2016年9月29日木曜日

妻がプチ旅行中

 昨日早朝から妻が東京方面へ2泊3日のプチ旅行中。姉妹に会うためだが、今回初めて格安チケットのバニラエアを利用した。いろいろ制限はあるが、千歳〜成田が7千円ほど。確かに安い。
 姉や妹が千葉、埼玉、東京にそれぞれ在住しているので、うまくルートを選べば、移動のロスも少ない。残りもそう多くはない人生、肉親にたまの顔見せも必要だろう。

 そんなわけで、3日間限定の独り暮らし。昨日は母の見舞いに行き、病室の冷蔵庫にジュースを補充したり、来月上旬に予定されている退院にむけて、細かい打合せをしてきた。
 足の痛みは訴えないが、左肘がベット昇降時にまだ痛むようだ。しかし、介助つきだがトイレは自分で行くし、リハビリを兼ねて、ナースステーションで包帯巻きを手伝ったりしている。まずまず順調な回復ぶりだ。


 ライブ機材の整備や生歌の練習などしつつ、食事の準備もやっているが、妻が煮物を一品作って出かけたので、あと一品を自分で作ればよい。
 昨日は納豆チヂミを、今日は高野豆腐の煮物を作った。妻は明日夕方に戻るが、肉野菜炒めを作っておくつもり。料理は苦手だが、必要に迫られると、それなりにこなす。要は慣れだ。
 夜は第11期チカチカパフォーマンスのミーティングで都心まで出かけた。

 今回のオーデションは飛び抜けてハードルが高く、パフォーマンス部門は11組中わずか2組の合格という厳しさ。いずれも2度以上受けたジャグリング系パフォーマーのリベンジ合格で、「一発合格」は余程のツワモノでなければ難しいようだ。
 4組受けた音楽系は全て不合格。年齢的にもジャンル的にも、「孤高の音楽系パフォーマー」といった自分の立場に変わりはない。今後果たしてどこまでやれるのか、限界を見極めてみるのも一興である。

2016年9月28日水曜日

タブレットで騒音測定

 このところ頭打ち感のあるチカチカパフォーマンスのライブ進行に関し、ちょっと思いついたことがあって、いろいろと画策中。

 他の場でも同じトラブルが起きているが、やっかいなのが音の問題である。PAを使った場合、音量に相当の配慮が必要だ。いっそPAなしの生音でやろうか…?と思い立ち、その場合の問題点を探ってみた。
 PAなしだと騒音問題は起きにくいはずだが、反対に音が小さすぎて、聴き手に全く届かない恐れもある。自分の歌唱がどれくらいの騒音レベルなのか?チカチカパフォーマンスでは事務局に騒音計が準備されているが、自宅で簡単に測定する手段はないか調べてみた。
 騒音計自体は1,500円くらいで売っていたが、(もしかしてスマホのアプリに騒音計があるのでは…)と調べたら、無料のがたくさんあって驚いた。
 スマホのアプリは手持ちのタブレットPCでそのまま使えるので、ユーザー評価の高いアプリを見繕ってダウンロード。さっそくセットし、自宅スタジオでいろいろ条件を変えて、自分の歌の騒音レベルを調べてみた。


 結果は以下の通り。(アルペジオは「雨が空から降れば」、ストロークは「また逢う日まで」でテスト)

・距離2M:76dB(アルペジオ)ー84dB(ストローク)
・距離3M:74dB(アルペジオ)ー82dB(ストローク)
・距離4M:73dB(アルペジオ)ー80dB(ストローク)
・距離5M:73dB(アルペジオ)ー80dB(ストローク)

 チカチカパフォーマンスでの騒音レベル基準値は、広場境界の円柱部分で80dBなので、ひとまずそれを基準に考えた。ストローク系の曲は生音でも、距離4M以内では基準値を超えることが判明。不思議なことに、4Mと5Mとでは値に大きな違いはなかった。
 4Mというと、私の歩幅68cmで6歩。現状の北4広場の場合、後方の円柱と広場境界にある円柱との距離が5.8Mなので、およそ2/3ほどの位置ということになる。
 アルペジオ系の静かな曲の場合、相当近づいても80dBを超えることはない。しかしストローク系の曲は普通に歌っていると60〜70dB台だが、サビの部分で声を張り上げると、途端にオーバーしてしまう。
(タブレットを斜めに立てて測ると、歌いながらリアルタイムで騒音値が見える)
 ギター単独の音ではどの曲でも基準値を超えることはなく、問題となるのは全てボーカルの音である。「弾く」だけなら問題ないが、「弾き語り」だと要注意なのだ。

 今回試した騒音計は誤差があまりないとの評価だが、狭い空間である我が家と広い地下広場とでは、違いがでる可能性がある。しかし、一定の目安にはなりそうだ。
 いずれにしても、PAなしの生音だと、歌う位置や曲のスタイルを調整すれば騒音トラブルにはなりにくいことが分かったので、次なる段階にむけて進みたい。

2016年9月25日日曜日

じわじわ燃えた

 市内にある有料老人ホーム誕生会イベントに出演。8年前にネット経由で依頼され、以後しばらく連絡が途絶えたが、忘れたころの5年後に2度目の依頼があった。その後年に1〜2回のペースで依頼が続いている。
 依頼のペースは施設によってさまざまだが、ちょっと珍しいパターンである。

 今回で都合5回目となるので、大きな緊張もなく臨んだ。当初はニギヤカ系の曲を好む場だったが、8年の間に微妙に嗜好が変わり、このところ叙情系の曲を好む傾向に変化した。推測だが、入居者や職員の入れ替りが背景にあるように思える。
 いつも同じように見えても、万物は常にゆっくりと動いている。
 場の分類としては完全に「傾聴型」で、構成もそれに沿った形で対応した。14時半から施設側のイベントがまず始まり、その後の余興が私の担当。14時45分くらいから始め、先方の希望通り、およそ40分で12曲を歌った。

「憧れのハワイ航路」「瀬戸の花嫁」「花笠音頭」「ここに幸あり」「上を向いて歩こう」「知床旅情」「秋の童謡メドレー:夕焼け小焼け・紅葉・赤とんぼ」「丘を越えて」「川の流れのように」「古城」「旅の夜風」「東京ラプソディ」


 セットは先日のお寺ライブ同様の切り口で、「参加型」の曲はほとんどない。「花笠音頭」は構成にメリハリをつける意図で前半に入れたが、手拍子等は全く誘導せず、「民謡は普通三味線や尺八の伴奏ですが、ギター弾き語りでも実は演れます。聴いてください」としか告知しなかった。
 結果として一部の方から手拍子は出たが、あくまで自然発生的なもの。ノリのいい場なら必ず飛び出す「チョイチョイ」の合いの手は、さすがに出なかった。

 手拍子やかけ声の誘導は一切しなかったが、曲によっては「ご存知の方は一緒に口ずさんでください」と歌う前に言い添えた。
 この声かけに最も反応があったのは、秋の童謡メドレー。多くの人が共に歌ってくれた。童謡は久しぶりに歌ったが、傾聴型の場には向いている。
 前半は静かだった場も、中盤過ぎから次第に乗ってきて、聴き手がじわじわと熱くなるのが歌っていて分かった。ラスト3曲ではそれが最高潮に達する。聴き手の気持ちを歌に集めるべく、歌いながら聴き手に目で語りかけるよう努めたので、その効果もあったと思う。
 反面、歌詞から目を離しすぎて、コードの一部をミスタッチした曲があった。手慣れた曲なら暗譜しているが、普段あまり歌っていない曲は要注意である。

 終了後、場にちょっと余韻が残ったが、この施設では時間厳守で、アンコールは一切ない取り決めがある。それでもわざわざ近くにやってきて、「よい歌をありがとうございます」と労ってくれた入居者の女性がいて、嬉しかった。
 冒険はせず、施設の意向に沿う形で無難にまとめたが、それなりに収穫もあった。

2016年9月23日金曜日

持て余すサンスベリア

 2年前の8月に一株だけ植えたサンスベリア、当初は葉が2本だけだったが、その後順調に育って次々と新芽も出た。
 今年に入って横方向にも新芽を伸ばし始めたので、4月上旬に大きめの鉢に植え替えた。
 新芽はその後も順調に育ち、ついには親株の丈を追い抜いてしまった。芽が出てわずか数ヶ月のことで、通風と陽当りが程よい我が家の環境が、余程気に入ったと見える。
 観葉植物が順調に育つのはうれしいが、その大きく育った新芽が自身の重さと高さに耐えきれず、最近になって根元から折れ曲がってしまった。
 サンスベリアはもともと根がそう深くない。このままでは枯れてしまうので、応急処置として家庭菜園用の支柱を2本立て、周囲をシュロ縄で囲った。

右側が成長著しい孫株

 調べてみると、2年前の購入時にあった親株からは5本の葉が出ている。そのうち、最大の葉が高さ70センチほど。確か1年後くらいに横に芽を伸ばした子株からは、大小2本の葉が出ている。最大の葉が高さ65センチほど。あくまで子株なので、まあこんなものか。
 ところが今年4月に別れた孫株には、すでに2本の葉がつき、どちらも大型。うち最大のものはすでに80センチを超す。孫株が親株やそのまた親株(祖父母株?)を軽々と追い抜いているのが現状で、正直いって、持て余し気味。

 今後の方針として、このまま育て続けるべきか、もっと巨大な鉢に替えるべきか、あるいは株ごと切り離して別の鉢に植え替えるべきなのか、判断に苦しむ。

2016年9月22日木曜日

縁に導かれたライブ

 ネット経由で依頼のあった札幌市内のお寺で歌った。お寺で歌うのは昨年1月に続いて2度目。今回は「秋季彼岸会(ひがんえ)」という、檀家を対象とした彼岸法要での余興出演である。
 打合せの過程で知ったが、宗派が母の生家と全く同じ浄土真宗。(母は寺の娘である)ルーツも同じ北陸地方で、不思議な縁を感じた。
 場所はこれまた偶然17年前まで住んでいたマンションの近く。よく買物に行った大型スーパーのそばにあった。
 先方の希望は正味1時間のライブで、介護施設と比べると長い。年齢層は70〜80歳といったところだった。初めての場でもあり、季節感にこだわらずに無難な定番曲で構成することにした。
「全員で歌える曲をぜひに」との要望があり、最近急増している歌声喫茶ふうの展開である。打合せの中で、「リンゴの唄」「星影のワルツ」「上を向いて歩こう」「青い山脈」の4曲を歌うことが決まり、歌詞は先方で準備していただけることになった。

 法要は13時開始で、私の出番は14時過ぎ。自宅からはやや遠いので、早めに出て13時40分に先方到着。鉄筋コンクリート造り3階建ての立派なお寺に驚く。


 控室でしばし待機のあと、14時10分くらいにステージとなる本堂に入る。手早く準備し、14時15分から始めた。
 アンコールを含め、休憩なしのぴったり1時間で16曲を歌う。

「北国の春」「瀬戸の花嫁」「お富さん」「二輪草」「二人は若い」「高校三年生」「荒城の月」「丘を越えて」「小樽のひとよ」「時の流れに身をまかせ」「知床旅情」
〜全員で歌声喫茶ふうに
「リンゴの唄」「星影のワルツ」「上を向いて歩こう」「青い山脈」
〜アンコール
「月がとっても青いから」
 聴き手は13名とやや少なめだったが、初めての場でも、昨春歌った市内のお寺でのコンサートと雰囲気に大きな違いはなかった。
 宗教的儀式の一環ということもあって、場は終始静ひつ。つまりは、「傾聴型」の場である。それを見越して、ニギヤカ系の曲は「お富さん」くらい。大半を叙情系の曲で貫いた。

 当初の予定では5曲目に参加型の「幸せなら手をたたこう」を準備していたが、場の雰囲気から難しいと判断し、「二人は若い」に差し替えた。かけ声での合いの手も、あえて求めずに歌う。
 前回も感じたが、お寺の本堂は天井高も含めて空間が大きく、歌っていてナチュラルリバーブが心地よい。


 静ひつではあったが、場の反応は決して悪いものではなく、純粋に歌を楽しんでいただけたと思う。後半に配置した歌声喫茶ふうの趣向も、共に歌う声がじょじょに増え、他のライブと変わりない一体感が生まれた。
 アンコールは特に打合せていなかったが、担当の副住職さんからの希望で、場の気分にも沿うものだった。

 あとで知ったが、弾き語りによる余興は、今回が初めての試みだったそう。お寺にも新しい時代の流れがきているように感じた。
 いくつかの不思議な縁に導かれたライブで、コツコツと長く活動を続けていると、道はしらずしらずどこかでつながっているのだと実感する。

2016年9月21日水曜日

大葉の佃煮

 8月の長雨と一転しての好天続きのせいか、家庭菜園の青シソ(大葉)がエラく元気がいい。ソウメンやスパゲティに添えたり、刺し身のツマに使ってみたりしても、とてもさばききれない。
 シソジュースにする考えもあるが、今回は初めて佃煮に挑戦してみることにした。


 ネットで参考にしたレシピでは、大葉が200枚だった。ざっと採ってみると、100枚で中型のボウルが一杯になった。初めてなので、まずは半分の100枚でやってみた。
 およその作り方は以下の通り。(注釈なき単位は大さじ)

・大葉100枚を洗って熱湯でゆがき、冷水で洗って手で絞り、ミジン切りに。
・酒0.5、みりん1.5、砂糖1、白ゴマ1.5、醤油50cc、鰹節1パックを鍋で混ぜ、大葉を加えて煮詰める。


 春先にときどき作るフキの葉の佃煮にレシピが似ているが、より佃煮らしい味に仕上がった。
 まだ味見段階だが、ご飯のおかずと酒の肴の両方にいけそう。長期保存も効くらしいので、大葉の育ち具合をみて、もう1回くらい作るかもしれない。

2016年9月20日火曜日

左肘も折れていた

 母の入院する病院から連絡があり、主治医からの話があるので、17時に来て欲しいという。水曜は病院の手術日で、手術の終わるこの時間が都合がいいらしい。

 このところ、毎日のように母に関連する用事に忙殺されている。昨日はライブ終了後に入院に関わる生活用品を届けてきたし、今日も実家近くの区役所で、介護認定の区分変更の手続きと高額療養費の申請をやってきたばかり。
 明後日もライブの予定があり、連続ではさすがにキツいので、長姉に頼むつもりでいたら、その時間は都合が悪いという。やむなくまた私が車を飛ばして行くことになった。
 出かける前に睡魔に襲われ、30分ほど仮眠。身体は休息を求めているが、現状で代りをやれる人間はいない。

 出たついでに、安売りスーパーに寄って食材を調達し、ホーマックにも寄ってボタン電池やニッカド電池等のリサイクル処理を依頼。情報が極端に少ないが、ここで回収してくれることを、ようやく突き止めた。
 ボタン電池は1個ごとにセロテープで包む必要があったが、先方で代りにやってくれるという。まるで地獄で仏に会ったよう。思わず最敬礼してしまう。


 17時10分前に病院に着き、高額療養費の証明書を窓口で提示し、手続き終了。その後入院病棟へと回り、まず病室に行ったら、見知らぬ人がベットにいて驚かされた。
 看護師さんに確かめると、手術後1週間が経ち、経過も順調なので相部屋に移ったという。母はうつらうつらしていたが、ちょっとだけ声をかけて、主治医との面談に向かった。
 股関節の術後経過は順調で、リハビリも予定通り進んでいるが、左肘がいつまでも痛がるので再度レントゲン撮影してみると、こちらも折れていたという。程度はひどくなく、手術も必要ないが、むこう1ヶ月はギブス固定するそうだ。
 撮影方向によっては折れているのが分からないことがあるそうで、別角度から撮って、ようやく分かったという。単なる打撲にしては痛がるので、不思議に思っていたが、ようやくナゾが解けた。

 リハビリが順調に進めば、誰かに支えられて歩けるようになる可能性も高いというが、サポートなしでトイレに行けるようになるかどうかは、微妙な状況らしい。
 介護認定の区分変更が済めば、いまの施設でも対応はしてくれる。退院はどうやら10月までずれこみそうな気配。退院後も患部の確認のため、定期的にレントゲン検査に通う必要があるらしい。落ち着かない日々は、まだまだ続く。

2016年9月19日月曜日

忘れた頃にチカチカ

 2ヶ月ぶりにチカチカパフォーマンスに参加。広場の割当て自体が少なく、1週間前までにはほぼ予約で埋まる、という状況がこのところ続いていたが、3連休のラストに当たるこの日に限って、珍しく空きがあった。
 9月の敬老関連ライブが例年より少なめで、このところ力を入れていた赤れんがアーティスト広場も、すでに今シーズンの事業は終わった。休日のチカチカパフォーマンスは不得手としているが、次回いつ演れるか全く分からないので、2日前になって急きょエントリーを決めた。
 都心近くの駐車場から20分ほど歩いて広場に向かう。共演のマジシャンがすでに会場入りしていて、ちょうどパフォーマンスを始めたところ。機材を組み立てて写真など撮り、静かに出番を待つ。
 14時5分くらいから始めて、約30分で8曲を歌った。(※はリクエスト)

「冬が来る前に」「少年時代」「終着駅」「わかって下さい」「銀色の道※」「君恋し※」「熱き心に※」「夏の終わりのハーモニー※」


 赤れんがアーティストと違って、パフォーマンス時間は30分以内に限定される。気ままな進行は許されず、起承転結をある程度は意識する必要がある。しばし遠ざかってはいたが、すぐに感覚は取り戻した。秋に関わる歌を中心に歌い進む。

 騒音トラブルがここでも例外ではなく、今回は普段よりもPAのボリュームをさらに3割ほど絞り、置く位置も通りから遠ざけた。反対に立ち位置はやや前にして、どちらかといえば生音に近いイメージで歌ってみた。
 事前に自宅で何度かテストしたこともあって、この試みはある程度成功したように思える。
 1曲目から立ち止まる人はそれなりにいて、4曲目の「わかって下さい」を歌い始めると、ときどき聴いてくれる若い男性が目の前に立つ。てっきりネットで私のエントリーを調べたのかと思い、歌い終えて確かめると、単なる偶然だという。
 最初の出会いでCDを買ってくれて、ツイッターでも相互フォローしている。若さに似合わず懐メロ系が好きな方で、その後3曲をその男性のリクエストで歌う。

「銀色の道」では10名くらいの人が集まってきて、終わると盛大な拍手。チカチカで拍手を貰うのは、随分久しぶりのような気がする。結果としてこれがこの日最高の集客だった。
 ラスト近くで現れた同年代の女性からは、季節にピッタリの「夏の終わりのハーモニー」のリクエストが出る。久しぶりに歌ったが、なぜか気持ちが入って、満足のゆく出来。女性にも大変喜んでもらえた。


 場をマジシャンに譲って機材を片づけていたら、「熱き心に」を熱心に聴いてくれた女性が「差し入れです」と紙袋を差し出す。なんと、地下街にあるカフェの本格珈琲だった。
 先週の赤れんが広場でのシイタケに引き続き、品物での差し入れ。投げ銭やCD購入も嬉しいが、食べ物関連の差し入れには、ちょっと別の有難味を感じるから不思議。
 大いに気をよくし、35分後の15時10分くらいから第2ステージ開始。25分強で8曲を歌った。

「ボラーレ」「ビリーヴ」「君をのせて」「いちご白書をもう一度」「糸」「異邦人」「恋の町札幌」「時の流れに身をまかせ」

 第1ステージが思いがけない手応えだったので、さぞや第2ステージも…、と期待して歌い進んだが、反応があったのは2曲目まで。以降は立ち止まる人が皆無というスランプに陥り、カンフル曲を続けたり、演歌系への路線変更を試みたりしたが、閑古鳥状態は最後まで変わることがなく、そのあまりの落差に、さすがに力が抜けた。
 この日は都心近くの病院に入院している母に届ける品があり、早々に打ち切って撤収することに。
 長く続いたチカチカでの頭打ち感に、ようやく光明が見え始めたと一時は思ったが、後半でまた逆戻りしてしまったようだ。
 ただ、PAの音量設定と立ち位置に関しては、今後につながる成果があったように思える。割当枠減少の関係で、次回演れるのは来年になるかもしれないが。

 この日共演したマジシャンはパフォーマー最年少の現役高校生だったが、巧みなトークと技で上手に人を集めていた。若い力の台頭を実感する。
 チカチカパフォーマンスでの自分の役目はもう終わった感がしないでもないが、ライセンスの残る来年3月までは、あと何回か歌ってみる。

2016年9月15日木曜日

旧友夫婦の訪問

 昨日の赤れんがアーティスト終了後、ただちに母の入院する病院へと向かった。思わぬ騒音トラブルで撤収作業が大幅に遅れたが、病院に着いてみると、まだ母は手術中だった。
 開始時から付き添っていた長姉の話によると、前の患者の手術が長引き、開始時間が予定より40分遅れの14時40分だったという。

 しばし病室で待つうち、ちょうど2時間後の16時40分に手術が無事に終わったとの連絡が入る。姉と共に手術室まで面会に行ったが、母は麻酔で眠ってはおらず、目を開いて我が子のことが分かっている様子だった。痛みを訴えることもなく、手術前よりも余程元気である。
 その場で主治医からレントゲン写真での説明を受けたが、手術は成功で、心配された骨の劣化もあまりなく、ボルトはしっかり固定されているという。患部の出血もほとんどなく、準備していた輸血も実施しなかった。


 その後病室に移動し、18時くらいまで見守っていた。母は心細かったのか、今夜は帰らないで欲しいようなことを訴えていたが、夜勤の看護師さんが現れ、母もウトウト眠り始めたのを機に帰ってきた。
 一夜明けた今日から、車椅子でのリハビリが始まる。立って歩けるようになるかどうかは、今日の時点でまだ分からない。ひとまずは手術が無事に終わったことを喜びたい。
 開けて今日、学生時代に弓道部で同じ釜の飯を食った旧友が、夫婦で初めて我が家を訪れた。転勤で関東や北海道を行ったり来たりしていたが、4年前にようやく最後の北海道勤務となり、直後にまず私たち夫婦が札幌近郊にある友の家を訪れた。
 友が今年4月に65歳を迎えるのを機に、仕事が週2回の契約社員待遇となり、暇ができたので、ようやく我が家を訪れたという次第。

 訪問は午前10時だったが、互いの健康問題や家庭事情など、あれこれ話して、あっという間に2時間半が経過。厳しい食事制限の関係で、昼食を共にすることは叶わなかったが、久しぶりに懐かしい時間を過ごせた。
 改めて思ったのは、悩みのない家庭などない、という単純な事実。一方で、捉え方ひとつで人生はいかようにも変わりうる、というのもまた事実に違いない。ヒトは自分で育つ。

2016年9月14日水曜日

盛り上がって凹んだ

 今月2度目の赤れんがアーティスト広場に参加。時間はいつものように13〜16時だが、今回は広場内で「北のめぐみ愛食フェア」が同時開催されている。たくさんの農水産物直売テントが出店し、人出も多い。
 担当部署で手続きを済ませ、いつも歌っている北側の大木の下に行ってみると、目の前に餅つきのブースが設営されていて、ラジカセから民謡のような歌がエンドレスで流れている。餅つきイベントは14時半開始だったが、このまま歌い始めると、明らかに音がケンカしそうだった。

 責任者の方を探しだし、事情を話して歌ってよいかどうか確認する。14時半まで私が歌い、その後は30分間餅つきイベントを実行。私が歌う1時間は、ラジカセをオフにしてもらう要望を出したが、イベント前もできれば民謡は流し続けたい、というのが先方の希望だった。
 両方とも北海道知事の許可を得ているイベントだが、ここは譲り合いの精神が肝心だ。設営が簡単な私が譲歩することにし、反対側の南側角に移動して歌うことにする。


 今回もまた開始時に手間取ってしまい、歌い始めたのは前回と同じ13時40分から。まず1時間歌い、10分の休憩をはさんで、さらに40分歌った。終了は15時半。あわせて27曲ほどを歌ったはず。

《前半》
「夜空ノムコウ」「ワインレッドの心」「わかっているよ」「わかって下さい」「パダン・パダン」「バラ色の人生」「恋人よ」「心もよう」「オー・シャンゼリゼ」「つぐない」「恋の町札幌」「ダニー・ボーイ」「聖母たちのララバイ」「エーデルワイス」「ドミノ」「ケ・セラ・セラ」
《後半》
「古城」「Godfather愛のテーマ」「五番街のマリーへ」「恋心」「ボラーレ」「マイ・ウェイ」「ビリーヴ」「風来坊」「大空と大地の中で」「傘がない」「抱きしめて(オリジナル)」
 11年前の初期活動時も含め、南側角で歌ったことは一度もない。道路や建物の配置が微妙に違っていて、人の流れもよく分からない。隣にある出店にまず挨拶をし、手探り状態で歌い進んだ。
 小樽運河用のメニューをベースにしたが、この日は意識して洋楽を多く歌った。赤れんが本館がそもそも洋館なので、洋楽が似合うのではないか…、という漠然とした思いからだったが、この読みはある程度当たった。


 通路が大通り公園に間接的につながっているせいか、思っていたより人通りが多い。北側のように建物をさえぎる大木がないのも、陽射しが弱まったこの時期には開放的で、逆に歩きやすいのかもしれない。

 出だし数曲はやや苦戦したが、聴いてくれる人は終始耐えることがなく、曲によっては10名を越えた。曲が終わると拍手をもらうことも多数。「ダニー・ボーイ」「エーデルワイス」「Godfather愛のテーマ」「ビリーヴ」「風来坊」「大空と大地の中で」等の反応が特によかった。
 隣の出店の方にもすっかり気に入ってもらい、「投げ銭代りに」と、売り物である生シイタケを1パックいただく。ありがとうございます。
 初期のころも含めて、過去最高の手応えで気分よく撤収にかかっていたら、目の前に道職員らしき男性が不意に立って、私の名前を確認する。何か問題でもあったのかと思い、道知事の承認を受け、事前に届けも出して歌っていますと応えたら、実は隣にある道議会から音のクレームが出ている。あとどのくらいで終わるか?との質問だった。
 どうやら議会の守衛のような立場の人らしい。隣にある白い建物が議会だったとは初めて知ったが、まさかそんな場所からクレームが出るとは、夢にも思わなかった。

 もう歌は終わりましたと告げると、それならいいんです。別に菊地さんが悪いというわけではないですから、と男性は去った。
 直後に、今度はアーティスト事業を取り仕切っている部署の係員2名が現れた。内容は同じで、どうやら担当部署にも同じクレームが入ったらしい。使っているPAや音量のことを尋ねられたが、すべてオーディション時に持参した乾電池式PAで、音量もマーキングしてあり、問題になるようなものではなかったはず。急に場所が移動になった事情も説明し、納得して貰った。
 台風被害の緊急対策で、議会がピリピリしていることも背景にあるようだった。一般市民には大受けの路上音楽でも、議事進行の面では騒音そのものだったかもしれない。
 万一、次回以降に同じトラブルが起きた場合、音量を大幅に下げるなどの対策を取ることで落着。あとで調べてみたら、この日が本会議の2日目。歌っていた場所と最短の窓とは50Mほどの距離で、クレームになってもおかしくない。

 音量の問題は出にくい場だと思っていたが、状況次第ではクレームに発展することを知る。ライブが首尾よく運んだ直後のことで、ちょっと気持ちが萎えた。
 平日にパフォーマンスする場合、入念に事前調査し、議会開会時にはライブを避けるか、演る場合は場所の設定や音量に相当の配慮が必要のようである。

2016年9月13日火曜日

母の骨折治療方針

 9/9に施設内で転倒して股関節を傷めた母だったが、一晩様子をみた翌日になって、熱が出てしまった。再度医師に相談した結果、熱はおそらく骨折からくるもので、悪化している可能性が高い。入院施設のある大きな病院で診てもらったほうがいい、との忠告。
 あいにく土曜日で、紹介された都心の病院には、緊急患者として救急車で来るように言われた。これが9/10の話。

 入院はお昼近くだったが、私は介護施設のライブ予定があった。市内に住む長姉に立ち会いと手続きを頼み、終了後ただちに病院へと向かう。その日は入院と患部のレントゲン撮影のみで、翌日から各種検査が始まった。
 今後の治療方針に関し、主治医からの説明があるというので、午後から病院に出かけた。
 結論から言えば、最もリスクの少ない治療手段として、手術を選択することになった。なにもせずに安静を1ヶ月以上保つ温存療法は、筋力低下、床ずれ、肺炎、せん妄などの合併症のリスクが高まり、ましてや現状の施設(住宅型有料老人ホーム)では、介護のバックアップ体勢にも限界があって、多くを期待できない。

 当初ヒビだけと思われた患部は、その後の検査で完全な骨折と判明。ただ、骨折の程度はそう重大ではなく、早めの手術で患部をボルト固定すれば痛みは解消され、その後のリハビリによって、歩行能力はある程度の回復が期待できる、という医師の診断だった。

かなり遅れたが、ようやく庭の枝豆が食べごろに

 札幌でも歴史ある大きな病院なので、基本的にはお任せしたい、というのが私や姉たちの総合的な意見。ただ、高齢なので患部が治っても、元通りに歩けるようになるのは難しいかもしれない、とのことだった。
 仮に歩けるようになったとして、再び転倒して骨折すると、今度は寝たきりになる可能性が高いという。車椅子生活を選択するのが安全で、いまの施設でもそうした生活を続けている人は多数いる。しかし、じっとしているのが苦手な母に、果たして自由度の低い車椅子生活が耐えられるのか…?

 あれこれ考えても仕方ないが、今回で3度目の転倒も、元はといえばあちこち動きまわる母の性癖がもたらしたもの。多少は不自由でも、リスクが少ない生活を選ぶのが賢明かもしれない。
 ともかくも同意書にはサインしてきたので、手術は明日行われる。大きな危険はない手術だが、全身麻酔に近い形で行われ、骨の密度の状態が開けてみないと分からないそうで、不安が皆無ではない。
 明日はまたしてもライブの予定とぶつかってしまい、前半は長姉に立ち会いを頼み、後半に病院で合流ということになる。手術が無事に終われば2〜3週間ほどで退院の見込みだが、しばらくは落ち着かない日々が続く。

2016年9月12日月曜日

懐メロ歌声サロン

 車で10分ほどの距離にあるデイサービス敬老会で歌った。昨年9月にネット経由で初めて依頼があり、クリスマス会にも続けて招かれた。今回が「高くて険しい3度目の依頼」で、大きな壁をひとつ越えた。

 過去2回では、しっとり叙情系の歌が好みなのか、はたまたニギヤカ手拍子系の曲がいいのか、いまひとつ聴き手の傾向がつかみきれなかった。つまり、場が傾聴型なのか参加型なのか、まだはっきりしないということだ。
 そこで3度目となる今回は、手拍子系と叙情系の曲を交互に歌うという安全策で対応することにした。
 担当のHさんの希望で、全曲の歌詞を事前にプリントアウトし、聴き手に配って一緒に歌ってもらう、という趣向をこらしたいという。数曲の歌詞を配り、共に歌ったことはこれまでもあったが、全曲というのは初の試み。
 しかし、最近の傾向として、かっての歌声喫茶ふうの場作りがあちこちで試みられていて、中高年を対象に活況らしい。自分で歌集を作るには手間や経費もかかるが、今回は施設側でそれをやってくれるという。願ってもない話で、多少の不安はあったが、すぐに応じた。


 開始は14時10分の予定だったが、直前のイベントであるカラオケ大会で、かなり時間が押した。タイムロスを少なくするべく、控室で機材をセットして備える。15分遅れの14時25分からライブは始まった。
 考えに考えたセットリストは、準備の都合で1週間前に施設へFAX送信ずみ。先方の希望ぴったりの25分で8曲を歌った。

「憧れのハワイ航路」「瀬戸の花嫁」「お富さん」「ここに幸あり」「上を向いて歩こう」「荒城の月」「丘を越えて」「高校三年生」
 聴き手は50〜60名ほど。直前のカラオケ大会が大変な盛況で、1曲目はその気分をやや引きずった感。いまひとつノリが悪かった。
 2曲目の「瀬戸の花嫁」では一転して一緒に歌う人が多数。ここから場の雰囲気は一気に「懐メロ歌声サロンふう」へと切り替わった。


 聴き手が歌詞を見ながら歌うので、手拍子やかけ声による聴き手参加型の曲は歌わなかった。強いて言うと、「お富さん」は手拍子を自然に促す曲だったが、数人の職員さんが代りに手拍子で盛り上げてくれた。
 持ち時間が少なめなので、全曲をフルコーラスでは歌わず、一部は省略した。「次の曲は1〜2番だけ歌います。ご協力、お願いします」などと歌う前に告知。歌集にはフルコーラスが印刷されていて、うまくやれるか不安だったが、何も問題なかった。
 歌そのもので聴き手がライブに参加するスタイルなので、場をリードする役目である私の歌は我流のクセを極力なくし、いわゆる「ため」や「走り」の類いは一切使わずに、ごくごくオーソドックスな歌唱法を貫いたが、この部分も非常にうまく運んだ。
 以前に妻にテストしてもらったことがあるので、キーは特にいじらず、普段通りに歌ったが、こちらも全く問題なし。

 中盤から後半にかけ、多くの歌声が吹き抜けのある空間に響き渡り、場がいつものライブとは異なる不思議な共有感に包まれた。若いころに新橋の歌声喫茶に数回行ったことがあるが、間違いなくそのときの空気感だった。
 終了後、担当のHさんから「やっぱり菊地さんの演奏は盛り上がります」と感謝された。初めての試みだったが、懐メロ歌声ふうサロン、成功と評価していいと思う。他の場でもやってみる価値は充分ありそうだ。

2016年9月10日土曜日

何かと想定外

 近隣のグループホーム秋祭りで歌った。演奏ボランティア活動を始めた11年前から切れ目なく依頼が続いている施設で、今回が実に28回目の訪問。職員さんはもちろん、入居者の方にも11年前と同じ顔ぶれがいて驚く。
 例年は屋外の駐車場を使い、地域住民にも開放されて行われるが、今回は開始2時間くらい前から、あいにくの雨。会場を食堂に移して行われた。
 開始は予定通り13時から。施設側の挨拶や開会宣言などあり、13時5分くらいからトップバッターとして私のステージが始まる。アンコールを含め、およそ25分で7曲を歌った。

「憧れのハワイ航路」「青春サイクリング」「三百六十五歩のマーチ」「さんぽ」「皆の衆」「お祭りマンボ(初披露)」「北国の春(アンコール)」


 お祭りイベントなので、昨年に引き続き、全曲を手拍子系の曲で統一した。天気予報は悪くなかったので、屋外会場でニギヤカに歌うつもりでいたが、突然の雨に降られて気勢をそがれた印象。そこが気がかりだったが、いざ歌い始めると1曲目から手拍子の輪が一気に広がって、不安は吹き飛んだ。
 予定の6曲を終わるまで手拍子が途切れることはなく、難しいシチュエーションでのトップバッターの役目は、十二分に果たせたと思う。
 場を次なる演奏者であるフォークユニット、エイプリルさんに素早く譲ろうとしたら、「菊地さん、ぜひあと1曲お願い!」と、責任者のAさんが指を立てる。
 実は前日に施設で転倒して股関節にヒビが入った母が、一夜明けて熱が出てしまい、昼近くに入院することが決まっていた。手続き等で、終了後はただちに病院に向かうことになっており、そのことは事前にAさんにも伝えてあった。

 しかし、場の気分としてはアンコールである。リクエストを募った結果、昨年のアンコールと同じ「北国の春」に決まる。無難にまとめ、ただちに機材をたたんで病院へと向かった。
 いろいろと想定外のことが起きて慌ただしかったが、何とか綱渡りで対応できた。

2016年9月9日金曜日

母の転倒

 朝9時半過ぎに、母の暮らす施設の看護師から電話がある。今日は入浴の日だが、左肘と左腰が痛いと訴え、入浴ができないのでシャワーで済ませたという。
 左の額に軽い打撲の跡もあり、職員は誰も目撃していないが、朝食後にどこかで転倒したように思える、とのこと。判断が難しいが、病院に連れて行ったほうがいいのでは?との連絡だった。

 朝食もそこそこに、ただちに車で向かう。自立歩行が難しいようで、母は車椅子に乗っていた。私の軽自動車だと乗り降りで痛むおそれがあるので、施設の大型車に車椅子ごと載せてもらい、すぐ近くの整形外科へと向かった。
 施設の職員はそのまま車で戻り、私が付き添いとして病院での手続きを代行する。痛む箇所を中心にレントゲン写真を数枚撮り、その後診察室に招かれた。
 医師の説明によると、左肘は単なる打撲で、湿布薬を貼って対処。額の打ち身は軽いが、今後万一頭痛などの症状が出た場合、脳外科での検査をすすめられた。
 問題は左腰で、股関節(大腿骨と骨盤の接続部)にヒビが入っていて、じっとしていると痛みはないが、動くと患部が痛むらしい。
 写真で見てもよく分からないほどのヒビで、骨折ではないので、安静にして自然治癒を待つしかない。希望すれば手術という手段もある、との診断だった。

 その後、施設に戻って職員や看護師の方々と相談。母は病院が大嫌いなので、手術や入院は極力避けたい。(過去に3度の入院で、いろいろトラブルを起こしている)しかし、施設が住宅型有料老人ホームなので、特養のような手厚い介護は期待できない。
 健康時の母は、身の回りのことは一通り自分でできて、あまり手はかからない。今日も意識はごく普通で、私のこともちゃんと分かっている。遅い昼食も自分一人で食べた。
 問題はベットの乗り降りやトイレを、介助なしではできないのではないか?との不安だった。

 午後から看護師の方が直接病院に行ってくれ、担当医と再度の協議。その後施設から連絡があり、母は車椅子から降りて、一人で歩いているという。トイレにも介助なしで行っている様子だった。
 午前中はあれほど痛がっていたのが、まるでキツネにつつまれたような話である。ご家族さまのご希望が第一ですが、どうなさいますか?と尋ねるので、しばし考えたすえ、2〜3日様子を見ることにした。
 悪いほうの可能性としては、無理をしてまた転び、(本人は転んだ覚えはない、と主張しているが)患部を悪化させてしまうこと。施設側も夜の見回りを増やすなど、しばらく目を離さないよう取り計らってくれることになった。

 それにしても、母の転倒はこれで3度目。6年前の最初の転倒では、胸骨骨折で1ヶ月近くも入院している。今年は春先にも室内で転んで、顔に大きなアザを作った。(その後自然治癒)人によっては、転倒がきっかけで車椅子や寝たきりになるケースもあり、亡き父がまさにそうだった。
 安全に設計された施設内で、多くの人の目があっても、転ぶときは転ぶ。やがて高齢者の仲間入りをする自分も、せいぜい気をつけなくては。

2016年9月7日水曜日

オリジナルが通用した

 活動を再開して2度目となる赤れんがアーティスト広場に参加。前回と曜日は異なるが同じ平日で、時間帯も同じ13〜16時だ。
 予報では晴れだったが、車で向かう途中からポツポツと雨が落ちてきた。手続きを済ませて広場に着いても雨はやまない。見上げると、上空で黒い雲が動いている。小雨なので大きな木の下に移動し、じっとやむのを待つ。

 雲が去って青空が見えてきたのを機に、機材をすばやくセット。いつもの場所が明日のイベント準備のため、テント設営作業の真っ最中で使えない。正面玄関よりの位置に数メートル移動し、13時40分くらいから始めた。
 およそ1時間50分で、25曲を一気に歌う。結果として、ジャンル別の3部構成のような形になった。
《昭和歌謡系》
「カサブランカ・ダンディ」「パープルタウン」「ジョニィへの伝言」「別れの朝」「グッド・バイ・マイ・ラブ」「恋のしずく」「どうぞこのまま」「ブルーライト・ヨコハマ」「アカシアの雨がやむとき」「男と女のお話」「あなたならどうする」

《オリジナル系》
「抱きしめて」「夕凪ワルツ」「誰も知らない夜」「雨ニモマケズ」

《フォーク系》
「大空と大地の中で」「酒と泪と男と女」「風来坊」「少年時代」「傘がない」「時代」「異邦人」「夢の途中」「時をかける少女」「ビリーヴ」


 歌うペースとしては前回なみだったが、広場内で前回の「愛食フェア」のようなイベントがなく、雨模様の曇天ということもあって、人通りは少なめ。時折バスで外国人観光客がやってくる程度で、集客的には苦戦した。

 近くでやっているテント設営の作業音がかなりのもので、途中から上空でヘリコプターがしつこく旋回して騒音を重ねる。屋外ライブの宿命のようなものだったが、少し離れた場所で同時進行でやっていた他のジャグリング系パフォーマー2組の音はそれほど大きくなく、こちらは影響なく演れた。
 前半は昭和歌謡系の曲を連発したが、悪条件が重なったこともあって、ノレンに腕押しの反応。ちょっと困って水を飲んで一息入れていたら、建物の中から出てきた同世代の男性が、「どうもどうも、いつも聴いてますよ。お疲れ様です」などと、親しげに声をかけてくる。
 前回とよく似たシーンだったが、男性の顔に見覚えがない。

「どちらでお聴きに…?」と尋ねると、「そこの会議室で生涯学習をやってるんですが、いつも聴こえてますよ」とのこと。「いつも」と言っても、歌うのは今回で2度目。もしかして、オーディションの折も聴いていたとか?だとすると、3度目ということになるが…。


 少し元気が出て、路線をガラリ変えて、久しぶりにオリジナルを歌ってみる気になった。実は11年前に妻を伴って同じ広場で歌っていた際、誰も関心を示してくれない膠着状態に陥ったことがある。
「こんなとき、何を歌えばいい?」と問うたら、「好きなように歌えばいいのよ」と妻は応えた。そのシーンをちょっと思い出した。
 たいして期待はしてなかったが、周囲の反応が突然よくなってびっくりした。けっこう人が集まってきて、歌に合わせて手拍子する人までいる。まだまだオリジナルも捨てたものじゃない。
 その後のフォーク路線もまずまずの集客だったが、この日は2週間ぶりのライブということもあって、やや練習不足だった気がしないでもない。15時半で気力体力が限界に達した。休憩なしで突っ走った場合、やはり25曲前後が自分の限界らしい。

 体力的にはキツいが、他のパフォーマーや音量を気にせず、自分のペースで延々歌えるのは、やはり気分がいい。この広場の最大の利点だ。
 成り行きから、演歌系や洋楽系の曲は全く歌えなかったが、オリジナル系が通用することが分かり、他のジャグリング系パフォーマーとの同時進行が可能なことも知った。次回にむけて、大きな収穫だった。