2011年11月10日木曜日

庭木の剪定

 天気がよく、庭の樹木もすっかり葉が落ちて見通しがよくなったので、剪定をすることにした。まずは南に位置する楓の木から始める。
 移植したときは背丈にみたなかった木も、いつの間にか枝が2階窓近くまで伸び、横は隣地を越す勢い。隣地にいつ家が建つか分からない情勢なので、余分な枝は早めに切っておく必要がある。

 脚立から直接木に移り、剪定用のノコで適当に切る。専門家ではないので、直感が頼りである。基本的には「伸ばしたくない方向」の枝をバンバン落としたが、これでよいのか?


 庭木の剪定や車庫の雪落としなど、万が一落下したときに命に関わる作業をする場合、必ず妻がいる時間にやるようにしている。事前に声をかけることも忘れない。何もないにこしたことはないが、何があるか分からないのがこの世の定めである。
 簡単に終わるつもりが、予想外に手間取って数時間を要した。終わった頃にはあたりは薄暗くなっていた。北西側にあるナラの木も剪定しなくてはならないが、こちらは後日に持ち越しである。
_ツイッターを始めて3ヶ月近くが過ぎたが、いちおう続いている。Facebookやmixiのような「いいね!」ボタンの反応もなく、コメント欄やトラックバックを封印している私のブログスタイルにかなり近いが、ブログでは確認可能な訪問カウントの類いも一切ない。
 日々のツイートに対し、「返信」「リツイート」といった反応システムがあるにはあるが、有名人でもない限り反応確率は極めて低く、大半のユーザーのツイートは闇に向かって投げる石のような一方通行である。

 この限りなくストイックなシステムに耐え切れない人は、確かな反応が素早く表れるFacebookやmixiに走る。走ったきり、ブログやツイッターから消えてしまった人も多くいる。
 私も含めて、根本的に人は他から構って欲しい存在であり、そして構ってもらうことで、かろうじて自己を支えているものなのだな、としみじみ思う。