2012年6月7日木曜日

伸びしろ

 サラリーマンをしていた若きころ、「お前はまだ能力を出し惜しみしている」と、口さがない上司からたびたび言われた覚えがある。入社7~8年目のころで、部下も確か5~6人はいた。
 仕事量も相当あったが、出社はいつも定時ギリギリの9時5分前、退社は部下が一通り帰ったあとの18時といった感じで、「残業社員はヤル気の表れ」という奇妙な価値観が席巻していた時代にも関わらず、最低限の労働しかしなかった。

 それでも仕事に穴を開けたことは一度もなく、トラブルも皆無。支店営業所や下請けからは重宝され、上に楯突いて下には手厚かったので、後輩社員からは何かと慕われた。
 傍から見れば、(アイツはまだまだやれるはず…)と見えたのかもしれない。実際、上を目指して媚びへつらい、権謀術数を駆使してガツガツ働く生き方もあったかもしれない。しかし、そうはしなかった。


 19時には家に戻り、3人の子供を風呂に入れ、晩酌をしながら家族で食卓を囲み、子供を寝かしつけた後は何らかの創造的な作業、たとえば小説の習作を書いたり、建築士の勉強をしたり、大量のスクラップ資料を整理して新しいDIYのネタを考えたり、ギターを弾き語ったりしていた。
 つまりは、余力のすべてを家族との時間や自分の趣味道楽の類いに費やしたことになる。上司がいう「伸びしろ」とやらは、こうした方向に向いていたといえよう。

 立身出世や金銭的な意味での上昇指向は20代前半に捨て去っていたので、このころに自ら選んだ方向性は、少しも後悔していない。だから齢60歳を過ぎたいまでも変わることなく、ベクトルは常に創造的な方向へと向かっている。
 やがて63歳を迎えようとしているいま、自分にまだ伸びしろはあるのか?と、ふと考える。特に仕事面ではいよいよ限界に近づきつつある気もするが、音楽や物書きなどの道楽面では、まだ伸びる余地がありそうな気もする。
 肝心なのは欲を捨てることだ。まだまだ修行が足りないが、そこをうまくクリアできたなら、伸びながら命尽き果てることもきっと叶うだろう。ひょっとすると、伸びようとすることそのものが我が人生なのかもしれない。