2025年4月27日日曜日

遅れてタイヤ交換

 金婚旅行やその後の連続弾き語りライブなどに忙殺され、夏タイヤへの交換が遅れに遅れた。街から雪はとうに消え、遠出の予定もない。早急に交換すべき時期で、ようやく重い腰を上げた。

 過去のブログ記事を参考に、昼食前のいつもより早い時間から作業開始。強い痛みは消えたが、用心して腰コルセットを装着した。
 春はタイヤローテーションを実施することにしていて、タイヤ内部に記した番号から、マイナス1したタイヤを装着する。
 十字レンチやトルクレンチの作業にもすっかり慣れ、簡単に終るつもりでいたら、知らず知らず腰をかばっているせいか、なんと交換だけで1時間15分も経過。腰の負担も考慮し、いったん昼食休憩とした。


 午後から残りの作業を継続。スタッドレスの溝に詰まった小石を取り除いたのち、冬の間に汚れたタイヤをブラシで水洗い。乾燥させている間に、車に付属のコンプレッサで空気圧の調整をする。
 以前はこの作業を自転車用の空気入れと空気圧計でやっていたが、シガーソケット接続の電動コンプレッサに変わってから、ずいぶんと楽になった。

 最後に距離計のひとつをゼロリセットして終了。およそ100km走行を目安に、トルクレンチでホイールナットの増し締めを行う。
 あれこれやって、結局2時間ほどもかけてしまったが、今回も怪我なく自力でやれて満足。

2025年4月26日土曜日

レンギョウが満開

 2日前の20度を超す陽気に誘われ、レンギョウの花が一気に咲いた。 まずまず平年並みのペース。
 西と東の両側に植えてあるチューリップは、まだ固いツボミのまま。土手では水仙の黄色い花が続々と開花しているが、我が家の水仙は例年咲くのが遅く、こちらもツボミのままだ。


 昨年、ひこばえから復活させて5年ぶりに2房だけ咲いたライラック、鶏ふんの肥料が効いたか、かなりの数のツボミを確認した。今年は期待できそう。
 我が家には植えてないが、散歩道にあるサクラも少しずつ咲き始めた。百花繚乱の北国の春である。

2025年4月23日水曜日

ステルス値上げ

 朝食で毎日飲んでいるアセロラジュース、1L入り99円で値段の割にビタミンC含有量が多く、加齢に伴う老人シミには効いている気がした。
 ところが、この1年の物価高でジワジワ値上がりし、一気に149円まで急上昇。別のスーパーを探すと、以前は119円だったのが129円に上がっていたが、149円よりかなりマシ。
 さっそくこちらに切り替えると、そのうちパッケージデザインが変わった。よく調べると、1L→900mlに容量が減っているではないか。

 単純値上げとステルス値上げのWパンチ。定番の1Lパック容量まで変えてしまうことに驚く。ここまでやるか?
 無策な政治の貧困を痛感するが、ささやかな抵抗&防衛策として、一度に飲む量を10%減らすことにした。やるせないね。


 ユルユルと春がやってきて、散歩道沿いにある森の片隅に、エゾエンゴサクとカタクリの花がひっそりと可憐に咲いていた。絶滅もせず、今年も同じ場所で律儀に咲くことに心がなごむ。

 カタクリは田舎に住んでいたころ、アク抜きしてお浸しにして食べたもの。ホウレンソウに似た上品な味がして美味しい。
 いまのところ誰にも摘み取られておらず、このまま毎年咲き続けて欲しい。

2025年4月21日月曜日

ボランティア懇親会

 新年度2度目の地区センター図書館、本修繕ボランティアの活動日。
 新年度からのルール変更に伴い、最初に「前回作業を終えた本」の棚から、自分のタグがついた本を取り出して修理状態を自ら点検する。

 大きな問題はなかったが、対象4冊のうち、辞典の1冊に一部ボンド固定の甘い部分を見つけて再修復。軽微だったため2時間で乾き、その後「修理完了の本」の棚へと移動した。
 分厚い小説は前回修理した箇所は直っていたが、別ページのノド部分に新たな剥離を確認。単なる見落としか、作業中に無理が働いて剥離に至った可能性もある。再度の修復を施し、「今回作業を終えた本」の棚へ移動した。やはり検本作業は必要のようだ。


 12時まで作業し、再補修を含めて計5冊を処理。この日は12時から別室で懇親会の予定があり、継続メンバー5名と新メンバー2名の全員がそろった。
 2階の料理室に移動すると、別スタッフ4名による昼食の準備がすでに整っていた。メニューはお好み焼きサンドで、皿に並んだ具材から各自が好きなものを選び、2種類の食パンにはさんで焼いて食べるという趣向。
 実は昨年6月にも同じ趣旨での「おにぎり慰労会」なるものが実施された。コメの急騰が世間を騒がせていて、価格が比較的安定している食パンを主とした食事会は、時期的にもタイムリーだった。


 参加者は昨年と同じく2つのボランティアメンバーが対象で、本修繕ボラから5名、読み聞かせボラから4名、両方をかねているボランティアが2名、スタッフ5名の計16名(女性14名、男性2名)である。
 私はウィンナー、ゆで卵、マッシュポテトを具に選択。サラダや珈琲もあって美味しく食べたが、今回は食事後の余興で私が歌うことになっていて、食べ過ぎは禁物だった。


 昨年の余興は読み聞かせボラによる紙芝居だったが、今年は予定がなく、私が「音楽ボランティア」として歌での協力を申し出た。
 メール連絡が不十分で正式依頼が届いたのは当日の朝。昨年の慰労会終了後に(依頼しようか迷った)と係員から聞かされており、演る前提で準備だけはしていたので、戸惑いはない。

 3日前に介護予防イベントで16曲歌ったばかりで、さすがに声に不安があった。翌日夕方まで喉を休め、試しに数曲歌ってみると声枯れはなく、演れそうだった。
 予め車に積んでおいた機材は、本修繕作業終了後に料理室へ搬入し、片隅にセット済み。全員が一通り食べ終えた頃合いを見計らって、12時55分から歌い始めた。


 負担を考慮し、最軽量の機材を準備。重いマイクスタンドは使わず、譜面台上部に自作の木製マイクブームと7インチタブレットの電子譜面ホルダを装着した。
 この簡易手法はチカチカパフォーマンスの最終年度で試していて、不安はない。

 PAはコンパクトで音はそれなりに響く「ヤマハMS101-2」を使用し、アルミ製三脚に止めた。8年前に予備として買い、メインPA修理中に本番でも何度か使った。出力10Wで、音は乾電池式のローランドモバイルキューブよりも安定していることを前日に確かめてある。
 マイクは正面の専用ジャックにつなぎ、エレアコのケーブルは背面のLINE入力に入れた。エフェクターは持参せず、リバーブなしの生音に近い感覚で歌うことに決める。


 発声練習は機材搬入時に車の中でバタバタと実施。15分4曲の予定が、2度のアンコールなどあって、25分ほどで6曲を歌う。

22才の別れ
 3日前の介護予防イベントのリクエストで3票を獲得していたが、同じかぐや姫の「なごり雪」が4票を得て、惜しくも歌えなかった曲。好きな曲で、路上ライブでもしばしば歌った。
 終了後に「あの曲、3日前に私がリクエストしました。聴けてよかったです」と、読み聞かせメンバーから喜ばれ、さらには本修繕メンバーの男性から、「あの曲と全く同じ実体験の思い出があって、泣けました」とも打ち明けられた。結果としてナイス選択だったらしい。

風がはこぶもの」(初披露)
 数ヶ月前に本修繕メンバーのKさんから、ぜひ聴きたいとのリクエストを貰ったが、あいにくレパートリーにはない。歌はともかく、ギター伴奏が苦手とするスリーフィンガー必須の曲で、ずっと避けていた。
 いい機会と考え、以降密かに練習を開始。Kさんも参加した介護予防イベントではリストになく、歌う機会がなかった。
 今回ようやく歌えて、3連符×4のスリーフィンガーもまずまずの出来。Kさんは大喜びで一緒に歌ってくれた。もしや深い思い出でも?と思いきや、単にハンマーダルシマーで練習を始めた曲だったのがその理由。いずれコラボ演奏?とのハナシもあり。

翼をください
 3曲目は昭和歌謡にするつもりで、介護予防イベントで2票を得た「恋のしずく」を当初予定していた。
 ところが開始前に係員のAさんから「リクエストは可能ですか?」との打診。別の場からのリクエストだけでなく、その場でもリクエストを募るべきか?と考え直して問いかけると、かのKさんからいきなり「翼をください」の要望。
 ジャンル的にはフォークだが他に声もなく、ジャンルを超えた楽曲ともいえるため、素直に応じる。新しい電子譜面ソフトの操作にも慣れ、この日はどの曲も短時間で譜面を探し当てた。

あの素晴しい愛をもう一度
 2年前に同じ地区センターでのロビーコンサートで、見届けてくれた本修繕メンバーのHさんから、終了後にリクエストを貰っていた。
 歌う前にMCでその経緯を告げると、本人はすっかり忘れていて、話すうちに思い出してくれた。求められない限り歌わない曲だが、シングアウトとしては向いている。
時代
 事前の係員Aさんとの申し合わせでは、4曲で終わりのはずだったが、終了の拍手がそのまま手拍子となって止まらない、という現象が発生。リードしているのが普段から共に作業をしている本修繕メンバーだったから、流れとしてはやむなし。
 すると、静かに聴くだけだったHさんから、突然「時代」のリクエストが出る。「演れますか?」と問われたが、過去に何度も歌っている得意曲。
 問題はラストとしては盛り上がりに欠ける、しんみりバラード系であること。しかしここでも素直に求めに応じた。

雨が空から降れば
 1曲追加で歌ったので、もうお役御免だろうと思いきや、場の雰囲気が微妙。(もっと聴きたい…)との気分に満ち満ちている。係員Aさんもそんな気分を察知していたが、場を取り仕切る責任もあって、板挟みになっている印象がした。
 そこで私から「責任者として、Aさんのリクエストはいかが?」と提案。するとAさんから「菊地さんが最も歌いたい曲を聴きたい」と、微妙な要望が出る。具体的な曲名ではなく、判断を歌い手に委ねて、場の収束をうながす意図を感じた。

 何を歌うべきかしばし考えていると、「以前に六文銭の及川恒平さんの時計台コンサートを企画したと聞いてます。その時の曲はいかがですか?」とAさんから提案された。言われて気づいたが、人生の節目節目で歌っている名曲が確かにあった。
 この曲が自分でも過去に覚えがないほど出来がよく、場は静まり返った。「時代」から続く聴き手の琴線に深く訴える曲調の流れもあったかもしれない。
 歌い終わると、一瞬エアポケットに陥ったような、不思議な感覚が場に広がった。折しも外には細い雨が、まるでしつらえたように静かに降っている。熱くなった場を収めるには充分な演出で、居合わせた全員が得難い時間を共有していた。
 この日は4月4度目となる過酷スケジュールのラストにも関わらず調子がよく、歌もギターも大きなミスなく演れた。
 旅の疲れもようやく癒やされ、基本となる心身の状態がよかったせいもある。いろいろな条件が整っていた。

 リバーブなしのPAは本当に久しぶりだったが、機器に大きく依存しないことで、新しい自分を見つけた気がする。機材が軽くなって、フットワークも向上する。今後の手法として、見直すべきかもしれない。

2025年4月19日土曜日

初小ネギで卵焼き

 このところの陽気で、西側の菜園に植えた小ネギ(細ネギ)が、いつの間にか食べ頃に育った。
 小ネギは好物で、新築1年目から種と苗の両方を植えた。途中、エゾヤチネズミの食害で瀕死の状態に追い込まれたが、数か所に分けて植えていたのが幸いして、かろうじて生き延びた。
 いま残っているのは、延々と25年続くその末裔である。


 さっそく摘み取って卵焼きに入れて食べた。春のエキスたっぷりで、美味しい。秋まで麺類のトッピングには不自由しない。

2025年4月18日金曜日

介護予防イベント再び

 先週に引き続き、「すこやか倶楽部」という札幌市介護予防事業イベントライブに出演した。
 依頼元や実施要領は先週と全く同じで、会場だけが変わる。事業の趣旨から、基本的に重複参加者はいない。

 先週は10時開始という難しいスケジュールだったが、今回は13時半開始という喉の調整がしやすい時間帯。13時に会場入りし、PA関連の設営と音出しのテストは問題なく終了。PAのボリュームは先週と同じ数値に設定した。
 出だしの集まりは悪く、会場は閑散としていたが、開始間際になって急増。参加者は全員が住所氏名を記帳し、マスク着用がルールである。(ライブ中の歌い手はマスク免除)


 その後も参加者は増え続け、開演までに50名を超えた。準備した椅子が足りなくなり、急きょ予備椅子が搬入された。
 時間ちょうどに開演し、係員の挨拶のあと、13時35分からライブ開始。休憩なしの1時間余で16曲を歌う。

《セレクトタイム》
「赤いスイトピー」「桃色吐息」「空港(二択)」「恋の町札幌」「荒城の月」「アメイジング・グレイス」「涙そうそう」

《リクエストタイム》(数字はリクエスト票数)
「なごり雪4」「ブルーライト・ヨコハマ4」「愛燦燦2」「サボテンの花3」「エーデルワイス2」「異邦人3」「つぐない5」「高校三年生4」〜「好きですサッポロ(アンコール)」


 歌い始めてからも会場を訪れる方が数名いて、最終的には60名近い集客となった。(今回も男性は2〜3名で女性が圧倒)この地区センターでは過去に14度歌っていて、名が知られているという背景もあったかもしれない。
 聴き手が多い割に場は静ひつだったが、曲紹介だけで会場が沸いたのは先週と異なる反応。

 調整のかいあって、喉の調子はまずまずだった。先週問題があったギターピッキングも無難にこなしたが、2曲で歌詞を一瞬見失ったのが反省点。おそらくは聴き手が多いことによる集中力の欠如で、「すべてよし」とは、なかなかならない。
 前半の構成は先週とガラリ変え、前会場のリクエストに応じた内容とした。曲紹介だけで会場が沸いた理由は、おそらくそこにある。
 後半のリクエストは昭和歌謡系がやや減って、フォーク系とJ-POP系が盛り返し、全体としてはいいバランスだった。
 予想を超える集客のせいか、音が場に吸収される感覚があり、数曲歌ったのちにPAのボリュームを少し上げた。

花束のプレゼンターと記念撮影

 時間通りに終えて、前回と同じく係員(女性2名)主導のアンコール。今回は完全な「お約束アンコール」で、準備していた「好きですサッポロ」を会場の手拍子で賑やかに歌う。

 終了後、「素敵な歌を贈ってくれたトムノさんに、こちらから感謝のお返しがあります」と、またしても係員からのサプライズ発言が飛び出す。これがなんと美しい花束だった。
 4月18日にちなんで、4番と18番の来場者にプレゼンターになってもらうという凝った趣向。この種のイベントで花束贈呈は稀なこと。完全ボランティアでの出演だったため、(もしや係員の自腹では…?)と心配になったが、野暮な推測というものか。
 いろいろあったが、10年前の出演依頼を2週に渡ってようやく果たすことができて、ホッとしている。

2025年4月15日火曜日

灯油消費 現状キープ

 今冬最後となる4度目の灯油を給油した。給油量は282.8Lで、前年同時期の279.2Lに比べて3.6L、1.0%の微増。灯油単価は先月と同じ高値安定の114.4円である。
 日平均消費量は4.79L/日で、前年同時期から2.3%の減少。

 支払額は32,352円で、前年同時期から3,176円の上昇。給油量は横ばいでも、前年同時期より単価が9.9円上がっているから、負担は増えた。過去4年のデータは以下の通り。(直近の石狩アメダス値を参照)

・2022.3:4.82L/日
 月平均気温0.8度、真冬日0日、日照時間138.6h
 年間灯油消費量 1137.4L
・2023.3:4.51L/日
 月平均気温2.6度、真冬日0日、日照時間177.6h
 年間灯油消費量 1107.8L
・2024.3:4.90L/日
 月平均気温−0.9度、真冬日4日、日照時間161.2h
 年間灯油消費量 1109.9L
・2025.3:4.79L/日→今回
 月平均気温0.3度、真冬日3日、日照時間107.4h
 年間灯油消費量 1112.3L


 例年この時期に締める年間灯油消費量は1112.3Lで、昨年とほぼ同じ数値に収まった。
灯油消費量には給湯分を含む)
(北海道の戸建て住宅平均値の72%)
 12月の低温傾向に続き、翌1月の暖冬傾向と、寒暖の出入りが極端な冬だったが、終わってみればごく平均的な灯油消費に収まった。

 年間灯油代は123,341円で、昨年の115,218円から8,123円の増。節約に努めて灯油消費量は現状をキープしても、単価がジワジワ上がっているから、それに応じて負担額は増える。
 弱者にとって破滅的な国際情勢と政治のあり様は、どうやら我が生命尽きるまで続きそうな気配が濃厚。

2025年4月9日水曜日

介護予防イベントで歌う

すこやか倶楽部」という札幌市の介護予防事業イベントで歌った。
 事の始まりは10年ほど前の地区センターイベントで歌ったときのこと。場に居合わせた見知らぬ方から「ぜひ介護予防事業イベントでも歌って欲しい」と声をかけられた。名刺を交換したが、その後具体的な話はなく、時が流れた。
 昨年6月に地区センターでトーンチャイムを使った介護予防イベントがあり、参加した折に過去の経緯を新担当者に説明し、改めて経歴書を渡した。

 今年1月に連絡があり、新年度最初のイベントで歌って欲しいとの出演依頼。推測だが、年度中のおよその予定は決まっていて、途中でのイベント割り込みは難しかったと思われる。
 演奏時間は1時間で、前半を私が選曲し、後半はその場でリクエストを募るという、過去に何度もやっている手慣れたパターンだった。
 会場は近隣地区会館と地区センターの2ヶ所。介護予防が目的の概ね65歳以上の元気な人が対象で、気軽に足を運べるよう、対象地域は比較的狭い。


 1月下旬に担当者と面談し、詳細を詰めた。長く使っている327曲のリクエスト一覧を渡し、前半の大まかな選曲も伝えた。

 年度が変わって、駅向こうの地区会館で第1弾が実施となる。過去に同じ会場で歌ったことがあり、場の様子は把握している。
 問題は時間で、苦手の午前中ライブ。開始の10時にあわせ、7時少し前に起きた。世間では普通の時間帯だが、宵っ張りの私には早い。しかし、起床後3時間を経ないと満足に声は出ない。
 9時半に会場入りし、ただちに設営。高さ50センチほどのステージがあり、相談の結果、ステージの上で歌うことに決まる。
 会場の広さはそれなりで、セット終了後、係員に最後尾で音の大きさをチェックしてもらった。以前にこれを怠り、後方の席が聞こえにくい、というトラブルをおこしたことがある。
 そうするうちに続々と人が集まってきて、多すぎると思っていた席は、開演前までに埋まる。数えてみると40名を超す盛況である。


 時間ちょうどの10時に開演。冒頭で係員の短い挨拶があり、盛況に感謝しつつも、「他の介護予防イベントにもぜひ足をお運びください」と、言い添えていた。
 10時5分からライブ開始。休憩なしの1時間で15曲を歌う。

《セレクトタイム》
「天使のウィンク」「さくら(直太朗)」「空港」「サン・トワ・マミー」「糸(二択)」「こんにちは赤ちゃん」「宗右衛門町ブルース」

《リクエストタイム》(数字はリクエスト票数)
「ラブ・イズ・オーヴァー4」「月の沙漠3」「五番街のマリーへ2」「川の流れのように3」「ブルーライト・ヨコハマ2」「蘇州夜曲2」「上を向いて歩こう2」〜「また逢う日まで(アンコール)」

 私の選曲による前半は、多ジャンルから「春」を意識してチョイスしたもの。地域に配られた案内書には「春のレインボーコンサート」とあり、「虹」→「7色」→「多ジャンル」と関連づけている。
 先週のグループホームライブでは旅疲れによる喉の不調を感じたが、その後黒豆茶や漢方薬等による懸命の調整が効いて、出だしから声はまずまず出た。

 会場に男性は3人で、圧倒的に女性が多い。介護施設のように同じ組織に所属しているわけでなく、そのせいか場は終始静ひつ。手探りの進行となったが、曲ごとの拍手は熱く、手応えは悪くない。アップテンポの曲よりも、バラード系の穏やかな曲に強い反応があった。
 場を和らげる工夫として、5曲目に二択リクエストを仕掛ける。フォーク2曲の選択で、拍手の多さで曲を決める趣向だったが、僅差で「糸」が「なごり雪」をおさえた。


 7曲歌って後半のリクエストタイムに突入。開演前に会場3ヶ所に拡大掲示されたリクエスト用紙には、すでに多数のマルがついていて、係員が曲別に集計し、ステージに届けられていた。
 リクエストが予想を超える多さで、急きょ休憩なしで進めることになる。2曲以上のリクエストがあった曲はペンで囲ってあり、その数だけでも15曲。全てに応えることはとても無理だった。
 3票以上のリクエストを中心に、ジャンルのバランスも考慮しつつ、その場の判断で歌う曲を決める。電子譜面ソフトを更新したせいで、検索に手間取る場面もあったりし、ぎりぎりの進行になってしまった。

 気持ち面での余裕のなさと、休憩なしの進行による体力面からか、「川の流れのように」でピッキング(アルペジオ)が怪しくなり、ついにはCmのコードを一瞬押さえ間違えた。
 長く歌っていない曲という裏事情もあったが、ピッキングの怪しさは先週のグループホームでも自覚した。今後にむけて、課題になりそうな気配濃厚。
 それでも場の反応は悪くなく、ラストの「上を向いて歩こう」では手拍子が自然発生し、共に歌う声も多く耳に届いた。
 時間ぴったりに場を収めると、最後尾にいた係員2名から、打合せなしのアンコールが飛び出す。いちおう準備だけはしてあり、定番の「また逢う日まで」をありがたく歌わせていただく。
 終了後、何人かの参加者から、ねぎらいの声をかけられた。ミスはあったが、声に関しては絶不調を脱したので、出来としてはまずまずだったと自己評価したい。

 帰宅後、集計されたリクエスト曲を詳細に検討してみたが、「ポップス系昭和歌謡26曲」「演歌系昭和歌謡26曲」「J-POP1曲」「フォーク4曲」「唱歌5曲」「洋楽10曲」〜合計72曲という内訳だった。
 昭和歌謡が70%以上と他を圧倒し、洋楽と唱歌が健闘。フォークやJ-POPが苦戦という意外な内容で、これが介護予防参加者の最新傾向なのか、9日後の別会場の動向も含めて、よく検討してみたい。

(2度目の介護予防イベントはこちら)

2025年4月8日火曜日

暖房ボイラ点火せず

 2日前の夜、夕食後にテレビを見ていたら、どこからかネコの鳴くような音がした。よくある冷蔵庫の霜取り音とは違い、いままで聞いたことのない奇妙な音だった。
 家中をあちこち点検したが、なにかのアラームが鳴っているわけでもなく、異常はない。アリやダンゴムシならともかく、布基礎に唯一空いている給気口からネコなど入ってくる可能性はゼロだった。

 不審に思いつつ過ごすうち、暖房ボイラの運転音が途切れていることにふと気づいた。室温もやや下がってる。リモコン表示を確認すると、「エラー10番」の表示が点滅し、運転が停止していた。
 あわてて取説を引っ張り出して確認すると、「疑似火災」「フレームロッド短絡故障」という、よくわからない内容のエラー表示だった。ネコの正体はこれだ。
電源ボタンを入れ直し、再びエラー表示が出るときは使用を中止して販売店に連絡を」ともある。
 指示通りに電源をリセットすると、何事もなかったように運転が再開。そのまま0時まで正常にタイマー運転を続けた。


 翌日も異常なくタイマー起動し、0時には正常に停止した。
 購入して丸9年が経過し、その間一度も故障はしていないが、暖房ボイラの寿命と言われる10年も間近。そろそろ故障してもおかしくはないが、もしや復活したのか?と思い始めた翌朝、起きると再び暖房ボイラが停まっていて、同じ「エラー10番」の表示が点滅中。
 先に起きた妻に確認すると、いつ停まったかわからないという。ボイラにふれるとまだ温かく、タイマー設定の7時に起動したのは間違いない。

 同じエラーで2度目の停止で、今度はリセットせずに修理を依頼すべきだった。朝食もそこそこに防災用のポータブル灯油ストーブを点け、まず販売店に連絡する。
 すると修理はメーカー専属のサービス店に直接連絡するのが最も対応が早いと、電話番号を教えてくれた。ただちに電話して症状を説明。30分後には「15〜18時の間に修理にうかがいます」と返答がきた。地元メーカーのせいもあるのか、対応が早い。


 幸いに冬はもう終わりかけていて、ボイラなしでもそう寒くはなく、暖房はポータブルストーブの断続運転で事足りた。
 16時に再度の連絡がサービス店からあり、16時20分には担当者が到着。ただちに修理にとりかかり、寿命がきていたフレームロッド一式と点火プラグを交換。30分ほどであっけなく修理は終わった。
 材料費と出張技術費を併せて、修理費は16,720円。支払いは持参の端末を操作してのカード払い。過去の各種修理では、現金の準備にあわてたこともあったが、時代は着実に進化している。

 新築時に設置のサンヨー製暖房ボイラも同じ9年目に電磁オイルポンプが壊れて交換している。12年目には温水循環ポンプが壊れ、16年目にとうとう現状のコロナ製に全交換した。果たして同じような道をたどるのか?あるいはもっと寿命が早まるのか?現段階では不明。
 いずれにせよ、10年を超えると交換パーツがいつなくなるかわからず、全交換に備えて、次なる製品の吟味や資金の心づもりをしておくべき時期のようだ。

2025年4月7日月曜日

新年度でルール変更

 新年度最初の地区センター図書館、本修繕ボランティアの日である。雪も街からほぼ消え、穏やかで過ごしやすい日和。
 9時半に到着し、参加者は継続メンバー4名、新メンバーが2名、計6名だった。先月の見学会に参加した4名のうち、2名は正式加入になるようで、ボランティア保険の書類も提出していた。

 さっそく作業に取り掛かろうとしたら、作業棚の様子がいつもと違う。3段の棚に名札が貼ってあり、上から順に「前回作業の終えた本」「今回補修対象の本」「今回作業を終えた本」と記載がある。
 係員からの説明で、新年度から各自が担当した本の修復後の状態を、本人が確認する方式に改めたいという。いわば「検本」のような概念で、これまでは係員がやっていたが、補修の責任範囲を明確にし、スキルを向上させるには必要な措置かもしれない。


「前回、自分がどの本を修復したのか、覚えていられない」との声がメンバーからあり、棚に並べるだけでは記憶に限界があるのは確か。
 台帳を作って記録するとか、補修した本に名前入りのしおりを挟むとかの案が出たが、どれも手間がかかりそうでスッキリしない。

 この種のことを継続させるには単純であることが必須。そこで数十年前から私が新聞&雑誌スクラップ整理でやっている「見出しカード方式」を提案した。
 大きめのカードの端部に見出しを記入し、カードの向こう側に情報を順に並べていく手法で、単純だがわかりやすく、検索も容易。
 今回の場合なら、担当者の分だけ記名入りのカードを作り、作業を終えた本を自分のカード横に並べるだけだ。


 ひとまずこの手法でやってみることになり、係員がさっそくA4大の厚紙をメンバー分だけ用意。端部に名前入りの見出しを貼り、図書室の作家別閲覧棚に習って、修理した本は右側に並べることに決まった。

 いろいろあって、実際の修理作業を始めたのは10時を過ぎていた。見返し部分の端部がはがれた絵本の修復に手間取り、ボンドを乾燥させつつ進めたこともあって、これだけで1時間が経過。
 ボンドが乾くまでの時間を使い、同時進行で別の本も修復。ノド部分(ページの谷間)のはがれ修復を中心に、計5冊を終わらせた。

 12時になって修理対象棚から本が消え、この日の全作業が終了。人手が多いとやはり捗る。
「今回作業を終えた本」の棚には、クリップでガチガチに固定された修理本があふれた。2週間後の次回、各自がクリップを外して検本し、問題がなければ通常閲覧棚に復活となる。

2025年4月4日金曜日

旅疲れ〜歌疲れ

 長く私の音楽活動を支えてくださる同年代女性のSさんから紹介され、Sさんと同じ町内にあるグループホームで歌うことになった。
 コロナ禍があけて以降、デイサービスや公的空間で歌う機会はじょじょに増えたが、やや介護度の高いグループホームで歌うのは久しぶりのこと。長いブランクで以前までの定番パターンが通用するのか、一抹の不安があり、事前にSさんと選曲に関して打ち合わせた。

 結果、「サン・トワ・マミー」「幸せなら手をたたこう」「星影のワルツ」「青い山脈」の4曲がリクエストとして挙がった。他3曲に比べて、「サン・トワ・マミー」だけがグループホームとしては異質の要望。熱いシャンソンファンが入居者にいるという。
 予想した通り、時の経過で嗜好はじわじわと変化しているようだ。

 開始は14時で、場所は過去に何度も歌っているSさん所属の町内会館そば。12時50分に家を出て、迷うことなく45分後には先方に着いた。

 会場となる2階の食堂に案内されたが、予想よりも狭く、廊下の一部にも椅子が並んでいる。あとで知ったが、階ごとに1ユニット7名の入居者がいて、食堂に多くの面積は必要ないらしい。
 スピーカーを後部の廊下に置くことで歌うスペースを確保。そうするうち、3階のユニットからも続々と人が集まってきて、聴き手は15名を超えた。
 予定よりやや早くライブ開始。先方の希望通り、30分で11曲を歌う。(※はリクエスト)

「北国の春」「おかあさん」「ソーラン節」「バラが咲いた」「南国土佐をあとにして」「幸せなら手をたたこう※」「荒城の月」「ろくでなし※」「星影のワルツ※」「月がとっても青いから」「青い山脈※」

「春メニュー」と称して最初に提示したセトリから、リクエストに応じて3曲を入れ替えた。
 最も早くリクエストのあった「サン・トワ・マミー」は、歌う直前なって入居者から「《ろくでなし》は演れないの?聴きたい!」との要望が突然出て、急きょ応じた。


 1週間前の金婚旅行疲れがまだ抜けきれておらず、数日前から声枯れ現象が起きていた。
 いつもなら黒豆茶を2週間飲んで喉の調整をするが、今回は旅のせいで期間が短い。やむなく前日から数年ぶりに喉の漢方薬「響声破笛丸」を服用。さらに「大根ハチミツ」も作って飲んだ。

 各種対策にもかかわらず、出だし数曲は調子が悪かった。喉が不調だとギターのピッキングまで怪しくなる悪循環。
 手探りの進行でも場の反応は悪くなく、自然発生の手拍子や掛け声がどんどん出てくる。それに後押しされるように、声もジワジワと復活してきた。
 尻上がりに調子を出し、盛況のうちに終了。アンコールの雰囲気もあったが、最初ということもあってか、居合わせたSさんが場を収めてしまった。
 撤収中に施設の担当者から、「7月にも同じ要領でやりたいので、歌いに来ていただけませんか?」と打診される。わずか3ヶ月後で間隔が短すぎる気もしたが、断りにくい雰囲気でフラフラと応じた。
 次回は夏の曲中心で構成するにしても、場の嗜好が定番の演歌&民謡系のほか、洋楽の求めもあって、調整に腐心しそうな気配が濃厚。新たに工夫する楽しみができたと、前向きに考えよう。

2025年3月31日月曜日

金婚旅行反省会

 我が人生でめったにないと思われる3泊4日の金婚夫婦旅から戻り、予想通りだったり思いがけなかったりした顛末を、反省をふまえて記したい。

《パック旅行》
 新婚旅行も含め、旅行代理店プランに完全に依存したパック旅行は、夫婦とも初の体験だった。

 事前の調査を充分にすれば、交通手段や宿泊地を選ぶ面倒がないのが最大の利点。個人では予約が難しい四つ星ホテルを確保できるのも、人によっては大きな魅力か?
(泊まる場所にこだわりがない者には、それほど意味はないが)
 欠点として、あまり興味がない場所に否応なく連れて行かれたり、逆に行きたかった場所が訪問コースに含まれていない問題がある。
 ただ、たいして関心がなかった場所が、行ってみると想像を超える魅力に満ちていた、などという嬉しい誤算もあり、一概に欠点とは言えない。ある意味、あなた任せのバクチ的な選択と言えよう。

 下調査に時間はかかるが、現地までの移動手段と宿泊先だけを確保しておき、その後の移動はレンタカーでやる方法がある。
 知らない道をナビ頼りで運転する気力体力が必須となり、事故リスクも増すが、行き先を勝手気ままに選べ、費用も安上がりかも?

《衣類と靴》
 時期的に温度差が20度近い地域を移動したため、衣類の調整には悩まされた。妻はジャンパー&ジャケット類を3着も持参したが完全に持ちすぎで、一部は旅行鞄の中でまさに「お荷物」と化した。
 私は着脱式のベスト型インナーがついた春秋物のジャンパー1着で通した。暑いときはインナーを外してベストとして利用し、うまくやり繰りできた。

 靴は歩き回ることを想定し、2人とも履き慣れたウォーキングシューズにしたが、これは正解だった。
 風雨に備え、私は帽子とストールを常用。妻は帽子を持参せず、ときに困っていたが、後半はフード付きのジャンパーで対応していた。

《カバン類》
 大型の旅行鞄を所有せず、新たに買うべきか迷ったすえ、一度も使っていないキャスター付きの中型カバンを選択し、2人分の衣類や洗面道具を収納。空港での移動時にはキャスターが活躍してくれた。
 妻が別の小さなリュック型カバンと、ハンドバック代りの小型ポーチを持参。計3つとなったが、妻のリュック型カバンが中途半端だった印象。もっと大きめのカバンにすべきだったか?

 非常用に持参した薄いエコバックは、暑くて脱いだ衣類やパンフレット類、土産物入れなどに活用。旅程をプリントした紙やパンフレット類はA4の透明フォルダに入れ、このエコバックに収納した。小さくたためて利便性が高く、肩にかけられて両手が空くのがよい。

各地で買い込んだ土産物

《PCスマホ関連》
 車での旅行には、いつもノートパソコンを持参する。3年前の8日間に及ぶ入院では、これにタブレットPCも加わり、ネットや電子本閲覧に不自由はなかった。
 今回は航空機とバスによる移動で、重さが問題になる。熟慮のすえ、3年前には持ってなかったスマホのみを持参することに決めた。軽くて機能的にもPCと遜色ない。

 普段はWiMAXによるWi-Fi接続で使っていて、旅行中Wi-Fiが自由に使えたのは宿泊したホテル内のみ。初日に今治の観光スポットでフリーWi-Fiに接続を試みたら、「通常とは異なるログインの試みをブロック」とGoogleから拒否メールが届き、接続は断念。
 以降は必要な新聞や訪問先のGoogleマップを出発前にホテル内で読み込んでおき、Wi-Fi接続なしで表示させて、ほぼ事足りた。
 倉敷での自由時間ではGoogleマップの詳細表示が必要となり、促されて一時的にモバイルデータ接続。帰宅後に使用量を調べたら計38Mに過ぎず、月に1Gまでの無料範囲である。結果としてネット関連はスマホのみで充分だった。

《記 録》
 写真はすべてスマホ内蔵カメラで撮った。予備としてデジカメも持参したが、使うシーンはなかった。
 2人のセルフ撮影に備え、組立式の自作自撮り棒も持参したが、スマホで撮ってくれる心優しき方が多数いて、こちらも使うことはなかった。

 細かい旅程は免許証などを入れてある小型のシステム手帳を使って、その都度鉛筆で記録した。帰宅後にまとめたブログは、この記録とスマホ写真に残ったタイムスタンプ、そして日時と場所の記録がある土産物店や飲食店のレシート類を元に書いている。
「トラベラーズノート」という専用の旅記録帳もあると聞くが、いまのところ自分には必要なさそう。

《健康対策》
 妻は膝、私は腰に問題を抱えていて、歩くことを強いられる旅行は大きな負担だった。対策として旅の出発時からそれぞれコルセットを装着し、冷湿布やバンテリンでの予防措置も毎日実施した。私が毎日課している各種ストレッチは、旅行中も欠かさなかった。
 おかげで4日間で42,019歩(約30km)も歩いたにも関わらず、大きな障害なしで過ごせた。

 毎日測っている血圧は旅行中はパス。妻は高血圧の薬を服用し、私は爪水虫の薬を塗布。洗面道具に入れてある常備薬のうち、初日にお腹の調子が悪くなって正露丸を2錠だけ飲んだ。
 2人とも万一に備えて旅行保険をかけて臨んだが、旅行中の健康状態は、おおむね良好だった。


《お土産》
 旅行計画はSNSを含めて一切告知していないが、旅行の緊急時連絡先は市内在住の長男に事前連絡して頼んだ。お土産は自分たちと長男一家の分だけで、1日目から目につくとこまめに買った。

 大半が食べ物で、「愛媛の海老ちりめん&せとかグミ&ゆずもろみ」「瀬戸田レモンケーキ」「小豆島オリーブチョコクランチ&オリーブナッツチョコ」「小豆島オリーブ素麺」「鳴門わかめの佃煮&青葉わかめ」といったところ。どれも美味しく、旅を思い出しつつ、楽しみながら食べている。
 このほか、倉敷物語館では私が妻に藍色の組紐で手作りした携帯ストラップを、小豆島オリーブ公園では妻が私に魔女宅ふうカエルの置物をそれぞれ買ってプレゼント交換し、金婚旅の記念とした。

《旅の総括》
 夫婦が金婚式を迎える確率は、31%だという。この数値は1975年以降、ほぼ変わっていない。(Google AIによる情報)
 実は私の両親もめでたく金婚式を迎え、子供たちで会費を集め、寿司店でささやかな記念の食事会をやった。35年ほど前のことで、当時は自分たちが金婚式を迎えるイメージを描くのは難しかった。

 5年前に夫婦で古希を迎えた際、子供たちが会費を出し合って函館家族旅行に招待してくれ、孫娘も加わって得難い時間を過ごせた。金婚式が間近に迫り、もし無事に迎えられたら今度は子供に頼らずに、自分たちで計画して金婚旅行をやろうと決めていた。
 3年前に人生2度目のガンに罹り、8日間の入院&手術。健康面で実施が危ぶまれたが、検診の徹底と日々の節制でどうにか現状を維持。無事にこの日を迎えることができた。
 目を閉じると瀬戸内の穏やかな海や街並み、そして美味しい食べ物がいまも脳裏に広がる。50年前の新婚旅行の思い出と同じく、今回の旅も我が生命ある限り、長く心に留まって明日を生きる励ましとなるに違いない。

2025年3月28日金曜日

金婚旅.4《渦巻いて旅仕舞い》

  (「金婚旅.3」からの続き
 金婚旅行最後の4日目。5:50に波音で目覚めてカーテンを開けると、鳴門海峡からまさに朝日が昇り始めたところ。旅の終わりを彩る、思いがけないご来光だった。
 未明に瀬戸内海地区でかなりの雨が降り、山火事が収束へ向かったことをテレビで知る。前日は添乗員の要望で折り畳み傘を携行しつつの観光だったが、結局雨には降られなかった。この4日間、天候にはまずまず恵まれた。


 7時からいつものパターンでバイキング朝食を食べ、8:55にホテル前を出発した。最終日の予定は少なく、バスの移動距離も短い。

 10分ほどで鳴門公園駐車場に到着。海岸に通ずるトンネルに高さ制限があり、土産物店が運行するマイクロバスに乗換えて千畳敷展望台に着くと、目の前に鳴門海峡が広がっていた。



 ここでの自由時間は30分。鳴門海峡にかかる大鳴門橋と、橋桁の間に渦巻く渦潮が見渡せるが、距離がやや遠く、展望台もそう高くないせいで、渦潮の豪快さを目の当たりにすることは叶わなかった。

 近くには渦潮を間近で見られる観潮船や、歩いて大鳴門橋の遊歩道を渡り、ガラスの床から45m直下の渦潮が望める大鳴門橋遊歩道 渦の道などもあったが、なぜか見学ルートには入っていない。
 2日目のしまなみ海道ウォーキングを終えたばかりで、似た企画を避けたのか?渦潮は高松に住んでいたときにも見逃しており、今回期待していたので残念だ。
 妻は諦めきれずに展望台にある望遠鏡から渦潮観察を試み、それなりに楽しんでいたのが救い。


 土産店で鳴門ワカメなどを買い込み、再びマイクロバスから大型バスに乗り継いで、この旅最後の訪問地となる大塚国際美術館へと移動。
 時計は9:45で、ここでの滞在時間は自由昼食を含めて3時間と長い。

 建物は急な傾斜地にあり、入口からまず長いエスカレーターに乗り、降りたところがB3Fの展示場になっている。古代の美術展示から始まり、階を上がるにつれ新しい美術展示へと変わってゆく趣向だ。


 1000点余の西洋名画を原画から直接スキャンし、特殊技術で陶板にオリジナルサイズで転写して焼いているという。フラッシュや三脚を使わなければ写真撮影もOKで、商業目的以外の使用も可。
 陶板製なので「触れてもよい」とのことだったが、ちょっと遠慮があって間近で観るだけにした。

 10時ちょうどから、仕切りや階段でざっくりと区切られたギャラリーを順に回る。B3F展示室は古代&中世美術の作品が中心で、とにかく広くて絵画の数が膨大。
 壺類に描かれた絵画もスキャンして展開され、平面で観られる工夫がしてある。古い美術品の知識はほぼなかったせいもあり、つい魅入ってしまう。一巡するだけで1時間が経過した。


 11時からB2Fへと移動し、ルネッサンス&バロックを中心に構成した展示室を矢印に従って回る。
「受胎告知」をテーマにした作品群から始まり、ボッティチェッリの「ヴィーナスの誕生」、フェルメールやブリューゲルの作品群など、好きな画家の作品が目白押し。

「最後の晩餐」「モナ・リザ」などの人気作品前ではボランティアガイドが説明していて、多数の見物者が集まっていた。人垣越しに作品は見届けたが、写真撮影はパス。


 B2Fを一通り観終わると、妻が「お腹が空いた」と訴える。時計はすでに11:45。朝食から5時間が経っていて、その間何も食べていない。
「とにかく観るだけ観て、昼食は空港に着いてからにしては?」と添乗員から提案はあったが、空腹でこれ以上歩けそうにない。

 展示室と屋外の睡蓮池の間に「Giverny カフェ・ド・ジヴェルニー」というカフェレストランがあり、ここで昼食をとることにした。

 ボッティチェッリの絵画を模したホタテ型の皿に盛られた「ヴィーナスカレー ¥1,100」を食べる。大盛りで具も多く、サラダや漬物もついていて美味しい。ようやく一息つけた。


 食べ終わって少し元気が出て、12:10からバロック&近代の作品が中心のB1F展示室へと移動。バスの集合時間は12:55で、残り45分しかない。
 ゴヤやゴッホ、ドラクロワの「民衆を導く自由の女神」、マネの「笛を吹く少年」、印象派の作品群、クリムトやムンクなど、馴染み深い作品を精力的に観て回る。好きなルノワール周辺が割と空いていて、じっくり観られてよかった。

 残り時間に追われ、最後に現代作品を展示する1Fに移動。ここでの作品は少なく、ピカソのゲルニカだけを見届けて見学終了とした。



 駆け足だったが、古代から現代に至るまでの美術作品を系統的に観られたのはよかった。世界各地に散らばっている著名な画家の作品が、まとめて観られるのも魅力。
 ただ、大きなサイズの絵にはつなぎ目があり、やはり本物とは異なる。サイズや色合いは実物同様に再現されているので、絵画の持つ空気感のようなものは、充分に伝わってくる。


 バスは時間通りに美術館を出発し、13:20には最寄りの徳島空港に着いた。添乗員が21人分のEチケットをそれぞれ手配してくれ、4日間を共にした運転手さんにも別れを告げて帰路につく。
 搭乗便はメンバーによって異なり、14:45に第1グループが日本航空で先発し、私たち新千歳空港グループは15:30出発のANA。
 行きは荷物を機内持ち込みとしたが、帰りは土産物でバックが膨らみ、サイズがぎりぎり。新千歳まで一気に運んでくれるというので、手荷物として預けることにした。

 風の影響で飛行機が遅れ、飛び立ったのが15:50ころ。乗り継ぎの羽田着陸間際にも風や空港の混雑でルート迂回を余儀なくされ、東京タワーの真上を通って20分遅れで到着。着陸場所がターミナルから離れていて、送迎バスに乗ったが、案内不足で乗り継ぎにちょっと迷った。
 最後の飛行機は羽田発18時。こちらも飛び立つまでにかなり遅れ、さらには山形上空あたりで経験したことがないほどの激しい揺れ。配られた珈琲がコップからこぼれ出すほどだった。


 最後でハラハラしつつも、20時に新千歳空港へ無事着陸。気温は3度で、出発時の徳島が19度だったから、一気に16度も下がった。
 手荷物を受け取るまでの時間に、妻は夕食を探しに出る。どうにかローソンで巻き寿司を入手し、格安駐車場の送迎バスに乗って、ようやく車までたどり着いた。冬衣に着替えるのも面倒で、20:40にそのまま出発。料金は4日で2,200円と、文字通りの格安である。

 暗い高速を慎重にひた走り、自宅到着が21:30。4日間暖房を点けなかったせいで、室温はわずか9度しかなく、暖房ボイラを最大にして終夜運転させた。
 記念すべき金婚旅行は数々の思い出を胸に刻み、こうして無事に終わりを告げた。

(4日目の歩数=10,490歩)
・4日間の総歩数=42,019歩(約30km)
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