2013年12月5日木曜日

大腸ポリープ摘出..前編

 10月下旬の5日続きの血便症状から病院へ、そして11月上旬の大腸内視鏡検査による2個の大腸ポリープ発見という急な流れにより、この日ポリープの摘出手術をする手はずになっていた。
 本当は11月下旬に実施するはずが、あいにく以前から予定されていた息子夫婦の帰省とぶつかってしまい、順延。病院の手術日程は決まっていて、「いつでもOK」とはならない。今回診てもらった病院では、「手術は週末の午後」が基本だった。

 内視鏡検査と同様、前日から検査食を食べて準備。就寝前に最初の下剤を飲み、翌朝6時に薬を飲んで、7時から次の下剤を飲む段取りも全く同じだ。幾分慣れたとはいえ、検査食も下剤もつらいことに変わりはない。
 特に1.8Lの下剤をトイレに駆け込みつつ1時間強もかけて延々飲むのは、やはり「苦行」に近いものがある。
 この日は妻に休暇をとってもらった。内視鏡とはいえ、レッキとした手術である。出血やせん孔により、命を失う可能性もゼロではなく、手術前に提出する同意書には、その旨がちゃんとうたってある。
 検査のときは午前中に来院を促す電話があったが、今回指定された時間は14時半。早朝から準備していたので拍子抜けしたが、タクシーを呼んで早めに行くことにする。(車での入院は禁じられていた)


 受付で諸手続きを済ませ、着替えて手術用待合室に入ったのが15時ちょうど。なぜか私以外にも2人の患者がいて、まず呼ばれたのが80歳前後の男性。20分ほどで終えて、いよいよ私の番か?と思ったら、次は同年代の中年女性が呼ばれた。
 この女性が入ったきりなかなか出てこず、ひたすら待つ。途中で「遅れてすみません、もう少しお待ちを」と、係員から告げられたが、ようやく呼ばれたときの時計は16時を指していた。
 手術台に上がってすぐに手術は始まった。大腸自体に神経はないらしく、麻酔はナシである。痛むのは器械の出し入れ時や、内視鏡が腸壁に当たったときだけ。すんなり進むはずが、出口に近いほうにある2センチ近いというポリープの摘出でかなり手間取った。
 ポリープが予想外に柔らかく、施術中にちぎれてしまったらしい。腸内にちらばった破片を集める手段に関し、医師2人と看護師が協議。急きょネットを使って集めることになり、内視鏡の出し入れが繰り返された。

 1つ目のポリープ処理だけで、およそ1時間が経過。2つ目は5~6ミリの小さめなポリープだったので、30分ほどで終了。これほど長くかかるとは思ってもみなく、私が最後に回された理由を、このときようやく知った。
 両ポリープとも、根本に太い血管があったそうで、その止血処理にも手間取ったらしい。開いた傷口は、内視鏡先端につけられたホチキスのようなもので10ヶ所近くも固定された。
(「カチッ」と止める音が耳元でする)
 車椅子に乗せられて病室へと移動し、ベットで1時間の安静。その後ようやく水を飲んだり、立って歩いたりが可能となった。妻は入院関連の荷物持ちを担当。付き添いはやはり必要だった。
 辛抱強く立ち会ってくれた妻は、翌日の勤めもあるので18時で帰宅。この日は全く食事ができず、16時から始まった栄養剤の点滴を延々と受けつつ、ベット上で持参した本を読んだり、タブレットPCでゲームをしたりして時間をつぶす。
 入院の連帯保証人になってもらった長男に携帯のCメールで報告。息子からはすぐに返信がきた。この夜読んだ本が、父の入院から死までを息子の視線で描いた、沢木耕太郎の「無名」である。偶然だが、不思議な因縁を感じた。

 消灯は21時。神経がたかぶっているので眠れず、持参のラジオで22時まで音楽を聴いていたが、やがて睡魔に襲われる。早朝から心身を消耗していたせいか、そのままストンと眠りに落ちた。
(「中編」に続く)