一回の手間で数多く歌えるのが魅力だが、問題は気力体力面。14~20時までの長い活動時間となるが、自分の限界点を見極めてみたいという好奇心もあった。夕食時にかかるので、途中のスーパーでサンドイッチを調達。飲物も2種類準備した。
14時10分前に会場の北4条広場に着くと、午後枠共演の即興ダンス宮脇さんがすでにスタンバイ中。てっきり私は2番目に演るものと思っていたら、アップに時間がかかるというので、最初に演ることになる。
機材のセットにやや手間取り、14時10分から開始。およそ30分で8曲を歌った。
「釜山港へ帰れ」「夜霧よ今夜も有難う」「よこはま・たそがれ(初披露)」「宗右衛門町ブルース」「つぐない」「青葉城恋唄(リクエスト)」「おふくろさん」「ラブユー東京」
平日の午後ということもあって、構成は久しぶりに「演歌」とした。この日は外の陽気がうららかで、地下歩道を歩くより春の陽光を楽しみたい人が多かったようで、人通りは少なめ。
それでも中高年を中心に人の集まりはまずまず。1曲ごとに「チカチカパフォーマーの菊地です。札幌北区に住んでいます。今日は演歌を中心に30分ほどお騒がせしています」とMCを入れる。以前は曲紹介のみで淡々と歌い続けていたが、聴き手とのコミュニケーションを積極的に図ろうというのが今期の目標である。
最初から熱心に聴いていた中年女性が曲間で近づいてきて、「あの~、《青葉城恋唄》が聴きたいんですけど、ダメですか?」と突然のリクエスト。演歌中心と明言しているはずが、なぜか希望は叙情歌である。
一瞬たじろいだが、青葉城恋唄は叙情歌ファイルに入っていて、いつでも引き出せる状態。「分かりました」とすぐに応じた。それにしても、なぜ青葉城恋唄だったのかナゾだ。私の声があの歌に向いていると判断したのだろうか?
宮脇さんの長いステージをはさんで、16時から第2ステージ開始。場所は正面から南側の壁際に移動した。活動開始当初は好んで歌っていた場所で、通りからはややブラインドとなるが、他のパフォーマーの設置や撤収に無関係に歌えるというのが最大の利点。
歌の途中で宮脇さんが帰ったので、ここからは一人で自由に演れる。内外の叙情歌を切り口に、およそ45分で13曲を歌った。
「カントリー・ロード」「翼をください」「ビリーヴ」「赤い花白い花」「涙そうそう」「思い出のグリーングラス」「サンタルチア」「エーデルワイス」「帰れソレントへ(リクエスト)」「かなりや」「野ばら」「雨ニモマケズ(オリジナル)」「いい日旅立ち」
16時からの1時間は人々が帰宅を急ぐ「魔の時間帯」と仲間内では言われている。覚悟して歌い進んだが、なぜか4曲目あたりから立ち止まる人が増え始める。通りに斜めに向かっているステージ位置も関係していたかもしれない。
「エーデルワイス」を歌い終えると、熱心に聴いていた中年女性の一人が近づいてきて、「《帰れソレントへ》がぜひ聴きたい」と、これまた突然のリクエスト。1日に2度目のリクエストとは驚きで、しかも最近はほとんど歌っていないカンツォーネである。「内外の叙情歌を歌っています」と、コマメに曲間で告知していたのが伏線だろうか。
リクエストを積極的に受けてステージを構成したいという願望はかねてからあって、水面下では準備を重ねている。しかし、その手法に関して迷いがあり、具体的には何もやっていないし、MCでも一切告知していない。それでもこうしてリクエストが出る。
推測だが、曲間のMCでコミュニケーションを図ろうとしている姿勢が、自然に聴き手に伝わっているのかもしれない。だとすると、特にリクエスト専用カードなど作らなくとも、現状の流れに任せていいことになる。
ともかくも、リクエストは無難にこなした。「野ばら」を歌っているころに、夕方枠の共演、小樽のギタリスト浜田隆史さんが現れる。広場の中央はガラリ空いているので、「どうぞ構わずに準備なさってください」と声をかけた。
浜田さんとは1月の休日午後枠で一度共演している。同じ音楽系なので、ちょっとしたミニライブの様相である。
17時30分くらいから、この日3度目のステージ開始。浜田さんのステージが全曲洋楽系なのが分かっていたので、その傾向に合わせるべく、「洋楽のオリジナル訳詞」を切り口に構成した。
およそ25分で7曲を歌う。(「虹に消えた恋 」以外は全てオリジナル訳詞)
「Without You」「虹に消えた恋 」「オブラディ・オブラダ」「イエスタディ」「コンドルは飛んで行く」「アメイジング・グレイス」「レット・イット・ビー」
3月上旬にも似た構成で一度歌っているが、内容がマニアックなので、立ち止まる人はほとんどいなかった。今回も似た傾向になる覚悟はあったが、少なくとも共演の浜田さんには喜んでもらえるはずだった。ところが浜田さん以外にも、立ち止まる人がけっこういて驚いた。17時台に歌った記憶自体があまりないが、意外にいい時間帯なのかもしれない。
終わると中年女性が近寄ってきて、「《アメイジング・グレイス》が素晴らしかった。楽譜をお持ちでしたら、譲っていただけませんか?」と言う。しかし、譜面は残念ながらタブレットPCの中で、持ち出し不可能である。
音楽系パフォーマーの入れ替わり時間は素早い。広場の位置を重複しない位置に互いが設定したせいもあり、1分ほどで浜田さんとステージ交代。
18時くらいから人通りがめっきり減り、立ち止まる人も少なくなった。浜田さんいわく、「夕食の時間帯は厳しいんですよ」。なるほど16時台が「帰宅時間帯」とするなら、18時台は「夕食時間帯」というわけか。
歌の構成には迷ったが、力の入る昭和歌謡は避け、第2ステージで歌った内外の叙情歌をもう一度歌うことにした。
「カントリー・ロード」「赤い花白い花」「思い出のグリーングラス」「涙そうそう」「サンタルチア」「サクラ咲く(オリジナル)」
この日ちょうど30曲目となる「赤い花白い花」のラストで、声が少し割れてしまった。過去の経験から、30曲あたりが危険であると分かっていたが、いつもは弦を押さえる左手がつるのが常。しかし、水分補給をスポーツドリンクに変えてから、その問題は起きていない。
声が割れるのは午前中のライブで数回あったように思うが、歌い進むなかでは初めてのこと。立ち止まる人は皆無に近く、このあたりが限界と悟って、早めの20分で打ち切りとした。
浜田さんのギターを聴きながら、ゆっくり撤収。事務局で売上げ金の精算をし、19時45分に会場をあとにする。少し疲れたが、1日34曲の記録更新も叶い、長丁場を乗り切る自信がついた。