、みな本当によく歌い、よく奏でている。
 部分的に細かいミスは皆無ではないが、ライブ全体の流れが単調ではなく、歌い手や編成にそれぞれ個性があって、退屈しない。構成をすすめる中で自然にそうなったことだが、ある意味では「怪我の功名」というやつかもしれない。
 家にいた妻にさっそく聴いてもらったら、「最初の数曲に力が入りすぎている」と意外に厳しい評価。そういわれると、確かにそうである。自分では最高だと舞い上がっていたが、実はそうでもなかったりする。
 思うに、特に前半の会場のざわついた空気を自分のペースに持ち込むために、力でねじふせようと意気込んでいたかもしれない。他のメンバーに対するライバル心、気負いのようなものがなかったといえば、ウソになる。
 それやこれやが、おそらく「力み」となって出た。どんな場であっても力みはマイナス。まだまだ修行が足りぬ。


 後半の「北の旅人」や、リードギターでサポートしてもらった2曲は、この力みがあまりない。歌い進むうち、ペースをつかんだこと、そして相手にある程度合わせようとしたことで、余分な力がとれたのだろう。
 他の反省点は、マイクの使い方に多少の難点があったことか。ピーク時の音が一部割れてしまっている。すべてリハーサルでは歌っていない曲で、この部分だけでも一部歌っておくべきだったと反省。
 さっそくメンバーに連絡し、ダビングして配る手配をしたら、すぐに返信がきた。そのうちのNさんが、「明日、直接取りにいきます」。
 連絡には「オリジナルのCDラベルもつけます」と書いたが、その時点ではまだ何も作っていない。Nさんに電話をしたら、なるべく早く自分の耳で聴いてみたいのだという。そうだよねぇ…。

 すぐにCDラベルのデザインを始めたが、2枚組なのでそれなりに時間はかかる。背景にはライブのフライヤーに使った画像を転用。日付や場所はもちろん、歌い手や曲のセットリストもすべて入れ、ようやく仕上がったら日付が変わっていた。
 確認のため、音のチェックをしていたら、ついまたズルズルと全部聴いてしまった。飽きませんな。しばらくこんな状態が続きそうだ。

2009年1月23日金曜日

本気で本作り

 記念誌の編集は本文の作業が一段落し、残るは転載原稿10数枚を待つのみ。こちらは校正がほとんど発生しないので、単純作業である。いよいよ先が見えてきたので、今日は暫定案のままだった表紙の詰めを行った。
 本文はA5サイズなので、表紙は倍のA4サイズとなるが、背の部分に厚みがとられるので、単純にA4版にレイアウトするだけでは駄目。A4よりも少しだけ大きい紙が必要になる。ここが表紙作成の大きなポイントなのだ。

 最も簡単なのは、一回り大きいB4の紙にレイアウトし、裁断の目安となる「トンボ」というマークを外側に入れてやればよい。
 しかし、残念ながら去年新たに購入したレーザープリンタはA4版対応。最大印刷サイズは幅216×長410で、外側にトンボを配置して印刷するのが、何度やってもうまくいかない。
 試しに修理を終えたばかりのインクジェットプリンタでやってみると、A3版まで対応なので印刷そのものはすんなり出来る。ところが表紙はタント紙と呼ばれるザラついた特殊紙なので、微妙にインクがにじむ。印刷精度に限れば、やはりレーザープリンタに勝るものはない。
 印刷イメージをファイル保存し、CDに焼いて印刷屋に持ち込めば簡単だが、かなりの外注費用がかかる。予算の打合せはすでに終わっていて、そう余裕はない。トンボなしで手持ちのレーザープリンタで印刷し、それを製本業者に持ち込んで何とか製本してもらうのがベストだが、それが果たして技術的に可能なのか、自分ではどうにも判断がつかなかった。
 思いあまって去年製本の見積りをとったプリントショップに電話を入れた。この業者には9年前に70冊だけ手刷りで作った自費出版本のときにも依頼した経緯がある。

 こちらの理不尽とも思える要求に親切に相談に乗ってくれ、「背文字を用紙のセンターに完全に配置すること」を条件に、何とかトンボなしで製本に応じてくれることになった。しかも追加料金なしの通常価格。これで手持ちのプリンタですべて対応出来る。ありがたい。


 あとは表紙となる紙の注文である。納品は100冊だが、ロスを1割見込んで110枚必要。そのサイズが幅216×長310という、A4を少しだけ大きくした半端な寸法。もちろん既成サイズにはない。
 紙そのものはB4でも1枚30円くらいだが、カット代の割増し分がかかる可能性が高い。しかも、製本の際にきれいに折れるよう、紙の折り目(紙にはすべて目に見えない「折り目」というものが存在する)が縦にくるよう裁断しなくてはならぬ。
 これらの条件をすべて満たしつつ、色や紙質、そして厚さを決める。以前に頼んだ紙専門業者が都心にあるので、来週はその打合せをする。

 本を作るのは単純に文章や写真、イラストをデザイン的に処理してレイアウトする作業のほか、この種の雑多な知識も必要で、非常に煩雑である。世間の自費出版本の相場が上装本500冊で100万以上、などと言われているが、妥当な価格かもしれない。
 私のウリは、少ない册数で安い価格、といったところ。はっきりいって仕事も早い。テキストデータ提供の100ページ100冊なら、1冊1000円でやれる。今回、初めてお金をいただいて人様の本を手がけたが、ちょっと自信を持った。
 文章そのものを書くのは得意で、校正関係の専門知識もある。デザインの仕事もいちおうはプロ。家内制手工業なので、企業レベルでは見向きもされない半端仕事でも、ごく安いコストでできる。

 趣味の団体の記念誌、個人やグループの句集や歌集、趣味講座の教則本など、予算も部数も少ないが、ある程度の体裁が整った本の潜在ニーズは、かなり埋もれていると見る。今回の仕事のメドがついたら、こうした簡素な本作りの仕事を、本腰を入れてやろうかと真面目に考えている。

2009年1月22日木曜日

地下水脈

 朝起きると腰がビリビリと痛い。わずか15分だったが、昨日やった重い雪かきの後遺症であることは間違いなく、大事に至らぬよう久しぶりに腰痛コルセットを引っぱり出し、腰に締めつけた。
 その後、寒中見舞いの仕上げや、依頼されている記念誌の校正と追加原稿の打ち込みに励む。

 寒中見舞いのひとつは元NHK職員の若い女性で、「フォークブーム再燃!」の切り口で2年前に取材を受けた方。自宅ライブにも来ていただいたが、結婚退職したあとは遠方に引っ越してしまい、しばらく音沙汰がなかった。
 しかし、忘れたころにポツリと近況をしたためた賀状が舞い込んだ。札幌に祖母がいるので、また遊びに行ってよいか?とある。いいも悪いも、来る者は拒まない主義だ。もちろん、去る者も追いはしないが。
 彼女とは途切れそうで切れない不思議な縁で、この1年の近況と共に、先日の《かぐやな宵》のライブの様子を写真と共に記す。


 元放送関係者なので、ついでに来週のインターネットラジオの放送予定も細かく教えた。書き終えると、A4用紙にびっしり2枚。メール環境が定かではないので手紙にしたが、寒中見舞いの領域を越えている。
 このほか、2年前に住宅設計相談を受けた関東地区の方にも寒中見舞いを書いたが、疲れ果てたせいもあり、こちらはハガキで勘弁していただく。
 記念誌編集は夕方までに集中して作業し、一気に終わらせた。校正は思っていたよりも少なく、先方にも大変評価していただいた。
 手書き原稿は記念誌の巻頭言で800字ほどだったが、高齢なその道の先生なので誤入力などあってはならず、非常に気を使う。
 なぜかその先生、小説の合評会で15年ほど前に一度お会いしたことがある。私の作品を高く評価していただき、推挙してくださった。その方の生原稿を打ち込むなど、思いもしなかったこと。
 世の中、ぐるっと回って妙なところでつながっている。まるで地下水脈のようだ。

 夕方、時間の合間に弾き語りの練習に励む。先日のライブで、いままでぼんやりして見えなかった何かをつかんだ気がする。その確認の意味もある。
 うまく言葉には出来ないが、歌詞の裏に潜む世界をくみ取り、自分の声とギタ-に載せて聴き手にさり気なく届ける技、といったようなものだ。技術だけでもスピリッツだけでも駄目で、たぶんその両方の微妙な兼合いだろう。これまた深くて見えにくい世界である。

2009年1月21日水曜日

行列ツララ

 2日続きの風雪ネタである。早朝に除雪車が入り、玄関前にドンと固い雪というより、氷の塊を残していった。玄関前に残された雪の除去は市民の責任、となっているので、やむなくスコップで除雪開始。

 しかし、固くて重い。一部の塊はスコップでは除去不能で、両手で抱えてどかした。10分程作業したところで、持病の腰痛がピリピリと黄信号。残った分は夕方やることにし、家に入ろうとふと屋根を見上げると、これまで見た事もないようなツララの列が北側の屋根にズラリ並んでいる。
 三角屋根なので多少のツララは毎年発生するが、こんなにひどいのは入居9年で初めてのことだ。近隣の家々を調べてみると、三角屋根の家にはどこも大なり小なりのツララが発生していた。おそらく湿った大量の雪と、零度前後の中途半端な気温のせいで、ツララの発生しやすい条件が整ったのだろう。


 ツララ発生のメカニズムに関してこれまでいろいろ調べてきたが、単純な気象条件のほか、屋根の素材や葺き方でも微妙に発生の違いがあることが分かってきた。
 内部からの熱が屋根に逃げやすくなっている建物のように、構造的欠陥に起因する「内的要因ツララ」がまずあるが、今日のように日射や気温で屋根の融雪がすすみ、それがツララとなる「外的要因ツララ」の場合、特に屋根の材質と葺き方が問題になるようだ。
 我が家の屋根はコストの一番安くて単純な「蟻掛葺き」という一種の縦葺き工法だが、この工法は屋根の頂点から軒先まで融雪水が一気に流れるため、条件によっては非常にツララが出やすくなる。
 コストの高い横葺き工法の場合なら、融雪水は横に流れたり、屋根上に滞留したりする仕組みなので、写真のような全面ツララは出来にくい。しかし、それでも融雪水の逃げ場となる軒端部(妻側)に、まとまった大きなツララが発生しているのを時折見かける。
 屋根形状が我が家のように単純ではなく、複雑に交叉している形状の場合、材質や工法とは無関係に谷部などにツララが発生しやすくなる。

 今日は珍しく「建築屋」らしい記事となった。たまにはね。

2009年1月19日月曜日

寝て待て

 修理に出してあったキャノンのインクジェットプリンタ(BJ-F9000)が直ったので、雨まじりの悪天候だったが、妻を助手席に載せて引き取りに行って来た。
 修理伝票によると、悪かった箇所が3つもあり、廃インクパッドの交換、プリンタヘッドの交換、用紙通過部分の汚れである。修理費は当初の約束通り、一式で9,450円の定額。得をしたのか損をしたのか判断に苦しむが、ともかくこれでまた3年は使えることを期待しよう。

 念のため窓口で確認したら、この機種の生産はまだ続いているそうで、修理部品の確保は生産打ち切り後5年間とか。つまり、ただちに生産中止が決まったとしても、あと5年は修理可能、という理屈になる。
 プリンタの性能やスピードに大きな不満はないので、資源保護の観点から、もう一回くらいは修理して使い続けようかと考えている。


 帰宅後、溜まりに溜まっていたCDラベルの印刷を一挙にやる。最初の1枚だけにかすかにまだ汚れが残り、再修理かと一瞬ウンザリしたが、幸いに2枚目からは元に戻った。
_土曜日に実施したライブ《かぐやな宵》の一部が、地域FM局で放送されることになった。どの曲がどのように放送されるかは分からないが、実現すれば画期的なこと。今回のライブは自分でもかなりの手応えを感じてはいたが、まさかそこまでとは…。
 しかし、正直いってうれしい。これまでもNHKテレビ札幌やHBCラジオでちょっとだけオリジナルを流していただいたことはあったが、1曲まるごと放送は一度もない。

 もっとも、これは私の歌が放送されたら、という仮定の話で、「ライブ中の1曲だけ」という話になれば、ボツになる可能性大。果報は寝て待つことにしますか。
 いちおう放送予定です。


FM白石/札幌83.0MHz(札幌白石区)

「70年代フォーク流行歌が好き/高嶋KEN」
・本放送 2009.1.28(水)19:00~20:00
・再放送 2009.2.1(日)17:00~18:00

2009年1月17日土曜日

燃え尽きた

 50日間の準備を経て実施のライブイベント、《かぐやな宵》が無事終了。午前中から簡単に自宅でリハを済ませ、いろいろな機材を車に積み込み、少し早めに家を出る。
 途中、実家にちょっと寄って仏壇に手を合わせ、昨日買っておいた果物を供える。「遊びの前のお参り」とでも言ったらいいのか?

 15時ちょうどにお店に着く。駐車場で今日の私の担当分の6曲のうち、2曲をギターサポートしてくれる西やん夫妻とバッタリであう。お店に入ると、メンバーはほぼそろっていた。
 ミキサーにさまざまなシールドケーブルを接続し、マスターが台紙を貼って番号と音響機器の種類をメモ。PA全体の調整をしつつ、各自が入念なリハを繰り返した。


 私は6曲のうち、ソロでやる3曲を除いた残りの3曲を1回だけ軽く歌う。これまでの経験から、本番直前の「歌い過ぎ」は私の場合禁物である。

 大きな問題はなかったが、唯一気になったのは、「大きな片想い」のラストで吹く口笛。自宅リハではすいすい音が出たのに、なぜかお店ではさっぱり音が出ない。
「空気が乾いているせいかも?」との話になり、あとで水を一口飲んで吹いてみると、ちゃんと音が出る。一抹の不安を抱えつつ、すぐに本番の時間となった。


 18時ぴったりにライブ開始。いちおう発起人であるので、簡単な挨拶を冒頭でやり、かぐや姫のデビュー曲である「酔いどれかぐや姫」をまず最初に歌った。
 喉の調子はピークに限りなく近く、多少不安のあったギターピッキングも大きなミスなく乗り切った。マスターの苦心のかいあって、PAの調子は最高。サポートしてくれた西やんのギターも心地よく鳴いて、いい気分でライブは進んだ。

 圧巻は4曲目の「なごり雪」で、声とギターに強弱をつけ、気持ちをうまく歌詞に乗せられたと思う。これまでにない手応えと自己充足を感じた。
 私の分のセットリストは以下の通り。

・酔いどれかぐや姫(ギターサポート、西やん)
・突然さよなら
・あてもないけど
・なごり雪(ギターサポート、西やん)
・北の旅人
・大きな片想い(若りんとのツインボーカル)
 持ち時間の27分より2分短く、18時25分に終了。現在の自分としてはほぼ100%の出来だったと自己評価しているが、唯一のマイナスは口笛。やはり本番でもうまく音がでなかった。聴き手にとって大きな瑕にはなっていないかもしれないが、悔いは残る。
 あとでいろいろ理由を考えてみたら、本番で使った2台のエレアコと大型のPAのせいで口笛そのものの音が聞きとれず、うまく音程がとれなかった可能性がある。こればかりは咄嗟の機転でもカバーしきれなかった。少しくらいは反省点があったほうがよいと、前向きに考えるか。


 他のメンバーもおおむねよい出来だったと思う。やはり練習の積み重ねは大事だと痛感した。聴き手は歌い手も含めて約30名で、予想を越える数。かなり遠方からの方もいて、大変ありがたかった。
 終了後の打ち上げ&二次会では本番で完全燃焼したせいか、もはや歌う気力なし。エネルギッシュに歌い続ける方の、もっぱら聴き役に徹した。

 まだ終わったばかりだが、今回のライブの経験を活かし、今後また別の企画に発展させたいという密かな願望はある。今年はただ自分が歌うだけでなく、いろいろな形でプロデュースのような活動をやってみたいと思っている。

2009年1月16日金曜日

かぐやな準備

 明日のライブ《かぐやな宵》に備え、昨夜遅くにブーム式のマイクスタンドを2セット入れる携行袋を作った。例によって材料は大切にとってある端切布の一部。
 施設訪問ライブ用としてマイクスタンドと譜面台を一緒に入れる布製袋はすでに作ってあった。しかし、大きさがギリギリで、マイクスタンドを2セット入れるのが難しい。今後のことも考え、一回り大きい袋を作ることにした。
 写真中央の長いベージュの袋がそれで、すでに2セットを格納済み。入口を閉じるヒモは、そのまま肩からかけるショルダーベルトに換わる仕組みになっている。その下にある白い短めの袋には、譜面台2セットが入っている。
 お店にはもちろんマイクスタンドも譜面台も用意されているが、明日のライブは何せ出演者の総人数が7人という大所帯。お店の分だけでは機材が到底足らず、各自手持ちの機材を持参する手はずとなった。
 このほかに、マイクやシールドケーブル等も持参する。結構な荷物である。

 私のマイクやマイクスタンドは安物なのでプロ仕様としては無理だが、アマチュアならどうにか使える。そもそも「使うのは本人」というケースが多いので、あまり問題にならない。


 夕方ジャスト6時から、明日のために通しのリハを実施。6時はぴったり私の割り当て開始時間で、イメージを高めるには絶好だった。
 曲間のMCもある程度考慮しつつ進めたが、終了が6時25分。入替え時間を考慮した正味の割り当て時間は27分なので、2分余る。本番ではこれくらいは余裕をみておかないと危ない。

 肝心の歌やギターの調子だが、午後から歯科で麻酔を打たれ、歯茎の長い治療をしたので、奥歯にかなりの違和感があった。そのせいで歌は80%くらいの出来。喉そのものは連日ショウガ湯を飲んで調整した成果で問題ない。歯茎の違和感も、たぶん明日は平常に戻るはず。
 予備練習全くナシで始めたので、ギターはアルペジオ奏法で多少の引っかかりを感じたが、私の場合はこんなものだろう。
 50日の準備期間だったが、特に気負いもなく、淡々と明日を迎えることができそうだ。

《かぐやな宵》
かぐや姫、風、南こうせつを
 心ゆくまで歌い、奏でる夢の宵
 見届けてください
 共に口ずさんでください

出演:かぐやな仲間たち
・第1部:TOMすけ...18:00~18:30
・第2部:乙次郎...18:30~19:00
・第3部:若りん&Y3...19:00~20:00
 (演奏時間はおよその目安です)

日 時:2009.1.17(土)17:30 開場 18:00 開演
場 所:札幌市白石区東札幌2条6丁目4-11 二康ビル2階
    「歌酔倶楽部ありがとう」/TEL 011-824-3939
    (地下鉄白石駅1番出口より、都心方向へ1分)
料 金:通常料金(チャージ1,400円 +ドリンク代、予約不要)

2009年1月15日木曜日

ゴミとの闘い

 札幌では今年の7月からゴミが原則的に有料となり、分別もいっそう細かくなって、収集方法も非常に煩雑になる。
 先日、町内会の役員会議で概要が提示されたが、とても覚えきれない。現状でも曜日の感覚に疎い高齢者などは、よく間違えた曜日にゴミを出しているが、それでも「水曜日は燃えないゴミ」などと曜日毎に出すゴミの種類が決まっているから、まだまし。

 それが今度は、「燃えないゴミは毎月第1水曜日」「プラスチックゴミは毎月第2・第4木曜日」「燃えるゴミは毎週火曜日」などと、相当のヒネリが加わる。
 燃えるゴミと燃えないゴミは1リットルあたり2円の有料で、これはある程度やむを得ない処置であろう。しかし、この複雑な指定日をいかにして覚えようか。パソコンのスケジュール表にでも頼らざるを得ないか。


 ゴミ収集の複雑化と有料化、そしてゴミ袋として重宝していたスーパーレジ袋の有料化に備え、9年間使っている台所の分別ゴミストッカーの大幅改修を試みた。
 有料ゴミは袋いっぱいにして出すほうが得だし、他のゴミも収集間隔が開くので、長期間の家庭内保存に耐えうる体勢にしたい。さらに、レジ袋の減少対策として、市販のゴミ袋にも、これまでよりたくさんのゴミを詰め込めるようにしたい。
(資源ゴミは今後も無料で、家庭毎に何らかの袋の準備が必要である)

 これまで使ってきた手製の分別ゴミストッカーは、毎週必ずレジ袋に入れて出すことを前提にしていて、構造は極めておおざっぱ。木枠を作って底と手前にのみ板をビス止めし、枠の一部にレジ袋を吊るすビスを止めただけだった。
 収容力を増やすためには空瓶やペットボトルなどはその都度袋に入れず、直接箱の中に溜めておく仕組みにする。溜める袋もレジ袋対応でなく、市販のゴミ袋もすっぽり入る仕掛けにする…。
 だいたいこんな意図で改良を進めた。
 改良後が下の写真。底と手前だけだった板が、全周に取付けられ、中央底部にも仕切り板をつけた。左手前には市販のゴミ袋をセットしてプラスチックゴミ入れに、その奥に乾電池とプリンタ廃インクの袋を吊るし、右手前の空間にはビンなどの資源ゴミを直接入れる。その奥には唯一のレジ袋の中に燃えないゴミが入っている。
 ちなみに、生ゴミ&燃えるゴミ用には別のペダル蓋つきストッカーがあり、手前に置く。また、ストッカーの上には天板を載せ、炊飯ジャーを置くなどの作業台として使っている。

 ほぼこれでやり繰りできる体勢が整った気がするが、7月からはこのほか、「雑紙」「枯れ草&木の枝」という新しいゴミの分類が追加され、それぞれ新規の収集日が指定されるそうだ。必要なことなのだろうが、ちょっとウンザリ。
 ゴミとの闘いも、のっぴきならない状況になりつつあるようで。

2009年1月14日水曜日

男と女

 昨夜遅く、NHKで「男と女」という特番の再放送をやっていて、本放送を見逃していたのでシメシメと興味深く観た。
「愛は4年で終わる」という説はかなり昔から言われていてよく知っていたが、その年数が子供の世話を夫婦でつききりでする年数に由来するのだという。それ以降の男女の愛を育むには、およそ4年毎に子供を生み続けるか、別の価値観を見つけるしかないのだとか。

 少子化の現代で、絶え間なく子供を生み続けるのは現実的ではなく、何もせずに手をこまねいていると、最後の子供が4歳になったあたりで、夫婦(あるいはそれに準ずる男女)の愛は終わる。
 これが真実となると、多くの夫婦はその後の気の遠くなるような年月を、「世間体」あるいは、「食べるため」あるいは、「面倒くさいから」などの理由で、愛なしで虚しく過ごすというのか?子供のいない夫婦の愛は、いったいどこへ行くのか?
 放送では「4年の子育て期間終了後に消えた愛」を、いかにして「人生を共に歩む仲間」として昇華させてゆくかのヒントを、延々と説いていた。
 ひとつだけ心に残ったことを書くと、「夫の側から妻に、何かの質問をいつもしなさい」という警句である。質問=相手に対する関心であり、このことで妻は夫の自分に対する関心(つまりは愛)を確認するのだとか。

 質問はもちろん、相手に対するナンクセであってはならず、「今日の顔色はちょっとよくない、何かあったのか?」だとか、「そのセーターは見かけないが、最近買ったのか?」といった他愛ない事柄でよいらしい。
 質問は妻の側からでも構わないが、欠けているのはおおむね夫の側。いろいろな夫婦の話を聞くと、だいたいそんな感じのようで…。

2009年1月11日日曜日

十六夜ライブ

 介護施設訪問ライブが無事に終了。昨夜は2時過ぎまでウダウダと起きていたので、朝が非常に眠かった。しかし、早めに起きないと声が伸びないので、必死で起きた。

 ライブはいろいろな都合で45分で終了。40分以降の「アンコール」は1曲のみであった。予期せぬことがいろいろ飛び出すがライブの本質。問題はそれにどう対応するかで、つまりは咄嗟の応用力(アドリブパワー)であるな。


 ライブの印象を一言で書くなら、十五夜を一日過ぎた月、すなわち「十六夜(いざよい)ライブ」といった感か。喉の調子と体力は昨夜がピークだったらしく、今日は午前中の自宅リハで、声に多少の違和感を感じた。
「歌い過ぎ」「調子が良過ぎて上滑り」例えるのが難しいが、そんな漠然とした印象。本番でも歌詞の一部を追いきれず、ごく一部に無音の部分が出来た歌があった。知らぬふりを通したが、今日の気分と集中力を象徴している。

 写真は私の出番のあとに職員の方々が演じた寸劇「お正月」。よく出来ていて、バカ受け。私のあとで良かった。私も冒頭で一部参加。アドリブですよ、アドリブ。

2009年1月10日土曜日

なるほどね

 調子の悪いプリンタは、結局修理に出した。費用はキャノンの修理基準とかで一律9,450円。決して安くはない。しかし、2回までは修理のほうが有利、と踏んだ。
 直るのは1週間後以降なので、レコードのCD変換作業はCDを焼き、CDラベルの画像原稿を作るまででストップである。

 昨日から今日にかけ、来週ライブをやる予定の「かぐや姫」の2枚のLPをCD化した。「かぐや姫さあど」と「三階建の詩」で、それぞれ3、4枚目のアルバムである。
 後世に残るかもしれない名曲ぞろいで、かぐや姫の全盛時代のアルバム、と言ってよいのではないか。来週のライブでも全6曲のうち、この中から4曲歌う。編集しながらもついつい聴き入ってしまい、はなはだ非効率的だが、モチベーションを高めるには絶好だ。


 作業にはかなりの待ち時間(パソコンが黙々と計算する時間)が発生するが、その間に明日と来週のライブにむけての歌の練習をする。

 まずは明日の訪問ライブで、ホーム長さんからは「なるべくたくさん、出来れば1時間歌ってください」と依頼されている。
 前回も確か同様の要望だったが、40分を過ぎたあたりで入居者の数名が体調を崩し、中途退席した記憶があった。そのことを告げ、高齢者の体力では40分くらいが程よい集中度なのでは?と提案したが、なかなか納得していただけない。
 やむなく、まずは40分歌ってみて、聴き手の体力や元気度をみてその後どうするかを決める、という方針に落ち着いた。
 これまた昨夜から今日にかけ、去年地域図書館で借りてあった川上未映子の芥川賞受賞作、「乳と卵(ちちとらん)」を読んだ。
 最初は軽すぎる文体と大阪弁に面食らい、読み続ける気力が萎えたが、妻が先に読んで「すごく良かった」と言っていたので、ガマンして読み続けた。

 ある瞬間から文章が頭の中に抵抗なく流れ込んでくるようになり、次第に引き込まれた。軽すぎると思った文体が、なぜか心地よさに変わってゆく。作家の仕組んだタクラミに、まんまとハマてしまったか?
 ふと気づくと、物語は終わっていた。「人生の意味」「人間として生まれてきた意味」という根源的な命題に果敢に迫る秀作で、さすがは新進気鋭の芥川賞作家である。
 同時に「活力のある文体」という言葉が思い浮かんだ。従来の文章のセオリーを随所で軽々と打ち壊してくれていて、「こんなのありですか?」と、思わずあとで妻にまで確かめたほど。

 昔風の教科書的小説文体では全くなく、「創造性の豊かな若い女性のブログ」といった印象を強く持った。なるほどね。

2009年1月9日金曜日

空瓶

 空瓶がなかなか捨てられない。まるで資源に恵まれぬ後進国の貧しき民のようだが、(実態は限りなくそれに近いけど)特にコップくらいの大きさで蓋に余計な模様がなく、しかもスクリュー式で密閉可能な仕組みになっている瓶はたいていとってある。
 使い道は主に食料や調味料のストック用だが、「捨てる服から外したボタン」「小さなロウソク」「木の削りくず(白ボンドと混ぜ、無垢材のパテとして使用)」「野菜のタネ」などという変わった物も入っていたりする。

 瓶はきれいに洗い、水につけてシールを全てはがして使う。タネの瓶には底に採取年月を記したシールを貼るが、基本的には何も貼らず、内容物が完全に透けて見える美しいガラスのままがよろしい。


 写真は台所の手製食器棚のカウンターに置いてある瓶類。上の写真左のオレンジの瓶だけは、独身時代にコーヒー豆を入れるために買った。いまでも100円ショップに行くとさまざまな形状の瓶が売られているが、1個105円もするので買わない。
 好きなのはデザイン的に優れた金色か黒の蓋の瓶で、白系の蓋はありきたりで地味過ぎるので、表には並べない。

 上の写真は主として嗜好品の飲物を入れてある一角。インスタントコーヒー、ココア、中国茶、ハーブティ3種、コーヒー豆、といったところ。これらを時と気分に応じて飲み分ける。
 以前はここに市販品の砂糖壷を置いてあったが、春先に侵入してくるアリの格好のターゲットになるので、最近は蓋つきの瓶に換えた。客にもそのまま出す。
(中央手前の角張った形状の瓶)
 下の写真は主として調味料類。白ゴマ、桜エビ、ふりかけ、七味唐辛子、コショウなどが入っていて、そのまま食卓に並べる。右隅にある醤油差しはさすがに買ったもので、1000円近くもした高級品。なぜか醤油差しにだけは金をかける不思議な夫婦である。
 七味唐辛子とコショウの瓶は市販品だったが、メーカーのシールが嫌いなので、水につけてきれいにはがした。詰替え専用の安い品を買い、中身だけを取り替えて何十年も使い続けている。

 目下検討中なのが食事によく使うポン酢の瓶。市販品は大き過ぎ、食卓に置くと目障り。これ見よがしのシールも気に入らない。
 市販の醤油差しを買って詰め替えるか、全く別の発想で別の容器に詰め替えるべきか…。悩む。

2009年1月7日水曜日

意外にクラシック

 レコードのCD変換作業はフォーク関連アルバムをいったんお休みし、6枚だけ持っているクラシックレコードの作業を今日はやった。
 レコードを買ったのは1971年で、何と再生用のプレーヤーもコンポも全く持っていない時期。しかも、金に困っていたはずの学生時代だ。平凡社から出た廉価版のシリーズ物で、確か1枚500円ほどで書店で買った記憶がある。

 実は音楽の嗜好は幅広く、演歌もクラシックも聴く。当時はすでにフォークにハマっていたのに、あえてクラシックアルバムをなけなしの金で6枚も買った背景には、クラシック好きだった母や姉の影響が大きい。


 6枚の内訳は、ヘンデル、バッハ、ベートーベン、ブラームス、チャイコフスキー、スッペで、交響曲やら協奏曲などいろいろ。他にもいろいろあったが、厳選して買った覚えがある。もしかして本格派?
 このレコードはLPでもEPでもなく、直径が25センチという半端な寸法。演奏時間は片面20分弱で、「演奏楽団が二流」という以外に、格安だった理由のひとつがこれだろう。

 ステレオセット(コンポ)を買ったのは1973年に社会人になってからだから、実に2年もの間、ただ解説だけを読み、じっと来るべき日に備えていたという、案外気の長いところもあったのだ。
 このレコード、フォークのレコードと共によく聴いた。元はしっかりとったはずで、ヘンデルの「ハープ協奏曲」は、結婚式の8ミリ映像のBGMにも使ったほど。その分汚れもひどく、久しぶりに再生してみたら、ホコリによるノイズ音がひどい。
 普通に布クリーナーをかけても取れないので、以前に本で読んだ「水洗浄」のことを思い出し、試してみた。

・台所用のスポンジを使い、流水で円周方向(溝の方向)にレコードを回しながらこする。
・ティッシュペーパーで水を拭き取りつつ、さらに円周方向にこする。
・壁などに垂直に立て、完全に乾かす。(30分くらい)

 初めての試みだったが、以上のようなやり方で汚れは落ち、音は格段によくなった。あとでネット検索してみたら、ほぼ同じ手法。中性洗剤を使っている人もいたが、ちょっと怖い。真水が無難だろう。
(その後、無色透明の台所洗剤で試してみたら、うまくいった。各自の判断でお試しを)
 再生途中に横でネット閲覧をしていた妻にヘッドフォンで聴かせたら、「いいわね~、懐かしいわね~」と喜んでいる。実は妻も結構なクラシックファンで、正月用に2枚だけあるクラシックCDは、妻がお金を出した。今回の作業で、いつでも気楽に聴けるクラシックが一気に増えることになる。

 今日は合計4枚のレコードを処理し、2枚のCDに収めた。明日は残りの2枚を処理し、原盤のレコードはもう必要ないので、すっぱりと捨てる予定。こうしてだんだん身軽になってゆくのです。

2009年1月6日火曜日

寒中見舞い

 年賀状やそれに近い便りが、ハガキやらメールやらで、いまだにちらほらと舞い込む。中には思いがけない方もいたりして、(まだ忘れられてなかったか…)と、安堵したり喜んだり。
 すぐには返事を出せないが、中旬あたりにまとめて「寒中見舞い」として対応しなくてはいけないようだ。


 これに関連するが、今年は年末に近況を簡単に記したメールを、これまたかなりいただいた。名づけるなら、年賀状ならぬ「年末状」である。
 年が明けていないので、「おめでとう」に類した言葉はもちろん一切なく、「本年はお世話になりました」から始まる文章で、来る年への意気込みなども記されていて、読む方は大変面白く、興味深い。
 この形式ならば喪中であっても何ら関係なく出せるし、メールなので年賀状よりもはるかに詳しく近況が分かるという仕組み。毎年年末にカナダの友人からいただく近況報告に近く、今後この手法が増えるような予感がした。
 歌の練習以外は、終日レコードのCD音源化作業に励む。今日は及川恒平さんのレコードで、CDとして所有していない「僕のそばにいなさい」「Live in Jean Jean」を処理。
 ライブ版は原盤そのものノイズがひどく、音としては妥協せざるを得ない。どちらも当時買ってすぐにテープにダビングし、プレーヤーではほとんど聴いていないので、状態は非常にいい。

 夕方、買物をかねて散歩に出る。手稲連峰に沈む冬の夕日が心に染みた。

2009年1月5日月曜日

進むCD化

 休暇で家にいた妻が風邪気味で、鼻水と咳が止まらない。午前中からソファで横になっているので薬を飲ませ、布団に寝かしつけた。

 昼過ぎに起きたが、かなりよくなっている。ところが今度は私が頭痛と鼻水。まさかうつされた?何事も早めが肝心と、昼食後に同じく薬を飲み、寝はしなかったが、でかけずに安静にしていたら、何とか治まった。ライブが間近なので、風邪は厳禁だ。


 世間では仕事初めだが、これといった仕事もなく、仕事の基礎資料作りもとりたててないので、昨日取り込んだレコード音源のCD化作業を続けた。

 オリジナルのジャケットに沿ったイメージでCDラベルをデザインし、曲名を順に打ち込む。タイトル文字の背景にボカシを入れて際立たせ、完成。久しぶりの作業なので何枚かのテストプリントのすえ、手製の「CDラベル作成キット」により、写真のように首尾よく完成した。
 手持ちのMDコンポと車のCDコンポで試聴したみたが、なかなかいい音。曲間のノイズが全くないので、むしろオリジナルを凌ぐ音質に私には聞こえる。
 全部完成したら、1枚ごとにプラケースに入れるのはやめ、写真のようにブランクCDケースに重ねて保存しようかと思っている。
 いまでもめったに使わないドライバー関連のCDはケースから出し、重ねて一括保存しているが、場所をとらなくていい案配。欠点は探すのが面倒なことか。重なった順に内容一覧ラベルを作り、ケースに貼っておこうかな。

2009年1月3日土曜日

レコードのCD化

 まだ「三が日」ではあるが、気分はほぼ平常モード。しかし、相変わらず仕事はないので、以前からやろうやろうと思って放置してあった、「レコードのCD化」のテスト作業を試みた。
 正確な数は把握してないが、若い頃に買ったおよそ30枚くらいのLPレコードが手元にあり、度重なる引越にもかかわらず、保存状態は良好。レコードプレーヤーはちゃんとあるが、聴くのは操作や扱いが簡単で、車やパソコンでも聴けるCDに隔たりがちで、最近の出番はほとんどない。
 中には貴重な音源もかなりあり、レコードプレーヤーが健在なうちに、ぜひともこれをCD音源に変換してしまいたかった。
_MD音源をパソコンを介してCDに変換するノウハウはすでに確率していて、自宅コンサートのライブ音源CD化など、多くの実績がある。しかし、同じ作業をレコードでやったことはこれまで一度もない。パソコンにUSBでつなぎ、一発でレコードをCD変換可能な専用プレーヤーもあるらしいが、高くて用済みのあとで邪魔になるだけ。
 理論的には、レコードプレーヤーにつながっているコンポのヘッドフォン端子とパソコンの音声入力端子とをケーブルでつなぎ、専用ソフトで取り込んで音源ファイル化すればいいはずである。

 必要な機材はほぼそろっていたが、唯一MDコンポと異なるのは、レコードプレーヤーのコンポがミニジャックではなく、標準ジャックであることだった。
 ステレオミニをステレオ標準に変換するアダプターは480円でヤマダ電機で売られている。しかし、万一失敗しては金の無駄なので、手持ちのモノラル変換アダプターでまず試してみた。


 で、その結果。万事OKであった。もちろん音はモノラルでしかないが、音質や音量は良好で、スイスイとパソコン内部に取り込める。レコードには宿命のノイズも、ソフト内の「ノイズカット効果」というフィルターをかければ、ほとんど問題なく除去できた。
 あいにく我が家には圧縮率の高いmp3音源を再生できるプレーヤーがなく、ひとまずはAIFFファイル形式で変換し、CDに焼くという手順になる。しかし、これでもCD1枚に80分の音源が保存可能なので、だいたいLPレコードと同じ数の空CDを用意すればいい計算になる。

 世間には「復刻版」と称し、イニシエのLPレコードをCDに変換したものがちゃんと売られている。しかし、価格は決して安くはない。せっかく手元にレコードがあるのだから、コツコツと暇にまかせて変換作業に勤しむことにしよう。
 歌詞カードまではともかく、ジャケットをスキャナーで読込み、CDラベルくらいは本物と遜色ないものを手作りするつもり。
_以前は仕事のない時期、あれこれと次なる新規営業の模索にまい進したものだが、今回の不況はいまいち前向きに攻める気持ちになれない。自分が堕落したとは思っていない。それだけ不況の根っこが深いのだ。
 しばらくは「金モウケ」を忘れ、気ままな道楽に溺れてみようか。それが一番得策のような気分になってきた。

2009年1月2日金曜日

はや春模様

 例によって暑くて目がさめた。ボイラは朝9時で切れる設定にしてあるが、部屋の中は燦々と陽が降り注いでいて、はや春模様。室温は午前中から24度を越えている。
 今冬の札幌地区の累計降雪量は平年なみで、すでに150センチ。去年よりもはるかに多い。しかし、冬至はすでに過ぎ去り、陽射しは一歩一歩春に向かっている。

 妻は今日から早くも仕事始め。明るいうちから飲む酒にも飽きたので、午後から妻のオネダリに従い、息子と3人で出かけた。
 まずは近隣のモエレ沼公園に行く。あいにくガラスのピラミッドは正月休みだったが、陽射しは春のように暖かいので、周辺の雪道を誰かのつけた足跡を頼りに、ぐるっと散策して回った。

 広大なピラミッドのガラスに太陽が照りつけ、独特の雰囲気を作っていた。いつ訪れても時に応じて四季折々の違った姿を見せてくれるのが、このモエレ沼公園の魅力である。


 その後、そこから車で15分ほどの大型スーパーに行く。これといった用はないが、要は「正月気分」というヤツだ。
 しかし考えることは誰も同じのようで、ほとんど人影のなかったモエレ沼公園と比べ、ここは駐車場が店の前から長蛇の列。何とか見つけた屋上の駐車スペースに車を納めるまで、軽く30分は費やした。

 妻のオゴリでケーキ付のコーヒーを飲み、どうということのない時をまったりと過ごす。
 家に戻って進行中のオリジナルソング「嘘」の推敲に励む。メロディがまだ流動的で、固まるまでにはもう少しの時間が必要だ。
 今回の曲は、高校時代に学級日誌に初めて書き記し、担任の国語教師に絶賛された詩がモチーフで、「既成概念の中に潜むウソ」がテーマだ。
 いかにもヒネクレ者の私らしい詩だが、一般受けはあまりしないだろう。基本的にオリジナルは「誰か」のためでなく、あくまで「自分の」ために作っているから、それでいいのだ。

 夜はまた息子とごく普通に酒を飲む。正月用の肴類はストック充分で、明日まではこんな調子が続く。

2009年1月1日木曜日

酒とバラの日々

 朝9時に一度目がさめたが、そう早く起きてもやることがなく、妻は起きている気配がしたが、息子は寝息をたてていたので二度寝を決め込んだ。
 次に目覚めたのは、息子が起き出した11時。昨夜は2時に寝たとはいえ、さすがにもう起きるべき時間である。

 昨夜寝る前にオセチを詰める重箱や正月専用取り皿、そして乾杯のワイングラス、祝箸の名前入れなど、ほとんどの用意は済ませておいたが、冷凍マグロの自然解凍をつい忘れていたという妻が、説明書を広げながら、電子レンジ解凍に格闘している。
 慣れない作業はあまりうまくいかず、少しくらい凍っていてもいいじゃないかと中断。発泡ワインを息子が抜いて、2日連続の宴が、太陽がサンサンと照りつける部屋の中で昼近くから始まった。
 今年のオセチは、いろいろな事情でいつもよりやや控えめ。

・安い時期に買いそびれた数の子がナシ。
・毎年必ず手作りする伊達巻が、ハンペンが手に入らず、市販品に。
・毎年必ず手作りする昆布巻が、貰い物の市販品。

 ただ、アワビの酒蒸しの調理手順をいつもと変え、「殻のまま鍋に酒を注いで調理」にしたとかで、柔らかくて抜群の味。これまでは殻からわざわざ外していたそうで、そりゃ殻つきのままのほうが美味いでしょ。


 元旦定例の「クラシック音楽を聴きながらオセチを食べる」という習慣が、今年は2階のスタジオにPAを置いたままなので、1階でCDが聴けない。

 妻が盛んに残念がるので、テレビ横に置いてあるDVDプレーヤーでCDが聴けないか?とふと思い立つ。説明書には何もふれてないが、常識的にDVDドライブには、CDへの下位互換性があるもの。ダメモトで試してみたら、ちゃんとステレオで再生された。めでたし。

 2枚あるクラシックCDのうち、妻お気に入りのヴィバルディの「四季」を2度聴いたあたりでいいキモチになってしまい、家のアチコチで気持ちよく全員が寝入ってしまった。
 目覚めると、はや夕方6時過ぎ。一日に何度も寝たり起きたりを繰り返したので、まるで2日経ったような気分だったが、気をとりなおして7時半くらいからまた飲み出した。

 気分を変えて酒は長男が送ってくれたエビスビールの「ハーフ&ハーフ」。メインの肴は去年暮れにキリンビールの懸賞で当たった「愛媛の鯛しゃぶ」で、これがやたらうまい。
 どんどん酒が進んだが、息子が先にダウンしたので、やむなく昨夜飲み残した妻からの「お年玉」である白にごり酒を、冷やで独り延々飲んだ。

 絵に描いたような酒とバラの日々ではあるが、ちゃんと歌の練習だけはしている。昨夜はメモしてあったネタの中から、オリジナルが1曲生まれた。タイトルは「嘘」。まだ荒削りなので、これからジックリ仕上げる予定。
 タイトルは別に混沌とした世情を意識したわけではなく、自然な流れでアル。