2012年6月27日水曜日

めくるめく一日

 通算15度目となるチカチカパフォーマンスを実施。これだけ回数を重ねると、もはや記憶だけでセルフレポを書き綴るのは不可能で、信頼できる確かな記録が重要になってくる。
 場所はチカホの北大通広場。過去の集客はよかったが、今月上旬に地下鉄乗り場との境界扉が通風のために常時開放されてしまい、音の条件が以前より悪くなった。この日のテーマは「昭和歌謡」で、同じ切り口で歌うのは先月上旬に続いて2度目。しかし、この広場では初めてである。

 当初は3組の共演となるはずが、前日に1組がキャンセル。結果として顔なじみのジャグラーとの共演となった。
 25度を超す夏日のなか、早めに事務局に手続きに行ったら、ジャグラーの方はまだ来ていない。いつものように一人で重い看板2枚を抱えて長い通路を歩いたが、抱え方に慣れたせいか、今日はあまり苦痛を感じることもなく到着。
 素早く機材を組み立てていたら、前回ライブを聴きにきて後日メールをくれたSさんが現れた。言葉を交わすのは初めてだが、メール交換で互いの素性は知れているので、歓談しつつ準備。

 14時5分前に準備が整ったが、もう一人聴きに来るはずのNさんが現れない。チェッカーズファンのNさんのために第1ステージの1曲目は早くから決めてあったが、遅れるのならば曲順を変えようか…、と逡巡するうち、ぎりぎりにNさんが到着する。以前に介護施設で歌った際に知り合った職員の方だが、以来ツイッターを中心に交流が続いている。


 懸念が消えたので、予定通りに14時ちょうどからライブ開始。およそ25分で以下の8曲を歌った。

「涙のリクエスト」「亜麻色の髪の乙女」「東京ドドンパ娘」「ウナ・セラ・ディ東京」「時の流れに身をまかせ」「恋する夏の日」「夜霧よ今夜も有難う」「また逢う日まで」
 2曲目あたりからどんどん人が集まり始め、あっという間に50名を突破。感覚的には60名に迫る勢いで、過去の最高集客数をあっさり更新した。間近の床に座って熱心に耳を傾けてくれる方も複数いた。
 あまりに人が増えすぎ、背後の視覚障害者誘導ブロックにも人が立ち止まり始める。過去に何度かクレームが出た危ない状況である。危険を察知し、歌をいったんやめ、前に出ていただくようお願いする。この場所でこれ以上の集客は通行に支障が出かねず、数字的には限界のように思える。

 1ステージ8曲に減らしてからは時間的に余裕があるので、随所にMCを入れて進めたが、これがなかなか効果的だった。「時の流れに身をまかせ」では1ヶ月前に恐る恐るテレサ・テンを歌い、意外に受けたいきさつを話すと、会場から「いいぞ!」との声。
「きょうは『つぐない』でなく、別のを歌います」と応じると、「ぜひやってくれ」との声も続いてあがり、普通のライブと変わらぬコミュニケーションをとりつつ進められた。
「恋する夏の日」では期せずして手拍子が起き、「夜霧よ今夜もありがとう」では間奏で拍手が湧いた。企画ライブでもめったにない反応の良さである。最後まで聴き手が減ることはなかった。
 ストリートでも工夫次第では企画ライブと変わらぬスタイルでやれるということで、大きな自信になった。
 終了後、昨日のラジオ生放送でお世話になったYさんが友人2人を伴って挨拶にきてくれた。全く気づかなかったが、開始直後からいらしたという。「明日は聴きに行きます」と放送で締めくくってはいたが、まさか本当にいらしてくれるとは驚きである。
 さらには、フォーク歌手の及川恒平さんが知人のNさんと共に突然目の前に現れ、「しばらく。じっくり聴かせてもらいました」と声をかけていただく。やはり冒頭からずっと聴いていらしたという。
 8年前に時計台ホールでのソロコンサートを企画・主催した間柄だが、ここ数年は時折札幌でのライブを聴きに行くくらいで、親しくお話しする機会からは遠ざかっていた。何でも最近、活動拠点を札幌に移したとのこと。

 恒平さんご自身も最近は昭和歌謡を時折ライブに取り入れていて、正直に書けば、そうした動きに少なからず私も影響されている。「平成時代に書く新しい昭和歌謡」という構想が恒平さんにはあるそうで、ストリートで歌われる昭和歌謡が、どのように一般に受け入れるのか、興味があったのかもしれない。
 この日は第2ステージでもエッセイを連載させていただいている出版社のAさんが顔を見せてくれ、さほどの告知はしていないのに、実に8人もの知人が聴きにきてくださったことになる。積み重ねの力は大きな…、と感慨深く思う。


 第1ステージ後半に共演のジャグラーの方が現れ、相談の結果、私の第2ステージは14時50分開始と決まる。以下の8曲を歌ったが、聴き手はさすがに半分ほどに減った。このあたりの人の流れはまるで読めない。

「恋の季節」「時の過ぎゆくままに」「有楽町で逢いましょう」「ラブユー東京」「セーラー服と機関銃」「草原の輝き」「聖母たちのララバイ」「青春時代」

 減ったといっても、終わり頃には30名近くに達していたので、集客としては充分過ぎるほどだ。第1ステージの集客がいかに尋常ではなかったかがうかがえる。
(写真は第2ステージ中盤)
 どの曲もおおむね反応はよかったが、唯一の計算違いは「恋の季節」。立ち止まる人は皆無だった。発売当時の売上が200万枚で、受けると確信していたが、まるで手応えがなく、歌った直後には訳が分からなかった。
 1曲目だったことが理由にならないことは、過去に1曲目に歌った「サントワマミー」「季節の中で」の圧倒的集客ですでに証明済みだ。唯一確かなことは、売れた曲=受ける曲ではない、ということだ。
 しかし、その日のライブをすべて見届けてくれたSさんが終了後にメールをくれ、「あの歌を甘く歌うのはいかがなものでしょう?」との指摘。私の歌唱の魅力は声の甘さであり、「恋の季節」は甘く歌っても聴き手には届かない曲なのでは?と。なるほどと納得した。要するに自分のものになっていなかったのだ。

 対して「草原の輝き」では、小さな女の子を連れたお母さんが間近に寄ってきて、女の子が曲に合わせて上手に踊ってくれた。曲の持つ楽しさが理屈抜きで子供にも伝わるのだろう。
 第1ステージでの「恋する夏の日」も予想外に受けた。昭和アイドル歌謡は、甘さと軽さが売りの私には向いている気がする。今後はこの路線をもっと掘り下げるべきだろう。

「青春時代」では、1番終了後の間奏からストロークのピッチを倍に変え、強く激しく歌った。余力がないとできない技だが、受けた。第2ステージにも来てくれたYさんから「『青春時代』よかったです。新しい菊地さんを見られました」と帰宅後にメールがあったほど。喉の調子は80%ほどだったが、この日は何をやってもうまくいった。まさに、めくるめく一日だった。
 そのほか、演歌系の曲が安定して受けたのも収穫で、以前に「つぐない」の反応がよかったのは、決してフロックではなかったことを知った。
 今回でおよその昭和歌謡路線の傾向が判明したので、今後は微修正を加えつつ進めたい。「演歌はダメ」「アイドルはダメ」と勝手に決め込まず、何でもトライしてみるもの。16曲中12曲が初披露という大冒険に挑戦したが、苦労は報われた。

 先のYさんのメールに、「生涯青春」という言葉がライブを見届けて浮かんできました、とあった。うまい表現である。「生涯現役」よりもはるかに響きがいい。いろいろ幅広く活動を続けている方の発想はさすがに鋭いと感心させられた。キャッチコピーとして、ありがたく使わせていただこう。