「メロディ~♪」と歌うサビの部分の歌唱法に関し、これまで誰にも指摘されなかったことを聞かれた。この部分は途中でメインボーカルを交代する打合せになっているが、「TOMさんと私とでは、歌い方がどこか違う」と彼女は言う。
音程やリズム感はピッタリ合っているのだが、NAOさんが言っているのは、それ以外のこと。ムズカシイ話になるが、私の場合、聞かせどころはテンポやボリュームを、微妙に変化させて歌う。
言葉にするなら「ゆらぎ」のテクニックとでもいうのか。たとえばテンポなら、1/16拍くらい遅らせたり、早めたり。
これといったルールはなく、ほとんど直感的なものだが、このリズムとボリュームの微妙な変化は、聴き手の心の襞に入り込む重要なポイントである。音程やリズムの正確さは歌の基本中の基本だが、基本だけでは生身の人間の心には届かない部分が確かに存在する。
20代ではこの強弱の使い分けができず、ただ力任せにネジ伏せるのみの歌唱法だったが、最近になってようやくその加減のコツのようなものをつかんできた。
似た指摘は、最近ユニットでの練習を重ねている息子からも受けた。
「ボクにはとうてい到達できない情感が、チチの歌にはある」と。
「あと30年たったら、お前もきっと同じように歌えるさ」と慰めておいた。
年を重ねて、それまで見えなかったものが見えてくることがある。長く生きるのも、そう悪いことじゃない。元気でさえいれば。
夜、所属している物書き集団の定期総会に出席するべく、久しぶりに夜の都心に出向く。ついでに知人の店に顔を出し、頼まれていた名刺を手渡す。短い時間のなかで、11月のシャンソンコンサートの簡単な打合せをする。
実は11月のソロコンサートは、都心のど真ん中でやる。表通りに面した大きな窓が店にはあり、枯葉舞う街角の中で歌うという、シャンソンには絶好の舞台。口コミのみの完全予約制でやるが、すでにかなりの予約が入っている。ありがたいことである。
総会では5年越しの課題である共同出版に関する打合せが中心。お酒を飲みながらだったが、タイトルや各自の買取ノルマも決まり、来春の発刊にむけてようやく先が見えてきた。
11名もの共著となると、11通りの価値観と主張があり、本の内容そのものより、その擦り合わせのほうが難しかったりする。同じ大変さなら、自分のペースで進められる「単独企画」がやはり気楽というもの。
やっぱり「独り上手」である。