2012年6月11日月曜日

団塊世代を生んだ背景

 私はいわゆる「団塊の世代」と呼ばれる年齢である。突出した人口の世代であったため、得をするより損をすることのほうが多かった気がするが、好んでこの世代に生まれてきたわけではなく、たまたま放り出されただけである。
 この世代が生まれた最大要因は、敗戦による復員、つまりは戦争そのものだろう。「産めよ増やせよ」の国策からではなく、男女の自然な営みから発生した、極めて人間的で平和な人口増だった。


 私の父は乙種合格で終戦間際に招集はされたが、南方戦線に行く直前に持病の胆嚢炎の疼痛に見まわれ、横浜の兵舎で一晩喘いだすえ、「お前は足手まといになる」と故郷に帰されたという。
 この時点で私はまだ生まれていず、影も形もない。父が乗るはずだった船はその後戦地で撃沈され、全員が戦死したらしいので、もし父が突然の疼痛に見舞われていなければ、私はこの世に存在してなかった。
 出生に間接的に戦争が関わっていたことは間違いなく、人はそれぞれいろいろな奇跡が重なっていまを生きているのだと思う。

 団塊の世代はその多さゆえ、否応なしに社会に大きな影響を与え続けてきたらしい。気の毒なのは「団塊の次の世代」で、常に団塊世代に頭を押え続けられ、彼らがようやく社会の第一線を退いたと思ったら、景気低迷で今度は自分たちが冷や飯を食わされる立場となった。
 ときどき、「団塊の次の世代」からの強い風当たりを我が身に感じることがある。20代の早い時期に出世レースから早々と降りてしまった私でさえそうだから、組織のまっただ中にいた人たちは、もっと凄まじかったのだろうかと想像する。
 この世はおしなべて嫉妬と憎悪に満ち満ちているものだから、そう驚くこともないが、そのエネルギーを他に向けることが叶えば、人生はもっと豊かなものになるであろうにと、ふと思う。

 どっちにしても恨むのは個人でも世代でも組織でもなく、強いていうならば、そんなものを生んだ時代背景である。時代を支えているのは他ならぬ人間、つまりは自分を含めた社会全体であり、責任は社会構成員それぞれにあるということになりはしないか。
 うまい具合に、ぐるり回って元に戻った。メビウスの輪のように。