2009年9月22日火曜日

泣いて終わる

 ライブの終わり方についてあれこれ考える。プロでもアマでもごく一般的なのは、「みんな明るく、ニギヤカに」といった終わり方。「シングアウト」と呼ばれる、聴き手も含めた参加者全員で、特定の曲を明るく楽しく歌いおさめるのはこの典型か。
 対して、盛り上がった熱を冷ますべく、ヒソヤカにそして静かに、時には暗く泣きながら終わる、という手法も、少数派ではあるが確かに存在する。

 個人的に好むのは断然後者の終わり方で、映画のエンディングもしかり。ハリウッド映画にあるような明るく、希望に満ちた終わり方より、フランス映画によく見られる不条理で、時に救いのない絶望的な終わり方を私は好む。
 ライブや映画の終わり方は、人生の終焉にどこか似てはいないか。人生の終わりの儀式はどの国もおしなべて荘厳で悲しみに満ちているが、(まれにニギヤカで明るい葬式もあると聞くが)その反動が、現世での無闇に明るい擬似的な終わり方に集約されるのかもしれない。
 だとすれば、自他共に認める現実主義者である私が、人生の終焉とライブの終わり方を重ねてとらえたとしても、少しも矛盾しない。


 こんなふうだから、ライブで一般的な明るいシングアウト風エンディングが、とても苦手である。出来るならその場から逃げ出したいほどだが、たいていはそんなワガママは許されない。仕方なく適当に手など叩いて、お茶を濁す。

 つい先日の居酒屋ライブのラストで、最終演奏者にお店のマスターが、「最後はひとつニギヤカな曲をお願いしますよ」などと注文を出している。横にいた私、すかさず「マスター、わたしゃ泣きながら終わりたい気分ですわ」と茶々を入れると、「ならば俺が泣かしたるわぃ」と反撃を喰らった。
 マスターとは懇意なので、もちろん単なるジョークなのだが、直前の曲が非常に泣かせる曲だったので、そのまま悲しみを抱えつつ終わりたかった、というのもワガママな本音。集団ってのはムズかしいもんです。
 コンサート終了後の宴会に備え、居間のライトを3灯に増やした。普段は2灯で問題ないが、大人数の場合、入口付近がちょっと暗くなるのだ。
 写真の一番手前が増設分で、普段は2階仕事部屋の予備にしている手製ライトを、この種のイベントの時にだけセットする。ご覧のように、シェードは市販の麦わら帽子を改造したもの。

 居間にあるライトの一部を、分岐コンセント付の引っかけシーリングにしてあり、ここから簡単に増設可能。100W灯をつけてみたが、かなり明るい。もしかしたら、60Wでも足りるかもしれない。