2008年1月31日木曜日

トイレの赤

 一転してまた寒くなった。最高温度がマイナス5度。雪もかなり降った。しかし、日中に少しだけ日差しがさしたので、部屋は暖かい。
 陽がさしているのに、雪はやまない。1階居間の床に陽があたり、舞う雪の影がチラチラとそこに映っている。初めて見るような不思議な光景で、誰もいない部屋の中でしばし見とれた。

 OSXへの移行作業はほぼ終了。昨日おさめた仕事の再修正と、最後の請求書作りなどを、新しいOSでサクサクとする。パソコンの操作にもかなり慣れてきた。あとは作業の中で生じた不都合の微調整をすればよい。


_少し前のことだが、トイレ用のタオルを真っ赤な色に変えた。年末の大掃除でタオル籠の底から見つかったもの。フェイスタオルよりも細く、中途半端なサイズだが、手ふきなら使える。
 我が家のトイレには間取りの都合で、窓がない。風水的にはあまりよろしくないらしいが、赤いグッズを置けばOKと、どこかに書いてあった。単に暗い場所がパッと明るくなるという、気分の問題だけかもしれないが。

 写真下は木製タオル掛。これにタオルをかけてある。市販品に気に入ったものがなく、端材で作った。家全体のデザインバランスから考えると、木製が最もなじむ。タダ同然だしね。

2008年1月30日水曜日

FAXが消える日

 OSXに変えてから、まだ一度もパソコンからのFAX送信を試していない。いい機会なのでちょっとした打合わせ事項を送信してみた。ところが、何度試みてもうまくいかない。
 予備のパソコンでもダメで、ネットであれこれ調べても、原因不明。結局、午後の数時間をほとんどFAX操作でつぶしてしまった。
 あきらめて古いOS9を起動させて送信した。ところが、なぜかこちらでもうまくいかない。これまでも、こんなことが何度かあった。いよいよギブアップである。仕方なく、メールで連絡することにした。


 FAXがパソコンから直接送信できると、いろいろと便利なのだ。画像や文章がきれいだし、その都度印刷して手動送信する手間が省ける。紙代、インク代が節約でき、二酸化炭素削減にも貢献できる。
 パースを手描きしていた頃は、描いた下図をスキャナーで取込み、そのままパソコンから直接送信するという粋な技を多用していた。
「画像がきれいだ」と、クライアントの評判も上々だった。

 ところが、OSが9になったあたりから、どうもFAX送信のエラーが目立つようになった。そしてOSXでいよいよ送信不可能という事態。
 FAX送信が一番うまくいっていたのは、イニシエのOS8の頃。古いOSのほうが動作が安定していたという皮肉。
_実はメールが一般的になってから、FAXの出番はめっきり減っている。それでも、「見積りはFAXで頼むね」とか、「私はメールをやりませんので」、などという方もまだいたりして、FAXはしばらく捨てられない。
 もしかすると、OSXのバージョンをもっと上げてやればいいのかもしれない。しかし、そんな余裕はいまない。

 電話は相手の都合をしばしば無視してしまうので、緊急度の高い場合にしか使わない。相手の立場になった通信手段という意味では、FAXもメールもほぼ同等だと思う。
 メールはネット環境のない場所では使えなかったが、携帯電話やWEBメールの普及で、そのハンデもなくなった。FAXが消える日は、そう遠くないかもしれない。

2008年1月26日土曜日

蒼と朱の世界

 毎日律儀に雪が降ってくれる。札幌都心でも、ついに積雪が90センチに達した。
 雪かきに励むせいで、運動不足とは無縁。運動不足といえば、いつも散歩をかねて買物に行く、およそ2キロ離れた小さなスーパー内のパン屋さんが、スーパーごと2月末で閉店するという。
「ホテルブレッド」という、バターのたっぷり入った焼き立てのパンがとてもおいしく、散歩をかねるという別の楽しみもあっただけに、とても残念だ。

 閉店の理由はどうやら、「不採算店を削る」というもの。市場原理を追求すれば、自然にそこに行き着く。
 近隣に大型スーパーができた7年前から、経営的には苦しかったのだろう。他でもない、その「大型スーパー」に勤務しているのが私の妻なのだから、なおさら心境は複雑だ。


 使っているパソコンのOS移行作業は、大きな山を越えた。本日より、本来のメインパソコンに復帰した。起動もようやくOSXに進化。世間の流れから、結果的に10年遅れてしまった。
 これまで臨時に使っていたサブマシンは同じeMacなのだが、微妙に能力が異なる。マザーボードの能力が1割ほど落ちるし、今回のハードディスクの交換で、さらに差は広がった。

 それでもどちらにも同じソフトを入れ、同じようにOSXをメイン起動にした。さまざまな環境も完全に合わせた。
 ソフトはそのまま入れてやるだけでよいが、メールデータやアドレス帳、年間スケジュール帳、プリンターの設定などは、設定ファイルそのものの場所がよく分からず、大変苦労させられた。
 まだ手つかずの作業がいくつか残っているが、現時点で大きな問題は、全く同じデータを同じように印刷しても、同じ印刷物にならないこと。残念なことに、新しいはずのOSXのほうが、画質が悪い。
 最悪の場合は古いOSで印刷をかけるしかなく、そのためにまだ古いOS9の環境も、そっくりそのまま残してある。調整には時間がかかるかもしれない。完全移行への道はまだまだ遠い。

 写真は1階居間から眺めた薄暮の雪景色。新雪の銀世界が蒼く染まり、それがガラス窓に反射した室内の暖かな朱と微妙に入り交じっている。
 ある条件下である短い時間にしか出現しないファンタジーワールドで、とても好きなシーンだ。だから窓のスクリーンを降ろすのを少し遅らせ、その美をしばし楽しむ。

2008年1月24日木曜日

OSX全面移行作業中

 これといった外出の用もなく、雪かきなどしつつ、新しくしたハードディスクのインストール作業と設定作業に熱中した。

_昨夜試みたメール環境のマックOSXへの全面移行が、どうしてもうまくいかない。アドレスブックや過去のメールが、きちんと新しいソフトにコンバート(移行)されないのだ。
 いろいろやったが、全部ダメ。いっそ「WEBメール」つまり、ネットブラウザを使ったメールに全面変更してしまおうか?とも考えた。
 これならどこにいてもメールの管理ができるし、メールボックス容量や、一度に送信可能な添付ファイル容量にも、現状では問題ない。
 一晩考え、今朝になってもう一度メーラーであるNetscapeのOSXバージョンを再インストールしてみた。あれこれ試みるうち、まるで奇跡のように突然すべてがうまくいった。
「出来たぞ!」と、思わず階下の妻にまで報告してしまう。
 過去のメールなど、たいして必要でない人もいるかもしれないが、私の場合は数年前のものでも、いろいろと役立てている。たとえば、以前に買ったネットショップでの商品の価格だとか、設計依頼されたお客様との、細かい打合わせの記録閲覧などである。

 仕事柄、「建築士の設計責任」というものがあるので、過去のメールは立派な法的資料ともなる。決して消失してはならないのだ。
_OSXに移行するための大きな問題が、これでまたひとつ解決した。起動時にその日のスケジュールを知らせる「スケジューラー」も、OSXの標準のものが使えることが分かった。手持ちのCD辞書を閲覧するソフトもよい物を見つけた。
 3DCGや画像レタッチソフトも含め、仕事関係で移行の残っているのは、FAXソフトとCDを焼くソフトくらいか。

 図面を描く「JW_CAD」というソフトと、耐震強度を計算するソフトはマックから強引にバーチャル起動させるのをやめ、素直にWindowsでやることに決めた。LANでつながっているので、データ交換などにあまり問題ないことが分かったからだ。高い能力を持つWindowsパソコンを使わない手はない。

2008年1月23日水曜日

eMacハードディスク交換

 天気がよく、相変わらず寒いが雪も一段落したので、懸案だったeMacのハードディスク交換を一気に敢行した。
交換に必要な道具や情報は、昨日までにすでに収集ずみ。ありがたいことに、ブログで私の「危機」を知った遠方の知人から、有益な情報もいくつか送られてきた。

 昼食もそこそこに、なじみのパソコンショップにハードディスク本体を買いに行く。当初は将来的な余裕をみて、現状の容量40Gを一気に4倍の160Gまで上げる気でいた。ところが店の人に相談すると、古いパソコンでは128G以上のハードディスクは認識しない可能性があるという。
 勧められたのは安全確実な80Gの製品で、値段は6,000円強。しばし考えたが、ここは専門家の意見に素直に従うことにした。


 家に戻ってすぐ、午後3時から作業開始。eMacのハードディスク交換はウルトラ級の難しさという評判で、知人は3時間もかかったという。暗くなるまで、なんとか終わらせたい。
 まず30Kgはありそうな重いeMacを、いちばん頑丈な事務机の上に置く。下には毛布をたたんで敷いた。
 用意した道具は、2.5ミリ六角レンチとプラスドライバー。それにガムテープである。ガムテープは細く切って、分解したネジを忘れずにその場所にとめておくためのものだ。とにかく30本以上ものネジを外さないと、ハードディスクまでたどり着かないらしいのだ。

 いざ始めてみると、作業は予想外にスムーズに運んだ。過去に同様の作業をやった方が、写真つきの実に分かりやすいサイトを公開していて、その部分を真横に置いた別のパソコンで見ながらやったからだろう。惜し気もなく貴重な情報を公開されている方に、深く感謝したい。
 準備万端整えたせいか、およそ1時間半で作業は無事に終わった。ちょっとだけ手こずったのは、セットしたハードディスクをカバー毎元に戻すとき、古い物より厚くなってしまって、ビスが止まらなかったことくらい。幸い、ネジ穴が2箇所開いていて、奥のほうに組み直したら、あっさり納まった。
_ひと休みしたあと、午後5時からOSをはじめとするソフトをインストール。実はここでもちょっとしたトラブルがあった。最初の一回ではなぜかどうしてもインストール出来ず、全く同じ作業(初期化と再起動)を2度続けて、ようやくインストールが出来た。
 その後、バックアップデータの転送やらソフトのアップデート、環境の構築など、延々と作業が続いた。一日ですべてを終わらせるのはとても無理。今週いっぱいを目安に、ゆっくり作業を続けることにしよう。

 実は今回の作業を機に、メインの作業環境をOSXにするべく、別途作業中。一部はどうしてもOS9でやらざるを得ないが、それらもすべてOSXからの起動でうまく運ぶメドがついた。とにかくあれこれ忙しい。
 それにしても、長年使い続けてきたOSを変えるのは、本当に大変な作業だ。ハード関係の交換のほうが、はるかに簡単な気がしてくる。チャンスがあれば、内蔵ドライブをDVD-RWに換える予定。すでに調べはついてる。

2008年1月22日火曜日

メモリ交換

 ネット通販でWindowsパソコンのメモリが届いたので、さっそく自分で交換した。メモリ交換はハードに関する技の初歩の初歩だが、1995年に初めてパソコン(マック)を買った頃は、メモリ交換さえ自分で出来なかった。
 当時買った「Perfoma588」という機種の搭載メモリが、わずか8M。いま使っているeMacは買ったときに128Mだったから、実に16倍だ。いまでは標準で512M積んでいる機種が大半だろう。時代の流れは速い。
 その8Mだったメモリを、4M増やしたときに要領が全く分からず、専門店に頼んだ。工費をとられたと思う。いまでもメモリ交換の工賃は、店に頼むと3,000円はかかる。
 たかが4Mのメモリだったが、びっくりするほど高かった。いまではその128倍の容量の物が、送料こみでわずか3,000円強。これまた時の流れでアル。

 以降、本や雑誌であれこれ勉強し、その後のメモリやカード類の交換の大半は自分でやっている。いまならネットに豊富な情報があり、検索すれば大半のことは分かる。つまり、ヤル気さえあれば、最低限のお金で、最大限の効果が得られる仕組みになっている。


 写真のうちの上部に二つ並んで刺さっているのがメモリ。下が今回交換したもので、ノーブランドだが、事前に充分調べて発注したのでちゃんと認識した。
 Windowsの合計メモリがこれで1024M(1G)になった。さっそく試してみたら、3D-CGソフトやレタッチソフトの反応が速いこと速いこと。3D-CGに関しては、こちらをメインマシンにしようかと検討中。
 ただ、問題が一つだけある。Windowsとマックとでは、システムの色の構成が違うらしく、全く同じデータを同じソフトで出力させて比べてみると、色が微妙に異なってしまう。併用する場合は、そこを踏まえておかないと、痛い目に合うかもしれない。

2008年1月19日土曜日

とうとう雪降ろし

 降りました。一日で30センチ強の積雪。しかも気温が低く、昼間でも外はマイナス10度。寒くて無風。深夜から朝にかけ、まさに「音もなく降る雪」、といった感であった。
 近隣のアメダスでは、積雪量がついに90センチを越えた。最低気温もマイナス19度前後。雪も寒さも一級品でアル。

 前夜、すでに覚悟を決めていたが、車庫屋根の積雪が限りなく1メートルに近づいたので、ついに雪降ろしをする決断を下した。新しい梁のたわみ量を調べたが、まだ1センチ程度。問題ないはずだが、備えあれば憂いなし。雪も小降りになったのを気に、一気に作業にかかった。
 低温での雪は、まるで綿埃のようにサラサラと軽い。おかげで作業はそう難しくない。地面に積もった雪なら、「下から上へ飛ばす」感じになるが、屋根の降ろしは全く反対の「上から下へ」の力配分になる。だから腰への負担も少ない。
 滑って落下しないよう気をつけつつ、1時間弱で終了。これで安心して眠れる。


 午後からようやく仕事にとりかかる。洗面台メーカーのカタログの仕事なので、デザイン的処置であえてむき出しにしてある配管のパーツを、正確に拾わなくてはならない。気分はほとんど配管職人。
 夜までにおよその作業を終える。さてブログでも書こうかとデジカメをつないだら、またしても例の「?」マーク。いつもの対処ですぐに復活したが、やはり早急にハードディスクの交換が必要のようだ。
_応急処置として、ほぼ同機能の二つのパソコンを交換することにした。つまり、これまでサブとして使っていたパソコンを、メインパソコンにしたわけだ。大きな問題はないはずだったが、メールソフトの起動がうまく行かず、手間取る。
 どうやら、過去のメールを入れたフォルダの場所を、ソフトがうまく見つけられないらしい。真夜中にあれこれ奮闘し、ようやく開通したのが、明け方4時。ブログを書く気力はもはやなく、この記録は翌日の日曜に記している。

 ハードディスクの交換に関しては、ネットや知人から情報を収集中。自分で作業をするハラはほぼ固まったが、まずは分解のための「2.5ミリ六角レンチ」という工具を買わねばならない。
 何かと気ぜわしいので、仕事や家事のタイミングを見て、少しずつやるつもり。

2008年1月18日金曜日

災いは突然に

 昨夜9時過ぎ、デジカメの画像を取りこもうとパソコンにケーブルでつないだら、突然パソコンがフリーズして動かなくなった。たまにあることなので電源スイッチを切り、再起動させた。ところが、画面に「?」マークが点滅するばかりで、一向に起動しない。コイツは大事だ!
 記録を調べてみたら、去年7月にも同じことが起こり、何とか解決させている。マニアックな内容になるが、「パソコンがシステムの場所を見つけられない」といった際に起きる現象である。

 さっそく過去の例に習って、修復を試みた。まずは大事なデータのバックアップである。2台のマックを「FireWire」というケーブルで相互につないでやると、割と短時間でファイルは転送できる。
 それでも予備のマックへ全部移すのに、2時間近くはかかっただろう。そうするうち、起動しないほうのマックを問題ないほうのマックから起動出来るのでは?とふと思いついた。やってみると、難なく起動可能である。
 ケーブルを外して単独でやってみたら、今度はあっさり起動する。外部からシステムの場所を「教えた」ということなのか。時はすでに深夜1時近くで、厳しい寒さのこともあり、そのまま作業を切り上げた。
_明けて今日、どうにも気になり、朝食もとらずにパソコンのスイッチを入れた。すると起動するにはするが、「ピー」という異音と電源ボタンの点滅のあとに、イヤイヤ起動する感じ。
 その後あわただしく朝食をとり、ネットで情報収集しつつ、あれこれ試す。どうにか問題は収拾し、さて腹が減ったぞと時計を見ると、午後4時近い。遅い昼食を食べ、昨日請けた仕事にようやく取りかかったのはそれからだった。とんだ災難である。

 数えてみたら、いまのマックを買ってから、ちょうど5年目になる。どうもハードディスクに、そろそろ寿命がきているらしい。その前に使っていたパソコンも、さらにその前のパソコンも、およそ3年毎にハードディスクの寿命で、買い替えや交換を余儀なくされている。今回は5年間、大きな問題もなく動いてくれたから、長持ちしたほうだ。
 最近進めているOSXやWindowsへの環境整備も、この「そろそろ寿命かも知れないぞ…」という、潜在的な不安が心の底にあったからだ。その意味では、ズバリ予感が的中したともいえる。
_予告なしに突然やってくるのが人生の災難というものだが、注意深くしていれば、ある程度予期し、準備することは出来る。
 さて、いざ「ハードディスクの交換」となった場合、機器そのものが7,000円前後、交換費用は8,000円程度らしい。いま使っている機種は交換作業が非常に面倒らしいが、ネットで調べると、自分でやっている人も皆無ではない。
 予備パソコンが2台もあるし、ファイルのバックアップはこまめにとっているのでジタバタする必要はないが、覚悟だけは決めておかねばなるまい。

2008年1月17日木曜日

Win環境整備

 ガチガチに冷えた。札幌では2年振りの寒さだそうで、マイナス12.6度。我が家の近くのアメダスでは、明け方にマイナス19.4度を記録。今朝7時半に目覚めて室内の温度計を見たら、2階で16.6度しかなかった。外はまだマイナス15度。最近ではあまり記憶にない寒さだ。
 妻は早出とかで、この寒さの中をスタスタと徒歩で勤めに出かけた。生れも育ちも葛飾柴又近くであるが、26年も北国で暮すと、寒さにも慣れてしまうのか。気丈ですな。
_再び眠りについたら、2時間後に仕事の電話で起こされた。洗面所の室内パースで、「やれますか?」との打診。住宅のユーティリティの仕事は、4年前にかなり難しいのを手がけている。電話でいろいろ話すうち、「それではやりましょう」ということになった。

 当時のデータはそのまま保存してあるので、作業時間の短縮になる。苦手のはずだった室内パースも、それなりにこなせるようになってきた。週末のスケジュールが、めでたく埋まりました。


 Windowsパソコンの環境を徐々に整えていることはすでにふれたが、昨日から今日にかけ、ソフトとハードの両面でかなり進展があった。
 まず、画像閲覧と画像処理ソフト、テキストエディタのインストールである。続けてプリンタやスキャナ、デジカメ等のハードドライバーのインストール。幸いなことに、持っている周辺機器はすべてがWindowsでもそのまま使用可能だった。

 仕事で使う画像関係のソフトを同時に起動させると、かなりパフォーマンス(処理速度)が悪くなる。買ったWindowsパソコンのメモリは512MBで、調べてみたら、システムだけですでに半分も使っている。これでは遅くなるはずだ。
 メモリスロットには空きがひとつあるので、ここに全く同じ仕様のメモリをもう1枚増やそうというのだ。ネットで見つけた安い品をすでに注文済み。合計で1Gとなり、メインで使っているマックよりもはるかに多くなる。いまの私の使い方なら、まず充分な数値である。
_理想としては、Mac-OS9、Mac-OSX、Windowsのすべてを、同等の環境に整えたい。パソコン自体はすでに3台あって、3つのOSがそれぞれセット済み。仕事で使うためのソフトやハードの最低限の環境は、ようやく整った。
 残るはメール、音声処理、FAX、ワープロ、データベース等のソフトを整えること。フォントも一部そろえなくてはいけないかも。

 Mac-OS9はとても好きなOSだが、周囲の環境がそれを使うことを許してくれない。残念だが、徐々にMac-OSXとWindowsに移行させてゆくしか道はないようだ。

2008年1月16日水曜日

手製水盛管

 今日も断続的に雪が降り、近隣のアメダス積雪値もいつの間にか60センチを越えた。しかも、寒い。ここが去年の冬と違うところ。
 昨日、車庫梁のたわみ量を正確に調べようと「水盛管」という手製の水準器を外に出したが、あまりの寒さに内部の水が凍ってしまい、作業を断念した。
 今日の午後、準備を整えて再度測定した。中に入れる水もあらかじめ50度くらいに湧かしたお湯を使用。マイナス7度の寒さのなか、どうにか測定することが出来た。

 詳しい経緯は省くが、昨日は目視で「5ミリ程度」と出したたわみ量は、実際には6ミリであることが判明。ほぼ正確だったわけで、目視といえど決して馬鹿にはできない。
 たわみ量は積雪量と正比例するから、仮に現在の3倍の積雪になったとしても、たわみ量は18ミリ前後となり、セーフ。理論値と現実の値がほぼ一致することが分かって、かなり安心した。


「水盛管」は廃品利用の手製で、買ったのは内径5ミリのビニールホースだけ。ウッドデッキの基礎のレベルを正確に出したりする際に重宝する。外回りのDIYを本格的にやるなら、必需品だろう。買うと数千円もするが、自分で作れば数百円で済む。

 今回はスケール棒をさかさまにして梁の下端にあて、梁の端部と中央のレベルをそれぞれ測定した。拡大した写真は以下の通り。


 作り方を簡単に記す。

1)ペットボトルの底に3センチくらいの丸穴を開け、ヒモを通して逆さに吊せるように加工する。ここが水の注ぎ口となる。
2)ペットボトルの蓋にドリルで穴を開け、内径5ミリの透明ビニールホースの端部を差し込み、周囲をボンドで固定して水がもれないようにする。
3)適当な長さ(写真では1820)の棒にスケール等で目盛りをつける。壊れたスケールの目盛り部分だけを取り出して使用。面倒を覚悟のうえなら、スケールなしで、その都度棒に鉛筆でマークをつける方法もある。
4)透明ビニールホースのもう一方の端部を棒にテープなどで固定し、吊したペットボトルの中に水を注いでホース内の水の位置を読み取り、基準とする。
5)ビニールホースは長いほど遠くまでの作業が出来る。今回は10メートルとした。

 ホース部分とスケール棒部分とは別々に保管し、使うときだけテープで組立てる。

2008年1月15日火曜日

雪下ろしの判断

 雪がこの2日間で少し降った。我が家から最も近い、直線で約5キロの石狩市アメダス(気象観測)ポイントの数値で、50センチ強。昨秋に梁の緊急補修を施した車庫の屋根にも、写真のように雪が積もっている。
 反対の北側にはもう少し積もっているから、平均ではおよそ40センチほどか。設計値では1メートルまで大丈夫なことになっているが、試しに脚立に昇って真横から新設した梁のたわみ量を目で確認してみたら、ほとんどたわんでいない。せいぜい5ミリくらいだろうか?


 たわみ量の許容範囲は梁の用途で決まっていて、屋根梁の場合、長さの1/200かつ2センチ以下。我が家の車庫の梁長は4000なので、2センチを越えると危険信号となる。
 去年までの例では、積雪が1メートルを越すとたわみ量も1センチを明らかに越える。まだ余裕はあるが、毎年これを目安に、屋根に昇って雪下ろしをする。

 一昨年は雪が異常に多く、確か3度も車庫の雪下ろしをした。暖冬だった去年は、入居8年目で初めて一度も雪下ろしをしなかった。
 積雪荷重に対する設計値を上げてやれば、雪下ろしは必ずしも必要ではない。数年前、この地域の積雪設計基準値が1.4メートルまで上がったので、それ以降に作られた建物は、理論的には1.4メートルまで雪下ろし不要だ。

 実は昨秋の改修で梁を2段にしたので、以前よりも強度は1.23倍に上がっている。我が家の車庫でも雪下ろしは不要になる可能性もある。だがあくまでこれは「理論値」だ。
 現実に雪が積もって梁の状態がどうなるのか、目で直接確認したいが、この冬に1メートルまで積雪が進むかどうか、極めて微妙。雪まつりの声を聞くと、冬はほぼ峠を越えてしまうのが常だから。

2008年1月14日月曜日

新旧交代

 昨日ちょっと動き過ぎたので、今日は活動をやや自粛。久し振りに積もった玄関前の雪をどかしたり、昨日の作業で出た大量のゴミの始末をした。
 模様替えや引越しは、不要品を整理する絶好の機会だ。日々整理に努め、無用なものは極力買わない、増やさないを心掛けているつもりでも、いつの間にかモノが増殖してしまうのは、生きているうえで避けて通れない道かもしれない。

 設計事務所登録をしている関係で、頼んでもいない建築関係のカタログやサンプルが送られてきて、放っておくとどんどんたまってしまう。今回、不要と思われる古いサンプルやカタログ関係を、かなり処分した。
 去年処分した古いパソコン関係の機器や説明書の類いも多数発見。こちらも当然ながら処分のターゲットだ。


 その他、手描き時代のもろもろの機器がいろいろ出てきて、かなり整理した。さすがに10万近くもしたコンプレッサは処分できず、段ボール箱に入れて床下収納庫に「永久保存」することにする。
 26年前の脱サラ当時、最も高い投資をしたのがこのコンプレッサだった。当時は最先端だったエアブラシ描法も、いまや風前の灯。しかし、これで多くの仕事を得、たくさんのお金を稼ぎ出した。現在の私があるのも、このコンプレッサがあってこそ。故障知らずで、まだまだ現役ということもあり、とても捨てる気にはなれない。
 この日、ペン立てにずっと差したままだった2本のエアブラシ・ハンドピース(コンプレッサからの空気でインクを吹き付ける道具)も、一緒に片づけた。こちらも捨てずに、引出しの奥深くに密閉する。
 昨日から今日にかけ、パソコンの新機種と20数年大活躍してくれた古い道具との、まさに新旧交代が同時に行われた。時は常に前に動いていて、感傷にひたっている暇などないが、酷使に耐えてくれた道具たちには心から感謝したいと思う。

 あちこち片づけたせいで、家の中も心の中も、相当スッキリした。どこからか、新しい力が湧き出てきそうな気分もしてくるから不思議。
 パソコンの位置を換えたくらいで運気がすぐに急上昇するとは思えないが、掃除や整理整頓は大いなる気分転換となり、間違いなく運気を上げると私は信じる。

2008年1月13日日曜日

思い立って模様替え

「仕事部屋の模様替えをしよう」と、昨夜思い立った。きっかけは夕食後の妻との会話。
「仕事部屋に置いてあるコンプレッサ、もうずっと使ってないよね」

 そうだった。かってエアブラシ描画の心臓部として大活躍したコンプレッサであるが、CG主体になってからは全く出番がない。それでも何となく処分する気にはなれず、ホコリをかぶったまま、仕事部屋の中心に置いたままだった。
(そうだ、あれを片づけてしまおうか…)
 この際、ついでに仕事部屋を現状に即した形に、使いやすく配置換えしてしまおうと思った。

 妻が寝静まったあと、さっそく掘りごたつの中で、メモ用紙にサラサラとアイデアをスケッチする。途中、何度か2階に上がって、あれこれとメジャーで採寸。実際に引出しの一部を移動してみたら、なかなか具合がいい。
 いっそ深夜に大移動してしまおうかという誘惑にかられたが、ぐっとこらえて眠りについた。


 一夜明けると、外は吹雪まじりの荒天。外気温はマイナス5度あたりから、一向に上がろうとしない。珍しく休みで家にいた妻と買物に出かける予定だったが、あきらめて仕事部屋の模様替えにとりかかった。

_今回の目玉は、Windowsパソコンの位置を西側机の中心に置き換えることだ。正月のネット無料占いに、「パソコンの位置金運占い」というのがあった。さっそくやってみると、私の生れ年の場合、仕事に使うパソコンは真西が最もよい、とある。
 仕事のメインで使っているマックの位置は南と南西で、あまりパッとしない運気。去年の夏に買った仕事用のサブマシン、Windows機の位置は西~北西で、悪くない。もしかして、昨年後半の仕事運急上昇は、このせい?まさかね。でも、「イワシの頭も信心から」でアリマスし…。

 いざ始めてみると、単純な移動作業のほか、雑多な作業がいろいろ必要になった。天板の袖に使う二つの台の作り直し、Windows機の支持台作成。(中古なので附属してなく、これまで壁に立て掛けて仮使用)このほか、不要になった画材の廃棄やら、前述のコンプレッサの搬出と清掃など。
 あれこれ休みなく動き、ふと気づくと夜7時になっていた。ヘトヘトに疲れたが、この種の作業は本当に楽しい。始めるとやめられなくなる。
_完成後の仕事部屋は写真の通り。右側が真西で、Windows機がドンと居座っている。天板下の袖棚には、仕事用の用紙類が詰まっていて、いつでもプリンタやスキャナなどを置けるようにしてある。
 その左側、南角にある白いパソコンが、妻の常用しているマック。OS-Xが入っていて、プリンタやスキャナなどが常時使用可能だ。今回、足元のスペースを広くし、楽にパソコン作業が出来るように改造した。こちらも天板下に袖棚があるが、下段にはまだ何も入っていない。何を入れるか、ゆっくり相談しよう。

 一番左にチラリとキーボードだけ見えているのが、メインマシンのマック。OS9が入っていて、仕事も趣味も、まだまだこちらが主体である。

2008年1月12日土曜日

カレンダーを修正

 昨年末に買った今年のカレンダーに、結構大きな問題があることが判明した。まず1階居間用に買った花柄のカレンダー。
 月毎の見開き式で、大きさやデザインは問題ない。妻の嗜好にもぴったりだし、居間には機能性ばかりでなく、彩りも必要である。100円ショップでかなり迷ったすえの選択に、間違いはなかったはずだ。

 ところが、いざ使い始めてみると、致命的な問題を見つけた。日付の文字が細くて色が薄く、しかも小さい。近くから見る分には何ら問題ないが、壁にかけて少し離れた掘りごたつから眺めると、まるで読めない。買う際にデザインにばかり気をとられ、肝心なことを見落としていた。
 夫婦二人とも、眼はかなり悪い。しかも、室内では度の弱いメガネを常用している。壁に眼をやるたび、見えないことのイラダチが日々つのっていた。


 あいにく、適当な予備のカレンダーもない。いっそ買い直そうかと考えたが、年が明けてしまったいま、安くて自分たちの好みにピタリ合う品を探し出すのは、至難の技のように思われた。

 考えたあげく、(絵柄はそのままに、日付だけを見やすい文字に修正すればよいのでは?)と思い当たる。試しにパソコンでデザインに合う日付けを適当に見繕って印刷し、ノリで貼ってみた。すると抜群に見やすく、しかも貼り跡も気にならない。妻の評判も上々。
 そこでまずは3ケ月分の日付をまとめて修正した。写真のようにピンセットでチマチマと作業する根気のいる作業だが、すべて手作業で図面やイラストを描いていた頃をふと思い出した。たまには制作の原点に還った手仕事も、悪くはない。

 買い替えてしまえば済むことだったが、それでは納得できない性分。これで1階居間カレンダーの問題は解決した。
 残るは2階仕事部屋カレンダーの問題である。何とこちらも使い始めて気づいた。曜日の始まりが月曜日という、西洋方式なのだ。
 これまで月曜始まりのカレンダーを使った経験がなく、まるで慣れない。電話で納期の打ち合せをしていて、かなり戸惑う。
 予定表としては使っているが、トラブルを未然に防ぐため、横にもうひとつ息子が置いていったフツーの日曜始まりのカレンダーをかけ、納期の打ち合せはこちらを見ながら凌いでいる。

 しかし、やっぱりカレンダーはひとつのほうが便利だ。そのうちこちらも何らかの方法で、また直してしまうかもしれない。

2008年1月10日木曜日

クラフト印鑑ケース

 何年ぶりだかはっきりしないが、いつも使っている認印のオリジナルケースを、全面的に作り直した。基本的な仕様はこれまで通りだが、より壊れにくく、使いやすく改善した。
 写真の上段が真上から見たもの。まん中が蓋をとって中身を出したもの。そして下段が底の部分と上蓋である。


 本体には、FAXロール紙を使い切ったあとに残るクラフト紙製の芯を使っている。まん中にある空洞が印鑑の直径にぴたり合い、加工もノコで簡単にできる。
 直径18ミリ、蓋こみ全長79ミリ。以下、作業工程である。

1)木片を丸く削り、底にあたる部分にぴったり蓋をする。底蓋の内側にはあらかじめフェルトを丸く切ってボンドで固定しておく。これは印鑑の先端がぶつかって欠けるのを防ぐため。
 木片が中に5ミリほど食い込んだ位置でホワイトボンドで固定する。
2)底蓋が固まったら余った木材をノコで切り、紙ヤスリをかけて磨く。
(写真下段左)
3)上蓋を同様に木片を削って作る。内側がきっちりはまるよう、今回は布製の薄い絆創膏テープで補強した。
4)印鑑の長さと上蓋先端部が中に入る分の寸法を測り、本体の長さを慎重に決めてノコで切る。
5)切り口を紙ヤスリで磨いたあと、手垢止めの植物オイルを塗る。
(透明ニス等でもよいし、塗らなくてもよい)
 市販の印鑑ケースはどれも大袈裟で重たく、やぼったい。まるで使う気がしない。常時ポケットの中に入れて持ち歩く習慣があるので、軽くてかさばらず、しかも独自のデザインとなると、自分で作ってしまうのが手っ取り早い。
 最初にこのタイプを作ったのは、10数年も前だった。当初は底蓋に薄いビニールタイルを丸く切ってボンド固定していたが、定期的にはがれて補修が面倒だった。今回はその欠点を補正した。
 その他にも蓋の補強や底のフェルトなど、小さな改良を重ねている。

 以前に一度だけ、ある役所の窓口で、「そのケースはご自分で作られたのですか?」と興味深げに尋ねられたことがある。飽きるほど毎日ハンコに接している担当者でも、この種のクラフト紙系の手作り品は、極めて珍しかったようだ。
 布でもレースでも皮でもなく、廃物の紙筒を再利用しているところが大きなミソ。デザインコンペに出すような代物ではないが、紙と木を使ったいかにも私らしい手作り品であると、けっこう気にいっている。

2008年1月6日日曜日

こんにちは

 昨年の大晦日、買物に行く途中、通りのむこうから一人の女の子が歩いてくるのが見えた。年の頃、10歳くらいだろうか、黒い上下の防寒服を着た、ちょっとボーイッシュな感じの子。同じ町内の子であるらしいが、顔は知らない。
 ここまではよくある風景で、そのままツイとすれ違ってしまうのが常。ところがその日に限って、ある不思議な出来事が起こった。すれ違いざまにその子がすっと視線を私に合わせ、何のケレン味もなく「こんにちは」と挨拶してきたからだ。

 率直に打ち明けると、不意をつかれた私は一瞬ドギマギした。しかし、瞬時に体勢を立て直し、その子の眼を見つめ返して明るく応じた。
「こんにちは」
 10数年前に地域のサッカー少年団のコーチをやっていた頃は、近所を歩いていて顔見知りの子に出会うと、よく挨拶を交した。しかし、子育ても終り、サッカーコーチも引退し、その後家を建てて引越してからは、地域の子供と挨拶をした記憶はない。
 つまり、この日は10数年振りの「その日」だったわけで、私が年がいもなくウロタエた理由はそこだ。

 ちょっと感動するのは、その子が私の全く知らない子であったこと。相手が私をどこの誰であるか知っていたかどうかは定かではない。しかし、出会った道がおよそ90戸で形成されている閉ざされた街区であったので、おそらくその子は、(近所のオジサンだ)と判断したのだろう。
 あとで妻にその出来事を話すと、妻も以前に同じ風貌の女の子に突然道で挨拶されたことがあり、一瞬動揺しつつも、何とか挨拶を返したことがあるという。どうやらその子は、最近の子供に欠けている(つまりは、オトナにも欠けている)「パブリック・スピリッツ(公徳心)」の基礎をしっかり身につけているらしい。
 実は私も10歳くらいの頃から、同じように近所の人たちに道で出会うと、欠かさず挨拶をしていた。相手は大人なので、むこうから挨拶してくることはまずないが、どの大人でも必ず挨拶を返してくれて、とてもうれしかった記憶がある。
心をこめて壁にボールを投げると、同じような優しいボールが必ず返ってくる)といった確信を、人生で初めてつかんだ時期であったかもしれない。
 そのような習慣を身につけたきっかけは親ではなく、担任の先生のある言葉だった。

「小学校高学年にもなったら、近所の人に道で出会った時、挨拶するのが当り前の礼儀なんだよ」
 自分からすすんで挨拶するという習慣は、間違いなく私を変えた。格好よく言えば、「オトナへの道」を歩み始めたのだと思う。よい事を教わったと、いまでもその先生に感謝している。

 黒い服の女の子はどんな気持ちやきっかけから、近所の大人に挨拶する習慣を身につけたのだろうか。その子の心の内をちょっとのぞいてみたい気がする。世の中、悪い芽ばかりが育っているわけじゃないってこと。

2008年1月4日金曜日

マウス初め

 年賀状はまだポツポツと舞込んでくるが、正月気分はほどほどにし、「マウス初め」つまり、パソコンで今年初めて本格的に仕事で使う素材の加工をした。
 こまめにデジカメで撮りためた樹木や花の素材は数多くあるが、忙しさに追われると、つい手持ちの加工済みの物で間に合わせてしまう。
 加工済み素材は樹木と花だけで200前後あり、質量とも充分といえば充分。吟味に吟味を重ねた物ばかりなので、自分の描く住宅のイメージにもピタリ合う。

 しかし、「これでよし」と思った時点で、創造の道は行き止まり。趣味の音楽でも文章でも、仕事のデザインでもそれは同じ。常に「新しい何か」「人と違う何か」を求めてまい進することは、すべてのクリエイターにとって不可欠な心掛けではないか。


 それで思い出したが、年末に再放送されたバイオリニストの神尾真由子のNHK特集を録画しておき、年が明けてからゆっくり観た。彼女は20歳の若さで昨年のチャイコフスキー国際コンクールで優勝した天才だが、「人と同じことをやるのはイヤ」と、きっぱり言っている。
 特集の中で語られた数々の「語録」には共感できるものが多く、若くして秀でる人はさすがに違うなと感心させられた。いずれ別の機会に、このブログでも引用させていただく。
 昨年暮れに納めた仕事に、実はこの新しい素材を使った。写真の上が撮ったままの画像で、下がそれを加工してカタログの原稿として納めたCG画像。
 住宅の色とデザインから、紫系の花がどうしても必要となり、手持ちの素材に適当なものがなくて、未処理の画像を急きょ加工した。

 オリジナルは、近所のスーパーの店頭で春先に売られていた花を写したもの。不要な部分を切り取り、露出を住宅に合わせ、花のボリュームやバランスを切り貼りして調整すると、商品として初めて使えるものとなる。
 写す場所はこうした園芸市や、近所の庭や公園。幸いなことに、これまで一度も「写すな」と言われたことはない。
(もし何か言われそうだったら、「ステキなお庭ですね、ぜひ写真を撮らせてください」と断るつもり)

2008年1月3日木曜日

時に応じて使い分け

 食事も含め、ごくフツーの生活に戻った。ただ一人残っている末の息子は、友人宅で泊まりの新年会とかで、今夜は不在。

 年末年始の来客用に整えた家中の諸設備の総括をしてみる。

・脱衣室仕切り用ポール
 なかなか使い勝手がよく、予備の洗濯ポールとしても機能する。欠点は着脱式のポールがちょっとした拍子で落ちやすいこと。早いうちに修正しよう。
 仕切り用のノレンはベットカバーで間に合わせたが、シーチング等を買って専用品を準備したほうがよいかもしれない。

・2階予備寝室
 今回宿泊者が増えたので、ライブコーナーとして使っている6畳のスペースをノレンで二つに仕切り、予備寝室とする必要があった。家具を配置換えし、初めて末の息子に寝てもらったが、全く問題なく使えた。
 普段は別の用途で使っている物を3つ集め、寝室のアイテムとするのだ。
 まずはベット。いつもはライブ用の客席として使っているベンチだが、実は二つをぴったり合わせると、予備ベットとしても使える高さと大きさで設計してある。ここに予備の寝具を運んでセットする。
 仕切り用のノレンは、ライブ用の背景として使っている大きな布を2枚。これを脱衣室の洗濯ポールに通し、天井の梁に作った枠にはめこんだ。脱衣室仕切りと全く同じ手法だ。

 時に応じて別の用途にも使う。モノを増やさず、シンプル&ローコストに暮す極意である。


・麻雀卓
 年末のブログにも記したが、着脱式の脚はうまく機能した。脚は四隅ではなく、中央付近に最低限度の大きさで取付けたので、麻雀をやっていても足元がとても広く、動きが楽だ。
 役目を終えたいまはすでにバラしてしまい、ベットの下にしまってある。横にはコーヒーテーブル&増設テーブルの天板も並んでいる。次なる出番がきたときには、またどちらかを組立てて活躍してもらおう。

・外ムロ
 今回、缶ビールを500mlを中心に20本以上も買置きした。(一部は息子からのプレゼント)その他にワインやらジュース、牛乳など多数。普通の大きさの冷蔵庫がひとつしかない我が家では、とても全部が入り切る量ではないが、大半を外ムロに難なく収納。こちらも大幅な容量アップ対策がうまくいった。

・居間の電灯
 麻雀は居間の片隅でやった。掘りゴタツはそのままにしたので、空いている東側の床の上に雀卓を置いたが、唯一問題だったのは、手元の明るさ。壁際の場所が暗く、目が疲れるのだ。(場所決めでは、なぜかいつも私が壁際)
 昨秋の自宅コンサート後の茶話会のときも、テーブルを増設した際、同じ問題が起きた。今後の対策として、2灯ある居間のペンダントライトのうち、東側の1灯をこの種の非常時にだけ、90センチ移動できるようにすることだ。

 今日、いろいろ検討してみたが、天井に新たにフックを取付け、ライトのケーブルに着脱式の延長コードをつけてフックにかければ、たぶんうまくゆく。費用は数百円で済むので、早急に準備しよう。
 モノを極力増やさず、時に応じて機能的に使い分けるために。

2008年1月2日水曜日

寝かせてくれぬ夜

 遊び疲れ、飲み疲れで、昨夜は早めに寝たが、いろいろな事情で5度ばかり夜中に起こされた。

誰かのクシャミ
 年末の忙しさからか、風邪気味の人がいたらしい。誰かのクシャミの音で突然目がさめた。あくまでオープンな間取りを旨とする我が家では、寝室の仕切もあってなきがごとし。クシャミも寝言もツツヌケなのである。
 風邪気味なら暖まって普通に過ごせばよいものを、遊びのはずの家族麻雀が近来まれにみる激戦で、しかも皆が非常に強い。面白いことはこの上ないのだが、普段以上の長い緊張を強いられてしまった。そりゃ風邪も悪化しますって。

・夜中の地震
 初夢どころか、結構な揺れで起こされた。しかし、起きたのは私と娘だけらしく、妻や息子たちは、「そんなのあったのぉ?」。
 ま、多少の地震がきても安全なように配慮して設計はしてありますけどネ。


・夜中のオシッコ
 酒池肉林の日々のせいで、たちまち運動不足気味。つい最近も書いたように、怠惰な日常は、すぐさま我が健康を害するのだった。
 昨夜はなんと3度も夜中のトイレに立つはめに。
「そりゃ単にビールの飲み過ぎのせいでしょうが」という一部の声あり。

・除雪車の地響き
 昨夜未明から今朝にかけ、20センチくらいの雪が降った。札幌では一度の10センチの積雪があると、明け方に除雪車が出動する。地盤のあまりよくない我が家では、家全体がブルブルと震え、必ず目がさめてしまう。
 しかし、私以外の4人は、「そんなのあったのぉ?」。はてさて、神経は太いのがよいのか、細いのがよいのか…。
 そんなこんなで、今日はボーとテレビのラグビーを見たり、雪かきをして運動不足を解消したり、子供たちの初もうでの運転手を勤めたり、コーヒーを飲んだりして過ごす。いつものなら、「まだまだ正月だ!」とばかり、昼間からビールを飲んだりするのだが、身体のことも少しは考えて、自重。

 夕方、都合で早めに東京に戻る娘たちを、最寄りの駅まで車で送る。楽しい年末年始も一段落。寝室などをざっと片づけ、さて飲み直しましょうかと結局なる。残った末の息子を相手に、しばしまた飲む。
 明日から妻は平常勤務。私もボチボチ今年の仕事の下準備にとりかかるとしますか。

2008年1月1日火曜日

食べた飲んだ歌った

 食べて飲んで歌って遊んだ2日間が、夢のように過ぎて行く。

・大晦日の家族ライブでは10曲近くも歌う。
・その後、ビールを5人で5L近く飲む。肴はカニと生寿司。
(カニとビールは息子からのプレゼント)
・さらに家族麻雀を1時間半ほど。


・全員疲れきり、元旦は10時にようやく顔合せ。
・オセチ料理を肴に、ワインや日本酒などをまたまた飲む。
・その後、再び家族麻雀を2時間ほど。
・夜になってまたまたビールを飲む。

 テレビやネットはほとんどせずに、時がゆるゆると流れて行った。もしかして、束の間のパラダイス?