2012年6月1日金曜日

いかに崩すか?

 日本唱歌を歌う際に気をつけなくてはならないのが、単調さに流されることである。日本人の琴線に響く親しみのある歌詞とメロディだが、そこに甘えてしまうと、やがては飽きられてしまうだろう。人間は飽きる動物なのである。
 どの歌もおおむねメロディ展開は平易でギター伴奏は難しくなく、つまりは変化に乏しい。その単調さから逃れるべく、実戦ではさまざまな工夫をこらす。あくまで私の場合だが、以下のようなパターンがある。
1)最初はアルペジオ伴奏で入り、途中からストローク奏法に変える。(最後は再びアルペジオで終わることも多い)
 昨日のセットリストでは「花」「思い出のグリーングラス」「ゆりかごの歌」にこの手法を使った。(「ゆりかごの歌」では一部ミュート奏法も使用)

2)途中から転調する。
「精霊流し」のように、原曲がそうなっているものもあるが、そうではない曲をあえて途中から転調することで変化をつける。
 昨日のセットリストでは「忘れな草をあなたに」「ゴンドラの唄」でこの手法を使った。昨日は歌ってないが、直太朗の「さくら」でもやっている。

3)間奏を入れる。
 メロディラインを自在に弾ける方ならいろいろ幅が広がるのだろうが、あいにくそんな器用な真似はできない。苦肉の作でスキャット、口笛、ハモニカなどを使ってメロディの一部を曲間に奏で、変化をつけている。「鼻笛」なる楽器があることを最近知り、この変化技に取り入れられないか模索中。


「かなりや」「城ヶ島の雨」のように、原曲そのものに可変拍子が含まれていたり、旋律にBメロCメロなどの多彩な変化があったりすると歌唱は難しくなるが、歌い手としては楽である。
 歌唱法そのものも含め、要は原曲を尊重しつつも、歌い手の裁量でいかに崩すか?である。そこにこそ歌の醍醐味があるのだと思う。
 昨日のチカチカパフォーマンスでかなりさばけてしまったので、早くも案内状の増刷を実施した。文章の言い回しを少し修正し、「ギターガエル」のちぎり絵画像を空いたスペースに配置。昨秋の企画コンサート案内状で使ったものだが、なかなか愛らしく、我が弾き語り活動のトレードマークとなりつつある。
 ひとまず12枚を印刷。ハガキ大なので、まるで年賀状印刷のようだ。まだ手探り状態だが、今後ライブ毎に10数枚を用意する必要があるかもしれない。