2009年12月31日木曜日

今年の総括

 ありきたりだが、年末にあたって今年の自分を総括してみたい。

《仕事》
 最初はやはりこの項目。60歳を迎えたので世間的には定年だが、自由業の身としては、さほどの実感はない。やむを得ない事情で今年もかなり徹夜仕事をしたが、体感的にはまだまだやれそうだ。
 問題は100年に一度とやらの金融不況による、仕事環境の激変。背負う物が極めて少ない気ままな一匹狼的事業を自負する私でも、それは例外ではなく、昨年12月から今年2月まで、本業であるはずの建築デザイン関連の仕事は皆無だった。

 営業回りをしても無駄な印象がしたので、本業以外のデザイン、たとえば記念誌編集や飲食店ポスターデザインなど、なりふり構わずてがけた。
 夏以降、ずっと依頼の途切れていた取引先がじょじょに復活。要因のひとつが思い切ったコストダウンで、これまでより質は全く落とさず、価格だけを15%ほど下げた。
 同じ時期、ある取引先の紹介で、首都圏にある大手広告代理店から、仕事の引合いがきた。他の設計者が描いたスケッチ等を元に、広告用の図面に描き直す仕事で、デザイン的な面白さが少なく、単純作業に近い。
 しかも、先方の求める価格が、世間相場の50-80%というもの。さらには、指定された2D-CADソフトが私の不得手とするものだった。

 しかし、迷わず受けた。仕事を選んでいる余裕はない。苦手な部分は懸命に独学して何とか克服。年末近くに驚くほどの数の注文が舞い込み、年初の落ち込み分を充分にカバーしてくれた。


 記念誌の編集やポスターデザインなども含め、新しい仕事を通して新しいデザイン技術を会得することができたのは、今年の大きな収穫である。間違いなく今後にも活きる。

「なりふり構わず、新しい仕事を受ける」
「価格は思い切って下げる」

 この英断が結果的に効いた。来年にむけても、同じスタンスで立ち向かうべきだし、そうしないと、たちまち喰いはぐれてしまう。時代は素早い決断と実行を求めている。
《趣味》
 目下の最大の趣味活動であるギター弾き語りで、今年は19本のライブをこなした。調べてみると去年は15本だったので、加齢とは反対に増えている。こちらもまだまだやれる感じがする。
 今年はイベント系、自宅系、施設訪問系、青空系、ライブハウス系と、そのバリエーションも実に雑多。人生の記憶に残るたくさんのライブを経験した。
 最大のイベントは、準備に半年近くを費やした還暦コンサート「ガラスの時間」であろう。友人と家族の絆を確かめあい、明日からの自分たち夫婦の生き方を示唆する、重要な位置づけとなった。

 来年にむけての抱負、といきたいところだが、とりあえず何もない。これからもふと思い立ったことを、時に応じて気ままに企て、実行に移してゆく。仕事でも趣味でも社会活動でも、それは同じこと。
 命つきるまで、ずっとこんなふうにやっていけたら、それはきっと楽しくて、充実した人生だということなのだろう。

2009年12月30日水曜日

気分は正月

 腰の状態もまずまずなので、午後から集中して大掃除を敢行。いつもは手こずる浴室が、あまり汚れていない。なぜかな?と、よくよく考えてみたら、10月の還暦コンサートの際、多数の来客に備えて、徹底的に掃除をしたからだった。
 同じ理由から、トイレや洗面所の汚れもごくわずか。家の中の規律を保つには、定期的に客を迎えることだと、いつかどこかで聞いた覚えがあるが、確かに当たっている。

 などといいつつ、いざ始めると持ち前の凝り性がムクムク頭をもたげ、1階すべてを掃除し終えたのは、結局夕方の5時過ぎ。腰は湿布材とマッサージ器のおかげで、大事には至らずに済んだ。


 トイレと居間のカレンダーを来年のものに取り替えたあと、最後にお供え餅を1階と2階の要所に飾り、さらにはトイレと玄関、そして居間の本棚の上に正月用の飾り付けをする。
 しめ飾りなどの縁起物は特に買わず、専用の定番グッズで毎年やり繰りしている。毎年同じ物を飾るのは良くない、などという説もあるが、ナニ、しょせんは気分の問題。身の丈にあった質素なやり方でいいのだ。
 仕事や雑事の納めがほぼ終了したので、妻と共にスーパーに買い出しに行く。昨日買い残した嗜好品や生ものを中心に、5千円ほど使う。今年は定番のマグロに加え、初めて鯛の刺身も買った。
 併せて1,500円ほどだが、我が家にすればかなりのゼータク。しかし、正月なので許そう。

 夜8時に末の息子が帰省し、ヨタ話を肴にビールやワイン、日本酒をダラダラと飲む。横では妻が自家製のラズベリー酒でサワーを作って飲んでいる。気分はすでに正月で、買ってきた食材の一部も、はや食べ始めた。まあ、これがあるから、いくつになっても正月は楽しい。

2009年12月28日月曜日

甘いデザイン

_新ブラウザ、Operaは非常に快適。サイトの巡回がスムーズなのは最低の条件だが、フォント表示に代表されるビジュアル面も、ブラウザの大事なポイントだろう。
 最近のブラウザには、色やデザインを自由に変更できる仕掛けが施されているが、大半が最新バージョンにしか対応してなかった。ところがOperaだと、これがレトロOSでも自由にできる。そこがいい。

 こちらも買いたての新しいプリンタは早くて美しく、これまた非常に快適であるが、ひとつだけ不満がある。それは起動スイッチ位置の分かりにくさ。
 古いプリンタもキャノン製だが、起動とリセットのボタンどちらも突起があり、周囲が暗くとも、手探りで場所を探し出せた。


 ところが新しいプリンタは写真のようにスイッチが本体になじんだ形状で、外観は美しいかもしれないが、手探りで押すのが難しい。色も本体と同じ真っ黒なので、夜などはどこにボタンがあるのか、まず分からない。これではまるで闇夜のカラスではないか。
 仕方なく、赤いテープを小さく切って写真のように貼った。これでようやく懐中電灯なしでボタンの位置が探せる。最初からボタンに突起をつけるか、色を変えるなどしてあればよいものを。
_以前にデジカメとパソコンをつなぐケーブルの表裏が分かりにくい、と書いた覚えがあるが、こちらも同じく赤いテープを片側に貼り、ようやく使いやすくなった。
 世界の標準であるはずのUSBケーブルにも同様の問題があり、歴然とした表裏があるにも関わらず、それが視覚的にも触覚的にも極めて分かりにくい。

 視力の弱い人や言葉を理解できない人でも簡単に操作できるよう工夫をこらすのは、デザインの基本中の基本だと思うのだが、その基本が出来ていない。おそらくデザインは外観だけの問題だと勘違いしているのだろう。使う側、引いては生活者としての視点が欠落している。甘いね。

2009年12月27日日曜日

ブラウザ遍歴

 昨日に引き続き、新ブラウザ「Opera」のカスタマイズ(自分流に調整)に励む。いまのところ大きな問題はなく、OS10.4以上で動くという最新ブラウザと比べ、機能面でもデザイン面でも全く遜色ない。
(現段階での問題点は、フォント選択時に日本語が文字化けすることと、終了時になぜかエラーメッセージが出ることくらい)

 仕事でのパソコン使用が多い私でも、ネットが占める比重は決して少なくないので、場合によってはネット使用だけのために最新パソコンを買う検討もしていたが、このOperaがあれば、現行のレトロOS10.3でも充分に使える。よい発見をした。
_1995年の暮れからインターネットを始めたが、当時はブラウザそのものがほとんど存在せず、まともに使えたのはNetscapeだけだった。
 Netscapeを知らない人もたくさんいるだろうが、Mac版とWin版の両方あり、パソコン雑誌の付録CDには、ほとんど入っていた。

 メールソフトも一緒になっていたのでとても重宝し、実は昨年の12月までずっと現役で使っていた。
 最後のバージョンは7.1で、14年前に使ったバージョンが、確か2.0だったと思う。よくぞ使ったが、いまでもたまに古いメール内容を確認するときに開く。まだまだ現役。
 すでに開発が打ち切られ、さすがに最新のネット界では不便を感じ始めたので、今年1月からメールはすべてヤフーのWEBメールに変えた。同時にOSもXに完全移行、ブラウザもOS-X専用のSafariに変更した。YouTubeやグーグルマップを閲覧するときだけ、補完的にFirefoxを併用していた。

 実はExplorもちょっとだけ使ったことがある。もちろんマック版だが、Netscapeでは閲覧不可能なサイトが結構あり、その補完的役割だった。こちらはかなり前に開発が終了し、いまでもとってあるが、ここ数年起動したことはない。
 今回のOperaで実に5つ目のブラウザとなり、インターネットを始めてからはや14年。ブラウザの歴史イコール、ネットの歴史と言い換えてもいい気がする。

2009年12月26日土曜日

使えるOpera

 昨夜は明け方4時までに2棟分の作業を、ほぼ終える。寝る前、いつものように屋外に設置してある寒暖計を調べると、何とマイナス14度近くもある。
 またまた今冬の最低気温を更新で、雪は少なくて楽だが、骨身に染みる寒さの連続である。

 明けて今日、普段よりも早めに起きて集中して作業。夕方までにすべて終わらせて無事送信した。
 この2ヶ月間でかなりの数をこなし、いまひとつ不慣れだった2次元CADソフトの操作にも慣れ、手早く進めるコツも自分なりにつかんだ。夏頃には1物件仕上げるのに4時間前後かかっていたが、いまでは半分くらいの時間で終わる。仕事としての付加価値も高くなりつつあり、今年の大きな収穫だ。
 先方に確認の電話を入れると、今後の予定は?と、妙なことを尋ねてくる。残るは大掃除と、年越しの仕事1件だけですと応えると、もしかすると年内にもう一仕事お願いするかもしれないと、さすがに歯切れが悪い。

 大晦日と元旦に仕事はしたくないですね、と正直に言ったが、ひょっとするとひょっとする。
 今日の新聞に、全国の住宅着工が45年ぶりの落ち込みと書いてあったが、そんな世情を考えると、断るほど仕事があるのは、おそらくかなりシアワセな境遇なのであろう。


 このところ、ブラウザの切換え作業にふけっている。これまではMacデフォルトブラウザのSafariをずっと使ってきたが、現有のOS10.3だとバージョンが低いせいか、さまざまな問題が起きている。

1)予告なしに突然落ちる。(強制終了する)
 ある特定のサイトやページに行くと(グーグルマップなど)頻発する。
2)YouTubeが見られない。
 以前はOKだったが、最近は全くアクセス不能。仕方なくYouTubeを利用するときのみ、Firefoxを起動させていた。
3)ヤフーのアドレス帳を開くのが、異常に遅い。
 こちらも急ぐときはFirefoxを利用。Safariは起動も含めて、全体的に遅い。
 Firefoxへの切換えをためらっていたのは、Safariよりも見栄えで劣るから。理由もなくフォント表示が太字になっていたりで、野暮ったいのだ。
 しかし、背に腹は変えられず、昨日あたりからFirefoxをメインに使い始めた。しかし、調べるとこちらもOX10.3でのサポートは終了していて、以前に落としておいた古いバージョンを使わざるを得ない。
 OSを10.4に換えるのが根本的な打開策なのだが、もはや中古でしか入手できない。ネットオークションにもあまり出品されず、こちらも暗礁に乗り上げている。

_いろいろ調べてたどり着いたのが、OS10.3でもまだ対応しているという、Opera。古いOSを見捨てないところが有り難い。さっそく最新版を落とし、あれこれカスタマイズ中。
 まだ完全に会得してはいないが、Safariで頻発するトラブルは皆無で、起動も非常に早い。Firefoxの太字表示問題もなく、いまのところかなり使える感じだ。

2009年12月25日金曜日

参加型&傾聴型

 もう今年の仕事依頼はないだろうと思っていたが、またまた夕方に携帯が鳴り、いつもの首都圏の取引先から緊急の仕事が飛び込んだ。3棟分の住宅平面図で、例によって納期はたったの1日。
 明日は土曜日で、しかも押し詰まった年末。こんなスケジュールで依頼するほうもスゴイが、それを「分かりました」と受けてしまう私は、いったいどうなんだ?

 ともかくも大掃除をいったん棚上げし、夕方からバタバタと仕事を始める羽目になった。来年早々に納める約束の別の仕事も、まだ手つかず。今年はギリギリまでこんな感じになりそうで、なんだかねぇ。
 昨日のちょっとフシギな手応えの訪問ライブについて、ずっと考えているが、現時点で思い当たったのは、以下のこと。

1)訪問ライブの場は、「参加型」と「傾聴型」に大別される。
2)「参加型」の場は共に歌い、楽しむことを基本的に求めていて、ニギヤカ手拍子系の曲調を好む。
3)「傾聴型」の場は歌い手の技量を単純に味わうことを求めていて、概して叙情系の穏やかな曲調を好む。
4)どの施設がどのタイプかの判断は、その場で歌ってみるまで分からず、職員を含めた聴き手の気質、引いては施設全体の雰囲気に大きく左右される。
5)型の判別や対応を誤り、歌い手が我を通そうとすると、ライブはたちまち色を失う。

 だいたいこんなところで、先月下旬に訪問した施設は、明らかに「傾聴型」であり、昨日訪れた施設は反対に「参加型」であろう。この分類、おそらくは施設訪問ライブに限らず、あらゆる場にあてはまる。
 私の得意なのは当然ながら「傾聴型」の施設(場)で、40分歌っても手拍子が全くでないこともしばしば。しかし、ちゃんと最後まで真剣に聞いてくれているのは、聴き手の表情や反応から判断して明らかである。
「参加型」の場が苦手なのは、ライブハウス等でも同じだ。根が暗いのだろう。しかし、施設訪問ライブの場合、そんなワガママなど言ってはいられない。昨日のライブで「参加型」の場をうまく収める手法が、何となく分かった気がする。

 施設側が歌い手に何を求めているかが大切で、特に初めて訪れる施設では、事前の充分な調査と根回しが必要だと悟った。分かったような気でいても、まだまだ知らないことは数多くある。

2009年12月24日木曜日

新境地開拓か?

 近隣のグループホームでの訪問ライブが無事終了。今年19本目となるライブだが、この年にしてよくぞ歌った。節制して日々の練習を怠らなければ、まだまだやれる。

 この日は平日だったが、仕事はすべて山を越し、進行中の物件も納期は来年早々で、余裕がある。車で5分の距離なので、急な呼び出しや電話にも充分対応できたが、結果として仕事の電話等は皆無だった。
 先方の都合で開始は13時30分となったが、初めて訪れる施設なので、早めの13時には家を出た。
 施設はいつも都心へ行く街道沿いにあり、入ったことはないが、場所はよく知ってる。依頼を受けたあとで調べてみたら、経営主は生前に父がお世話になった施設と同じ社会福祉法人だった。やはり縁があるのだ。
 出来たばかりの施設で、中はとても明るくて広い。会場となる談話室は自然素材が貼られた傾斜天井で、音響条件は最高だった。

 事前の打合せで数曲をみんなで一緒に歌う手はずになっていて、該当曲の歌詞について、担当のHさんと打合せ。予定曲の歌詞はそろっていたが、フルコーラスは歌わないので、飛ばす部分を調整する。
 ソーラン節の歌詞が私の所有分とかなり食い違っていて、配布を中止とする。代案として、私所有の「二人は若い」の歌詞を追加した。


 予定より少し遅れて、13時35分からライブ開始。聴き手は職員を含めて15名ほどだったが、スタートからいきなり手拍子が出て、場は盛り上がった。事前にHさんから「歌に対する反応は、あまり期待しないでください」と聞いていたので、やや面食らった。しかし、反応がないよりあったほうがいいに決まっている。
 以降、そのノリのまま、ライブは順調に進んだ。この日歌ったのは以下の12曲。(※=歌詞配布曲)

「ジングルベル」「高原列車は行く※」「バラが咲いた」「青い山脈※」「雪」「お正月」「いい日旅立ち」「二人は若い※」「知床旅情※」「高校三年生」「ここに幸あり」「ソーラン節」
 みなさん予想外によく歌ってくださった。職員さんも一緒に歌うなど、場を盛り上げてもらうよう、事前にHさんにお願いしてあったのが良かったのだろう。
 これまでの施設訪問ライブで、「一緒に歌う」という部分では、あまりうまくいった経験がなかった。しかしこの日は(いける…)とすぐに分かったので、MCでも充分な間をとり、高齢者のペースに合わせ、全体的にゆっくり歌うよう心がけた。
 一息ついてもらう曲を随所に混ぜるなど、曲の構成にもかなり気を配った。結果として、歌詞配布のなかった「バラが咲いた」「雪」「お正月」「ソーラン節」も、多くの方が一緒に歌ってくださった。

 入居者に大変ノリのいい方が数人いて、曲に関する思い出などを、ライブ中にあれこれ話しかけてくる。MCは元来あまり得意ではないが、今日はそのひとつひとつに相づちを打ち、上手にさばくことができた。これが場をなごませた大きなポイントだった。


 35分ほどでライブ終了。課題のはずだった「アップテンポの曲で聴き手に寄り添う」は、ほとんど意識せずに終わった。そんなことを意識せずとも、聴き手がどんどんすり寄ってきてくれたので、こちらから寄り添う必要がなかったのだ。
 終了後、「楽しかった」「おかげで若返った」と、数人の入居者の方々が近寄ってねぎらってくれる。わざわざ玄関まで見送ってくれる方さえいた。またぜひにと職員の方にお願いされたので、次回はこちらから専用の歌詞カードを準備しようと思う。
 この5年でいろいろな施設を訪れてきたが、ちょっとこれまでないタイプの施設だ。おかげで活動5年目にして、新境地を拓いたような気持ち。
 何が違ったのだろう。私の意識改革か?広くて明るい施設か?はたまた職員の柔軟な対応か?これからゆっくり検証してみたい。

2009年12月20日日曜日

10年目のリメイク

 家を新築して10年の節目となる今年、何かと修理やらリメイクが多いが、今日は玄関ホール横(階段下)にある帽子掛けを大幅リメイクした。
 10年前に手作りした帽子掛けは、パイプハンガーを固定する「ゲンコツ」と呼ばれるステンレス金具を転用したもので、私の完全オリジナル。同様の帽子掛けは、他の家にもいくつか設置した。

 最近ハンチングに代表される帽子がじわじわ増えつつあり、常時玄関横に掛けておくと、他のジャンパーとかマフラーをかけるスペースが足りない。ハンチングはその日の服装や気分に応じて使い分けるので、現有の3つは、いつでも使えるこの場所に掛けておきたい。
 そこでこの際、新たな帽子掛けを作ることにした。


 先に書いた「ゲンコツ」は、仕事部屋の机引出しにも取手として使っている。全く同じデザインなので、こちらの金具を外し、増設する帽子掛けに転用することにした。
 となると、引出し取手には別の細工が必要で、こちらは少し前に居間に作った妻専用の引出しに使った、木製丸棒による取手のアイデアをそのまま活かすことにする。木製丸棒は91センチのものを100円ショップですでに買ってあった。
 10年使った帽子掛けをいったん外し、金具も外してサンドペーパーで汚れを落とす。手持ちの台座用木材とサイズを合わせて切断。引出しの取手を外しながら同時に新たな丸棒による取手を作り、外したステンレスの「ゲンコツ」を台座となる木材に取付けてゆく。


 引出しの中身をいったん外に出さないと作業できないので、けっこう手間を喰った。上の写真が完成した2段の帽子掛け。下の段には主にジャンパー類をかける予定。上の段には今後に備え、1個分の余裕がある。
 写真の右にも別の帽子掛けがあり、合計で10個のゲンコツ・フックがある。これで当分は大丈夫。

 下の写真左は改造前の引出しで、右が木製丸棒に交換した改造後の引出し。居間の引出しですでに確認ずみだが、木製丸棒を使ったほうが握りやすく、デザイン的にも優れている。
 無垢材を使ったドアや家具には金属金具を使うのが普通だが、私が幼い頃の木製建具や家具には、木製の簡易な取手がまだ主流だった。私が自作した外物置のドア取手もやはり木製。木にはやはり木。工業製品よりも味がある。見直すべきかもしれない。

2009年12月17日木曜日

殺し文句

 昨日のことだが、見知らぬ方から突然電話があって、事務所名で応対すると、「菊地さんのお宅ですか?ギター弾き語りの菊地さんではないですか?」と聞いてくる。
 何らかのライブ依頼だと直感したが、その後の話で、以前にある老人ホームで歌った際、職員として私の歌を聞いたことがあるという方だと分かった。いまは別の施設で働いているのだが、菊地さんの歌が忘れられないので、クリスマスにぜひ歌って欲しいとのこと。

あなたの歌が忘れられない」というのは、プロであろうがアマであろうが、歌い手にとっての殺し文句であろう。
 先日のライブハウス月例会で今年は歌い納めのつもりでいたが、万難を排しても応ずるべきで、当日は平日だったが、昼休みを利用し、30分程度の時間という条件でありがたくお引き受けした。


 最近は平日の施設訪問ライブは原則として受けていないが、場所は自宅から車で5分ほどのところ。偶然だが、今年の夏に「森の七つの椅子」と題したインスタレーション型青空ライブを仕掛けた大規模公園の正門前である。
 ここなら、急な仕事の呼び出し等にも何とか対応できる。これも何かの縁だ。
 夜に再度連絡があり、曲目等の打合せをしたが、その中でリクエスト曲がいくつか出た。
「青い山脈」「高原列車は行く」「知床旅情」などで、どれもレパートリーにあるので、容易に対応できる。

 他にもニギヤカ系の曲を打診されたので、「二人は若い」「ソーラン節」を提案した。事前に歌詞カードを準備するそうで、この種のイベント企画が初めてというその方は、かなりの張り切りようである。
 思惑が必ずしもうまく運ぶとは限らないのが、この種のイベントの難しさなのだが、意欲はよく分かる。出来る限り、協力したいと思う。

2009年12月15日火曜日

HD占有率

 午後から馴染みのライブハウスのマスターがやってくる。最近調子が悪いというノートブックパソコンのメンテナンスと、HDカメラからの動画取り込み方法、そして動画編集方法の習得と、課題は多い。
 メインでは使っていないWindowsマシンなので、あまり得手ではないが、あれこれ操作するうち、次第に問題点が分かってきた。

 持参したHDカメラからの動画取り込みには何とか成功したが、「HDが満杯です」などというエラーメッセージが頻発する。そこでパソコンのHDを検証してみると、占有率が99%で、いまにも溢れんばかり。これではパソコンの調子が悪くなるはずだ。
 一般的にパソコンのHD占有率が大きくなると、いろいろ問題が出やすくなるもので、ファイルの出し入れには、作業エリアとしてある程度の空きスペースが必要なのである。動画のような大容量ファイルを扱う場合は特にそうだ。
_さらに検証をすすめると、HD容量そのものが40GBで、最近のパソコンとしては、やや少なめ。それにしても99%占有率はおかしい。いったい何をストックしているのですかと尋ねても、特に心当たりはないという。
 そこでユーザーフォルダを中心に、怪しいフォルダの容量を順に調べていった。すると、ピクチャーフォルダの中に、突出して容量の大きいフォルダを発見!何と24GBもの容量がある。

 開いてみると、50個近い動画ファイルが眠っている。日付は3年以上も前で、HDカメラを買い、パソコンの動作がおかしくなり始めた時期と、ピタリ合致する。どうやら買いたてのカメラの試し撮りで取り込んだ大量の動画ファイルを、そのまま放置していたらしい。
 パソコンに悪さをしていた犯人はまさにこれで、どれも不要な動画だというので、まとめて全部ゴミ箱に放り込み、すっぱり消去した。

 作業後、再びHD容量の検証。今度は占有率が20%台にまで下がり、快適なユルユル空間が誕生した。おそらくこれで諸問題は解決するでありましょう。
 その後、最後の課題である動画の編集作業にもチャレンジしたが、パソコンにバンドルされているはずの動画編集ソフトが、どうしても見つからない。
 よく聞いてみると、パソコンは中古品で、付属ソフトのCDなどは一切ついてなかったという。動画編集ソフトがないと何もできないので、この日の作業はこれで打切りとなった。

 時間の都合で試さなかったが、おそらくカメラ内にある動画をパソコンに取込み、普通の状態のまま(圧縮や編集はしない)でDVDに焼くことは、今後出来るようになるはず。来訪目的の達成率は60~70%程度だが、
「来てよかったです」と、マスターは喜んで帰っていった。

2009年12月13日日曜日

歌い納め

 たまに顔を出すライブハウス「歌酔倶楽部・ありがとう」の月例イベントMLSに、ひさびさに参加。歌い手としては実に6ヶ月ぶりである。
 今年は例年依頼される近隣のグループホームのクリスマス会が、引越し作業のため中止となり、おそらくこれが今年最後のライブとなる。

 参加人数はお店のマスターとママさんを含め、12名。こぢんまりとした家庭的な雰囲気で、今回からライブ中は完全禁煙となり、タバコの煙がすっかり苦手となった私には、この上ない快適空間である。お店の英断に感謝したい。
 この1ヶ月以上、ずっと休みなしの徹夜状態の忙しさが続いているが、そんな悪条件でも、自分の趣味活動のことは忘れてはいない。仕事の合間にちゃんと歌の練習もし、備えてきた。
 忙しいからこそ、家庭や趣味にも気を配るべきで、それは結局生きる活力へとつながる。


 参加者は4組で、私以外はすべて2名以上の複数メンバー。全体の中でのメリハリという点では、やりやすい立場といえた。
 開始は7時の予定が、およそ15分遅れで始まった。参加者が少ないので、全体的に緩めの運営。しかし、演奏中は水を打ったような静けさであることは、この店の良き伝統である。

 この夜の私のセットリストは、以下の通り。持ち時間は30分だが、無用なMCは極力省き、28分くらいで終わらせた。

「宵待人」「誰も知らない夜」「Teimi/丁未」「メガネを買う」
「蘇州夜曲」「りんごの木の下で」

 最初の4曲がオリジナルで、最後の2曲がカバー。オリジナルの比重が高く、順番のバランスも悪いが、この日のテーマが「これまで&これから」という、今年1年の総括と来年に向けての抱負を時系列にまとめたものだったので、その流れに従った。
 久しぶりの場ということと、このお店では初めて使うオベーションのエレアコが、ややPAに合わない感じで、最初は感覚がうまくつかめなかった。
 そのせいか、たとえばトリルで処理すべきギター伴奏が普通の弾き方になったり、「りんごの木の下で」の間奏に使った口笛の出だしが、いまいち音が出なかったりした。

 最近の課題としている「ていねいに、心に寄り添うように」は、この夜もまずまずうまくいった感じだった。
「丁未/teimi」「蘇州夜曲」は自分でもかなりいい感触で歌えたが、終了後にも幾人かの人に声をかけていただき、ありがたかった。「蘇州夜曲」をメインタイトルにしたライブを、いつかどこかでやりたいと考えているが、たぶんいけると思う。

 ライブ終了は早めの10時少し前。その後2時間、マスターやママさんとゆっくり歓談。懐かしき良き時間、良き歌い納めであった。

2009年12月12日土曜日

年金な話

 あまりアテにしてなかったが、年金が12/15日から支給されるらしく、正式な連絡が届いた。
 妻の誕生日直後、書類一式を整えて申請したのが、10/20。そのときに窓口では、「実際の支給までには、110日程度はかかります」などと釘を刺され、そう急ぐものでもなく、そんなものかと思っていた。

 ところが、50日はかかると言われた年金証書が実際に届いたのが、11/6。わずか17日後で、それからさらに60日はかかると言われた支給が、実際には39日後の12/15というわけだ。結構やるじゃないか社会保険庁。
 試算してみると、申請日から56日後に支給されることになった。準備を整え、権利が発生したら、素早く手続きするのがよろしいようで。
 というわけでまるで実感はないが、来週早々にも年金が振り込まれる。妻ともども、厚生年金の比例報酬分だけなので、額は微々たるもの。しかし、日々つましく暮している私たち夫婦にとっては、毎月の食費をほぼまかなえる額で、妙にありがたく、そしてうれしい。

「年金は払うときにはバカらしく思えるが、貰うときにはありがたいもんだゾ」と、今は亡き父がよく言っていたが、けだし名言でアル。記念すべき初回分は、年末年始の特別食費にでもあてることにしよう。


 新築後10年を経て、家のあちこちが傷み始めているが、ボイラ2台に続き、今度はバスタブの栓が壊れた。
 ゴム栓をつないでいるチェーンが数カ所で切れ、補修不可能。ジョイント部が錆びているので、完全に寿命である。チェーンだけ換えてやればいいだろうと調べてみたら、栓とチェーンの接続部が取り外し不可能な構造になっている。
 全く理解不能な設計で、こうなれば意地だと、工具を総動員し、強引に切れたチェーンをゴム栓から取り除き、手頃なビスを見繕って抜けた穴にネジこみ、これまた手頃なチェーンを2本つないで、力づくで復活させた。
 チェーンはバスタブの縁に止めるようになっているが、この固定ネジがまたまた手抜き。交換のために取り外したが、なぜか二度と元に戻せない。
 仕方なく、工具箱を漁って適当なビスを何とか探し出す。結局既存の品で活かせたのは、ゴム栓だけという結果となった。本日のDIY難度、予想外の手強さで、5段階中の3。

 壊れたら丸ごと交換するか、プロを頼んで外注せよ、ということなるのか。メーカーは一流と言われるT社製だが、その設計思想の貧しさに、あきれた。政治と同じで、企業を育てるのも実は末端の消費者、つまりは国民であるということ。

2009年12月11日金曜日

仕事仲間

 昨日夕方、ちょっとした用があって、都心の一等地にある仕事仲間のオフィスに行った。同じ一級建築士で、専門も私と同じ建築パース。以前は仕事の一部を回してもらったことや、技術的な助言をもらったこともある。
 当初は私のように一匹狼の事業形態だったが、その後法人化し、いまや二人の若いデザイーナーを雇い、そして育てている。

 年齢は私よりも一回り以上若いが、どことなく気が合うので、ときどき電話したり、事務所に遊びに行って情報交換したり、互いの事業の愚痴をこぼしあったりする。


 そのSさん、昨年から今年にかけ、2件の取引先倒産に見舞われた。うち1件は新聞でも大々的に取り上げられたが、幸いに回収不能金は生じなかったという。しかし、結構な売り上げが継続的にあったので、そのダメージはまだ残っているとか。
 2006年夏にかなりの額の不渡り手形をつかまされた私だったが、最近はその種のトラブルはない。しかし、金融不況による売り上げダウンは激しく、夏までは去年の半分ほどのペースだった。
 秋になって救世主のように突然の仕事の嵐がやってきて、どうやら去年の7割程度にまで回復できた。まずはよかった。

 人を雇い、都心に事務所を構えているSさんの事情は私よりもさらに厳しいが、創意努力で何とか凌いでいるようで、二人の若い社員の雇用もきちんと確保している。立派な社会貢献で、一匹狼のままの私と比べ、エラいな~と単純に思う。
 春先に首都圏の取引先を運良く開拓し、秋の仕事の嵐にうまく結びつけた私同様、Sさんも本州の取引先が増えているらしい。当然ながら図面はネット経由のデータやり取り。この時期に、アナログ的手法だけにこだわっていると、たちまち干上がってしまう。そういえば、Sさんと知り合ったのも、ネット経由のメールだった。
 さらに私同様、大きな仕事ばかりにこだわらず、小さな仕事も丹念に拾っている。これぞ事業の基本である。

「時間があったら、手伝って欲しいんですが…」と帰り際に頼まれたが、あいにく週末にかかる仕事で、私のスケジュールと完全に重なっている。またの機会に、ということになった。
 あれこれ本音で話し合って、かなり気持ちがすっきりした。家にこもってばかりいず、たまに仕事仲間と話すのはよいものだな、と再認識。
 帰宅後、昼に入った1棟の校正と1棟の新規物件をやっていたら、夕食前にまた携帯が鳴る。例によって首都圏の取引先からで、土曜までにさらに新規物件を3棟やって欲しい、との話。
 こうなればトコトンやりましょう、という気になり、またまた請けた。

 昨夜も未明まで作業し、今日も割に早くめざめ、すぐに作業。途中、しばらくごぶさただった別の取引先から電話。新規物件の引合いだったが、忙しくてとても対応できない。大きな仕事らしかったが、支払いの極端に遅れる取引先でもあり、丁重にお断りした。
 その後黙々と作業し、合計5棟分をほぼ終わらせた。慣れたこともあり、1ヶ月前より、驚くほど作業は早くなった。どうやら12月もこんな調子で暮れてゆきそうな気配である。

2009年12月9日水曜日

高齢者の生き残り

 一昨日は明け方というか、朝7時まで完全徹夜。昨夜は珍しく午前2時に寝られ、ようやく仕事の嵐も決着の方向。残るは16棟分の再校正のみだが、そう大きな修正はでないことを祈る。

 朝と夕に実家の母が何やかやと電話をかけてくるので、疲れた身体にムチをうち、夕方に車を飛ばして様子を見にいってきた。ついでに、貰い物のリンゴを仏壇に供える。
「テレビがつかない」と騒ぐので点検すると、確かにつかない。2週間前に行って調整したはずのリモコンが、なぜか作動しない。
 本体の電源スイッチをリセットし、これまた本体のチャンネルボタンを数回送ったら、ごくフツーにつく。まだまだ使えるテレビだが、リモコンの使い方や本体での操作を会得していないようだ。
 当分は本体のみで操作するよう教えてきたが、はたしてどうか。
 これに限らず、高齢者にとって、現状の最新式の住宅設備機器や家電製品の取扱いは難しいと思う。一人暮らしの大きな壁は、孤独との対峙やお金の管理などいろいろあるが、最新機器の取扱いも、そのひとつ。ここを何とかクリアしないと、生き残れぬ。
 私の妻の場合、メールとパソコン、ATM操作はまずまず。DVDやCDも一人で操作できるが、暖房ボイラや携帯の使い方がいまひとつ分かっていない。夫としては、やや不安である。

2009年12月7日月曜日

断る勇気

 10月に暖房ボイラを修理したばかりだが、今度は給湯ボイラのリモコンに、「点検」という赤文字が点滅するようになった。取説を出して調べると、どうやら「10年点検」をうながすサインらしい。
 サービスセンターに連絡すると、一度もメンテナンスをしてないなら、特に異常がなくとも10年目には点検したほうがいいのでは?との回答。暖房ボイラの件もあって気になったので、来てもらった。
 機器の安全装置のチェックなど、あれこれ点検してもらったら、暖房ボイラと同じく、灯油の循環ポンプにわずかな漏れがあるとか。指で確認すると、確かに漏れている。10年はやはりひとつのメドらしく、交換すべきだと言われた。
 ある程度の覚悟はしていたので、素直に従った。点検修理費は合計で2万円ほど。痛い出費ではあるが、人間が近代的な生活を営むうえでの、最低必要経費でもある。

 プリンタの件もそうだが、仕事があるときに限って、ねらったようにモノが壊れる。マーフィーの法則というヤツでしょうかね。


 修理の応対をしている最中、電話が鳴る。札幌の取引先からで、木曜朝までの仕事があるが、都合はどうかという打診。首都圏の仕事はひとまず一段落し、あとは16棟分の校正を残すのみ。先は見えているので、当然のごとく請けた。
 図面は明日入稿とのことで、時間が少し空いた。シャンソンコンサートで終了後に倒れて(倒されて?)一部破損したまま放ってあったスピーカースタンドを、ようやく修理した。
 だいたい終わってメールをチェックすると、待っていた16棟分の校正のうち、15棟分が届いている。しめしめ、明日の新しい仕事が入る前に片づけられる。実にいいタイミングだ。
 入浴中に、脱衣室に置いた携帯が鳴る。首都圏の取引先からだ。この1ヶ月、いつ何時連絡が入るか分からないので、非常臨戦体勢になっているのだ。ハダカで応対。ナニ、誰も見てませんて。

 てっきり校正の確認かと思いきや、「実は校正以外に、12棟分の立面パースの仕事をやっていただけないでしょうか…」
 予算は多少あるが、相変わらず納期がないという。度重なるムチャな要望に、さすがに今度は丁重にお断りした。請けたばかりの別仕事の件もあったが、もはや気力体力の限界である。少しばかりの金に目がくらみ、最後の頼みである肉体や精神を病んでしまっては、元も子もない。

 それにしても、仕事を断ったのは、何年ぶりだろうか?長年やっているといろいろあるが、この「断る勇気」というのが、事業を細く長く続けるうえでの、大事なポイントなのだ。

2009年12月6日日曜日

電球型蛍光灯

 家の中で合計8個使っている電球型蛍光灯のうち、居間の2個がほぼ同時に切れた。電球のソケット部にマジックインキで小さくメモしてある購入年月を確認したら、2007年3月。都合33ヶ月、およそ1000日使った計算になり、一日平均7時間点灯とすると、7,000時間で寿命がきた。
 メーカーの推奨値が6,000時間なので、充分に元はとった。

 新しく買った電球型蛍光灯は、同じ13Wタイプで1個490円。前回は1個780円で買っているので、かなり安くなっている。エコロジーブームで需要が増えたせいだろうか。
 反対にメーカーの寿命推奨値は、8,000時間に増えている。同じ使い方をしても3年以上も使えることになる。


 13Wタイプは白熱灯で60W相当だが、新しいものはかなり明るく感じる。電球型蛍光灯の大きな欠点だった、点けてから明るくなるまでの長い時間も、あまりストレスがない程度に改善されている。
 写真右の丸いタイプが古いほうで、小さいのが新しいタイプ。デザイン的には丸いほうが好みだが、新型はかなり軽くなっているので、よしとしよう。

 電球型蛍光灯は、まだ評価の低かったこの家の新築当初から、ずっと使い続けてきた。当時は22Wタイプ(白熱灯100W相当)しか入手できず、価格も1個1,780円もした。
 それでもコスト試算ではかなり有利で、白熱灯を使うより、居間だけでも10年で18万円もの節約をしたことになる。
 この種の試算を確実に行うには、品物を買った年月日や価格を本体のどこかに小さく書いておくこと。私はこの電球型蛍光灯のほか、乾電池にもこの種の記録をし、買い換えや維持費のチェックに役立てている。
 ちょっと時間が空いたので、しばし放ってあったホームページの更新作業を久々にやっていたら、またまた取引先からの携帯が鳴る。今日は日曜なのだが…。
 修正やら追加の図面は、昨夜未明にすべて送信し終えていたので、何事かと思いきや、大変申し訳ないが、他社に依頼してあった図面の担当者が急病で倒れたので、その分の修正を代行していただけないだろうか、との打診。確かに度重なる修正で、担当者が倒れてもおかしくない状況ではある。
 さすがに依頼者の口調も重く、「頼める人が、もうTOMさんしかいないんです」と、万策尽きて疲れ切った様子だ。

 数は27棟分あって、締切は明日の昼までと、相変わらず厳しい。他社の手がけた仕事なので気乗りはしなかったが、これといった用事もなく、時間があって体調も万全。サンプル1棟分だけをその場で送ってもらい、開いてみると作者のクセはあるものの、何とか対応できそうだった。
 すぐに受諾し、2時間半ほどですべて修正し終えた。作業中にいろいろな不都合を発見し、ついでに片づける。報酬もはっきりせず、他社のフォローまでやる必要もないのだが、性分なので放っておけない。夕食前には先方に送信した。

仕事はやる者、やれる者のところに集まってくる」という自作の銘(ある人がこれを「TOM語録」と呼んだ)があるが、まさにそれを地でゆくような出来事である。
 他社担当者の「急病」とやらが、もしかして仮病かも…、などとは勘ぐるまい。なんだかな。

2009年12月5日土曜日

新築記念日

 朝から厳しい寒波が居座っていたが、午後から気温はプラスに転じた。しかし、次第に風雨が強まって、夜には風速15メートルを越す嵐。暖房ボイラを終日つけ、家にこもって仕事に没頭していた。

 今日は10度目の新築記念日。何かと記念日好きな夫婦なので、焼豚と納豆チヂミ、そして今年初めての手製ラズベリー酒を炭酸で割って飲み、ささやかに祝った。
 ラズベリーサワーは相変わらず飲みやすく、美味い。今年はラズベリーが豊作だったので、ラズベリー酒も2本(1,800ml)ある。しばらく楽しめる。


 新しいプリンタをあれこれ試しているが、楽譜その他の一般印刷は非常に美しい仕上がりで、特に黒がクリア。今回買ったiP4700のインクは5種類だが、黒はなぜか2本あって、うち1本が顔料インク。どうやら時に応じて黒インクを使い分けているらしい。
 名刺や封筒は一部にカラーを使っているので、モノクロレーザープリンタでは駄目。モノクロレーザープリンタは図面や請求書専用である。

 仕事用で使用頻度の高い長3封筒は「マックでは印刷不可」と説明書にあるが、オリジナルサイズをエディットし、印刷時の用紙設定だけ「封筒」にしてやると、ごく普通に印刷できた。頭は使いよう。
_ちょっと期待外れだったのが、CD/DVDのダイレクト印刷。ごく普通に印刷すると、色が非常に淡い。これはこれでひとつの雰囲気だが、私が好むのはビビットで鮮やかな色合いで、これに限っては、これまでのCDラベル印刷には遠く及ばない。
 ネットで調べると、一般的なCD/DVD媒体では、どうしても印刷色が劣るらしい。しかし、ビクターの「あざやか写真レーベル」という媒体を使えば、この問題は解決されるとか。

 価格を調べると、1枚50円ほど。普段は1枚20円の廉価品を使っているので、かなり割高だ。しかし、CDラベルは1枚25円なので、あわせて考えれば妥当なところか。
 50枚まとめ買いしたCDがなくなりかけているので、次回どうするか、ちょっと考えてみる。

2009年12月4日金曜日

カエル同盟

 妙に冷えるので、明け方にトイレに起きたついでに外の寒暖計をのぞくと、何とマイナス8度近い。目をこすって見直したが、間違いではなかった。
 その後、太陽が窓から差し込んで室内は暖かくなったが、外気温は昼過ぎでもマイナス1度。いわゆる「真冬日」で、積雪はゼロだが、真冬並みの寒波である。

 仕事の校正はまだ入ってこないので、午後からたまっている雑事をあれこれこなす。勤めから戻った妻を車に乗せ、まずは都心にある某ビルに、町内会街灯電気料補助申請に出向く。
 書類は仕事の合間にまとめてあり、街灯担当部長も今年で連続3年目なので、大きな戸惑いはない。15分ほどで手続きを終え、その足でカエル狂によるカエル狂のための店、「カエルヤ珈琲店」に行く。
 今日の大きな目的は、「第1回カエル自慢コンテスト」の結果を見届けに行くことだった。「カエル同盟」の一員として案内をいただいて、喜んでエントリーはしたが、あえなく選外。
 実は全エントリー蛙の作品展は、11月中旬まで2週間店内でやっていた。しかし、例の猛烈な仕事の忙しさで、とてもカエルどころではない。しかし、63蛙ものツワモノの勇姿をぜひこの目で確かめたく、お店のブログ経由で、オーナー宛に懇願メールを出した。

「全作品をぜひ見たいです。作品展終了後も、いつでも閲覧可能なように、作品をファイル化して、永久保存してくだされ」
 お店には2度しか行ってなかったが、「貴重なご提案、ありがとうございます」と、すぐに丁寧な返信が届き、ファイル保存化を約束してくれた。打てば響く素早い反応に、年甲斐もなく喜ぶ。客商売はこうでなくちゃ。


 座ったとたん、メニューよりも先にアルバムファイルを差し出された。ちゃんと覚えてくれている。アルバムには、見たこともないレア物カエルたちが並んでいる。さすがだ、レベルが高い。
 エントリーは一人1カエルが鉄則なので、この酔狂なイベントに応じた遊び心に満ちた客が、少なくとも63人はいるということで、驚くべき数字ではないか。

 今日は40年前に学寮の寮祭で私自身が企画した、「カエル大明神」というイベントの証拠写真を持参し、オーナー姉妹に見せてあげた。(というより、見せびらかしに行った)たまたま店内にいた別の客(この方もカエル同盟員)まで巻き込み、しばしカエル談議に盛り上がる。
「決して豪華ではないけど、内装と丁度品のバランスがよく、接客も含めて、とても落ち着く店」と、同行した妻も大満足。そうでしょう、そうでしょう。
 返り際、「記念に」と、オーナーから全カエルを縮小プリントしたモザイク風の絵はがき風カードをプレゼントされた。さすがにこれは私の提案ではないが、行き届いた配慮に感心した。
 選外だった私の作品が、この絵はがきでは、なぜか中央に配置されている。偶然かもしれないが、ちょっとうれしい。

 実は送った「懇願メール」には、別の企画も提案した。詳しくはまだ書けないが、実現の方向で検討しますと、すでに返信が届いている。当然ながらカエル系の楽しいイベントで、カエルを介した奇妙で新しいネットワークが、ジワジワ広がりそうな気配。

2009年12月3日木曜日

仕事部屋改造

 昨日から今日にかけ、新しいプリンタの置き場所確保のため、仕事机回りのリニューアルをやった。

 プリンタを置く台は仕事机の天板支えもかねているので、南側にある2枚の天板やその上に載っている2台のパソコン、テレビやもろもろの小物類を、いったんどかす必要がある。
 暮れも近いので、どかしついでに大掃除もやってしまった。


 A3プリンタは台ごと南西隅に移動。これまで南西隅にあった小型の台を、南側中央に持ってきた。ここには古い取説や外したCDドライブなどを置いてあったが、この際思い切って処分。
 これらの台はすべて手製なので、新しいプリンタに合わせ、数カ所を改造した。手際良くやったつもりが、丸2時間も費やした。

 この時点でまだ新しいプリンタは届いていない。夕食後、ちょっと疲れて居間でウトウトしていたら、いきなり携帯が鳴ってタタキ起こされた。そう、恐怖の校正である。
 校了のはずだった30棟分に、またまた校正が入っている。うち7棟はかなりの修正で、なかばあきれつつ、黙々と作業。深夜3時前にはすべて終わり、サーバーに送信した。


 明けて今日、寝ているうちにプリンタが届いた。さっそく起きて梱包を解き、用意してあった台にセット。写真正面の上段がそれで、A4サイズ対応なので、さすがにコンパクトだ。
 いつも感じることだが、たかがプリンタでも、セットアップは非常に煩雑。説明書も数が多く、回りくどい。使いこなすと便利なことは確かだが、この壁をクリアするかどうかが、現代人として生き残る大きな分かれ目か。
 最も使うと思われるCD/DVD印刷に、かなり手間取る。付属のソフトでは、イメージ通りの編集ができないので、これまでCDラベルを印刷してきたソフトを使いたいが、テンプレートがない。
 ネット検索であちこち調べて、ようやく古いキャノンプリンタのテンプレートを発見する。不要なCDの上に紙を貼ってカットし、「印刷練習用CD」を作ってテストを繰り返した結果、ようやく使えるテンプレートにたどり着いた。

 弾き語り用の楽譜も数枚印刷してみたが、さすがにきれい。時間をみて、写真印刷の色補正などを今後やるつもり。

2009年12月1日火曜日

人生の店じまい

 仕事のエアポケット2日目。気が抜けてしまったせいか、昼過ぎまで延々寝ていた。取引先からの情報だと、明日夕刻あたりから、再び「恐怖の校正」がやってくるらしい。本当の休息がやってくるのは、その先。束の間の休息なのである。

 メールボックスを開くと「覚えていますか?」というタイトルがある。アドレスの一部に、名字の一部が推測できる文字があり、それを読んでピンと閃いた。
(中学時代の友人、S君では…?)
 大当たりである。44年ぶりの連絡で、よくぞ探し当ててくれたものだ。


 彼とは中2の6月に知り合った。転校してきた私に何かと声をかけてくれ、所属するブラスバンド部へと誘ってくれた。二人とも真面目な気質で、その後の2年間、部活動は一日も休まず続けた。
 趣味としての音楽活動をいまも続けている私に、かなりの影響を与えてくれた人物だと思う。

 メールによると、中学時代に仲の良かった私の名を昨日ふと思いつき、検索してみたそうな。私の名は、どの検索エンジンでもだいたい上位ヒットするので、そこからHPやブログを探し当てたとか。
 ネット社会の進化で、以前では考えられなかった調べ物が、瞬時に叶うようになった。うまく使えば、人生の幅がかなり広がる。
 S君はかなり前に北海道を離れ、いまは首都圏で暮している。偶然だが、同じデザイン関係の仕事をしていて、3D-CGも描いているそうだ。そう気軽には会えないが、せっかくの交友復活なので、当面はネットを介して、旧交を暖めたいと思う。

 還暦を過ぎ、いよいよ人生も店じまいの準備に取りかからねばならぬ。こうして44年ぶりに旧友と懐かしく語り合えるのも、人生の妙味ではないか。しみじみ。