2016年9月15日木曜日

旧友夫婦の訪問

 昨日の赤れんがアーティスト終了後、ただちに母の入院する病院へと向かった。思わぬ騒音トラブルで撤収作業が大幅に遅れたが、病院に着いてみると、まだ母は手術中だった。
 開始時から付き添っていた長姉の話によると、前の患者の手術が長引き、開始時間が予定より40分遅れの14時40分だったという。

 しばし病室で待つうち、ちょうど2時間後の16時40分に手術が無事に終わったとの連絡が入る。姉と共に手術室まで面会に行ったが、母は麻酔で眠ってはおらず、目を開いて我が子のことが分かっている様子だった。痛みを訴えることもなく、手術前よりも余程元気である。
 その場で主治医からレントゲン写真での説明を受けたが、手術は成功で、心配された骨の劣化もあまりなく、ボルトはしっかり固定されているという。患部の出血もほとんどなく、準備していた輸血も実施しなかった。


 その後病室に移動し、18時くらいまで見守っていた。母は心細かったのか、今夜は帰らないで欲しいようなことを訴えていたが、夜勤の看護師さんが現れ、母もウトウト眠り始めたのを機に帰ってきた。
 一夜明けた今日から、車椅子でのリハビリが始まる。立って歩けるようになるかどうかは、今日の時点でまだ分からない。ひとまずは手術が無事に終わったことを喜びたい。
 開けて今日、学生時代に弓道部で同じ釜の飯を食った旧友が、夫婦で初めて我が家を訪れた。転勤で関東や北海道を行ったり来たりしていたが、4年前にようやく最後の北海道勤務となり、直後にまず私たち夫婦が札幌近郊にある友の家を訪れた。
 友が今年4月に65歳を迎えるのを機に、仕事が週2回の契約社員待遇となり、暇ができたので、ようやく我が家を訪れたという次第。

 訪問は午前10時だったが、互いの健康問題や家庭事情など、あれこれ話して、あっという間に2時間半が経過。厳しい食事制限の関係で、昼食を共にすることは叶わなかったが、久しぶりに懐かしい時間を過ごせた。
 改めて思ったのは、悩みのない家庭などない、という単純な事実。一方で、捉え方ひとつで人生はいかようにも変わりうる、というのもまた事実に違いない。ヒトは自分で育つ。